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雄飛

 原稿の持ち込みを繰り返した甲斐あって、東光の小説はポツリポツリと雑誌に掲載されるようになりました。しかし、世間の話題を呼ぶほどではありません。それでも、わずかばかりの原稿料がありがたいものでした。

 突然の転機が訪れたのは綾の死から一年後です。昭和三十二年一月、東光の小説「お吟さま」が直木賞に選ばれました。東光には寝耳に水の受賞です。

「何かの間違いだろう」

 受賞の知らせを聞いても東光は真に受けず、授賞式を欠席さえしました。しかし、世間の方が放っておきませんでした。大正文壇の小説家が、ほぼ三十年越しで文壇復帰するという劇的な復活に注目が集まったのです。しかも受賞者の住処は驚くべきボロ寺で、それだけでも記事になります。かてて加えて著者の今東光は直木賞を受賞したのにもかかわらず嬉しげな顔ひとつしない。この開き直った態度がむしろ魅力になりました。

 根っから話し好きの東光は、記者から一を尋ねられれば百ほども答えてしまいます。取材記者にとってこれほどありがたい取材対象はありません。ボロ寺の天台院に新聞社や出版社の自動車が押し寄せ、取材と原稿の依頼が殺到しました。東光は五十八才にして再び流行作家になりました。

(いったい全体どうしたってんだい)

 風向きが急に変わったようです。東光には心当たりがありません。そもそも「お吟さま」は商業雑誌に発表された作品ではありません。裏千家の会報誌に連載したものであり、通常ならば直木賞の選考対象には入らないものです。それが受賞したのですから不思議でした。

 東光が受賞の経緯を知らされたのは、しばらく後のことです。あらゆる活字に注意を怠らぬ谷崎潤一郎は「お吟さま」にも目を止めていました。谷崎は、直木賞選考委員の吉川英治に「お吟さま」を推薦しました。これを吉川が選考の俎上に載せました。選考委員会の議論は紛糾し、反対意見も出ましたが、ともかく受賞が決まったということでした。

 東光は師の恩に感激しました。同時に、この好機を逃すまいと思いました。好きで書いているとはいえ、売れるあてのない原稿を書くのは辛いものです。そしてまた、締め切りに追われて原稿を書くのも苦しいものです。流行作家になったからといって、文士の修行が終わったわけではありません。むしろ本格的に始まったというべきでした。多忙になった東光は、仏壇の裏の二畳間に籠もりました。そこが書斎です。東光はわずかな暇をも惜しんでセッセと書きました。出版社が鼻も引っかけてくれなかった頃には時間をたっぷり使って納得のいくまで文章を練ることができました。しかし、流行作家となった今では、締め切りに追われながら書き急がねばなりません。


 締め切りが明日に迫ったこの日、あと五十枚書かねばなりませんでした。想を練りつつ、書いては読み返し、書き進んだり、行き詰まったりしていました。一段落を書き終えて大きく鼻から息を吐き出したとき、クオーンと仏間の磬子(けいす)が静かに鳴っているのに気づきました。

(ああ、誰か死んだな)

 不思議なことですが、檀家の誰かが亡くなると天台院の磬子が鳴るのです。さらに執筆するうち、檀家の喪主がやってきました。

「うちの爺さんが亡くなりました」

 東光はさっそく檀家に駆けつけて枕経をあげました。

「お通夜の御経もお願いします」

 喪主は丁寧な言葉を使います。真面目な中年男で役場に勤めています。東光はふたつ返事で引き受けました。しかし、内心では少し困りました。

(なんてえ間の悪いときに亡くなってくれたもんだ)

 とはいえ通夜までにはまだ時間があります。東光は懸命に書き続けましたが、思いの外、原稿は進捗しませんでした。通夜の時間になったので、東光は法衣をまとって出掛けました。東光は容儀を改めて遺族に挨拶し、誦経を始めます。阿弥陀経です。御経というものは、僧侶のさじ加減ひとつで長くもできれば短くもできるものです。東光は小一時間ほど誦経し、帰ろうとしました。すると喪主が文句を言い出しました。

