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【第一章】 溟き海は秋に荒れる

この娘を登場させると決めたのは、かれこれ3年ほど前だった気がしますが……ようやく出番が来ました。

矛盾が生じないように書くのって大変ですよね。

 アナタは、もうすぐ死ぬ。

 先日出逢った、朱きロザリオの少女――アリーチェ・チェンチはそう言った。

「もうすぐ死ぬ、かぁ……」

 頬杖を突いて窓の外をぼんやりと眺めながら、誰にともなく独り言つ。朝のホームルーム前、喧騒の教室。くだらない会話で盛り上がるクラスメートをよそに、私は鬱屈した気分に沈んでいた。

 ここ数日、晴れない心中を表したような曇り空が続いている。教室は薄暗く、太陽は分厚い雲に隠れ本日の業務をサボる気満々でいるらしい。

 もうじき秋が終わり、冬が始まる。

 あの出来事から――九ヶ月経った。

 できれば穏やかな季節を過ごしたかったのに、不穏な足音が日々大きくなるばかりで何も手につかない。それもこれも、アリーチェの予言のせいだ。

「雪ちゃん、大丈夫? 今日も調子悪いの?」

「あー、うん、いや、大丈夫。たかねの顔見て元気出た」

「それはどうも。でも、毎日雪ちゃんのそんな顔を見せられるわたしのほうは、全然元気が出ないのだけれど」

 縁なし眼鏡にお姫様カットの清純少女――常葉(ときわ)たかねは、毎日私の体調を気遣ってくれた。それほどまでに私から元気が感じられないということなのだろうが、如何せんどうしようもなかった。今日死ぬかもしれないのに空元気を飛ばせるほど、私は人生を悟れていない。

「たかねは優しいなあ。大人になっても、その心を忘れないでね……うう」

「何を言ってるのよ。本当に大丈夫?」

 何も手につかない。何をしたらいいのかもわからない。わからないから――いつも通り学校に通うことにしたのだ。日常というものを最も感じられるのが、学校だったからだ。

 進級時のクラス替えで春とは別々になってしまったのだが、たかねとはまた同じクラスになれた。春は千歳(ちとせ)さんと同じクラスで、新しい級友とも一応はうまくやっているらしい。

「もしかして……また、あの件で何かあったの?」

 たかねは不安そうに眉根を寄せる。

 九ヶ月前、たかねはとある事件に巻き込まれ、命を落としかねないほど危険な目に遭った。原因は――私だ。いや、細かく突き詰めれば私にはどうすることもできなかった多くの要因が重なったのは間違いないのだけれど、それでもやはりあの事件は私に原因があると思う。全ては私の弱さと――ありきたりなことを言えば、私に架せられた運命というやつが原因に違いないのだ。

 天神(アマツカミ)機関の医療施設に運ばれたたかねは入院中、様々な検査を受けたらしい。数日で解放されたものの、その後もアマツカミはたかね本人とその周囲を調査・監視していた。彼女は〈游泳する悪意(キリングダイバー)〉に憑かれ、私の異能による思念波の干渉を受けた上、無事に意識を取り戻した稀有な存在だからだ。

 もちろん監視対象になっていたことを本人は知らないだろうが――以上の理由により、たかねは私が所属するアマツカミ――公称GHEという研究機関について少しだけ知っているというわけだ(天神機関という裏の名はたぶん知らない)。

 ちなみにたかねの監視については半年ほどで終了し、本部管理課にある関係者名簿に名前が載ってしまったことを除けば、彼女の日常はアマツカミとは無関係な平穏を取り戻している。

「わたしじゃ何の力にもなってあげられないけれど……無理だけはしないで。夏の初め頃から――雪ちゃんがよく学校を休んだり早退したりするのって、何か理由があるんでしょう?」

「んー、うん、いや、全然平気。もうあの時みたいなことにはならないから、安心して」

「……安心できないよ」

 私の席は窓際で、たかねは廊下側だ。一年生の時のように隣同士ではない。それでも、私達は毎朝必ず挨拶を交わすし、昼食だって一緒に摂る。あの日『常葉さん』の本心に触れてから、私はたかねがずっとずっと好きになったのだ。

 そんな彼女が、私のことを心配してくれている。嬉しさもあるけれど、申し訳なさのほうが大きかった。

「雪ちゃん、思い詰めた顔をしてるもの。(はる)ちゃんに訊いても、最近なんだか様子が変だと言っていたわ。また何かに巻き込まれているの?」

「巻き込まれてるわけじゃ、ないよ。言ったでしょ? 私は自分の意志でGHEに協力してるの。ほら、ちょっと不思議な力が使えちゃうから」

「……雪ちゃんはわたしを助けてくれた。今でも信じられない出来事だったけれど――雪ちゃんがあの時の力を困っている人のために使うのだったら、わたしに止める権利はないわ。でもね、それでも――雪ちゃんが苦しむくらいなら、ほかの人なんてどうだっていい。もうあんな危険な目には遭ってほしくないの」

「たかねにしては珍しく感情的な物言いだね。でも、ありがとう。心配してくれて」

 たかねを不安にさせまいと、精いっぱいの作り笑いを浮かべた。けれど頭のよい彼女には簡単に感づかれるに決まっている。たかねには迷惑も心配もかけたくないのに。

 入学して一年と七ヶ月余り。アマツカミの寮を出て普通の高校に入った私に、優しい日常をくれたのは間違いなくたかねだ。非日常に連れ去られそうになる私を、今もこうして日常に繋ぎ止めてくれている。

