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放蕩

 大正五年に入るとドイツ潜水艦による日本船の被害が無くなり、綾をひと安心させてくれました。ですが、六月には一隻、八月には二隻、日本商船が地中海で沈められ、綾の神経をふたたび翻弄します。そんな綾のもとへ一通の封書が届きました。東京小石川の斎藤家、つまり東光の下宿先からです。手紙を読んだ綾は激昂しました。

(あのマセガキが)

 手紙の内容は苦情と叱責でした。斎藤家の女中に東光が手を出したと書いてあります。家中の規律のため女中には暇を出したから、東光も放逐せざるを得ないが、それで差し支えないか。そんな内容の手紙です。綾は、恥ずかしさと怒りで手をふるわせました。直ちに返事を書きました。斎藤家に対しては謝罪するしかありません。息子の無作法を詫び、直ちに放逐してくれてかまわないと書きました。東光にも手紙を書き、仕送りの打ち切りを通告しました。


 東京に出た東光は優雅な下宿生活を楽しんでいました。立派な屋敷に住み、親の仕送りに甘え、陽の高いうちから銭湯に通い、気ままに文章を書き、気が向けば画塾に通っていたのです。画塾では真面目な塾生ではありませんでした。教師の指導に難癖をつけ、ヌードモデルの女性をけなし、同窓生の画業を見下しました。画塾に退屈すると浅草六区の歓楽街に入りびたり、オペラ常設館や映画館をハシゴしました。それでもエネルギーが有り余っているので、不良を相手に喧嘩をしたり、気弱そうな学生に鳥打ちを仕掛けたりしました。鳥打ちとはカツアゲのことです。どこからどう見ても堂々たる不良です。いよいよ斎藤家を追い出されることになっても東光は意気盛んです。

「こんなところ、出て行ってやる」

 とりあえず下宿をさがしました。運良くすぐに見つかりました。大工の家です。大家のおかみさんには「画学生だ」と言っておきました。東光は木造三階建ての三階に入りました。四畳半の広さがあります。手持ちの金をはたいて家賃を払い、手荷物を置きました。

(さて、これからどうする)

 茫然としたのはそれからです。さすがの東光も途方に暮れてしまいました。ひろい東京でたったひとり、仕送りを断たれた十代の若造がどうすればよいのか。これほどの心細さを味わうのは生まれて初めてです。いきがってはいても、やはり苦労知らずのボンボンなのです。金もなく、頼れる知り合いもいない。

(いったいどうすりゃいいんだ)

 それでも綾に謝ろうという気持ちは湧いてきません。むしろ恨みました。

(三宮駅でのあの言葉は何だったんだ)

 容赦なく仕送りを打ち切った綾には裏切られたと感じました。途方に暮れ、居ても立っても居られない気分です。こんな精神状態では絵も描けず、文章も書けず、本を読んでも頭に入りません。寝転んでいるうちに夜になりました。腹は減っていますが金がありません。やむなく勝手場に降りて水を飲みました。早めに眠りましたが、真夜中に目が覚めてしまいました。緊張と空腹のせいです。また勝手場で水を飲みました。

(これからどうすればいい)

 考えても考えつきません。ただただ空腹です。ふと何かが目に入りました。流し台の脇にナメクジが這っています。東光は湯飲み茶碗に水を満たし、ナメクジをつまみ上げて水中に落としました。ナメクジは水中で丸く縮こまって浮いています。それをグイと呑み干しました。そんなもので腹の膨れるはずもなく、眠れぬまま横たわりました。

 東光は、夜明けを待って外出しました。行くあてはありません。しかし、狭い四畳半に閉じ籠もっているより外の空気を吸う方がマシでした。フラフラと遊び慣れた浅草六区に向かいます。