「お住さん、いくら何でも御経が短すぎませんか。もうちょっと長くやってください」

 謹直そうな喪主は思い詰めた顔をしています。妙なもので御経は長い程ありがたいと思い込んでいるのです。ほとんどの近親者は長い読経に退屈し、足のしびれに困惑し、本音では短い方がありがたいと思っているのですが、そんなことを口にするのは不謹慎です。結果、御経は長いほどよいという真面目な意見がまかり通ることになっています。僧侶にとっても長い誦経は体力的に辛く、本音では短くしたいのですが、こちらから「短くしましょう」とは言いにくい。そんなわけで、長い御経が当たり前になり、真面目で我慢強い日本人は、本音を隠しながら長い間ずっと正座しつづけることになります。かねてより東光は、こうした慣習に疑問を感じていました。それに、締め切り直前のいまに限って言えば、一分一秒でも時間が惜しいのです。

「短いことはありませんよ。まあ、御経のことは坊主に任せておきなさい」

 まさか通夜の席で檀家と喧嘩するわけにもいきません。東光は穏やかに応じました。しかし、喪主は納得せずに食い下がります。

「お通夜の御経がこんなに短いはずないやおまへんか。半年前、親類の通夜に出た時はもっと長かったでっせ」

「おいおい、これでも俺は坊主だよ。あんた、一切経を知ってるか。お釈迦様のありがたい経典を集大成したものだよ。そりゃあ、もう気が遠くなるほどの経典の山だ。あんなボロ寺の坊主でも、その一切経にはすべて目を通しているんだ。その俺にケチをつけようってえのかい」

「あんなに短いんじゃあ、仏さんが浮かばれまへんわ」

「何をぬかすか、このオンドリャア。俺はなあ、今日の昼間、おめえが寺にやって来たときから、死んだ爺さんのためにずうっと経文を心の中で誦しつづけていたんだぞ。文句があるなら、ここでもう一遍、初めからやったろか。いま誦経したのは経文の最後の三行だけや。それでも全部やるのかい。朝までかかるぜ。やったろか」

 ガミガミまくし立てて喪主を黙らせた東光は、サッと身を翻して天台院に帰ってしまいました。

「檀家が何か言ってきても取り次ぐな」

 キヨに言うと、東光は二畳間に座り込み、小説の続きを書き始めました。

(何かあったな)

 キヨは表に出て、人が来るのを待ちました。はたして喪主の家族が来ました。事情を聞いたキヨは喪主の家を訪れて頭を下げ、無礼を詫びました。しかし、喪主はなかなか機嫌を直してはくれません。

「わかりました。わたしがやります」

 キヨは仏前に座り、経本を手に持つと誦経を始めました。幸い経本にはフリガナが振ってあります。僧侶の妻だから、毎日、毎日、いやでも東光の読経を聞かされています。節回しもアクセントも耳で覚えています。キヨは喪主が納得するまで誦経を続けました。

(仕方がない)

 むろん東光には無茶をしたという自覚があります。それでも東光は後悔していません。天台院は檀家の布施に頼っている限り、未来永劫、ボロ寺であり続けるでしょう。東光の能力を天台院のために活用するとなれば、それは文学しかない。そして、今まさに、千載一遇の好機が訪れているのです。

(文学で天台院を再興する)

 東光の年来の野望です。東光以外には誰ひとり本気にしなかった野望ですが、その一念を東光は持ち続けています。直木賞受賞という望外の出来事によって執筆依頼が殺到している今こそ、野望達成の好機なのです。この機を逸するようでは、天台院はどんどん朽ちていくばかりです。東光は石にかじりついてでも締め切りを守らねばなりません。


