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香取丸

 大正三年七月、欧州で戦争が勃発しました。のちに第一次世界大戦と呼ばれる大戦争です。

 綾の心労が始まりました。夫の武平が乗る「香取丸」は戦乱の欧州へ突入していきます。危険海域は地中海やドーバー海峡だけではありません。アジアの海も危険です。ドイツ海軍の巡洋艦「エムデン」が東シナ海やインド洋で神出鬼没の通商破壊活動を繰り返しているからです。「エムデン」は発見した商船をことごとく拿捕し、撃沈していましたから、綾は狂わんばかりに心配せざるを得ません。

 巡洋艦「エムデン」は全長百十八メートル、排水量三千六百トン、三本煙突の快速巡洋艦です。主な兵装は十センチ砲十門、五センチ速射砲八門、魚雷発射管二門です。この「エムデン」が機動力を発揮して主要航路を荒らしまわっています。武装をもたず、速力も劣る民間商船は、発見されたが最後、為す術がありません。停船させられ、拿捕され、物資を没収され、沈められます。

 「エムデン」が山東半島の青島港を出港したのは八月七日です。以後、太平洋マリアナ諸島方面へ姿をくらまし、そこから一気に南下してオーストラリアの北辺に至ると進路を西にとり、大スンダ列島に沿って進み、九月初旬にはインド洋に入っています。

 インド洋には重要な海上交通路が集中しています。「エムデン」はこれを狙いました。巧妙に機動してベンガル湾内を荒らしまわり、英国商船だけでなく、米国船、ノルウェイ船、ギリシア船をも撃沈しました。大英帝国東洋艦隊の守備可能範囲は主要港の周辺海域に限られており、長大なインド洋航路の大部分は無警戒でした。

 そのインド洋を「香取丸」は通過せねばなりません。綾は武平の身の上を案じ、毎朝、新聞を広げるたびに祈るような気持ちになりました。ときに神経が高ぶり、思わず東光に八つ当たりしてしまいます。我ながら不甲斐ないとは思いましたが、自分でもどうにもできません。

 綾が武平の身の上を案じて死ぬほど心配するのは、これが二度目です。一度目は日露戦争のときでした。当時、武平は貨物船「釧路丸」の船長として横浜と小樽の間を往復し、家族は函館に住んでいました。日露開戦の一ヶ月前、「釧路丸」は陸軍参謀本部に徴用されました。物資人員を輸送する任務です。「釧路丸」は広島県宇品港と朝鮮半島平壌郊外の鎮南浦とを往復しました。

 日露開戦の翌日、つまり明治三十七年二月十一日、はやくも綾をおびえさせる情報が函館に伝わりました。

「奈古浦丸が沈んだ」

 ウラジオストク港を出撃したロシア海軍の巡洋艦が津軽沖で商船を撃沈したといいます。この情報は、新聞よりも早く、港湾関係者の口伝によって函館に広まりました。函館港ではすべての定期船が運航停止となり、市内は半ばパニックになりました。

「オロシヤが来る」

 ロシア艦隊が来寇して函館に艦砲射撃を浴びせるという噂が流れました。気の早い者は家財道具を大八車に載せて疎開を始めました。

(ロシア艦隊がバカでない限り、来るもんか)

 その点、綾は落ち着いていました。函館山には陸軍の要塞砲があり、津軽海峡をにらんでいます。その射程内にロシア艦隊が進入してくれば、海の藻屑になるだけです。綾が心配したのは函館よりも「釧路丸」の武平でした。わずか千トンの貨物船です。ロシア艦に発見されたら逃れようがありません。

 綾を逆上させる事態が発生したのは五月下旬です。朝鮮半島東岸において日本の輸送船二隻が撃沈されました。さらに六月中旬にも玄界灘において輸送船二隻が撃沈されました。いずれもウラジオストク港に盤踞するロシア巡洋艦戦隊による通商破壊です。

(釧路丸の航路に敵艦が近づいている)

 生まれたばかりの乳飲み子を含めて四人の子供を抱え、もし武平に死なれでもしたらどうなるか。そんなことを考えると気が狂いそうになります。綾は、東光をきつく折檻してしまう自分をどうしようもありませんでした。