 この時期、浅草六区は東京一の歓楽街です。演劇場、映画館、常設オペラ館などが建ち並び、十二階建ての陵雲閣がそびえています。

「東京の不良は浅草で養成される」

 と言われたほどの不良の溜まり場です。そして、東光もその不良のひとりです。つい昨日までは食事や寝床の心配もなく遊び呆けていましたが、いまは尾羽打ち枯らしたようになっています。浮浪児らしき子供らがゴミ箱を漁っています。東光は無感動な顔でその様子を見ました。

(俺もああなるのか)

 六区には来ましたが金もなく、鳥打ちをする元気もありません。瓢箪池のベンチにただ座りました。帰属を失った喪失感が十八才の東光を打ちのめしています。このとき東光は余程どうかしていました。夜になっても下宿に戻らず、ウロウロと歩きつづけました。意味もなく無性に歩きたいのです。東光はトボトボ歩いて浅草寺に来ました。境内の軒下で寝ようと思いましたが、先客が多いのには驚きました。乞食が集まっているのです。その群れのなかに自分が居ることに違和感がありません。空いている場所を見つけて寝ました。寒くはありませんが蚊がうるさく、眠れません。しばらくすると誰かが袖を引っ張っります。顔を上げると女の乞食がいました。驚くべきことに乞食相手の淫売でした。東光は驚嘆しました。人間という動物はどこまで性的な存在なのか。

「悪いが金がないよ」

 夜が明けると、東光は意味もなく瓢箪池を目指して歩き、またベンチに座って茫然と水面を眺め続けました。空腹です。ですが、それ以上に精神の動揺が激しいため、あまり空腹を感じません。日頃の自信はどこかへ消し飛んでいます。それだけ親への依存心が強かったのでしょう。仕送りを打ち切られて依存を絶たれたため、天も地もない気分になっています。東光は、すべてに対して懐疑的になりました。文学への夢はおろか、自身の存在までが呪わしく感じられます。

「よお、兄さん、どうしたい」

 見知らぬ男に声をかけられたのは昼過ぎです。

「暇なら飯でも食わないか」

 背広を着てネクタイを締め、髪をピシッと分けています。年齢は三十ほどでしょうか。きれいな身なりをしていますが、人間がいかにも胡散臭く、妙に馴れ馴れしい男です。しかし、食事にありつけるのはありがたい。東光は無気力にその男に従いました。

「何でも好きなものを食べなよ」

 大正期に入ると日本の外食産業は大いに発展し、外食を楽しむという習慣も定着していました。一膳飯屋、簡易食堂、カフェ、洋食屋、料亭など飲食店には事欠きません。男は気前よくおごってくれました。飢えていた東光は夢中で食べます。腹が満ちてくると不思議なもので元気が出てきました。

(どうしていたんだ、俺は)

 急に脳が働き出し、周りが見えてきました。とりあえず怪しげなこの男を撃退せねばなりません。その方法を考えながら漬け物をポリポリ噛みました。腹一杯になった東光は箸を置き、茶を飲み始めました。すると、それまで黙って見ていたくだんの男が話しかけてきました。

「おい、兄さん、俺のところへ来いよ。うまい物を毎日食っていればいい。仲間だっているよ。北海道に好い仕事があるのさ。そこへ連れていくからさ。それまで思いっきり羽を伸ばしていればいい」

 北海道と聞いて東光はピンときました。かつて函館と小樽に住んだことがありましたし、日本郵船の定期船が石狩川を往来していましたから、耳学問で北海道事情には通じています。

「あんたポン引だろ」

 東光は相手の意表を突くように言いました。

「えっ」

「江別饅頭って知ってるか。石狩川の中流にある江別っていう町の名物だよ。そのさらに上流には炭坑がいくつもある。幌内、空知、夕張、美唄、砂川。ちがうか?」

「てめえ」

「俺を炭坑のタコ部屋へ売るつもりなんだろう」

 ポン引というのは若い女ばかりを狙うのではありません。若い男も標的になります。うまいものを食べさせて、巧妙に言いくるめ、炭坑に連れていき、強制的に炭鉱労働者にしてしまう。逃げようとしても鬼のような看守が見張っている。脱走して捕まれば命さえ危ない。まだ若僧ながら、この種の世間知に東光は長けています。

