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悪童

 明治の頃には、両親のことを「パパ、ママ」と子供に呼ばせる家庭はきわめて珍しいもので、ごくまれに華族や外交官などの家庭で使われる程度でした。世間では、子供に「パパ、ママ」と呼ばせることを「西洋かぶれ」と侮蔑する風潮が根強く、まだまだ江戸の感覚が色濃かったのです。

 神戸市中山手通にある(こん)家は旧津軽藩士の家柄でしたが、その当主が外航客船の船長というハイカラな職業だったせいか、子供たちに両親のことを「パパ、ママ」と呼ばせていました。

「ママ、原稿用紙を知りませんか。机の上に置いておいたはずなんです」

 その声に、(あや)は読んでいた洋書から目を上げ、長男の東光(とうこう)に顔を向けました。わが子ながら惚れ惚れするような美男子です。しかし、綾は、この長男に手を焼いており、口を開けば文句ばかりを言います。東光も東光で母親の綾をまるで目の敵のように口答えします。

「ああ、あれですか。燃やしましたよ。お風呂の焚き付けにちょうどいいと思ってねえ。おかげでいいお湯が沸いてますよ」

「どうしてそんなことをするんです。せっかく小遣いをはたいて買った原稿用紙なのに」

「嘘をお言いでないよ。学校の教科書を売っ払った金で買ったんだろう」

「せっかく書いた小説が台無しじゃないか」

 綾の顔がキッとなり、次の瞬間、底意地の悪い微笑になりました。

「小説?あら、そう。あれが小説ですか。確かに何やら文字が書いてはありましたけど、あれが小説と言えるのかしら」

「このババア!」

「東光!ババアとはなんだい。落ちこぼれのくせに」

 綾は、長男の東光に期待をかけ、世間の親並みに口うるさく訓育しています。しかし、東光は綾の干渉をひどく嫌がり、はげしく口答えをします。このため綾と東光は顔を合わせれば必ずといってよいほど喧嘩ばかりするようになっています。

 綾は津軽藩の伊東家に生まれ、武家の娘としてきびしく躾けられました。その後、津軽海峡を越えて函館の女学校に学び、プロテスタントの規律と教養を身につけました。それをわが子に伝えようと努めているのですが、時代が変わったせいなのかどうか、どうにもうまく伝わりません。兄弟の中でも特に長男の東光は手のつけられない悪ガキで、綾がどれほど叱っても効果がありませんでした。

 綾は孤独です。夫の職業が船長だったため、夫はいつも海上にいて不在です。しかも転勤がおおく、頻繁に引っ越します。このため友人も知人もいない土地で暮らすことが多く、寡婦同然の境遇でした。綾は家事や子育てや近所づきあいに悪戦苦闘しています。東光の教育にも熱心でしたが、まったく思いどおりになりません。その不満と鬱憤が東光への罵詈雑言となって発現します。

 その様子を見て育った次男の文武は、綾のいうことを素直に聞くいい子になりました。綾は、好悪の情を露骨にあらわして文武をかわいがり、東光を罵倒しました。このため東光はますますヘソを曲げ、ますます反抗的になりました。遂には母親の期待を裏切ることに血道をあげるようになっていきます。すでに小学生の頃にはいっぱしの悪ガキになっていましたが、中学生の今、正真正銘の不良学生になりおおせています。悪童仲間とつるんで悪戯をし、煙草を吸い、喧嘩をし、学校をさぼり、教師に反抗します。若い東光が、母との関係を教師との関係に投影させてしまうのは致し方のないことでした。

 なにかと早熟な東光にとって明治末の中学校の窮屈な風紀感覚は一種の呪縛であり、また反抗の口実でした。たとえば、小説を読む、女学生と立ち話をする、西洋楽器を演奏する、などというあたりまえの行為が風紀違反とみなされていたのです。

(そんな馬鹿な)

 と、今どきの日本人なら誰でも思うでしょう。東光も同じでした。

(なにが悪いんだい)