「……バレンタイン、空けておいてね」

 俯きがちに、たかねはそう言った。

「来年も渡したいものがあるから、予約を入れておくわ」

 来年の、二月十四日。

 十七歳の誕生日はおよそ三ヶ月後だ。

 あと――三ヶ月。

「わかった。空けとく」

「約束よ」

 席へ戻るたかねの後ろ姿。それはまるで、私から日常がどんとん遠ざかってゆくようで、言い知れぬ不安だけがますます膨らむのだった。



 その日も私は、パーカにデニムパンツという当たり障りのない服装をしていた。私服の高校に通っていると必ず直面する、毎朝着る服を選ばなければならないという七面倒な作業に辟易としていたからだ。

 高校に入学して一週間で、おしゃれなんてものは放棄した。(れい)さんから服を買う分のお金はもらっていたけれど、いつも似たような服を着ていたし、わざわざお金を使う気にもなれなかった。アマツカミの『生徒』時代――特殊技術科学校、通称『特科』の中等部にいた頃は常に制服かトレーニングウェアだったから、私には洋服を買いに行くという文化が根づいていなかったのだ。

 そもそも、私にはどんな服も似合わない気がしてならない。ひらひらした可愛い服なんて論外だし、だからと言ってボーイッシュな格好にも違和感ありだ。

 長かった髪は、アマツカミに足を踏み入れた時にばっさり切った。あの日まで私は、可愛くなりたいと願うあくまでも普通の女の子だったけれど、そんな『普通』は髪と一緒に切り捨てられ、私は夢みる女の子にも恋する女の子にもなれなくなった。

 百七十センチちょっとの、無駄に高い上背。生まれてこの方肥満とは無縁の、ひょろりとした細身。目つきが悪いとたびたび指摘される細い目。可愛さとは無縁の顔立ち――時が経つに連れ、それらが私をさらに『女の子』から遠ざけたのだった。

 そして一年ほど前、そんな私が思い描いた『小さくて可愛い女の子』を具現化したような少女が現れた。

「春って、可愛いよね」

 夜、自宅マンション。

 歯磨きを終え、うがいをしていた荒野(あらの)春日子(はるひこ)は派手に()せた。

「……なんだ、急に」

「いや、一緒に生活してると慣れてくるもんだけどさ、未だに可愛いと思えるってことはやっぱり相当可愛いと思うんだよ」

「はあ?」

 呆れ顔で寝る仕度を進める春に、私はなおも話しかける。

「学校でさ、男子に告白されたりしないの?」

「ふん。あたしは姉様一筋だからな」

「寄ってくる男はいっぱいいそうだけど」

「視界から男の存在を消す超能力が使えるようになったんだ」

「はあ、そうですか」

 春にそういった才能はない。異能力者だらけだと云われる一族の生まれではあるが、春に奇蹟は宿らなかったからだ。

 緩やかに波打った砂色の長い髪。赤い血が透けるほど白い頬、深く澄み渡る黒い瞳。長い睫毛に、二重瞼が美しさを添えている。形のよい鼻。小さな唇は花弁のようで――そして。

 子宮のない女の子だ。

 特殊な生い立ちのせいで苦痛の幼少時代を過ごした春は――やがて黎さんの『妹』となった。春は黎さんに思慕の念を抱いているが、その想いが尊敬なのか依存なのか、それとも恋なのか愛なのか、私には推し量れない。ただ、二人を繋ぐ絆がとても強固であることは容易に理解できる。

「黎さん、いつ帰ってくるんだろ? 連絡来てない?」

「来ていない。二週間前に出かけたきり、音沙汰なしだ」

「うーん、電話も出ないし、一度テレパシーも試したけどだめだったんだよね。話したいことがあったんだけどな……」

「話したいこと?」

 春が訝しげに言う。二人ともパジャマ姿だけれど、可愛らしい花柄チュニックの春に対して、私は動きやすいスウェットを着込んでいた。

「それはあれか? 最近お前が思い悩んでいることか?」

「思い悩んでって……そんなふうに見える?」

「見える。いつにも増して幸薄そうな顔をしているぞ」

「そりゃ元からだっての」

 軽口は気を遣ってくれている証拠だ。

 春に先日の、葛籠の男とアリーチェとの一件を話すべきかどうか悩んだけれど、結局今日まで内緒にしたままだった。もうすぐ死ぬかもしれない――だなんて、突拍子もない上に非現実的な狂言、普通なら失笑を買うだけだ。いくら超常現象に通ずる春といえども、鼻であしらわれて終わりかもしれない。

 それに、もし本当に死んでしまうなら話したところでどうにかなるものでもないし――という、諦観にも似た気持ちがあることも否めなかった。

 春を信頼していないわけではない。けれど心の片隅で――春は『こちら側』の人間ではない、という認識があった。それは出会ってからずっと感じていたことだ。

 春と私は住む世界が違う。だから、できるなら春には関わってほしくない。事情を話せるのは、『こちら側』にいる黎さんだけだと思っていた。

 黎さんには――伝えなければならないのだ。

「ねえ」

「なんだ。もう寝るぞ、あたしは」

「一緒に寝よ」

 自室に向かおうとしていた春が硬直した。瞬きを繰り返し、ややあって口を開く。

「……はい? 今なんて?」

「一緒に寝ようよ」

「……理由を聞こうか」

「いいじゃん。いつも黎さんとは寝てるじゃん。それとも何? 心の狭いお姉ちゃんは妹とは一緒に寝たくないってわけ?」

「む」

 春の顔色が変わった。一緒に暮らしていてわかったことだが、春は意外と負けん気が強いというか煽りに弱いというか……単純な部分があるのだった。

「いいだろう。妹の頼みだ、仕方なく聞いてやるとするか」

「さすがお姉ちゃん! 優しいなあ!」

「ふん」

 春は私と同級生だけれど、年齢は一つ上。学校では見せない、姉としての可愛いプライドがあるのだった。

 協議の結果、春の部屋で寝ることになった。春の部屋は相変わらず殺風景な私の部屋と違って、女の子らしい調度が揃っている。花柄のラグ、淡い色のチェスト、二人掛けソファにカラフルなクッション。クローゼットには衣服がぎっしり詰まっている。

