【第二章】 雷の娘は愛憎を叫ぶ
サブタイトルと内容が合っていないような気がします……。
半年以上前に考えたサブタイトルを変えていないのに、内容が右に行ったり左に行ったりしているせいでこうなってしまいました。
モモも当初はこういうキャラじゃなかった気がするのですが。
「おーい、ユキ!」
あるはずのないその姿に、私は目を疑った。
昼休み、廊下を行き来する生徒達に紛れ、その女は笑っていた。部外者であるにもかかわらず、まるで臆することのない威風堂々たる仁王立ち。褐色の肌に、くっきりした目鼻立ちのハーフっぽい容貌。無造作に後ろで束ねられたアンバーブラウンの髪を勝気に弾ませ、殺し屋の少女――作花百夜は手を振った。
「よっ。昨日言った通り、来てやったぜ」
「モ、モモ……!? なんでここに!?」
見慣れぬ少女の姿に注目が集まる中、私は大急ぎでモモを人気のない場所へと連れていった。春やたかねに見られていないことを祈りつつ、怒気を込めた小声で事情を問い質す。
「何考えてんの!? 放課後に待ち合わせって話だったよね!?」
「あー、暇だったから。それにちょっと予定が変わっちゃってさぁ」
悪びれもせずおどけるモモは、寒くないのか、薄い生地のTシャツにだぼだぼのデニム、そしてスニーカーという、昨日と違って年相応の格好をしていた。ちなみに当然とばかりに土足である。
「そう怒るなって。ワタシ、高校に通ってないから楽しいんだよ、こういうとこに来るのはさ。できれば制服を着てみたかったけど、ここ私服なんだな。ま、そのおかげで目立つことなく入れたぜ。どこからどう見ても健全なJKだろ? ほらほら」
どうだと言わんばかりに腕を広げ、胸を張るモモ。
ここ、都立柴白高校は校則が緩く、身嗜みに関する規定が全く存在しない。美術科が設けられている影響か、突き抜けたスタイルの生徒が多数在校している。私が在籍している普通科にも茶髪や金髪の人は少なくないし、春の砂色の髪が目立たずに済んでいるのもそのためである――のだが、さすがに肌の色となると話は別だ。
モモの肌は、テレビや雑誌に出ている海外の女優やモデルみたいな褐色をしていた。顔の造形にも日本人とは違う成分が含まれているように見える。
だから、口には出さないけれど――きっと『そういう種類の人間』を見慣れていない生徒からしたら、モモは人目を引く存在だと思う。特に、学校という閉鎖された空間では。
怒りを静め、私はまじまじとモモを見つめた。昨夜は暗かったし、ちゃんと顔を見られなかったからというのもある。
「ん? なんだよ、どこかおかしいか?」
私はどうだろうと考える。
他人を外見だけで評価する人にはなりたくない。周囲と異なることを異端と呼ぶのなら、私だって超がつく異端だ。
異端だから――私は弾かれていたのだろうか? いや、そうは思わない。弾いていたのは私のほうだ。ずっと、他を寄せつけないように振る舞っていたのは私のほうだった。
異端者。
異常者。
――今さらか、そんなことは。
そもそも昨日あんなことがあったにもかかわらず、次の日に平然と登校している私はとうの昔にどこかおかしいのだ。
「……うん、おかしい」
「ええっ、どこがだよ!? JK感あるだろ?」
「そんな薄着の人はいないよ。なんでTシャツ一枚なの? おかしいでしょ」
「んだよ、寒さなんて気合いでどうにでもなるだろうが。そんな厚着しやがって、お前ユキって名前なのに寒さに弱いのかぁ!?」
「大きい声出さないでよ!」
とにかく、何か事情があってモモは学校まで来たのだろう。興味本位で遊びにきただけかもしれないが、こうなってしまったら仕方がない。私は一度教室に戻り、昼食の用意をしていたたかねに急用ができたため早退するとだけ伝えた。歯切れの悪い説明になってしまったが、たかねは深く理由を訊いてはこなかった。迷惑と心配をかけてばかりで心苦しいけれど、彼女ならうまく先生に報告してくれるだろう。
メッセンジャーバッグを肩に引っかけ、モモの待つ昇降口へと小走りで向かう。教科書は全てロッカーに押し込んできたから、バッグには日用品しか入っていない。すれ違う生徒に怪訝な目で見られたけれど、特に誰かに呼び止められることもなかった。小学生の時は想像もしていなかったことだ。学校をサボるのがこんなに簡単だったなんて。
登下校の時間帯以外は人気のない昇降口に、二つの人影があった。
一つは作花百夜。褐色の死神。殺し屋の少女。
もう一つは――女の子だった。どう見ても小学校低学年程度の、小さな女の子。濃い藍色の髪を三つ編みにして、フレームの細い理知的な眼鏡をかけている。幼い割には賢そうな顔立ちをした子だった。
「この子は……?」
「お、来たか。よし、イサネ。挨拶しろ」
モモに背を押された女の子は、凛とした瞳でまっすぐに私を見据え口を開いた。
「はじめまして、鯨伏イサネです。ユキお姉ちゃんのことは、モモお姉ちゃんからたくさん聞きました」
「イサネ、ちゃん」
「はい。カタカナでイサネと書きます。小学三年生です」
予想外の展開に困惑する私を面白がるように、モモは笑顔だった。これはどういう状況なのか。
「ま、よろしくしてやってよ。こいつまだガキだけど、将来有望だから」
モモに小さな頭を鷲掴みにされ揺さぶられても、表情すら変えないイサネちゃん。何を考えているのかまるで読み取れないのは、この子が子供だからなのか。それとも、笑みを崩さない褐色の死神のように――この子も。
「将来有望って――それは、どういう」
「有望だろ。メガネ、三つ編み、貧乳。顔も頭もいい。文句なしだ。まるでLから始まる成人向け漫画雑誌の表紙を飾りそうな美」
「ストップ! わかったから」
初めて表情を変えたイサネちゃんは、不服そうな顔でモモを見た。
「胸は……そのうち大きくなります。大人になったら……」
「それはどうかな~。むしろ需要を考えたらお前はそのままでいいんじゃね?」
「モモお姉ちゃんだって……そんなに大きくないです」
「ワタシィ? ワタシはいいの。アマゾネス系美女を目指してるから。なぁ?」