 納得のいかない東光は、谷崎潤一郎やストリンドベルヒの小説を堂々と読み、きれいな女学生を見かければ声をかけ、バイオリンやチェロを弾きました。それを中学校の風紀委員が見つけて教師に密告します。すると教師がそれを不道徳と決めつけて説経します。その愚劣さに東光はあきれ、頑強に抵抗しました。結果、不良の烙印を押されてしまったのです。

 不良学生ながら東光は勉学が得意です。歴史と地理が得意であり、なかでも漢文については教師よりも博識でした。

「東光は満点」

 年老いた漢学教師が舌を巻いて認めるほどの素養を身につけていました。幼い頃、綾に命ぜられて漢学塾にかよった東光は、漢文の響きがよほど性にあったらしく、塾通いをやめた後も独学で漢学を学び続けています。

 ただひとつ数学だけが苦手でした。中学に進んでも鶴亀算ができません。東光は必死に考えているのですが、どうしても解らない。負けず嫌いの東光は目の回るほどに数学の問題を考えます。それでも解らないのです。原因は不明でした。ひょっとしたら学習障害だったのかもしれません。東光にとっての不幸は、この時代には学習障害という概念がなかったことです。漢文や地理や歴史が優秀なのだから数学だってできるはずだ、と大人は考えます。

「東光は数学をさぼっている」

 これが大人たちの判断でした。東光にしてみれば受難です。綾は、歴史や地理や漢学の優秀さにはいっさい触れもせず、唯一の欠点たる数学の不出来だけを執拗に責めました。そして、全教科で満遍なく成績優秀な次男の文武をこれ見よがしに誉めました。やがて東光は学業に対する興味を失い、独学に走ります。

 それというのも、数学ができないばかりに東光は二年連続して神戸二中の入学試験に落第してしまったからです。綾は東光を責めるだけ責め、いっさい同情せず、理解もしませんでした。このため東光はすっかりヘソを曲げてしまいました。厳格なばかりで優しさの欠片もない母親に不満です。さらに言うなら、東光の深層心理には綾に対する不安と恐怖が根付いていました。あまりに厳しく、愛情表現にかけた綾は、幼かった東光にとって恐怖と不安の対象だったのです。そうした本当の感情を東光の無意識は抑圧していました。しかし、成長と共に抑圧が溶けてきたのです。母子の軋轢には際限がありません。

 口では東光をののしっている綾ですが、心中ではひそかに東光の将来を心配し、懸命に骨を折っています。

(なんとしても惣領息子の東光を一人前にしなければ)

 そんな切迫感が綾にはあります。何事も(いく)さを基準にして考える武家の家風の中で育った綾は、良妻賢母たろうと常に緊張し、子供たちに対しては常に厳格です。東光の気持ちなど知ったことではありませんでした。武家の緊張感とはそれほどのものだったようです。戦さが基準であってみれば、個々人の感情などにとりあう暇はないのです。情に流されて戦さに敗れたら死ぬだけです。綾もまた自身の感情を抑圧し、東光の感情を歯牙にもかけず、母親としての義務を果たそうと藻掻いています。しかし、その母の苦労が東光には不可解でしかありません。

 綾は東光のために大汗をかいています。東光の素行を矯正するために評判のよい学校を捜し回り、何度も転校させました。中学受験に失敗した東光のために無試験で入学できるミッションスクールをさがしてきました。しかしながら、すべて綾の独断です。東光には相談すらしません。東光にしてみれば、有り難いというより、むしろ迷惑でした。無試験でミッション系の中学に進学したものの、案の定、数学でつまずいてしまいます。

(どうして試験科目に数学があるんだ。文学に数学など必要ないのに)

 東光は数学を必須にしている受験制度を呪いましたが、どうなるものでもありません。東光の素行はますます荒れました。学校当局は札付きの不良学生として東光を監視対象にしました。

 東光の文学趣味は、高等小学校時代から始まり、中学に進んだ今では自分で創作するまでになっています。そのことは不思議でもないし、悪いことでもありません。才能と教養に恵まれた若者が文学に傾倒するのは自然な現象であり、放っておいても良さそうなものです。