 東光は書きました。その死の直前まで、およそ二十年間、東光は休むことなく執筆し、次々と新作を発表しました。歴史から題材を得たもの、河内の世態風俗を活写したもの、東光自身の青春時代を材料としたものなど、その主題は多彩でした。小説だけにとどまらず、時事問題を扱った随筆、評論、人生相談まで幅広く書きました。長い雌伏期間に溜め込んだ鬱憤と学識は、湧くが如き創作力となって東光を支えました。谷崎潤一郎のいう「芸術を建立する下地」は盤石だったのです。

(あのババアめ)

 この日、東光は青春小説を執筆していました。自身の青春時代のことを思い出しては文字を連ねていきます。綾の存在は小説のなかでも大きな位地を占めました。綾との激しい葛藤が東光に波乱の青春を与え、そして、その体験がいま格好の題材となっています。多忙な東光にとって、取材を要しない自伝的青春小説は原稿枚数を稼ぐのに格好の題材です。

(チッ、あのババア)

 東光の心中、感謝の念がパッと湧き上りますが、それを打ち消すように憎悪と嫌悪が群がり起こってきます。愛憎の入り混じった甘苦い感情が身体を熱くしました。

(いけねえ、莫妄想、莫妄想)

 東光は、気を取り直して万年筆を走らせました。


 世は高度経済成長期で、マスコミ産業の成長期です。東光は活字媒体ばかりでなく、テレビやラジオにも出演して人気を博しました。その場のヘゲモニーを握らねば気のすまない積極性と饒舌は放送媒体にピッタリでした。東光は小説家の枠を越え、いわゆるタレントになりました。東光の言動は、お高くとまっていた小説家や宗教家の世間体を粉々に破壊しました。政府、政治家、政党、国鉄、労働組合、宗教界、文壇、中野の檀家、はては自分自身ばかりか、すでに亡き綾まで、東光の毒舌はあらゆるものを斬りまくりました。その毒舌は、世間を半ば怒らせましたが、半ばには快哉を叫ばせました。左翼言論一辺倒の閉鎖的な言論界に風穴を空け、一陣の清風を巻き起こしたのです。歯に衣着せずにもの申す東光にマスコミは「毒舌和尚」の名を冠しました。

(ありがたいことだ)

 かつて愛妻小説家として偽りの仮面夫婦を演じていたときの心苦しさを思えば、言いたいことを思う存分に言える今の境遇を東光は神仏に感謝する思いでした。

 やがて超多忙になった東光は、檀家の通夜や葬式にはめったに出られなくなりました。知り合いの僧に依頼することが多くなり、その都合もつかない時にはキヨが御経を読みました。それでも檀家は大目に見てくれたのですから、寛大でした。ボロ寺だった天台院は徐々に改修され、小さいながらも立派な寺院に建て替えられていきました。


 天台院の再興を成し遂げた東光に教団は注目しました。複雑でやっかいな利権問題を抱える寺々に東光を送り込み、その難問を解決させました。かつて綾が見込んだとおり、東光には交渉の才がありました。数々の功により累進した東光が中尊寺貫主となり、権大僧正に昇ったのは昭和四十一年です。

 晋山式が行われたのは昭和四十一年五月一日です。東光は派手にやりました。比叡山から運ばせた神輿に乗って、祭りのように景気よく中尊寺に乗り込んだのです。各界の著名人を来賓に招きました。ところが、その来賓が祝辞を述べ始めると東光は居眠りをはじめます。その鼾がマイクを通じて式場に響き渡りました。もちろん悪戯です。東光は座談の名手だけに、他人のつまらぬ長話が我慢できません。鼾の洗礼に閉口させられたのは、自民党の重鎮で外務大臣で檀家代表でもある椎名悦三郎でした。式典が終わると東光は急に元気になり、大宴会で大いにはしゃぎました。