 綾の心労がようやく緩和されたのは八月です。上村彦之丞中将の率いる第二艦隊が朝鮮半島蔚山(うるさん)沖でウラジオストク艦隊と会敵し、再起不能の大損害を与えたのです。一方、ロシアの旅順艦隊は東郷平八郎中将の直率する主力艦隊に圧迫され、港内に逼塞しています。こうなれば「釧路丸」は大丈夫です。

(もう、いや)

 二度とあんな懊悩の日々を送りたくないと願っていた綾に、二度目の試練が訪れたのです。


「今さん、今さん!」

 真夜中に急報がもたらされました。「香取丸」が行方不明になっているといいます。セイロン島コロンボを出港した「香取丸」が、予定日を過ぎてもマレー半島ペナンに入港しないのです。消息不明でした。この事実から様々な憶測が生まれ、噂が広まりました。

「香取丸、撃沈さる」

 こんな見出しの号外新聞が配られ、神戸市中山手通の今家に新聞記者が張り付きました。綾は動顛してしまい、とてものこと記者に応対できません。不良中学生ながら堂々と新聞記者の取材に応じたのは東光です。

「エムデンは二十四ノットも出せる快速艦ですから、十六ノットの香取丸では逃げようがありません。かりに香取丸がエムデンに発見されたのだとしてもSOSを発信するくらいの時間はあるはずで、そのSOS電がまったく傍受されていないとなると、撃沈されたというのは辻褄が合いません。パパのことだから航路を外れて行方をくらませているのかも知れません。遠回りをしているとすれば、あと二日か三日は様子を見ないと何とも言えませんよ」

 落ち着き払った東光の応対ぶりに新聞記者たちはむしろ鼻白みました。

(なんだ、この若造は)

 新聞記者より東光の方が冷静な情報分析をしていたからです。

 はたして「香取丸」は二日ほど遅れてペナンに入港しました。その連絡が神戸にとどくと報道陣は早々に解散し、今家は平静を取り戻しました。「香取丸」は南シナ海に入り、神戸を経て、横浜に至り、航海を終えました。


「やあ」

 いつもの調子で武平は帰ってきました。綾はホッとしましたが、同時に憎らしく思いました。いったいどれだけ心配させれば気が済むのか。それなのに武平は平気な顔をしています。腹が立ってしようがありません。

 「エムデン」の虎口を脱した武平は、一躍、時の人となりました。家には来客が頻繁です。誰もがインド洋で何があったのかを問いました。しかし、無口な武平は曖昧なことしか言いません。

「まあ、いろいろありました」

 おそらく機密に触れることがあったのでしょう。家族にも詳しい事情を話しませんでした。そのようにつかみ所のない父親に食い下がり、執拗に質問を浴びせたは東光です。その甲斐あって、不鮮明ながら真相らしきものを聞き出すことができました。

「エムデンの所在がまったくわからなかったからねえ」

 武平は遠い目をしました。日本を目指す「香取丸」がセイロン島コロンボに入港した時点では「エムデン」の所在が不明でした。「エムデン」は九月二十二日にインド東岸のマドラスを砲撃して以後、消息をくらましていたのです。マドラスとコロンボとは直線距離で七百キロほど離れていましたが、「香取丸」が無事にコロンボへ入港できたことさえ幸運だったといえなくはありませんでした。

 インド洋のどこに「エムデン」が出現するか全くわかりませんでした。情報不足の状況下にあって、それでも「香取丸」を予定どおりに運航させるのが船長の任務です。平時ならば当たり前の任務ですが、戦時ともなると実に重々しく困難なものと化します。

 船長である武平のもとには船員や乗客が次々にやってきて様々な意見を具申しました。なにしろ命がかかっています。誰もが真剣です。武平にとっては「エムデン」も難敵でしたが、「エムデン」以上に油断ならないのが船員や乗客でした。応対や接遇を誤れば、船員は乗船を拒否するでしょうし、乗客は下船してしまうでしょう。船員が逃げてしまえば航海が不可能になりますし、乗客が下船してしまえば収益減です。まずは船員と乗客を味方につけねばなりません。