 壁に飾られたフォトフレームには、春と私と黎さんと――夏休みに三人で撮ったたくさんの想い出。

 私達の――日常。

「……いや、むしろこっちが非日常なのかな」

「何か言ったか」

「なんでもない」

 評議するまでもなく、春のベッドで二人一緒に寝ることになった。決定事項なので、抗議は受けつけていない。

 一人でなら広いベッドも、二人となるとさすがに狭かった。けれど秋寒の季節、朝方の冷え込みを考えると暖かくてちょうどいいかもしれない――なんてことを考えながら同じ布団に潜り込む。

「ねえねえ春さん、せっかくだしお話しません? ガールズトークしよ」

「気持ち悪いことを言うな」

「お題は黎さんのエロいところについて。私はあれだね、いつも膝下スカートなのにたまにニーソ穿いててさ、ちょっとこう、風でスカートが捲れた時に少しだけ太腿が覗くところだね。あれやばくない? そそるよね」

「寝る」

「黎さんって今何歳だっけ? 二十七、八? あー、私もあんな女性になれたらなー」

「寝るぞ」

 春と私。

 暗がりに二人。

 誰かと同じ部屋で眠るのは、特科の学生寮で暮らしていた時以来だ。四人部屋だったあそこには当たり前だけれどベッドが四つあったから、同室の子と同じ布団で眠るなんて機会はない。

 誰かと一つの布団で一緒に眠るのはいつ以来だろう――遠い昔の記憶だ。

 春は私に背を向けて就寝態勢に入ってしまったので、私も目を閉じた。背中を丸めて膝を抱える。

 ――今日も生き延びた。

 今日は死ななかった。でも、今夜眠ったらもう二度と目を覚まさないかもしれない。死ぬのは明日? 明後日? それとも来週? あの予言が本当なら、もう時間は残っていないのだ。

 アリーチェの連絡先を聞き出しておけばよかった。まだ日本にいる可能性もあるし、あの予言に関してもう一度訊いてみる必要がある。

 ――私が死んだら、春は悲しんでくれるかな?

 たかねは怒るかも。死んだ私に向かって延々と文句を言いそうだ。学校のみんなは――たぶん、私じゃない誰かが死んだ時もそうするように、日々の流れの営みとして悼んでくれるのかもしれないけれど……。

 瞼の裏で、過去と現在の風景が黒く渦巻いている。春との出逢い。たかねとの時間。果たさなければならない、黎さんとの約束。

 そして――遠い日の幸福。

 私は幸せだった。全てが望み通りになるはずはなかったけれど、それでも手の届く範囲に確かな幸せを感じられていた。ちっぽけな人生に不満はなかった。

 私は幸せだった。――全てが激変したあの日までは。

 ああ、どうして私ばかりこんな目に遭うのだろう――なんて悲劇の乙女みたいな台詞、罪科の猿轡を噛んでいる私にはとてもではないが口にできない。過去から逃げようとは思わないけれど、立ちはだかる現実を直視すればきっと私の心は壊れてしまう。だから少しだけ目を逸らして、深く考えすぎないように生きる術を身につけた。

 けれど夜は独り、逃げ場がない。瞼の裏に映る現実からは目を逸らせない。

 なんだか今夜は、怖い夢を見そうな気がする。眠るのが怖い。あの日から何度も見た悪夢は、今も時々襲ってくる。悪鬼を殺しても、悪夢は死ななかった。

 子供の頃は、私を怖い夢から守ってくれる人がいた。

 その人は今――どこにいるのだろう?

 洟を啜る音が、暗い部屋に浸みる。目から垂れた液体が枕を濡らして気持ち悪い。

 そっと手を握ってくれた春に、私は何も返せなかった。



 翌朝、私は仮病で学校を休んだ。

 理由を深く訊いてはこなかった春を見送り、仕度を整える。ブルゾンにジーンズ、メッセンジャーバッグ。バッグの中には、最近入れっ放しになっているアートナイフ――お母さんの形見。柄に白いスノークォーツが埋め込まれた三十センチ強のそれは、葛籠の男と戦った時以来、布に包んだままだ。

 電車に揺られ、バスに揺られ、都心から離れるように歩みを進める。ビルもアーケードもない郊外に広がる、フェンスで囲われた敷地。いったい何の会社なのか施設なのか――この塀の中を知らない人達は、物々しく重々しい異様な雰囲気を感じているようだ。

 表の名をGHE。

 裏の名を――天神。

 ここは特別な権力が集中した超法規的機関〈天神〉の中央本部だ。

 正門の警備員に訝しそうな目つきをされながらも、問題なく敷地内へ入れた。本部を出入りできる身分証にはいくつかの種類があるが、私が提示したのは緑色の正規職員証だ。青色の予備職員証でも黄色の特科学生証でもない。私の年齢で緑色のICカードを持っているのは珍しいのだ。