 ところが綾には、東光の文学志向がどうにも忌々しくて我慢ができません。ことあるごとに東光の文学趣味を嫌悪し、やめさせようとしました。原稿用紙を燃やしたのも、その一環です。東光の文学趣味を綾が弾圧する理由は、彼女が文学について無理解だったからではありません。むしろ逆でした。綾は、和漢洋の原書を読み飛ばすほどの文学的素養を持ち、若き日には小説家を志したことさえありました。まだ樋口一葉が世に出る前のことでした。

 その後、家庭の主婦におさまったとはいえ、綾の文学的素養は後に谷崎潤一郎を驚嘆させたほどです。それほどの綾が、原稿用紙に書きなぐられた東光の稚拙な駄文を読んだとき、長男の将来を悲観せざるを得なかったのです。

(こんなものが通用するはずがない)

 そう考えた綾は、東光の小説家志望をあきらめさせようと画策し、さかんに説教しました。

「三文文士なんぞになって、どうしようってんだい。きちんと卒業して進学おし」

 綾は、売れない小説家の悲惨な貧乏生活を知っています。そもそも明治末のこの時代、小説家という職業の社会的地位は低いものでした。そもそも読書人口からして少なく、出版業という業界そのものが未成熟でした。谷崎潤一郎のような名の売れた作家でさえ下宿代を踏み倒したことがあるといいます。だから、綾が東光の将来を心配し、文学志望をあきらめさせようとするのも理のあることでした。

 とはいえ東光が文学に走るのにも理由があります。今家の書斎には両親の集めた豊富な蔵書があり、雑誌「白樺」などは全巻がろっています。贅沢なまでに文学的な環境が整っており、これで影響されるなという方が無理です。くわえて二度にわたる中学受験の失敗は少年の心に癒やしがたい傷を残していました。ひとつ年下の弟が難なく神戸二中に進学したことも、東光にとってはぬぐいがたい屈辱です。その心の傷の深さと同じ強さで東光は文学への志をかためました。もはや学校にも進学にも興味はなく、学歴による立身出世の夢は打ち捨ててしまっているのです。

(数学のない世界へゆく)

 数学をうらみ、数学と無縁な芸術の世界へ進む。そのように東光は独り決めしていました。


 喧嘩の絶えない母子を仲裁すべき父は、ほとんど家にいません。父の武平は日本郵船「香取丸」の船長です。「香取丸」は欧州航路の貨客船で、その航路はロンドン~ジブラルタル~マルセイユ~ナポリ~ポートサイド~スエズ~コロンボ~シンガポール~香港~上海~神戸~横浜とじつに長く、片道およそ五十日間の航海です。いったん出港すれば最低でも百日間は海上を航行しています。ですから武平は年に二回ほどしか帰宅しません。そして、帰ってきても三日ほどしか滞在しません。父親不在の家庭にあって、綾は不器用な父性を振り回さざるを得ませんでした。子供を甘やかしてはいけないと思うあまり、口を開けば叱責と嫌味の暴風をふりまいてしまいます。


 ある日、東光が机に向かい、なにやら熱心に文章を書いていました。それを背後から綾がのぞき込んみます。

「おや、何をしているんだい」

「小説を書いているんです」

「まあまあ、紙がもったいないこと。その紙をしかるべき御人に差し上げたら、さぞかし御便利でしょうに」

 数日後、やはり小説を書いている東光に綾が話しかけました。

「まあ、小説を書いているんですか。ご苦労なことですね。ところで東光、お前これを読んでごらん」

 綾は、チャールズ・ディケンズ著「クリスマス・キャロル」の原書を東光に押しつけました。

「ほら、読んでごらんよ」

 東光はたどたどしく読み始めましたが、意味は頭に入りません。原書はまだ無理だったのです。読めずにマゴマゴしている東光を見て、綾はニヤリとします。

「ディケンズくらい読めもしないで小説を書こうっていうんですか。へーえ、たいしたものですねえ」

 綾は古今東西の文学に精通しています。英語の原書を読み飛ばし、平家物語はことごとく諳んじており、漢詩を創作することもできます。その圧倒的な教養を背景に圧迫されると、東光のような悪童でも黙らざるを得ません。