「いや私に振られても」
「知ってるかユキ。アマゾンって『乳なし』って意味らしいぞ」
「……だから?」
「アマゾン同士、仲よくしようぜ!」
「余計なお世話だ! ていうか! 早く学校から出ようよ!」
昨日初めて会った女に、なぜこんな軽口を叩かれているのか。それも、自分を殺そうと襲撃してきた女に。
後ろを歩く二人を引っ張るように、早足で学校を出る。校門前の坂を下ったところで、マイペースに歩くモモに呼び止められた。
「何? 駅前に行くんじゃないの?」
「いや、そこの車」
モモとイサネちゃんが、路上に止まっている車に歩み寄る。車は有名メーカーの高級車で、二人に気づいたのか、運転席から女性が出てきた。パンツスーツをかっちりと着用した、細身で引き締まった体つきの女の人だ。墨で塗り潰したように黒く癖のない髪は肩の辺りで綺麗に揃えられ、目尻は優しげで愛嬌深そうに下がっている。
「早かったですね、百夜様」
「まあね。ユキが急かすからさぁ」
身構える私に対し、恭しく頭を下げる女性。おそらく三十代前半くらいだと思うけれど、そんな目上の人にいきなり頭を下げられても、正直、困るだけだった。
「はじめまして、砂原様。鰰田と申します。お話は百夜様から伺っております。どうぞお乗りください」
「え、あ、はい?」
「いいからいいから、乗った乗った。イサネ、前な。ワタシとユキは後ろ」
押し込まれるようにして後部座席に座ると、訳もわからないまま車は発進した。運転席には鰰田と名乗ったスーツの女性。助手席には鯨伏イサネという名の少女。そして後部座席――私の隣には褐色の死神、作花百夜。
なんだ、この状況は。
もしかして私は、モモに騙されているのだろうか? そもそも、こんな得体の知れない娘の誘いに乗ってしまったのが間違いだったのか?
「安心しろって。鰰田さんもイサネも悪い人じゃねえよ。もちろんワタシもな!」
私の不安を見透かしたのか、モモが強調して言った。モモが善い人なのか悪い人なのかはわからないが、彼女は殺し屋なのだ。善い殺し屋なんてものがあるのだろうか?
「……ねえ、どこに向かってるの?」
「焦るなって。目的地に着くまで小一時間、ワタシたちのことも含めてちゃんと教えてやるよ」
もうじき冬と言えど、エアコンの効いた車内は陽射しで暑いくらいだ。服の中で嫌な汗が滲んでいる。
「京都の九泉って知ってるか?」
車内にはモモの張り通る声。
「ワタシとイサネは〈九泉〉に名を連ねる八つの血族――〈作花〉と〈鯨伏〉の人間だ。鰰田さんは鯨伏家のお手伝いさんで、今日はイサネを通してドライバーを頼んだんだけど、まあ、それは置いといて、簡単に言えば〈天神〉と似たようなもんだ、九泉は。規模は全然違うけどな」
「似たようなもんって――アマツカミと一緒にしないでよ。殺し屋なんでしょ?」
「似たようなもんだろ。アマツカミと九泉の関係は長いらしいぜ? 特に、アマツカミの長――〈別天神〉の連中とはな。そういう話、聞いたことないのか?」
ワタシもその辺は詳しくないけど、とモモは付け加えた。
確かに、九泉の名は黎さんからも聞いたことがある。古くから京都に宗家を置く、異能を操る集団――黄泉国の一族が八つ存在すると。まさかそんな、今まで噂の中でしか生きていなかったものが、こうして目の前に現れるなんて。道を歩いていたらいきなりツチノコが向こうからやってきたみたいな、そんな非日常との遭遇だ。
九泉。
殺しを生業とする、異能集団。
「……じゃあ、イサネちゃんも『そう』なの?」
前に座るイサネちゃんの顔は見えない。まだ一桁かもしれない年齢の女の子から、殺し屋などという危なげな匂いは感じられない。どこにでもいる、大人しそうで背伸びをした小学生だ。
しかし、イサネちゃんの返答ははっきりと告げる。
「はい。ただ、わたしは鯨伏の序列最下位なので、正式に仕事をしたことはないです。学校にも通わなくちゃなりませんし、まだ手伝い程度しか」
言葉に詰まる。
昨夜のモモの姿を思い浮かべる。いずれイサネちゃんも、あんな化け物染みた術者になるのか。
「――で、だ。で、なんだけどさ。ワタシたち九泉がアマツカミと別段仲がいいわけでもないのに協力関係にあるのは、九泉がある重大な秘密を握っているからなんだけど」
「重大な秘密?」
「実は今日も、たまたまその件で仕事を頼まれたんだよ。ワタシは私用で東京に来てたから――っていうかお前に会いに来てたんだけど、まぁとにかくそういうわけなんで、今から面倒事を片づけに行く」
「私に会いに来たって……昨日のあれは、誰に――依頼されたの?」
「残念。依頼主については教えられねえな」
職務上当然と言えば当然だが、肝心の情報にはしっかりと蓋をするモモを、私は横目で睨みつけた。目つきが悪いと自覚しているので、意図的に誰かを睨むなんてこと――普段なら絶対しないのに、なぜだろう、モモ相手ならいくらでも睨める自信があった。
「えーっと、なんだっけイサネ。アマツカミからの要請は」
話を振られたイサネちゃんは、前を向いたまま答える。
「昨夜、二二四〇にアマツカミより一報。一週間前に乙種命令を受けて現地ビルへ偵察に向かった中央本部地祇捕縛課、乾一朗三等方士からの報告によれば――」
すらすらと資料を読むような口調で、イサネちゃんは続ける。小学三年生にしては随分と賢い子だと思った。
「前々からマークしていた暴力団幹部、それに大手商社役員、裏社会では有名な投資家等の出入りを確認。ついでに護衛の同業者も。いつものことですが、『あれ』の取り扱いに関する任務はアマツカミで『秘』扱いであるため、末端の職員には対応させないようです。今日の夕方から夜にかけて、同ビル地下でまた『パーティー』が開かれるという情報を入手しています」
「だってさ」
「いや、だってさと言われても……」
情報を整理すると、つまりアマツカミの職員には対応できない(対応させない?)案件を、モモたち九泉が肩代わりしていて――今私達はその場所に向かっているということだろうか?