 時刻は正午前。少し早めの昼食を摂りに、食堂へ向かう人がちらほらと見えた。ほとんどが制服である黒いスーツ姿だが、中には私服の人もいる。後者は登録証を所持している一般人か、もしくは規則を無視した職員だ――黎さんみたいな。

 目的の場所へ行く前に、ちょっと立ち寄りたい場所があった。本部管理課、研究課、会計課、教育課、業務課……と、『表』の職員が勤務している建物を通り過ぎ、奥へ進む。

 葉を落とした木々が並ぶ道の先、着いたのは二階建ての古びた宿舎。

 特殊技術科学校の女子寮だ。

「なーんにも、変わってない」

 感慨に浸ることなんてないと思っていたけれど、実際に目にしたら勝手に言葉が漏れた。

 ずっと近づかないようにしていた場所。

 二年ほど前まで私の『家』だった場所。

 普通の子が中学校に通う三年間を、私はこの狭い寮で過ごした。

 ここで暮らしているのは、十二歳から十八歳までの三十人ほどの少女達。当時、特科の生徒は男子と合わせても百人もいなかった。今もそう変わらないだろう。

 全国から集められた、超能力や異能力を扱える少年少女。彼等の大半は親の同意の下、ここに送り込まれた――というか、口止め料と引き換えに無理やりにでも同意書を書かされるのだが。

 しかし、衣食住完備で学校教育と変わらない授業を受けられ、手当ても出る――その条件に笑顔で頷いてサインをする親がいるのも事実だ。

 もっとも私の場合は、ほかに行くところも、帰るところもなかったのだけれど。

「あれっ、もしかして――ゆっきー?」

 玄関から一人の少女が出てきた。ブラウスに赤いネクタイ、生徒用の冬制服を着用した、見るからに快活そうな少女だった。

「あ……」

 しまった。

 誰かと会うつもりなんてなかったのに。

 咄嗟の言葉が出てこない。久しぶりに顔を合わせた生徒時代の同期を前にして、焦って口をぱくぱくとさせてしまった。

「あたし、(あや)だよ! 斎藤綾! 覚えてる? うわー、懐かしい! 元気だった!?」

「あ、う、うん。……久しぶり」

「うわーうわー、懐かしいー! どうしよー!」

「ど、どうもしなくていいよ……」

 溌剌とした声を上げて飛び跳ねている少女の名前は、斎藤綾。別室ではあったものの、三年間も一緒に生活した仲だ。少し大人っぽくなったとはいえ愛嬌のある笑窪は何も変わっていなくて、その笑顔を見た途端、二年弱という時間の溝は一瞬で埋まった。

 土が詰まっているだけの花壇の横で、彼女は再会を喜んでくれた。私は嬉しいのと煩わしいのとが綯い交ぜで、複雑な気分になった。

「今日はどうしたの? 仕事? ゆっきーって正規職員になったんでしょ?」

「うん……よく知ってるね」

「だっていきなり三等術士(じゅつし)になったんでしょ!? 討滅課の! いろいろすっ飛ばしすぎじゃね!? 大丈夫なの!?」

「あー……」

 ほら来た。

 生徒は様々な能力を保有する集まりではあるが、教育課程を終えたあと捕縛課や討滅(とうめつ)課、武器課や輸送課など、『奴等』と直接接触する機会が多い職種――つまり〈地祇(クニツカミ)〉を志願する者など皆無だ。大抵は二等諸士(しょし)に昇任して『表』の仕事に就くか、予備職員としてほかの仕事を掛け持ちしながら暮らすかだ。あんな危険な仕事を進んで目指すのはよほどの物好きか、黒い理由を抱えたやばい連中くらいだろう。

 クニツカミに所属する人達は一部の生徒出身を除き、黎さんのように外部から来た凄腕だったり、元からそういった仕事に携わる家系だったり、出自や経歴も不明な強面だったりと、どう考えても普通ではない異能者にして異常者集団というイメージが強い。

 そこに私みたいな頼りない高校生が加わったら――そりゃ騒ぎにもなるってもんだ。

「それが案外大丈夫なんだよ。三術(さんじゅつ)って言ったって、お手伝いみたいなものだからね。去年たまたま人助けをしたら表彰されちゃって、そのままとんとん拍子で昇任しちゃっただけだから。それより、斎――」

 なんと呼ぶべきか、一瞬迷った。

「――藤さんは、進路どうするの?」

「あたしはこのまま二諸(にしょ)まっしぐらだよ。就職先に困らなくて済むし」

「大学には行かないの?」

「うちお金ないし、バカだから行けないよ。それに、朱子(あけこ)も行かないって言ってたから」

 朱子とは、自己催眠能力を持つ同期の少女だ。複写能力を持つ斎藤さんとは同室で親しく、しかしいつもトラブルを起こすことで有名だった。

「ていうか、みんなを呼んでこよっか? 食堂に行くからそろそろ出てくるかもしれないけど」

「いや――いいよ。もう行くから」

 早く立ち去らなければ。

 二年前、私は逃げるつもりで――二度と戻らないつもりでここを飛び出したのだ。どうすることもできない何かを変えたくて。外に出れば何かが変わると期待して。当時の私は今よりもっとスレていたし、たぶん、同期に対して酷い態度や無愛想な受け答えをしていたと思う。そんな過去を突きつけられるような気がするから、同期に会うのは嫌なのだった。