 母親にここまで攻撃されれば、たいていの子供は自己の欲求を抑圧し、不承不承ながら服従してしまうものです。ところが東光は綾に似て強情でした。綾の妨害工作は、むしろ東光の反骨精神を燃えあがらせました。母親ゆずりの意地の強さそのままに、東光は反発心を剥き出しにし、綾が諦めさせようとすればするほど頑なに文学への執念を表明しました。

「眼の悪い僕は海軍にもいけないし、船長にもなれない。この際、絵画か文学で身を立てることにします」

 東光の反論には毒が含まれていました。その毒は、綾の心の古傷をヒリヒリと刺激します。その古傷とは、この母子の仲が悪くなる端緒となった事件です。

 東光は小学生の頃から徐々に近視が進み、ついに教室の黒板の文字が読めないほどになりました。困った東光はついに「メガネを買ってください」と綾に頼みました。それに対する綾の返事は東光にとって心外なものでした。

「嫌な子だねえ、まったく。メガネをかけようなんて。なんて気障でマセた色ガキなんだい。冗談じゃないよ」

 とりつく島もありません。なぜメガネが気障なのか、まったくわかりません。頼るべき母から拒絶され、東光はメガネをあきらめるしかありません。

 不自由な近眼生活が続きました。すると東光は驚くべき適応力を発揮し始めました。学校の授業が始まると目を閉じたのです。どうせ黒板は見えない。ならば先生の声に全神経を集中させ、耳から学ぶしかありません。塙保己一(はなわきほいち)という江戸期の全盲の国学者を真似たのです。東光の記憶力は大いに鍛えられました。

 それにしてもメガネさえかけさせてくれれば、このように無駄な努力をする必要はありません。東光の心に不満が鬱積していったのは当然です。

(どうしてこんなバカげた苦労をしなければならないんだ。あのババアがわからず屋だからだ)

 神戸の地形は山が海に迫っており、街中からでも摩耶山や六甲山や高尾山などの山並みが見えます。ところが東光にはその山々の輪郭さえ見えません。東海道線の列車に乗った時もそうでした。

「富士山だ。きれいだなあ」

 みなが富士山の景色を鑑賞しているのに、東光にだけは見えませんでした。東光がようやく眼科医に視力検査をしてもらえた時には、近視がひどく進んでいました。この事実は綾を驚かせました。すぐさま東光にメガネをかけさせましたが、強情な綾はいっさいあやまりません。そのくせ弘前の実家に里帰りすると、綾は仏壇の前に跪いて泣き崩れ、延々と先祖代々の位牌に詫びるのです。この時代、嫁に対する親類縁者の目は厳しく、綾としてはこんな演技をせざるを得ませんでした

「まことに申し訳ございません。私の不明のために大切な惣領息子の目を悪くしてしまいました」

 そこには素行不良のドラ息子に悩む可憐な母親の姿がありました。今家の親戚一同だれもが綾に同情し、東光が悪者にされました。メガネを手に入れるまでの経緯や東光の授業中の苦労には誰も耳を貸してくれません。これではヘソも曲がろうというものです。

(ぼくの目を悪くしたのはママだ)

 恨みを込めて東光は綾の過失を追求し、古傷に塩を塗り込みます。

「こんなに眼が悪いんじゃあ、どうしようもないや」

「東光っ」

 綾は目をつり上げて逆上します。

「お前は真面目に勉強して卒業するんだよ。そうすれば珍田(ちんだ)小父(おじ)様にお願いして、外務省に働き口を世話していただけるだろうから」

 珍田の小父様というのは、弘前出身の外交官のことです。珍田捨巳(ちんだすてみ)といいます。綾の実家の伊東家は珍田家と遠縁の間柄にありました。縁故を頼ってでも東光を外交官にしたい、というのが綾の一方的な計画です。