 東光は、周囲の期待に応えて中尊寺の貴重な文化財を保存するため大ナタを振るいます。金色堂保存事業の終結を見届けると、中尊寺境内に最新の消防施設を設置しました。資金が必要だったため、東光は拝観料の値上げに踏み切りました。値上げには反対意見もありましたが、東光は動じません。中尊寺に来訪する拝観者に直接よびかけて理解を求めました。

「はじめに諸君にいう。聞くところによると、中尊寺の拝観料が日本でいちばん高いといってグダグタ言っているヤツらがこの中にいる。そいつは誰だい。手をあげろ。俺は拝観料を返すから出ていってくれないか。拝観料を高くとるのは、政府の補助金が少ないからだ。仕方がないから拝観の皆さんからいただいた浄財で、いろんな設備投資などをやっているんだ。拝観料はこれでも安いくらいだ。俺は歯を食いしばってやっている。しかるに、これで高いなんてぬかすヤツは、セガレや孫にも見せないから出ていってくれ。俺は京都や奈良のバカ坊主みたいに、拝観者に対して『よくおいでになりました』なんていうセリフは使わない。立派な中尊寺を見せてつかわすんだからね。八百年もの歴史を誇る文化遺産が安く見られるなどという道理はない。うちの寺は日本一きれいだということになっている。もし境内で煙草の吸い殻なんか投げたら、俺はこのステッキでぶん殴ることにしているから、覚悟してくれ」

 飛ぶ鳥を落とす勢いの東光は、身を粉にして働きました。「すべからく男子は英雄たれ」という綾の教えどおりの働きぶりです。とはいえ、その日常はきわめて平凡です。小説を書き、日々の儀礼を執り行い、事務書類に目を通して決裁し、定例行事をこなし、社交のために人と会う。檀家の悩みを聞いては相談にのり、葬儀があれば御経を誦し、様々な雑務をこなす。


 参議院議員選挙に立候補したのは昭和四十三年です。「乃公出でずんば」と東光に思わせたものは、戦後日本における空虚で欺瞞的な言論の氾濫でした。文学者としての嗅覚がこの危機を察知したのでしょう。

 東光は訴えました。マルクス主義者と呼ばれるべき者が進歩的文化人などと意味不明の肩書きを名乗り、その嘘に世間は誤魔化されています。選挙では、企業や組合に半ば強制された票が「組織票」と呼ばれて尊ばれ、各個人が自主的判断で投票した票が「浮動票」などと蔑まれている。民主主義の原理からすれば、組織票こそ否定されるべきものであり、浮動票と呼ばれているものこそ、本来あるべき自主票であり、自由票であり、独立票です。

「国鉄の違法ストライキ」

 などという表現も東光を怒らせました。違法ならば許されてはならない。違法が許されるというのならば、日本は法治国家ではないことになります。ところが新聞は平気で「違法スト」と書いているのです。鋭く繊細な言語感覚の持ち主であればあれほど、この種のいかさま言論に耐え難い苦痛を感じます。まるで糞尿臭のなかで生活しているような息苦しさです。

(戦後の日本は国家の根幹たる何かを失っている。まるで昔の俺だ)

 作家デビューを果たしたものの思想的根幹を見失って右往左往していた頃の自分と、戦後日本とが重なって見えました。二十年の仏道修行を経てようやく文学を樹立する下地をつくりあげたのが東光ですが、同じように日本も国家の根幹となる下地をつくり直さねばならないと思いました。根幹を建立せねば民主国家日本は安定しない。国家の根幹たるべきもの、経済や平和や文化を樹立する下地たるべきもの、それを回復することこそ政治の責務であると東光は考え、参議院選挙に自由民主党から立候補しました。東光は街頭で雄叫びを上げました。