 去り際に斎藤さんが言った。

「あ、そうだ。外の高校ってどう? 楽しい?」

「……うん、楽しいよ」

「そっかー。いいなあ~、あたしはここしか知らないし。小学校が懐かしいよ」

「斎藤さんって、なんで特科に来たんだっけ」

「あたし? 陸上で短距離やっててさ、小五の時、招待レースで実業団の男の人と一緒に走ったんだよ。そしたら十秒台出しちゃって、ソッコーでアマツカミが飛んできた。いやー、無意識にトレースしちゃってたみたいなんだよね~。今はもう、見ず知らずの他人と同じ運動能力を手に入れるなんて、できなくなっちゃったんだけど。中学からは娘を特科に入れるって親が契約しちゃったから、仕方なく入って……ほんと最悪だよ!」

「……なるほど」

 そういえばそんな話を耳にしたことがあった。

「私も――小学校が懐かしいな」

「あ、やっぱり? ゆっきーはテレパシーが原因だっけ。よくある広報に騙されて誘拐されちゃった系?」

「そうそう。見えちゃいけないものが見えたり、脳内に変な声が響いたり。いかにも電波受信してまーすって小学校で騒ぎになっちゃって……あっという間にアマツカミに拉致された」

 ごめん。

 嘘だよ、斎藤さん。

 あの三年間はみーんな嘘。

 私は誰にも、一度たりとも、本心を打ち明けなかった。本当のことを話さなかった。

 もう少しみんなとの距離を縮められたのではないかと思い返すこともあるけれど、塞ぎ込んでいた当時の私はそんな精神状態になかったのも事実だ。誰の声も耳に入れず、差し伸べられた手にすら気づかないふりをしていた。

 否定したい過去だ。

「そろそろ行くよ。用事があるんだ」

「そっか。会えて嬉しかったよ! またね!」

「うん。――またね」

 今日は風が強い。冷たい風に背を押され、早足で寮を後にする。一度も振り返ることなく、二度と来ることはないであろうかつての家に別れを告げる。脚に絡みつく寂寥感を引き剥がし、私は目的の場所へ向かった。



「ひーちゃんを連れて逃げてしまいたい」

 ベッドの横の椅子に座り、彼女の顔を見つめ続ける。時間が止まった部屋で、無意味な時を刻むように微かに上下する胸。痛々しい静けさの中に、私の言葉が溶けてゆく。

「でも、それはできないから――だから、これが最後」

 星河(ほしかわ)灯雨(ひさめ)

 私が『好き』な女の子。私とは違う『スキ』をくれた女の子。

「最後だから」

 身を乗り出し、ひーちゃんの顔を両手で包む。

 そして、深く、長いキスをした。

「さよなら、ひーちゃん」

 そして、ごめんなさい。

 本当に、本当に――ごめんなさい。

 全てが終わってしまったあの日から一度も口にしなかった別れの言葉を、私はひーちゃんに告げた。さよなら。別離の挨拶。返事はない。当たり前だ。結局のところ、別れの瞬間を引き伸ばしてきただけなのだから。私は知っていたはずだ。覚悟を決めていたはずだ。

 もう、ひーちゃんの意識は戻らない。

 ただ枯れ逝くその時を待つしかない、縛られた花。ひーちゃんが目を覚ましたら、何を言おう。何を話そう。何を伝えよう――なんて、古傷を舐めるだけのくだらない妄想に過ぎないのだ。

 自分はもうすぐ死ぬかもしれない。死んだら、ひーちゃんに会いに来ることもできない。けれど会いに来たからといって、何かが変わるわけでもない。あの日暴走した私の力で意識を失ったひーちゃんは、ひーちゃんの意識は、どんなに願っても――きっと、たぶん、もう回復することはないのだ。

 謝ることも、想いを伝えることも、もうできない。たとえ謝れても、許してはくれないだろう。喪われた命はあまりにも多く、失われた時間もまた然りだ。そして、たとえ想いを伝えられても――結果はあの日と同じだ。

 私の『好き』と彼女の『スキ』は、違うのだから。

 私は彼女への『好き』を永遠に叶えられないけれど、罪と引き換えに彼女との『キス』を手に入れた。何度も何度も。そのたびに小学生の時に読んだ本を思い出した。吸血鬼(カーミラ)少女(ローラ)を愛していると言った。貴女を愛しているのよと。どんなに嫌がられようと拒まれようと、愛撫したり抱き締めたりするのをやめず、少女の首筋から夜な夜な血を啜る鬼の女。まるで私みたいじゃないか。奪っているのは血ではなく唇だけれど、ひーちゃんの純真な心を裏切って、私は悪いことをし続けた。そして物語の最後に、吸血鬼は惨めに死ぬのだ。

 だから、今日が最後。

 きっと、もう会うことはない。

「さよなら」

 病棟の廊下を歩いていると、背後から風を感じた。窓なんて開いていないのに。階段を下りる。また風が吹いた。

 ――お前だけ楽になるつもりか。

 呪うような低い声が聞こえる。幻聴だ。責められた気になれて、手軽に悲劇の乙女ぶれる、私が創り出した都合のいい幻影だ。

 受付で面会証を返納し、外に出る。

 風は止んだ。

 まるで自分の足じゃないみたいだ。ふらふら。ゆらゆら。何度も転びそうになりながら、正門を通って中央本部を後にする。そこからはまるで取り憑かれたように知らない道を歩き続けた。とにかく歩きたかった。歩みを止めてはいけない気がした。

 気づいたら辺りは随分と薄暗くなっていた。

 秋の日は釣瓶落とし。昼と夜の狭間、宵闇迫る時の隙間。空一面を覆う雲は不気味なほど真っ黒だ。

 陽は沈み、宵は夜に呑み込まれた。

 冬へ向かって疾り抜ける、一陣の冷たい風。

 名前も知らない通りを、私は一人進む。

 何かを目指している?