しかし、それでは疑問が残る。
「なんで私を連れていく必要があるの? 『秘』扱いってことは、一部の職員にしか開示されない情報のはず。私みたいな下っ端が関わっちゃいけないレベルの問題なんじゃないの?」
「アマツカミ的にはそうなのかもしれないけどさ、いいだろ別に。せっかくの機会だし、社会経験ってことでさ」
試されている――不意に、そんな気がした。
昨夜、モモとの別れ際、彼女は「話したいことがあるから、駅前のカフェで明日会おうぜ」と言った。本来なら、約束は学校が終わったあとだったのだが……。
モモは、私の何を知っているのだろう? 何か、私ですら知らない私のことを知っているような素振りに、落ち着かなくなる。
混雑する道路を進み、街の中を抜け、一時間ほどで車は目的地に到着した。空いているコインパーキングに駐車して車から降り、イサネちゃんを先頭に人波を掻き分け進む。平日昼間、老若男女が行き交うオフィス街――その裏通り。わずかに喧噪が遠ざかった雑居ビルの群れの中で、イサネちゃんがとあるビルを指差した。
「あのビルですね。表向きは消費者金融ということになっていますけど、実態は様々な裏取引が行われている会合場所みたいです。今の時間なら、おそらくまだ中にあまり人はいないはずです」
通りの先に建つのはどこにでもありそうな雑居ビルで、縦に何枚も連なる看板にも、整体や居酒屋、キャバクラ――と、未成年には健全だと思えないけれど、特におかしな点もない普通のビルだった。
「上の階には無関係の人もいると思いますよ。目的は地下ですから――と、それよりモモお姉ちゃん、大丈夫ですか?」
心配そうに尋ねたイサネちゃんの言葉が、私にはどういう意味だかわからなかった。鰰田さんと電話をしていたモモが、携帯をポケットにしまう。
「何がだよ」
「いえ……大丈夫ならいいです」
思わずモモの顔を見る。全然気づかなかったけれど、どこか体調でも悪いのだろうか。
「何? 具合悪いの? そんな寒そうな格好してるからじゃないの?」
「うるせえな。それよりさっさと片づけようぜ。日が暮れて人が増える前にさ」
何か言いたげだったイサネちゃんは、言葉を呑んで目的のビルに目を遣った。
「わたしが中の様子を探ってきます。十分ほどで戻ってくるので、お姉ちゃんたちはここで待っていてください」
「あいよ。気ぃつけてな」
「それでは」
瞬間、イサネちゃんの体から青白い光が閃き、驚く暇もないうちに、彼女は藍白の煌めきを残して姿を消した。周囲を見回しても、どこにも影も形もない。一瞬のできごとだった。
「……え!?」
「心配すんな。イサネはこういう潜入ごっこ、七歳の時からやってるから」
「せ、潜入ごっこって――イ、イサネちゃんは……?」
「普通に正面から入っていったよ。あいつ、監視カメラにも映らないし」
イサネちゃんの異能。
私は一つの推測を口にした。
「イ、インビジブル……?」
透明化能力。
その名の通り自分の体を透明にしたり、物体を透明にしたりできる力だ。アマツカミでは例によって透明化能力を細かく分類していて、大きく分ければ母体透明化と物体透明化があり、物体透明化のほうは接触か非接触かでさらに分類されている。持続性や他者認識の有無の違いもある。身につけている衣服ごと透明になったということは、おそらくイサネちゃんは母体と物体、両方の透明化を併せ持っているということだ。
私は透明化能力の保有者を見たことがなかった。利便性に富み、使い方によっては凶悪な術にもなりうる力で、保有者の数そのものが少ないのだ。
「あいつは単純な透明人間とは違うんだけどな。でも偵察に持って来いの能力ってことは確かだし、イサネが戻ってくるまではここで待機だ」
腕を組んでビルの壁面に背を預けるモモ。どうやら本当に、イサネちゃんが戻ってくるまでここで待つつもりらしい。鰰田さんも傍で静かに控えているだけだ。
ブルゾンの上から吹きつける秋風は冬の気配を纏っていて、好天とはいえ肌寒い。半袖で平気そうにしているモモが信じられなかった。――いや、本当に平気なのか? さっきイサネちゃんに大丈夫かと心配されていたけれど……。そういえば、車の中でも途中からあまり口を開かなくなっていたのを思い出す。
「ねえ、私まだ何をするか聞いてないんだけど」
「ん……? ああ、そうだったな」
モモの視線は、隣に並ぶ私ではなく宙に向けられている。近くで見ると、見慣れない鳶色の瞳が不思議だった。
しばらくの沈黙のあと。
「ワタシもイサネもさぁ――」
モモは気怠げに口を開いた。
「人間じゃないんだよ、実は」
「……は?」
「そんであのビルにも、ワタシやイサネみたいなやつがいるんだってさ。もっとも、人の形すらしてないんだろうけどな」
「ど、どういう……」
「霊玉」
「…………ッ!?」
私は覚悟をしていなかったし、身構えてもいなかった。その単語を、まさか今日この場所で耳にすることになるなんて――予想できるはずもない。
レイギョク。
モモが発したその言葉は、先日出遭った葛籠の男が口にしていた――謎の単語。
「世界にはそう呼ばれる〈石〉が存在する。もちろん霊玉って呼んでるのは日本だけで、外国では違うけどな。なんて言ったっけな、確かギリシャ語で……まあいいや、その霊玉ってのがなかなかヤバい代物で、ワタシたち九泉やアマツカミ、それに霊玉の存在を知ってる裏社会の連中、みんなで仲良く長い間――それこそきっと何百年とかになるのかな、ずっと奪い合いしてるってわけだ」