「何なら警察に行こうか」

「きさま」

 背広の男は凄んで見せましたが、東光も狂暴な眼光をポン引き男の眼に注ぎ込みました。東光は自分の内にある狂暴な精力に気づいています。それに気づかせてくれたのは剣道でした。

 東光には真面目に剣道に取り組んだ一時期があります。津軽藩に伝わる克己流を学び、口伝を教わりました。自己を信頼することのあつい東光は、つい自信を持ち、大日本武徳会主催の剣術大会に参加しました。この晴れ舞台で東光はあっさり負けてしまいます。その夜、東光は悔しさのあまり眠れませんでした。皆が寝静まった真夜中、旅行李から脇差を取り出しました。負かされた相手を襲って殺そうと思ったのです。宿舎の間取り、相手の顔と居所は昼間の内に頭に入れてあります。覚悟を決めて起ち上がり、そっと廊下に出ると意外なほどに明るい。思わず夜空を見上げたとき、白い月が目に入りました。

(やめた)

 負けるたびに人を殺しているようでは、剣客ではなく人殺しです。東光は剣道をパタリとやめました。同時に自分の内にある激しい獣性の存在を知りました。獣性は強さの根源でもありますが、一歩まちがえば悪にもなります。この獣性をいかにして社会に調和させて使うか。それが東光の課題となりました。

「きさま、おぼえてろよ」

「ああ、おぼえておくよ」

 東光の眼光はポン引を撃退しました。昼前までしょげかえっていた東光は、意気揚々と下宿に帰りました。すると、おかみさんに声をかけられました。

「ちょっと、今さん、昨日はどうしたのさ。帰って来ないでさ」

「はあ」

「ところであんた、絵を描けるんでしょ。いい内職があるんだけどやってみないかい。というより、おやりなさい。もう引受けちゃったんだから。画学生さんなら丁度いいと思ってさ」

 

 東光の下宿生活は貧乏ながらも軌道に乗りました。内職で稼げば何とか暮らしていけるのです。内職は、画学生でなくともできるような単純作業です。ゴム鞠にエナメル絵の具で花を描きます。襖紙に型紙をあてて刷毛で絵の具を置き、型どおりの模様を描きます。東光は日を決めて徹夜作業をしました。工夫の余地なき単純作業は苦役でしたが、生活費を稼ぐためには否応はありません。

 ご飯はおかみさんに頼んで炊いてもらいました。副食は自分で才覚せねばなりません。東光は貧乏生活のコツを徐々に会得していきます。閉店間際の八百屋に駆け込み、安いクズ野菜を買い、大家のぬか床に漬けさせてもらうのです。時にはぬか床の中にある大家の野菜をちょろまかします。それが面倒なときには、おかず無しで済ませます。

 ともかくも食えるようになったので東光は画業を再開しました。近所の子供に頼めばよろこんでモデルになってくれます。内職の役得でゴム鞠を数個くすねておき、子供に配ってやるのです。糸を巻いた鞠に比べるとゴム鞠はよく跳ねます。子供たちは瞳を輝かせます。ゴム鞠がなくても飴玉一個あげれば、しばらくはジッと我慢していてくれます。古本屋や貸本屋を利用すれば、本も手に入ります。喧嘩も再開しました。東光のような男にとって喧嘩はスポーツです。街を歩いていると、わかるのです。

(向こうから来るあの男、やる気だな)

 案の定、喧嘩になります。東光は色白、長髪の美少年でしたが、喧嘩の仕方はめっぽう汚い。先制攻撃で襲いかかり、相手が強ければ下駄で殴ったり、鼻の穴に指を突っ込んだりしました。どちらかが「参った」と言えば、それで喧嘩は終わります。