「船長、出港を遅らせて様子を見たらどうでしょう」

 もっともな意見です。「エムデン」の所在をつかんでから、これを迂回する航路を進めばよい。事実、コロンボ港の内外には数多くの船舶が「エムデン」を恐れて停泊し続けています。しかし、「香取丸」は定期船です。船長としては予定を守りたいところです。それに加え、船舶の出港状況はドイツのスパイに監視されており、無電によって「エムデン」に伝えられていると予想されました。小細工は通用しないと考えねばなりません。

「南に大きく迂回したらどうでしょう」

 「エムデン」の目的が通商破壊であるならば、「エムデン」は主要航路の周辺で効率的に数多くの商船を発見しようとするはずです。とすれば「エムデン」の出現が予想される海域はベンガル湾北部です。この海域を避け、思いきり南に航路をとれば「エムデン」を回避できるのではないか。しかし、日程に狂いが生じてしまいます。武平は、哲人風の風貌に微笑を湛えつつ、意見具申を礼儀正しく聞きました。

「可能な限り予定は守ります」

 それ以外の言葉を武平は口にしませんでした。正直なところ武平にも策がないのです。無策である以上、余計なことは言わない方が良いと考えていました。武平は、船内の人心に動揺が広がらないよう、受け応えの態度に気を配りました。武平は、典雅な態度で乗客の要望に耳を傾け、凛然たる態度で船員からの意見具申に応じました。船長がわずかでも動揺を示せば、船内全体が臆病風に吹かれてしまいます。そうなったら、もはや指揮統制はとれません。

 武平の「香取丸」は予定どおりにコロンボを出港しました。セイロン島の西岸を南下しながら、武平は周囲の様子に気を配ります。「香取丸」の周囲には船舶の姿がありません。「エムデン」を恐れて港湾内に逼塞しているからです。やがてセイロン島南端を過ぎました。ここで東に転進し、真っ直ぐペナンを目指してベンガル湾を横断するのが通常の航路です。武平は通常のコースに乗るべく転舵を命じました。

 「香取丸」は通常の最短航路に乗り、ペナンを目指します。武平は船員に監視体制の強化を命じ、夜間には灯火管制を徹底させました。また、乗客を含めての避難訓練を定期的に実施させました。なにしろ「エムデン」の視界に捕えられたら、その高速から逃れる術がありません。「エムデン」の海上視認距離は、三十キロから四十キロ程度あるとみなければなりません。その範囲に入り込んで見つかってしまったら一巻の終わりなのです。

 情報が欲しいところでした。「香取丸」の電信室は二十四時間体制で無線傍受に努めています。しかし、エムデンの行方は不明のままでした。それでも武平は通常航路をとりました。なぜそうしたのかは不明です。おそらく、ほかにどうしようもなかったのでしょう。

 実際の「エムデン」の行動は次のとおりでした。マドラス砲撃の後、アラビア海を南下してモルジブ諸島で補給と休養をとり、そののち「エムデン」は針路を東にとって、マレー半島ペナンを目指してインド洋を進んでいました。

 期せずして「エムデン」と「香取丸」はペナンを目指してインド洋を東進していたのです。「香取丸」が通常航路をとったのに対し、「エムデン」は南寄りに航路をとりました。おかげで二隻が遭遇することはなかったのです。快速艦の「エムデン」は「香取丸」を置き去りにして進み、十月二十八日、ペナンに突入しました。「エムデン」は大胆にも単艦でペナン港内の連合国海軍を奇襲したのです。「エムデン」は英巡洋艦一隻を撃沈し、ペナンを去るに際して大胆不敵な電文を発信しました。

「我、今、ペナンを去らんとす。御用は無きや?」

 連合国海軍に対する皮肉です。

「エムデンがペナンに出現した」

 無線傍受によって「香取丸」はようやく「エムデン」の所在をつかみました。そのとき「香取丸」はアンダマン諸島の手前、ペナンまでおよそ千キロの位置にいました。

「エムデンはペナンの近海にいる」

 「エムデン」の所在が明らかになったことは武平にとってひとつの幸運です。問題は、いかにして「エムデン」の矛先をかわし、ペナンに到達するかです。「エムデン」は諜報通信によって「香取丸」がペナンを目指していることを知っているはずです。「香取丸」の入港予定日を知っているのですから、おそらくマラッカ海峡の北方海域で待ち構えているに違いありません。マラッカ海峡は「香取丸」にとってまさに虎口となりました。