「石……? 霊玉って、そのヤバい石のことなの?」
「石って呼んでいいのかどうなのか……。ワタシも〈欠片〉しか見たことねえし、本物っつーか本体っつーか、元々の霊玉は石なんてレベルじゃない大きさらしいけどな――って、なんだユキ。お前、霊玉のこと知ってるのか?」
「……いや、知ってるわけじゃないんだけど……名前は、聞いたことがあるんだ」
「ふーん」
あのナイフは今、家にある。
あの時、葛籠の男は私からお母さんの形見のナイフを奪い――
そして。
「霊玉がなんなのかは、ワタシも全てを知ってるわけじゃない。でも、ちゃんと管理しないと危険だってことくらいは理解してるつもりだぜ。だから九泉やアマツカミが集めてるんだろうしな」
モモの話は半分くらいしか頭に入ってこなかった。あの時の、葛籠の男の言葉を必死に思い返していたからだ。探る記憶の中、襲われた苦痛の陰に隠れ判然としないが、男は確かに言っていた。
――そいつは正真正銘のアヤカシ。
霊玉を持つ妖怪だ――と。
つまり霊玉とは、葛籠の男が言うような妖怪――超常生物が持つものなのか?
それなら、モモとイサネちゃんは――
「さっき、人間じゃないって言ったのは」
モモは吹き出した。
「嘘だよ、冗談冗談。どこからどう見ても人間だろ? それ以外に見えるか? こーんなにJK感溢れるアマゾネス系美少女なのに」
「…………」
手をひらひらさせおどけるモモ。
言われなくても、どこからどう見ても人間だ。そんなことはわかっている。でも、モモはさっきこう言った。「あのビルにも、ワタシやイサネみたいなやつがいる」と。もし、あのビルに霊玉を持つというアヤカシの類がいて――それを指して「ワタシやイサネみたいなやつ」と口にしたのなら、それはつまり――
モモも〈霊玉〉を……?
私の不審顔を一瞥して、モモはふっと真顔に戻った。
「……ま、自分が人間だって胸張って言い張れる奴なんて、案外少ないのかもしれないぜ? お前もそうじゃねえの? 自分が人間だと――自信持って言えるのか?」
含みのある言い方だ。答える代わりに、質問を返した。訊きたいことは山ほどあるのだ。
「なんで――なんで私を連れてきたの? 本当に意味がわからない。私なんかが知っちゃいけないような、関わっちゃいけないような、ヤバいものなんじゃないの……?」
「お前だから連れてきたんだ」
モモは即答した。
「お前は――ワタシと同じはずだから」
「何が同じなの? 殺し屋と同じ人生なんて歩んでないんだけど」
「よく言うぜ。ワタシが殺した人数より、お前が殺した人数のほうが遥かに多いじゃん」
「それは……ッ!」
「違うって? いーや同じだね。お前は不運な事故だと、不幸な事件だと思ってるんだろ? 五年前の、あの冬のことを。でもそれはお前の思い上がりだ。被害者ぶって悲劇の乙女ってかぁ? 笑わせんな人殺し。お前は殺したんだろ? 大勢の無関係の人をな」
「ち、ちが……」
言葉にならない言葉が、口の中でのたうつ。地面が揺らいで、すぐ隣にいるモモの顔が遠ざかるように感じられた。心臓が早鐘を打って、息が苦しい。
誰かに、面と向かって、直接、あの日のことをなじられたのは、初めてだった。あの日から今日まで、私は誰にも断罪されることなく生きてきた。誰かに裁いてほしいと願いつつも、私を責める人は今日まで現れなかった。黎さんが、アマツカミが、私の境遇が、私を囲い世間から隠したからだ。あの事件を『なかったこと』にしたからだ。
それなのに、突然、こんなところで。
モモは――私の過去を、私の罪を知っている。
逃げられない。
目を背けることも、許されない。
モモは続ける。
「ワタシが殺してきたのは、放っておけばもっと多くの人を殺していたようなクズな連中さ。つまりワタシは、逆説的に言えば人の命を守ったとも言えるんじゃあないか? お前みたいに、何の罪も悪いとこも一個もない善良な人々を殺してしまうのとは訳が違うぜ」
モモの言葉、一つ一つが胸に突き刺さる。
懺悔の仕方もわからず、責任の取り方も知らず、弱い私は自殺することもできなかった。だから心の中で、夢の中で、ただただ謝り続けた。それしかできなかった。それなのに、いざこうして罪状を突きつけられれば、こうも簡単に私の心は脆く揺らぎ、現実から逃げるために閉じ籠もろうとするのだ。
なんで――なんでこんな話になったんだっけ?
そもそも、この殺し屋の少女は――私を殺すためにやってきたと言っていた。しかし昨夜はなぜか落胆したように肩を落として、私への興味をなくしたのだ。
ならば。
「……依頼主に、会わせて」
絞り出すように、声を出した。声は震えていた。
「誰に……頼まれたの? その人に……会わせて」
私は大勢の人に恨まれている。私の死因は、私を憎む人による復讐かもしれない。けれどその人になら殺されてもいいかな、とも思える。むしろその人に殺されなければならないとも。
私に死んでほしいと願う、その人が誰なのか――知りたかった。
「悪いがそいつは無理だ」
私の懇願を一蹴し、モモは言った。
やはり、モモも殺し屋として守秘義務を蔑ろにするわけにはいかないか。けれどなんとか依頼主を教えてもらえないかと、次の一手を考えていると。
「死んだよ、もう。ワタシが殺した」
「……え?」
「依頼主はもういない。だから会うのは無理だな。お前を狙う奴もいないってことだ」
感謝しろよ、助けてやったんだから――と、平然と言い放つ褐色の死神。
――なぜ殺した?