「またその話ですか。僕は外交官になるつもりはありません。僕が外交官になる理由はありませんよ」

「ちっともわからないんだねえ、お前は。三文文士なんかになって、いったいどうしようっていうのさ」

「そういうママだって、かつて尾崎紅葉の門を叩いたことがあるんでしょう」

「そんなこと関係ないよ。だいたいディケンズもスコットも読めないで、小説なんて書けるもんかね。この私にさえ敵わないお前が小説家になぞ、どうやってなれるというんだい」

「文学は語学じゃありませんし、記憶術でもない。ママは文学を別の何かと勘違いしている。僕は文学をやります。学院の臼杵(うすき)先生も、郡虎彦(こおりとらひこ)さんも応援してくれます。トルストイやドストエフスキーを読めとか、具体的な指導もしてくれます」

「虎のヤツ、ロクでもないことを教えてくれたもんだよ」

 綾のいう「虎のヤツ」とは、近所に住む秀才で郡虎彦といいます。東光より一回り年上で、英語と文学に秀でていました。郡虎彦は、のちに渡欧し、すぐれた戯曲を発表して好評を博しましたが、若くして夭折してしまいます。そんな郡虎彦も、綾にとっては息子をたぶらかす邪魔者でしかありません。

「お前はだいたい恥ずかしくないのかい。弟の文武は県立二中に一発で合格したのに、お前は二年続けて落第して。そんなことでは箸にも棒にもかかりゃしないよ。巡査か小使いにでもなれれば(おん)の字だね」

「いいじゃないですか。弟が総理大臣で兄が小使いだったとして、それのどこが悪いんですか。太閤さんだって草履取りからはじめたんです。日本一の草履取りじゃなくて、日本一の小使いになればいい。それに、文学をする小使いなんて、なかなか粋じゃありませんか。フランスのマラルメって詩人は三等郵便局長をしながら詩を書いたんですよ。だいたいママは文武ばかりを依怙贔屓して。あいつは鶏の脚を四本も書くような野郎です。風呂敷を結ぶこともできない。あいつは数字の計算だけしていればいいんです。僕はあいつとは違います。僕の志は文学にあるんです」

 見事な反論です。綾は東光を見直さざるを得ません。東光の心には並はずれた自我が育っているらしく、確固とした自己信頼があります。

 その自己肯定感を育てたものは、ひょっとしたら神戸港における稀有な体験だったのかも知れません。家では綾に説教ばかりくらっている東光でしたが、神戸港にさえ行けば商船や港湾の関係者が無条件で大切にしてくれるのです。

「船長の坊ちゃん」

 神戸港ではそう呼ばれています。大人に対して物怖じしない性格の東光は、遠慮なく甘え、言いたい放題のわがままを言いました。そんな東光の率直さが、海で働く男たちには好もしかったようです。肌が白く眉目秀麗な東光の若々しい外貌も好かれた一因でした。メリケン波止場の(はしけ)の船頭たちとは顔なじみです。

「頼むよ」

 東光がそう言えば乗せてくれます。艀にはサンパン、ポンポン船、伝馬船などがあり、どれでも乗り放題でした。ポンポン船の舳先(へせき)に立って神戸港を遊覧したり、サンパンで昼寝をしたり、伝馬船で日がな一日釣りをしたりしました。「香取丸」が神戸に寄港すれば、東光は必ず神戸港へ行きます。

「頼むよ」

 東光が言います。

「やあ坊ちゃん、いらっしゃい」

 船頭は快く引き受け、沖合に停泊している「香取丸」まで連れていってくれます。「香取丸」に乗りこめば、自由自在に船内を歩き回りました。「香取丸」は全長百五十メートル、総排水量一万一千トン、速力十六ノットの外航客船です。この時代の最先端交通機関といえます。それが自分の遊び場になるのですから、最高の贅沢です。船橋、機関室、ラウンジ、船員室、レストラン、バー、クリーニング、客室など思い通りに出入りできました。これに優る遊園地はないでしょう。なかでもレストランは最高でした。東洋一の腕前を誇るコック長が東光ひとりのためにドーバーソールのムニエルとか、ビーフステーキとかを御馳走してくれました。生まれて初めてマンゴスチンを食べたのも香取丸の船内レストランでした。船員や水夫の部屋に行くと、猥褻な写真を見せてくれたり、外国の珍しい品をくれたりしました。