 海上交通の要衝マラッカ海峡は、漏斗(ろうと)のような地形をしています。南へいくほど海峡はせまくなるのです。たとえばマレー半島プーケットとスマトラ島北端とを結ぶ直線距離は四百キロ以上です。ですが、もっとも狭隘なところでは幅四十キロほどとなります。ここでは必ず発見されてしまいます。

「通信士、ペナン港に向けて発信せよ」

「船長、こちらの位置をエムデンに知られてしまいます」

「いいんだ、やってくれ」

「香取丸は予定どおりペナンへ入港の予定」

 との電報が「香取丸」からペナンの日本郵船事務所に発電されました。この電信は日本郵船事務所だけでなく、連合国海軍司令部やドイツ軍にも伝わり、「エムデン」の通信室にも傍受されるでしょう。武平はあえて知らせたのです。

 「香取丸」はニコバル諸島を過ぎてアンダマン海に入っています。周囲の海域に一隻も船舶が見えない事を確認した武平は、北への転舵を命じました。「香取丸」は目的地ペナンとは反対方向の北へ向かいました。武平の計画は、いったん北へ大きく迂回し、その後、マレー半島の西岸に沿って南下するということでした。逃げ回ることしかできない「香取丸」としては精一杯の計略です。

 「香取丸」の電信をキャッチした「エムデン」は、当然、「香取丸」が通常航路を進むと予想して要撃しようとするでしょう。しかし、その「エムデン」は連合国海軍の艦艇に追われてもいます。「香取丸」の電信は連合国海軍にも傍受されていますから、連合国海軍は「エムデン」の行動を予想して索敵行動を開始するはずでした。

 「エムデン」の弱みは、圧倒的戦力の連合国海軍に包囲されていることです。「エムデン」が「香取丸」を追いかける。その「エムデン」を連合国の海軍艦艇が追跡する。「香取丸」にとっての虎口は、「エムデン」にとっても虎口です。状況によっては「エムデン」が「香取丸」の追跡をあきらめ、逃げることになるかもしれない。これこそ武平が電信を命じた理由です。

 もちろん武平は最悪の事態も考えました。もし「エムデン」によって発見されたら、「香取丸」を海岸へ座礁させる覚悟です。あとは「神のみぞ知る」です。武平はともかく最善を尽くしたのです。

 はたしてスマトラ島北部に停泊して様子をうかがっていた「エムデン」は、「香取丸」を追撃せず、アンダマン海の南部を通過してインド洋に入り、その後、南進してスマトラ島南部へ向かいました。おかげで「香取丸」は無事にペナンへ入港できました。ただ、北への大迂回のため二日の時間と燃料を余計に費やしました。

「ふーん」

 東光は感心しました。乗客や船員を動揺させない配慮、エムデンに対する情報収集と細心の計略、予定を遅らせ迂回する大胆、いざというときの覚悟など、東光は父を見直しました。

(これが決断というものか)

 東光は思います。綾は、そんな父子の会話を不機嫌な顔で聞いていましたが、それがよほど気に食わなかったらしく頓狂な声を張り上げました。

「パパ、会社に頼んで航路をかえてもらって!」

 綾としてはもう二度とあんな心配をしたくない。そのためには安全な航路に配置転換してもらえばよい。

「陸上勤務だっていいじゃない。もう年も年なんだし」

 綾が言うのも無理はありません。武平はすでに四十代半ばを過ぎています。会社に頼めば悪いようにはしないでしょう。綾は武平を掻き口説きました。武平は黙っています。

 実際に、日本郵船社内には欧州航路を忌避する船長や船員が少なからず現われています。アメリカ航路や支那航路ならば「エムデン」の出現する心配はないのです。日本郵船に限らず、世界中の海運会社が同じ問題で頭を抱えていました。会社側は臨時手当を増額してなんとか船員を確保しようと努力していますが、欧州航路ボイコット問題は深刻化していました。

 会社が困っているからといって武平が命をかけてまで会社に忠義を尽くす必要はありません。安全な勤務地を会社に要求しても良いはずです。是非そうして欲しいと、綾は武平に迫りました。武平は黙っています。大瀑布の脇で坐禅を組む行者が、滝壷の轟音にも平然としているように、武平は綾の言い分を静かに最後まで聞いて、言いました。

「これでも津軽の武士だからねえ」


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