ぐらり、と地面がさらに揺れた。
――本当に殺したのか?
もはや立っているのか座っているのかもわからない。けれども目の前の女に疑問の波を叩きつけるために、両足にぐっと力を込めた。
「どう、して」
「依頼主は、あの日お前のせいで――大切な人を亡くしたっていう人だった。でも知っての通り、あの事件は世間的にはなかったことにされてるからな。ワタシは断ったんだよ、その依頼を。この件には関わらないほうがいい、忘れたほうが身のためだぜ――なんて言ってさ。けどそいつは忠告を無視してこそこそ嗅ぎ回った挙句、終いにはワタシたち九泉の縄張りに踏み込んできたからな」
だから殺したと――そう言うのか。邪魔だから? 目障りだから? 鬱陶しいから?
「殺す必要は……なかったはず」
「お前はあれか? 安楽死には反対か? ワタシが見た限り、『あの女』はやつれにやつれて身形はボロボロ、心も体も衰弱してたし相当キてたね。これ以上苦しませないよう、一思いに殺してやったんだ。優しいだろ? 慈善事業だよ」
いつからか思いきり歯を食いしばっていて、奥歯が軋んだ音を立てた。
――無意識に、右手が腰の辺りに伸びていた。伸ばした手は何も掴んでいない。そうだ、バッグは車に置いてきたのだ。いや、そもそも今日は学校から直接来たのだ。バッグにあれは入っていない。
「バーカ。嘘だよ」
はっとして顔を上げる。モモは声の調子を上げて言った。
「本当は自殺だ。ワタシが依頼を断ったあと死んだらしい」
「……そう、なんだ」
どういう反応をすればよいのか、私にはわからなかった。間接的とはいえ、私のせいで死んだ人がまた一人増えたと――そう捉えればいいのか。
「モモは――だから、私に会いに来たの? その人のために、私を殺そうと?」
「そんなんじゃねえよ。そもそも今の話はだいぶ前のことだ。ワタシがお前に会いに来たのは――」
なんでだろうな、とモモは言った。自分でもよくわからないと。
「……何それ」
「安心しろよ、ユキ。もうワタシにはそんな気ないし、誰もお前を殺そうとはしてないぜ。よかったな」
「……別に、いいよ。殺したいなら殺せば? 人殺し」
「けっ」
モモは目を瞠り、勢いよく頭を振った。それに合わせて、アンバーブラウンの髪が跳ね回る。
「なあユキ。お前は他人に恨まれても平気なのか? そいつがお前を殺しに来たら、大人しく殺されるってのか? 冗談だろ?」
「…………」
「ワタシには無理だね。誰に否定されようと――最後まで戦ってやる」
モモは背を向けて「トイレ行ってくる」とだけ言い、この場から離れていった。残された私と鰰田さん。私とモモのやり取りを黙って聞いていた鰰田さんは、果たして何を思っただろう――なんてことを考えていると、鰰田さんが口を開いた。
「すみません、砂原様。どうか百夜様のことをお嫌いにならないでくださいね」
「え? いや、そんな……嫌いになんて」
好き嫌い以前の問題だ。私はモモのことを何も知らないのだから。
「百夜様は、その……特別なんです。九泉の中でも、百夜様は特別で……。そもそも百夜様が砂原様に会いに行くと言った時も、わたしは反対だったんです。百夜様のお気持ちはわかりますが、それでも、お二人が会うのは……」
「あの、どういうことですか? 鰰田さんは何か知っているんですか?」
苦渋の色を浮かべる鰰田さんはしばし悩んだあと、ポケットから手帳を取り出して何かを記し、そのページを破った。差し出された紙に書かれていたのは――電話番号。
「わたしの携帯番号です。お暇な時にご連絡ください」
整った字体で記された十一桁の数字。突然のことに、どう返答すればよいか戸惑う。
「九泉が百夜様――モモを引き取った時から、わたしはあの娘が気になっていました。モモはイサネ様を妹のように可愛がっていて、鯨伏によく遊びにきていましたから、わたしと会う機会も多く親しくなりました。だからわかるのです。モモは――普通の娘です。普通の娘なんです。それを〈作花〉が――〈九泉〉が、あの娘を変えてしまった。わたしは見ていてつらいのです。同情かもしれません。それでもあの娘には――あの娘を理解してくれる存在が必要だと思うのです。その役を砂原様に負わせるのは非常に心苦しくもあるのですが……こうなってしまってはもう仕方のないことなのでしょう」
鰰田さんは落ち着いた声で、ゆっくり噛み締めるように続ける。
「お会いしたばかりなのに、こんな話をされても迷惑ですよね。ですが、わたしはお二人に幸せになってほしいのです。だから砂原様には――知っていてほしいことがあります。百夜様のことで――わたしたちのことで、お話したいことがあるのです」
私は言葉に詰まり、とりあえずメモをポケットにしまった。
ちょうどそこに、コンビニから小走りで出てきたモモの姿が見えた。
「イサネから連絡。なんか犬が可哀想だから早く来てってさ。よくわかんないけど、中に人は見当たらないらしいし、とにかく行ってみようぜ」
「犬? 犬って?」
というか、イサネちゃんとの連絡手段は携帯電話を使ったのだろうか? それともテレパシーか何か――なんらかの超能力を使ったのだろうか?