 ――わからない。

 誰かを捜索している?

 ――わからない。

 わからない――けれど。

 導かれるように、誘われるように、私は『そこ』へ往く。

 そう。

 きっとこんな夜だ。

 私を殺す――死神が現れるのは。


「よう、死神」「こんばんは、死神さん」


 同時に交わした言葉。

 はじめから知っていたように、私は彼女との邂逅をすんなり受け入れた。一方、彼女は小首を傾げて疑問を口にした。

「死神? おいおい、そりゃてめえのことだろうが――ってお前、ワタシのこと知ってるのか?」

「いや、知らないけど。はじめまして」

「はあ? 意味わかんねえな。……まあいいや」

 人影のない、かろうじて車一台が通れる程度の間道。ちかちかと点滅する頼りない常夜灯に照らされた女は、くっきりした目鼻立ちのハーフっぽい容貌をしていた。肌の色も褐色に近い。アンバーブラウンの髪は後頭部で無造作に束ねられ、勝気な性格が容姿に表れているのが見て取れた。黒いワンピーススーツを着ているためか大人びて見えたが、背丈は私より小さいし、よく見ればまだ幼さの残る十代の少女だ。

「お前を殺しに来たぜ、砂原(すなはら)雪花(ゆきばな)

 よく通る声で、褐色の死神は宣告した。

 やっぱり、この女が私の……。

 心臓が早鐘を打ち、じわじわと汗が噴く。血管の中を火が走っているみたいだ。呼吸を落ち着かせ、心の内から弱気を追い払い虚勢を張った。

「待ってたよ。待ちくたびれた」

「何?」

「でも――もしかしたら、今日じゃないのかもしれない。その時がいつなのかは、まだわからない。だから――」

 額の中心――眉間白毫相(みけんびゃくごうそう)に血液を集中させるイメージを描く。ESP――超感覚的知覚能力を高め、己の意識を溟海へと潜らせた。

「虚勢と一緒に、意地だって張ってやる……!」

 たとえ予言通りに死神が現れようと――できうる限りの抵抗を貫いてやる。決意を固めた私は、常人には視えない雪白(せっぱく)の光を纏い宣言した。

 頭上に疑問符を浮かべていた死神は、それを振り払い唇を歪ませた。

「ハッ、いいぜ――そう来なくちゃ! 精々楽しませてくれよ。ワタシはお前に会うのを楽しみにしてたんだからなッ!」

 女の体がスパークした。肢体からじんわりと靄が滲み出すのではなく、カメラのフラッシュのように発光したかと思えば、瞬時に桃花(ももはな)色の霧を噴き出したのだ。

 黎さんと共に多少の経験を積んできたからこそ理解できる、歴然たる実力差。

 異能遣いであることに今さら驚きはしないが、どうやら術者としての力量に圧倒的な差があるらしい。しかし、だからと言って無抵抗で殺される気はさらさらない。

「そうだ、貴女の名前は?」

「名前? 仕方ねえな、教えてやるか。ワタシはサクハナ・モモヨ。作る花でサクハナ、百の夜でモモヨ。作花(さくはな)百夜(ももよ)だ。職業は殺し屋。モモって呼んでくれよ」

「モモ。わかった、モモね」

「似合ってねえと思っただろ、おい」

「いや全然。モモは何歳?」

「十八」

「そう。私は砂原雪花、もうすぐ十七歳。高校生兼――なんだろ、害虫駆除屋みたいな?」

「知ってるよ――何年も前からなッ!」

 秋の夜に桃花の光が煌めく。全身から(くら)き火花を散らしながら、褐色の死神が襲いかかってきた。相手は素手。モモとの距離は十メートル以上あったが、彼女がその小さなパンプスで地面を蹴った直後にはそんな数字は消し飛んだ。右手を振り上げ眼前に迫りくるモモ。その光景を、私は引き伸ばされたアインシュタイン時間の中から見ていた。

 時間感覚の操作による認識速度の向上。脳と筋肉の働きが変わり、常人ではありえない超感覚的知覚が生まれる。

 異能力。

 ESPの応用。

 研ぎ澄まされた高き意識の光は、織り重なったもう一つの世界――溟海(めいかい)へと渡り、再度こちらの世界へ回帰するという。本来干渉できないはずの境界を越えた際になんらかのエネルギーが生まれ、局所的な事象変異をもたらすのだ。

 振り下ろされた右腕をすんでのところで回避。肩に掛けていたメッセンジャーバッグが大きく弾んだ。バチバチと焚き火が爆ぜるような音。火花が迸る左腕が振り払われると、電柱に立てかけられていた工事看板が真っ二つになって転がっていった。

「なっ……」

 戦慄。

 なんという威力。素手で看板を引き裂くとは。

 見るとモモの手の指先からは――輝く爪が生えていた。線香花火のように桃花色の火花を撒き散らす、十本の巨大な爪。

「どうした人殺し! そんなもんかぁ!?」

「人殺し……!?」

 襲来する爪の攻撃。超感覚的知覚による筋力強化を全開で駆使して逃げる。しかし時間の問題だ。強化できるといっても、私の運動能力なんて高が知れている。

「私は、好きで人を殺してなんか……!」

「ハッ! よく言うぜ、この殺人鬼がッ!」

「…………ッ!」

 黎さんの黎黒霜刃(れいこくそうじん)と似たタイプの、物体を切り裂く力か。溟き光があらゆる物体を切断する事象変異を起こす異能。単純だからこそ強く、『こちら側』であの種の攻撃を防ぐ方法はない。一方向性干渉の異能を防ぐには、同じく『あちら側』で防衛するしかないのだ。