「これがアメリカの武器ですぜ」

 そういって手渡されたのはメリケンサックでした。東光は船長室に忍び入って煙草や葉巻やウイスキーを持ち出し、船員や水夫にお礼として配りました。艀の船頭にも欠かさずにお土産を渡します。東光はまことに如才ない。それにしても、これほどまで東光のわがままが許された理由は、父の武平が船長としてよほどすぐれた統率力をもち、船員の誰もが心服していたからに違いありません。東光は心ゆくまで遊び、父の船の出港を見送りました。

 そんな体験が自信を育てたのかどうか、綾がどんなに責めたてても、東光の自我はビクともしません。大人びた東光の言動は、綾の目には生意気にも見え、危険にも見えました。

「どうしてお前はそんなに頑固なんだろうねえ。外交官のどこが不満なんだい。真面目に勉強してさえくれれば、珍田の小父様にお願いもできるのに」

 しつこい綾は、この日、また珍田の名を出しました。ちなみに珍田捨巳は、初代の外務次官を務めた人物です。日露戦争後のポーツマス交渉時には、国内から適切な情報や助言をポーツマスに送り続け、現地交渉中の外務大臣小村寿太郎を助けました。この功により男爵を賜っています。ですが、東光は役人にはまったく興味がありません。

「僕は、役人などは大嫌いです。だいたい自分のやりたいことをやらずに何をやれと言うんです。それではいったい何のために生まれてきたのかわからない。やりたくもない勉強をして、やりたくもない仕事をして、それで人生が終わるとしたら何の意味があるんです」

「生意気をお言いでないよ。人生の意味なんてお前にわかるものかね。三文文士になったところでオマンマも食べられずに野垂れ死にするだけですよ」

「おのれの志に(たお)れるのならば、それも人生じゃないですか。人に頼って分不相応な仕事についたところで何もできやしません。実力相応な人生を独力で生きることの方が人間らしい生き方じゃありませんか。生き甲斐こそが死に甲斐です」

「おだまり」

 綾が「外交官になれ」というのは、綾なりの鑑識眼からです。綾の見るところ、東光は外交官に向いているのです。幼い頃から転勤を繰り返したせいか、東光には天性ともいえる社交性があり、相手が年寄りでも子供でも、女でも男でも、不良でも優等生でも、誰とでも不思議とうまく付き合うことができます。ただ単に愛想が良いとか、調子が良いというだけなら御用聞きみたいなものですが、東光は違いました。強きに剛く、弱きに優しい。正義感が強く、いざとなれば喧嘩も辞さない。その証拠に、学校では理不尽な教師と何度もぶつかっています。不良の烙印をおされてはいますが、議論をすれば東光が常に教師を言い負かします。正義を堂々と主張して教師を論破し、面目を丸つぶしにする。そんな東光の性格は外交官に好適だと綾は見ています。東光ならば欧米列強の大宰相を相手にしても物怖じしないだろうし、典雅な社交界では器用にそつなく振る舞うでしょう。そして、物騒な暗黒街で極秘情報を交換することもできる。国益を背景にして相手国代表と談判し、機略縦横の議論を戦わせる。東光には打って付けの仕事である、と綾には思えるのです。要するに綾は東光を評価していたのです。それなのにツラとツラを付き合わせると、なぜだか悪口ばかりが先に立ってしまい、東光を素直に評価してやることができません。

 東光は東光で、母の優しい言葉を、乾いた大地が雨を待つように欲していました。しかし、この教養高い母は、東光の顔を見るたびに不満や小言ばかりを言いつのり、寒風を巻き起こすのみでした。乾いた大地はますます乾きました。


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