 自活の見通しを得た東光は、神戸の綾に宛てて葉書を出しました。こちらの住所を知らせるためでしたが、忌々しいから「仕送り不要」と書いてやりました。

 絵の内職に加えて牛乳配達をするようになると懐が温まってきました。こうなると遊びの虫がおさまりません。ときどき六区にくりだして日頃の憂さを晴らしました。女郎買いもしました。東光は妓に頼み込んで裸をデッサンさせてもらいます。それも並のポーズではありません。こともあろうに女陰をデッサンするのです。若き日のピカソにならい、デッサンの腕を磨こうとしたのです。それも広い意味での画業には違いないでしょう。

(ひとり相撲ばかりとっていても始まらない)

 東光は仲間が欲しくなりました。人間相互の刺激は創作に不可欠な要素ですし、文壇や画壇の情報が欲しいと思いました。できれば一流の芸術家に接近したい。東光は、文学者や画家が集まるという噂の盛り場に顔を出しました。そうこうするうちにできた悪友が宮坂普九(ふく)、サトウハチロー、東郷青児などです。実家が裕福な宮坂普九は一軒家に住んでいました。結果、そこが悪童たちの溜まり場になりました。

 群れなす悪童につける薬はありません。浅草六区や吉原で遊びました。各人がギザという五十銭銀貨一枚を持ち、大引け間際の時間をねらい、臆面もなく大籬(おおまがき)に挑みます。やり手ババアか牛太郎が必ず声をかけてきます。

「お兄さん、寄ってって」

「五十銭しかないけど頼むよ」

 いい顔をされないのは最初から承知の上です。この駆け引きが、すでに遊びなのです。あつかましく頼めば一応は花魁(おいらん)に話を通してくれます。それで振られれば、それまでです。振られて当り前だから、さっさと次の店を目指します。不思議といえば不思議ですが「それでもいい」という花魁がまれにいます。そういう花魁に首尾よく行き当たれば登楼できます。大引けになれば、お大尽が食べ残した豪華な御馳走の残り物を食べさせてくれるし、欲求を満たした後はフカフカの布団でゆっくり朝まで眠ることができます。

 しかしながら、遊廓というのは世の不条理を凝縮したような場所でもあります。醜いものも目に映ります。女郎屋に雇われているヤクザは、花魁が逃げないよう常に見張っています。逃げ出そうとして果たせず、泣き叫びながらヤクザに引っ立てられていく哀れな女郎を見ることがありました。その哀れな悲鳴を聞いてしまうと、しばらくは耳から離れません。

 仲ノ町の大通りから外れた羅生門横町という小路には花魁のなれの果ての老女たちが棲みついています。年老いた彼女らは、それでもまだ客をとっているのです。その薄暗い小路を男が歩くと左右から客引きの腕が何本も伸びてくる。東光は引っぱられるままに五十銭銀貨一枚で登楼したことがあります。登楼といっても狭くて薄暗いちょんの間です。そこに現れたのは顔中が縦横の皺におおわれた五十年配の妓でした。さすがにげんなりし、おとなしく眠りました。翌朝、老妓は朝御飯を食べさせてくれました。産み立ての卵がついていました。老妓は土間で鶏を飼っていたのです。

 救世軍の挺身隊に出会うこともあります。彼らは声を涸らして花魁たちに「自由廃業せよ」と訴えます。すると遊女屋お抱えのヤクザが現れて追い払います。救世軍は、その信仰からか教義からか、殴られても蹴られてもいっさい抵抗しません。血を流しながら説教する救世軍を見ているうち、義憤に駆られた東光がヤクザに襲いかかっていきます。これはこれで正義の行動なのでしょう。