「わかんね。行けばわかるんじゃね?」
なんでこんなにもわからないことだらけなんだ。
惑う気持ちを吐露することもできず、深い溜め息は風に攫われ――路地裏に消えた。
内部は薄暗かった。廊下に緑がかった明かりはあるものの、光量に乏しく、まるで刑務所みたいだった。刑務所に入ったことなんてないので、あくまでイメージだが。
正面の入り口から堂々と潜り込んだ私達は、狭い階段を下り地下へと進んだ。外からでは地下があるのかどうかも判断できないし、エレベーターの階数表示にも一階から八階までしか見当たらなかった。しかも、どうやら両隣のビルと内部で繋がっているようで、かなり広く造られている。
地下二階。
急に明るく小綺麗になった廊下。左右にはアパートのように扉が並び、奥には両開きのドアがあった。その前まで来たところで焚き火が爆ぜるような音がして、振り返ると、いつの間にかイサネちゃんの姿があった。
「イサネ。どうだった?」
「この扉の奥で……間違いありません」
モモが扉を押し引きしたが、どうやら鍵が掛かっているようで開かなかった。
「中には入ったのか?」
「はい。中を確認しましたが、誰もいませんでした。……目的の、超常生物以外」
超常生物。
やはり、この部屋の中にはただならぬ存在がいるということか。しかし、イサネちゃんの言葉はどこか歯切れが悪い。いったい中で何を見たのか。先ほどから緊張と不安で、手汗が止めどなく滲んでくる。
「……あれ? イサネちゃん、どうやって中に入ったの?」
目の前の扉は施錠されていて、開閉された形跡はない。イサネちゃんはどうやって中を確認したのだろう。別の入り口があるのだろうか?
私の疑問に対して、返答に悩む素振りのイサネちゃん。彼女の代わりに、扉をコンコンと叩きながらモモが言う。
「この程度の厚さなら、イサネは擦り抜けられるんだよ」
「え?」
「透過だよ、透過。イサネはインビジブルってわけじゃなくて、自分の体ごと溟海に潜り込んで姿を消せるんだ。つまり姿を消してる瞬間は、この場所にいながらも『向こう側』の領域にいるってことになるから、イサネには触れられない。姿を消せるだけの透明化とは違うんだよ。原理はわからんけどな。もちろんいろいろ条件もあって、例えば現実問題として擦り抜ける壁の厚さとか制限時間が――」
「百夜様」
鰰田さんが言葉でモモを制した。イサネちゃんも何か言いたげにモモを見つめている。
「――っと、喋りすぎか。ごめんごめん。まぁユキ相手ならいいだろ? 平気だって、心配すんな!」
ごまかすように笑うモモに、しかし私は言葉を返す余裕さえなかった。今の話が本当なら、イサネちゃんの能力はいくらなんでも度を越してはいないか。そんな異能は聞いたことがない。思えばモモの異能――物体を切り裂く爪のほうはともかく、あの屍人花とかいう植物を咲かせる異能――あれもそうだったが、能力として優れているとかそういうレベルの話ではなく、人間にできてよいことではない――もはや人の限界を超えた域に達していると感じられるのだ。
では、人の域を超えた先とはなんなのか。この二人はいったい何者なのか。九泉という組織が、そしてそこに属する彼女達が、私は改めて空恐ろしくなった。
「鍵は開かねえよな。仕方ない、切るか」
例の、焚き火が爆ぜるような音。扉に手を添えたモモの右手を中心に、桃花色の光が明滅する。直後、一筋のジグザグ線が縦に走った。いわゆる稲妻形の光線が、扉を真っ二つに裂いたのだ。
「なんかもう……常識を疑いたくなるよ、本当に」
「よっと」
扉を蹴り飛ばし、部屋の中に踏み込むモモ。イサネちゃん、私、そして鰰田さんと後に続く。
妙な臭いがした。
室内は教室を二つ並べた程度の大きさで、照明は点いていない――と思ったが、弱々しい明かりの和風スタンドライトが奥まで並んでいた。壁際には蝋燭も置かれていて、周囲をぼんやりと橙色に染めている。
「なんだこの臭い、馬小屋か? 獣の臭いがするぞ」
「あれを見てください」
イサネちゃんが指差すほう――部屋の奥に目を凝らす。薄暗さに目が慣れると、そこに広がる異様な光景が浮かび上がった。
中央の台を囲むように、十個の大きなショーケースが置かれている。ケースの中には土が敷き詰められ、そこから首だけ上を出すように――犬らしき獣が埋められていた。胴体を土中に埋められ身動きすら取れず、ほとんど骨と皮だけの頭部が、中央の台座に向けられている。口を半開きにし、力なく、しかし一点に注がれている視線。その瞳が凝視している台上には、驚くべきことに――豪勢に肉を盛られた皿、つまり餌が置かれていた。私達に気づいてももはや吠える力すらないのか、何匹かの犬が喉を鳴らしただけだった。
「な、なんだよこれ……。なんかの儀式かぁ!?」
「モモお姉ちゃん、あそこ」
餓死寸前の犬――もしかしたら何匹かは既に絶命しているのかもしれない――の向こう、最奥部には檻が据えられていた。檻の中で、何かがぴくりと反応を見せた。
「キツネ? モグラ? なんだ?」
そこにいたのは、ネズミ大の大きさの生物。体には斑模様があり、やけに長い尻尾の先端は二つに分かれている。目は見えていないのか、貌の皮膚に埋まりそうなほど小さく頼りないが、牙と前脚の爪は鋭く発達している。
「これは、まさか犬神……?」
檻の前で獣を観察した鰰田さんが呟いた。
「犬神ィ? はぁん、なるほどなるほど。こんなんでもアヤカシの一種ってわけか。確かに奇っ怪な気配を感じるぜ」
「百夜様、あまり近づかないほうがいいです。犬神は奇病や呪いを持つと云われています。移されたら祓うのは大変ですよ。ほら、威嚇していますし」
「平気だって。それより、こっちの犬はなんなんだ? この悪趣味な儀式はよ。早く助けないとこいつら死んじまうぜ」
「おそらく、何者かが人為的に犬神を生み出そうとしているのではないでしょうか。この儀式はそのためのものかと。犬を首だけ出して土中に埋め、届かないところに餌を置く。餓死寸前の、餌に念を注ぎ込んでいる犬の首を刎ねることで、その怨念が形となり犬神の霊と化すと云われています。本来は切り落とした首をさらに埋め、人々にその頭上を往来させることで怨念を増幅させるそうなので、この儀式を地下で行っているのもそういう理由なのかもしれませんね」