「何らかのイデオロギー、何らかの信仰を中心に、国家の統一、思想の統一を図るのでなければ、社会の整然たる秩序も保てないし、本当の民族のモラルというものは盛り上がっては来ない。国家には根幹になるものがなければならない。民族のバックボーンになるものが必要である。民族の基本は憲法にほかならない。その憲法を改正することが、日本の国家を確立する第一の要件であると、僕は信ずる。現在の日本の憲法はアメリカがこしらえ、アメリカが押しつけたもので、完全にアメリカ憲法である。この憲法を改めない限り、日本の真の独立も発展もない。この憲法を根本的に修正する必要がある。そうしなければ日本の政治も宗教も教育も経済も外交も、正しい道を行くことは難しい」

 全国区の選挙です。東光は殺人的なスケジュールに従って日本中を駆け回りました。選挙事務所長は川端康成がひきうけてくれました。川端は、京都市、滋賀県、大阪市、東京都の街周りに同行してくれました。川端は相変わらず無口です。街宣自動車の中で東光が川端に話しかけました。

「こうしてゆっくり話ができたのは五十年ぶりだなあ」

 街宣自動車は「今東光、今東光」と連呼しながら走り回ります。ときどき同乗している川端康成の名も連呼されます。

「川端康成、川端康成」

「おかげで本がたくさん売れるなあ」

 川端は珍しく冗談を言い、東光を笑わせました。街宣自動車が止まると屋根の上にのぼって演説です。東光は与党も野党も容赦なく斬りまくります。

「今の国会議員を見てみなさい。あれはジャガイモだよ。みんな同じようで中身は哲学も思想もない。あんな連中を税金で養っているんだ。くやしいじゃないか。ワシは佐藤栄作総理の、団十郎だか泣きっ面だか知らないが、あの顔に頼まれて立候補したんじゃない。いまは日米安保の大事な時だ。日本は岐路にさしかかっている。なのに、佐藤内閣は何という体たらくだ。ヒョロヒョロの腰抜け内閣だ。佐藤はユルフンどころかフンドシを外している。佐藤栄作の名前が泣くよ。栄作でなくて何もしない無策じゃないのか。その佐藤内閣をだ、寄って集って倒せない野党に何ができる。何が変革だ、何が革命だ。笑わせるんじゃあない。安保廃棄なんて、口で言うのは簡単だが、あんなのは空念仏だよ。第一、革命家というものは、地位も金も家もいらない、命だっていらないはずだ。それならワシも認める、敵ながら尊敬もする。しかし、今の社会党や共産党にそんなパッションがあるのか。ワシは、今さらこの歳して選挙などというバカみたいなものに出たくはないよ。面白い小説を書いて、たまに木魚でもたたいてりゃ、なんぼかゼニになるし、よほど気楽で畳の上で往生できるというもんだ。しかしだなあ、頼まれりゃ越後から米つきに来るというわけだよ。おい、わかったかい。フダはそっちのものだ。タマはこのオレだ。気に入ったら投票してくれ。気に入らなかったら投票しなければいい」

 東光の過激な演説に含まれる多くのトゲを一本一本抜いて、トゲの毒を中和するのが川端の役割でした。

「今東光は、自民党から立ちながら、自民党や佐藤内閣をさんざんこきおろしている。それはよろしい。ただし、当選すれば党内の右翼にいくだろうというのは、まず間違いです。いまどきの文士で、坊主の権大僧正で、右翼になどなれるはずがありません。現に今東光は若いとき、左傾して共産主義運動に参加したことがあります。ともかく相手が右であれ左であれ、喧嘩が売り物の今東光です。今東光の喧嘩は、気合で機先を制する喧嘩です。いわゆる喧嘩っ早いのです。そうそう腕力があるんじゃありません。ただ、なにものも恐れはしません。それに運がつき、勢力がつき、胆がつき、厚みの徳がついて、人物になったのです。根は優しくて、心細やかで、情にもろくて、はにかみ屋のところを胸に秘めています」

 東光は当選して参議院議員となりました。七十才の新人国会議員です。



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