 正義の喧嘩をする一方、性欲にはあっさり敗北して登楼してしまう。ある夜、首尾よくギザ一枚で大籬に登楼した東光は、皆が寝静まった深更にふと目覚めました。すべての灯が消えた吉原は、物凄いほどの静寂に包まれていました。静かでありながら何かしら耳(さわが)しい。数多の女郎たちの怨嗟と悲鳴とが相互に干渉しあって音波の振幅を打ち消しあっているかのような重い沈黙です。なにも聞こえないのですが、確かに遊女たちの怨念が感じられる。東光は空恐ろしくなり、横で寝ている花魁を起こそうとしました。花魁は寝息を立てて寝ていましたが、その両目には涙があふれていました。


 東京には全国各地から芸術家の卵が集まってきます。その誰もが五里霧中の中で右往左往しています。いかにすれば芸術家として世に出られるのか。明確な階梯はありません。文章が雑誌に掲載されたり、絵画が賞をもらったりしても、世の中は概して無反応なものです。公務員になるためには一高から東大という明確な階段があり、これを踏んで行けばよい。しかし、芸術家が世に知られるのに決まった方法はありません。

(真面目に創作に取り組んでいれば、いつかは世の中が認めてくれる)

 などと思ってみても、三日も経たぬうちに疑わしくなります。日々の生活に追われるうちに志は煙のように消えていきます。自分の非才に気づき、キッパリとあきらめて故郷に帰る者は賢明です。なまじっか才能に恵まれていたりすると、あきらめることもできず、だからといって世にも認められず、陋巷に朽ち果てることになります。

 東光が知り合った青木三一という画家も、そんな男でした。青木は貧窮のどん底にいて、すでに三年分の下宿代を滞納していました。画材を除けば、ホーローの洗面器と七輪だけが持ち物で、その洗面器で顔を洗い、食事をつくりました。

「絵の具を分けてくれ」

 青木の「もらい絵の具」は有名でした。絵の具を買う金がないので、誰彼かまわず絵の具を乞うのです。画家にとって絵の具は必需品でしたが、決して安価ではありません。絵の具を充分に買いそろえられない青木は、いつも色彩を抑えた白黒基調の絵を描きました。それでいて展覧会に入賞するほどでしたから、腕前は確かでした。

 画家も生身の人間だから酒や女に手を出します。ますます貧乏になります。やがて不摂生と栄養不良がたたり、青木は結核に感染してしまいました。この時代の死病です。東光が青木の下宿を訪ねたとき、青木は煎餅布団にくるまっていました。

「おい、どうした」

「もういけない」

「どうしたんだ」

「首にコブが二十もできているよ。仁丹では治らないみたいだ」

 結核菌が肺から頸部のリンパ節に侵入して炎症を起こし、数珠状にコブを形成するのです。

「仁丹って、おい、医者に診てもらえ」

「そんな金はない」

「金を借りたらいいじゃないか」

「死んだって借りたくはない」

 青木三一はすでにやせ細っており、髪も髭も伸び放題に伸び、病み衰えていましたが、有無を言わせぬ凄みがありました。東光には返す言葉がありません。東光とて自分のことで精一杯でした。青木を助けるほどの甲斐性はないし、助けてやろうと考えるほど自惚れてもいませんでした。成功の当てもなくウロウロしているだけの芸術家の卵なのです。卵の大部分は孵化することなく死滅します。そのことを誰よりもよく知っていたのは青木です。だから助けを拒んだのでしょう。

「また来るよ」

 東光は帰りました。数日後、青木三一は死にました。芸術家人生の残酷さを東光は知りました。


 そんな放埒かつ陰惨な生活を満喫していた東光の下宿に、不意に現れたのは武平です。何の前ぶれもありませんでした。武平は戦乱つづく欧州の海域を切り抜けて、ようやく横浜に到着したばかりでした。茗荷谷の斎藤家を訪れて謝罪し、その足でここへ来たのです。武平は三階にある東光の部屋まで上がってきました。三つ折りに畳んだ布団、カンバス、絵の具、数冊の本、若者らしい乱雑さです。

「パパも若い頃はこうだったよ」

 それだけ言うと、武平は東光にまとまった金を渡し、大家にも数ヶ月分の家賃を先払いして帰っていきました。

 

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