「胸糞悪い話だな」
「もしくは、ただの見世物という可能性もありますが。〈犬神遣い〉や〈犬神持ち〉と呼ばれる呪詛遣いがいなければ、人為的に生み出した犬神の怨霊は使役できないはずですから。犬神産みに託けた、ただの動物虐待ショー……かもしれません。しかし、どういうルートで入手したのかはわかりませんが、このアヤカシは現存する本物の犬神だと思われます。小さいですが霊玉を持つ超常生物である以上、保護しなければいけません」
イサネちゃんはなんとかして犬が閉じ込められているケースを抉じ開けようとしているものの、簡単には開かない作りになっているようだ。衰弱した犬が目だけでイサネちゃんを追っていた。
あまりにも気味が悪く、趣味が悪く、そして気持ち悪い惨状を前にして私は、立ち尽くすことしかできなかった。気持ち悪い。人間の酷さも醜さも自分勝手さも。何が目的でこんな惨いことをしているのかはわからないし、わかりたくもない。ただただ気持ちが悪かった。今はただ、平気でこんなことができてしまう人間そのものが、気持ち悪い。
その時、突然部屋の照明が点いた。
見るとモモが壊した入り口に、警備服の男が三人。全員が全員、大柄で厳つい体格をしている。その中の、どこか抜けたような顔をした青年が口を開いた。
「あの――貴女達、どこから入ったんです? 困りますよー、勝手に入っちゃ!」
はきはきと喋り、つかつかと歩み寄ってくる警備員。顔には目が糸になるほどの笑みを浮かべ、右手には黒い物体を提げている。
「――イサネッ!」
モモが叫んだのと、室内に金属が打ち合ったような尖った音が響いたのと、藍白の火花が散ったのは――ほぼ同時だった。
「え――」
イサネちゃんの姿が消えていた。しかし、彼女がいたはずの床に赤い染みが点々とできている。それがイサネちゃんの血だと理解するのと、今響いた音が消音器で抑えられた銃声ということに思い至るのと、打って変わって冷淡な顔で拳銃を構える男にイサネちゃんが撃たれたのだと気づくのに――私は幾許かの時間を要した。
「えっ……な、え」
イサネちゃんはテレポートしたかのように、藍白の煌めきと共に部屋の隅に出現した。左手で右胸の辺りを押さえている。やはり撃たれたのか。しかし眼鏡の奥の瞳は凛としてまるで揺らいでいなかった。
「イサネ、先に上行ってろ! 鰰田さんも! ユキはワタシにくっついてな!」
再度姿を消すイサネちゃん。銃声。男が見えない彼女を狙って執拗に連射。弾丸が壁を削り薬莢が床を鳴らす。
モモの言葉に、鰰田さんも即座に反応した。どこからか取り出したミニナイフを目にも止まらぬ速さで投げ放つ。男達が怯んだ隙に出口へと一直線に疾走。彼女がただのドライバー要員としてここへ来たわけではないのがわかる動きだった。
「追え」
リーダー格の命令で、二人の男がイサネちゃんと鰰田さんを追って部屋から出ていった。抜けたような顔と糸目は元々のようだが、その表情は氷の冷徹さを湛えている。モモとモモの背に隠れる私を交互に見遣る警備服の男。ワイシャツに防弾ベスト。外見は屈強なガードマンだが、その実はおそらく雇われ戦闘屋――裏社会の人間だろう。男の肢体から溢れる、常人には視認できない靄は――溟海に干渉した際の歪みがもたらす意志の光、異能遣いである証拠だ。
「おうおう、まずは一番か弱い女児から殺しにかかるなんてよぉ、てめえそれでも血の通った人間かぁ!?」
モモが肩を回しながら男に詰め寄る。男には無駄がなかった。残弾がなくなった拳銃から手を放すと、腰から警棒を抜き標的をモモに定める。有無を言わさぬ襲撃。しかしその速攻をモモは見切っているのか、いなすような動きで回避。間合いを取った男がベルトから細いワイヤー状のものを抜き放つ。鞭のように撓るワイヤー攻撃。だがモモは一歩も引かず右手――桃花の煌めきを纏う猛禽類の如き爪でそれを切断した。男がさらに距離を取る。
褐色の死神。
モモを包む桃花色の光は、まさに雷光の眩さを湛えていた。私が今まで見た異能遣いの中でも、ここまではっきりと知覚できる人はいなかった。暗い陰に潜むような闇を纏う黎さんとは真逆だ。
為す術なく傍観するしかない私をよそに、二人の対峙は続く。
「……何者だお前」
「九重黄泉」
男の動きが止まる。私のすぐ後ろで、檻の中の犬神がグルルと喉を鳴らした。無意識に部屋の奥まで後退りしていたようだ。
「あんたはどこの業者さん?」
「答える義理はない」
「つまんねー奴――って、あれ……?」
突如、モモの体に異変が起きた。明滅を繰り返したあと、電源を切った水銀灯のように光を失ってゆく。
「クソッ……こんな時にかよ……」
忌々しげにモモが呟いた。
男には無駄がない。隙を見せたモモに再び、懐から抜き放ったもう一挺の銃を撃つ。今度は乾いた音が大きく反響した。
「モモ……ッ!?」
視界に罅が入った。硝子に刻まれた幾本もの線条。崩れ落ちるモモと、すぐさま私へと銃口を向ける男の動きが、やけにゆっくりと――まるで水底を這うように鈍く感じられた。
どこかで見た光景。
どうしてこんな時に――こんな、絶体絶命な状況に立たされた時に、記憶を探るような真似をしているのだろう。わからない。けれどこの光景を――私はどこかで見た覚えがあった。
どこかで見た風景。
真っ白な雪の中、緋く染まる人影。誰? 目の前で崩れ落ちる――最愛の人。私を庇って、鋭い爪に串刺しにされた。赤い液体が飛び散り、生温かいそれは私の顔と服を汚した。
足下に、力なくナイフが落ちる。落ちている。ナイフを拾う。右手にナイフ。罅割れた硝子越しに観る風景は、いつしか銀世界と化していた。銀世界に佇む巨大な影。緋い鮮血の色をした異形。血濡れた悪鬼。私はあの時どうしたんだっけ? そうだ、力を暴走させた。暴走させてしまった。でも本当は?