 バッグに手を突っ込み、アートナイフを取り出す。巻かれた布を放り、錆びた刃をモモに向けた。

「ねえ、なんで私のことを知ってる?」

「お、ようやくやる気になったか。ワタシに勝てたら教えてやってもいいぜ。見せてみろよ、お前の溟海法(めいかいほう)を」

「めいかいほう?」

「異能のことだよ。『キュウセン』じゃそう呼ぶんだ」

 雷の如き光芒を放つ爪の軌跡に合わせて、ナイフを振るう。雪白氷刃(せっぱくひょうじん)。桃花の紫電と雪白の短剣が接触した瞬間――劫へと引き伸ばされた刹那の中で、膨大な思考の奔流が頭の中に押し寄せた。流れ込む心象風景をパズルのように、順序よく、秩序立てて並べ、標的の攻撃意志、敵対心――即ち悪意を刈り取る!

 結果、ナイフは切断されることなく、モモの右手の爪が霧散して消えた。返す刀で胴を狙うも、雷のような迅さでモモは動く。

 死神との対峙は続く。

「驚いた。意識を刈り取るってのはこういうことか……。砂原雪花――お前はその力で」

 何人殺したんだ、とモモは問うた。

「知ってるんだぜ、ワタシは。お前があの日何をしたかをな」

 やはりこの女は、私の過去を知っている。

 作花百夜と名乗った女。実はどこかで会ったことがあるのだろうか。記憶にないが――しかし、向こうが私を知っているのは確かだ。

「あれ以来、何人殺したんだよ。その力で」

 何かを期待するような口調でモモは言った。

 いったい、この女は私に何を見ているのか。

「私は……誰も殺してなんかいない。あの日以来……誰も」

「は?」

「私は誰も殺してない」

 はっきりと告げる。

 モモは唖然としたように口を開けたまま、固まってしまった。そして一転――哀しそうな表情で言う。

「……なんだよ。がっかりだぜ。てっきり、ワタシと同じかと思ったのに……」

「え?」

 モモの周囲に溢れていた桃花色の霧が消えていき、現実が呼び戻される。何がショックだったのかはわからないが、すっかり意気消沈といった感じで肩を落としていた。

「……帰る。もうお前に用はないし」

「え、ちょっと、私を――殺しに来たんじゃないの?」

「ん? ああ、まあ、そうなんだけど……いいよ、もう」

「よくない。説明して」

 どういうことだ? この女に殺されるのだと直感的に察知したつもりだったのに、てんで見当外れだったのか? 予言の時は今じゃない?

「殺し屋なんでしょ? 誰かに頼まれて私を殺しに来たんじゃないの?」

 夜の裏通りで、ナイフ片手の高校生がワンピーススーツの女を問い詰める光景は、我ながら異様なものを感じる。

 モモはまるで遊ぶのに飽きてしまった子供のように、退屈そうに答えるだけだった。

「別にそれは問題じゃないからいいんだよ。それより――なんでワタシを殺そうとしなかった?」

「え?」

「ワタシはお前を殺すつもりだった。事と次第によってはな。でもお前からはこれっぽっちも殺意を感じなかった。どういうつもりだ?」

 モモは私を睨みつけた。一重瞼の私とは違いぱっちりとした二重瞼をしているので、凄んでみせてもあまり怖い顔つきではなかった。

「まさか、黙って殺されるつもりだったなんて言わないよな?」

「私は――もう誰も殺さない。人を傷つけるために、力は使わないと決めてるんだ」

「……嘘だね。それはお前の本心じゃない」

 つかつかと歩み寄ってきたモモが私の顔を覗き込んだ。見上げられる形は慣れているはずなのに、妙にどきりとした。鳶色の瞳の奥に潜む妖艶な悪魔に魅了されるような感じがしたのだ。

「見栄を張ってるんだろ? 綺麗事を並べたいだけなんだろ? あの日からお前は、何を考えて生きてきたんだ? むかつかないのか? ぶっ壊したくならないのか? 世界を、他人を、お前を利用しようとする奴等を、お前は怨まないのか?」

「わ、私に、そんな権利なんて……」

「砂原雪花。お前はワタシと同じはずなんだ。だからワタシは――」

「わっ」

 突然、モモが寄りかかるようにして背中を私に預けてきた。ポニーテールが顔の前で跳ね、今度は別の意味でどきりとした。

「な、何?」

「――来た」

 モモは短くそう言った。

 彼女がじっと見据える先。どこまでも続いているかに見える寂れた道路、その向こうから――奴等は現れた。

「四体、いや五体か。一度にこんなに来るなんて初めてだぜ」

「なっ……!?」

 そこに現れたのは――虚ろな目をした五人の男。彼等は一様に肢体から赤い靄を垂れ流し、色のない貌をこちらに向け、ゆっくりとした歩みで近づいてきていた。

「汚染体……! なんで、いきなりこんな場所に……!?」

 しかも、五体も同時に遭遇するなんて前代未聞だ。これはいったい――

 ぐいと服を引っ張られ、私の疑問は中断された。

「とりあえず場所を変えるぞ。話はそれからだ。ワタシについてきな」

 言うなり、モモは逆方向へと駈け出した。並走しながら私は叫ぶ。

「どういうこと!? 何か知ってるの!?」

「安心しろ、あいつらの狙いはたぶんワタシだ。あいつらはワタシを追ってくる。ほかには興味を示さないんだよ。だからこのまま付かず離れず走って――そうだな、あの工事現場がいい。あそこまで誘導する」

