地獄への階段
―――ダンダンダンッ!!!
通常の生活では鳴り得ない、連続した破裂音で目が覚めた。
小鳥が囀る爽やかな朝には不釣り合いな音だ。
半ば不機嫌になりつつ辺りを見渡すと、扉の向こうからその音は聞こえているようだ。
眠気眼で、俺はその扉の方へ体を向ける。
キィ……
「よう、やっと起きたか」
音の原因は、ガルーだった。
ガルーは手に自分の頭ほどもある真っ赤なグローブをはめ、なにやらサンドバッグのようなものを叩いていたようだ。
「起こされたんだよ」
カミオはキレ気味で答えた。
ガルーは、とぼけた顔をしながら、またサンドバッグを叩き始めた。
ダンダンッ!!ダンダンダンッッ!!!!
物凄い勢いでパンチを叩き込む。
俺は、眠気もすっかり覚め、夢中でガルーを見ていた。
すると、ガルーは手を止め、喋り出した。
「俺は昔、ボクサーだった。…人間だった頃だ……。でも、この体のおかげでその頃よりも良いパンチが打てるたァ皮肉なもんだ」
「俺はトトと再開できたおかげで、人間だった頃のことを思い出せた。なんでこの姿になっちまったのかは、てんで思い出せやしないがな。お前は今の所どうだ?」
ガルーに出会った時、自我を取り戻した時から、昔の事を思い出そうと必死に考えていたが、自分は元は人間で、街で暮らしていたということ以外は全く思い出せずにいた。
いや、その事すらも、ガルーが元は人間だったという話を聞いて、その場で自分が作り出した偽物の記憶である可能性も否定出来ない。
結局、俺は自分の事が全く分からないままだった。
「…そんな顔するな。お前も知り合いに会えればきっと思い出すさ」
ガルーの優しい言葉も、何もかも信じられない混沌とした今の俺には届かなかった。
昔に戻りたい。人間だった筈のあの頃に。もう、戻る事は出来ないのだろうか。いっそ、消えてなくなりたい。とまで思った。
「…はァ……それでも男か、情けないヤツめ。俺が鍛えてやる。」
「えっ、ちょ」
俺の反応などお構い無しに、ガルーがどんどんと距離を詰めてくる。ガルーの鋭い眼光が身体の中に侵入してくる。圧倒された俺はあっという間に部屋の隅に追い込まれ、出会った時のように心臓が強く高鳴り始めた。あまりの圧迫感に目を逸らした瞬間、鈍い痛みが腹部に走る。ガルーの素早い一撃が腹部に命中したのだ。
「おいおい、強そうなのは見た目だけか。俺を襲ってきた時はこんなもんじゃなかったぜ?」
ガルーの煽りに俺はもうブチ切れた。
「…調子に乗んじゃねェ!!!」
俺はがむしゃらにパンチを繰り出す。が、まるで宙に舞う葉を相手にしているかのように、そのパンチはガルーには全く届かない。
パンチ、キック、チョップ、タックル…
そのどれもが大きな的である筈のガルーにかすりもしない。
-----おい、大丈夫か?
心配そうにカンガルーが俺を見ていた。
どうやら気絶していたらしい。
「狼だから大丈夫だろうと思ってちょっと力入れ過ぎちまった。まあ、二度寝ってことで許してくれよ」
ガルーは謝ってるとは到底思えないニヤつき顔で言った。
俺から目を逸らすと、キリッとした顔でこう続けた。
「男たるもの自分の身は自分で護れなきゃいけねェ。…これから俺たちがどうなるかわからないしな。」
「そうと決まれば、祭りまで強化合宿だ!!! お前を1人前、いや、1獣前の狼男にしてやる!!!」
相変わらず勝手に話を進めるカンガルー師匠は、狂気に満ちた笑みを浮かべている。
こうして、鳴く狼も黙る"地獄の強化合宿"が幕を開けた。