――私はもう誰も殺さない。人を傷つけるために、力は使わないと決めてるんだ。
――嘘だね。それはお前の本心じゃない。
崩れ落ちるモモ。モモの言葉が甦る。私の本心って? 私はあの日、あの時、どうしようもなかったのだ。仕方がなかったのだ。気づいたら全てが終わっていた。私の中に棲む化け物は、檻の隙間を抜けるように外へ這い出した。私が檻を開けたわけではない。だから私は、この化け物を飼い慣らさないといけないのだ。化け物。化け物? どんな形をしている? どんな色をしている? 右手には銀色に煌めく刃。煌めく雪白、揮う白銀。
――誰かが私の名を呼んだ。
いや、呼んだのは私のほうだったかもしれない。
「――――」
一閃。
雪白氷刃。
時が我を取り戻しかのように、正常に刻み始める。
そして。
警備服を着た戦闘屋の男は――俯せになり倒れ伏していた。
「…………ッ!? な、何が――」
はっとして右手に目を遣る。そこには何もなかった。何も持っていない。何も握り締めていない。それなのに――掌の中に何かが在った感触だけが残っている。
じっとりと汗ばんだ背中。早鐘を打つ鼓動。不安と焦燥が全身を駈け廻り、今にもどうにかなってしまいそうだ。
「あ――モモ!」
蹲るモモに駈け寄り、顔を覗き込む。薄地のTシャツには血が滲んでいた。だが、銃で撃たれた割には出血の量が少ない気がした。
「いてて……チクショウ、お気に入りのTシャツだったのに」
「怪我は大丈夫なの!?」
すっくと立ち上がり、大きく背伸び。血は止まっているのか、胸の辺りに赤い染みが一つあるだけだ。
「まさかお前に助けられるとはな」
「え?」
私に――助けられた?
私が――モモを助けた? あの男を倒した?
気分が悪くなってきた。現状把握がまるでできない。
「助かったぜ。……情けないとこ見せちまったな。そんなに――体調は悪くなかったんだけどな、たまになるんだよ。発作みたいなもんだ」
モモの言葉が、あまり耳に入ってこない。それでも、働かない頭を回転させなんとか言葉を返す。
「発作……? 病気か何かなの? ていうか怪我は――」
「怪我は大丈夫だって。たかが拳銃の弾なんてワタシには効かん。イサネも平気だろ、急所に当たったわけでもないし。体の構造が凡人とは違うんだよワタシらは。心肺には達してないし、弾丸も弾いた」
「……あんた、本当に人間?」
「はん。それはお互い様だろ。殺したのか? そこに寝転がってる奴」
「そんなわけ――」
ふと思い至る。私はあの男に――何をしたのだろう。異能で思考を刈り取っただけならいい。特定の行動意志だけを狙ったのであれば、直に目を覚ますはずだ。だが、そうでなかったら? もし、あの男の意識そのものに干渉し、それ自体を刈り取ってしまっていたら――
「――ないでしょ。私は誰も――」
殺さない、という言葉は尻窄まりになってしまって、モモの耳に届いたのかはわからなかった。
「相手が殺しに来てるってのに、ご立派なことで」
「いいんだよ……別に。どうせもうすぐ死ぬらしいから」
「どういう意味だよ」
怪訝そうにするモモ。もう自棄だった。なぜこのタイミングで口走ってしまったのかは、自分でもわからない。わからないことだらけなのだ。
「そう予言された。近いうちに死ぬって。当たるかどうかは、わからないけどね。でも、たぶん当たるんじゃないかな。なんとなくそんな気がするんだ」
モモの顔から、いつもの調子づいた色が消える。鳶色の瞳の奥に、私は〈作花〉ではないただの『百夜』の気配を感じた。いや、もしかしたら『百夜』ですらないのかもしれない少女の、本当の部分が覗いた気がしたのだ。
「へぇ……。そういうとこは、ワタシと同じなのか」
「どういう意味?」
今度はこちらが訊き返す番だった。
褐色の少女は平然と言う。
「ワタシも長くは生きられない。二十歳までには確実に死ぬってさ。あと数年もすりゃ、黄泉の亡者の仲間入りだ」
こいつのせいでな――モモは自分の胸を軽く叩く。
檻の中の犬神が、小さく喉を鳴らした。
初夏には投稿しようと思ったのに、だいぶ時間が空いてしまいました;;
その間に構想も変えたり変えなかったりで全然先に進めなかったのですが、とりあえず第二章投稿まで辿り着きました。
本編は第七章まで予定しているので、書き終える頃には年が2回くらい明けていそうですね;;
正直、仕事が忙しくて読書量も執筆量も減る一方で、思った通りに書けなくて苛々することも多々あるのですが、なんとか最後まで書ききりたいです。
楽しく書ければなんでもいいやという思いもあり、途中でキャラの性格が変わったりストーリーがご都合主義になったりする可能性大だよなぁ!?