 モモが示したのは、工事中と書かれた開けた場所。砂利が敷き詰められ、人気もなかった。

「よし、ちゃんとついてきてるな」

 振り返ると、汚染体はぞろぞろと足並みを揃え走っていた。汚染されているとはいえ、スーツだったり作業服だったり私服だったり、別々の服を着た男性が一緒にばたばた走っている光景は気味が悪い。

 モモの言う通り、汚染体達は私達を追って工事現場に進入してきた。

「ど、どうするの!?」

「うるせえな、決まってんだろ」

 上着の内ポケットから抜かれた手には――拳銃が握られていた。いわゆるポケットピストルと呼ばれる超小型拳銃だ。

「――引き咲け、屍人花(しびとばな)

 手早く弾倉を込め安全装置を解除し、今にも飛びかかってきそうな男に有無を言わさず――発砲。桃花色の火花と共に、乾いた音が鳴り響いた。

 腹部に小さな穴が開いた男だが、しかし倒れない。頭を撃ち抜くならともかく、汚染体相手に拳銃の弾で腹部を狙っても火力不足だ。キラー相手には威嚇にもならない。

 それでもモモは、二人目、三人目と、全員の腹部に一発ずつ正確に命中させる。ちかちかと桃花色の火花が散った。

「た、大して効いてないんじゃ」

「戦う気がない奴は引っ込んでな。誰も殺したくないんだろ? ならワタシが代わりに殺ってやるよ」

 誰一人倒れはしなかったが、しかし汚染体は動きを止めていた。モモは彼等の様子を窺うこともせずに、地面に落ちた薬莢を拾い始めている。

 そして。

 あまりにも現実離れした凄惨な現象に、私は目を疑った。

 男の腹部から頭頂にかけて、巨大な棒状の何かが飛び出すように生えてきたのだ。血と肉が弾け飛び、びちゃびちゃと周囲に散らばる。やがて、人体を縦に引き裂いて生えてきたそれの先端に――真っ赤な花が咲いていた。

「何、これ……?」

 連鎖反応的に、それはほかの四体でも引き起こされた。

 形容しがたい異様な光景だ。人体を引き裂いて、人間の内部から巨大な花が咲いたのだ。血の色をした花は、大きさを除けばよく知っている種類だった。

「彼岸花だよ。もっとも、ワタシのは血と肉を食べる特製の〈屍人花〉だけどな。汚染体を完全に破壊するのにはこれが一番いい。ちゃんと綺麗にしてくれるし」

 屍人花。

 彼岸花には地獄花や幽霊花など、数々の異名がある。屍人花もその一つであり、様々な迷信が付き纏う花ではあるが、だからと言って植物が人を殺すわけがない。これは間違いなく、彼女の異能だ。

 だが、しかし――いくらなんでも異常すぎる力だ。如何な超常的異能力といえど、世界の摂理をあまりにも無視していないか。

 血液を吸ったのか、深い緋色に染まった花は、今度はあっという間に萎れて枯れた。砂のようにさらさらと風に紛れ、完全に消えたのだった。

 私は目を逸らして、込み上げてきたものを無理やり嚥下した。

「なんなんだ……今の」

「特殊カートリッジ。種子を内蔵したホローポイント弾で、人体に種を植えつける。ワタシの念を籠めた『種子』は人の内部で花開くってわけ」

「私ならっ、私の力なら殺さなくても助けられたっ!」

「あ? 助けられた? ハッ、笑わせんな。お前のはただ単に死を先延ばしにするだけじゃねえか。それに、助けたかったんならなんで動かなかった? ワタシを制してお前がこいつらを助ければよかったじゃねえか。それをしなかったのは――無駄だと思ったからだろ? 一度キラーに憑かれた奴の意識は、もう戻らない。どうせこいつらの意識はキラーに喰われちまったんだ。一生目覚めることなくただの肉の塊として眠り続け、最後に献体として医学の発展に貢献しました――それで終いだ」

「そんな、ことは……」

 何も返せなかった。

 まるで、心を見透かされているようだ。

 私は彼女を見た。

 どうして私のことを知っていた?

 どうして汚染体に狙われている?

 どうしてそんな異能力が扱える?

「貴女――何者なの?」

「言っただろ。ワタシは作花百夜」

 殺し屋だよ、と褐色の少女は言った。



 彼女のキスが私から全てを奪ってゆく。

 いや、むしろ奪っているのは私のほうなのかもしれない。

「大変な目に遭ったね~! でも大丈夫、次に会った時は私がビシッと言ってやるんだから!」

 無邪気に意気込む銀花(ぎんか)を見て、私も笑みを零す。

 銀花の腕の中で、私はうとうとと微睡んでいた。

「あの女とお別れしたと思ったら、まーた別の女が近づいてくるなんて、ほんとついてない! 無視よ無視!」

「だめだよ。モモとは明日また……会う約束したから……」

「ヘビーショック!」

 拗ねていじける銀花の顔も可愛い。もうちょっと見ていたかったけれど、可哀想だからキスで機嫌を取る。

「んっ……冷たい」

「えへへ。でも、気持ちいいでしょ?」

 もっとほしがろうとする銀花に、今日はもう終わりと告げる。

「もうすぐ、約束の刻が来るんでしょ……? それまでお預け」

「意地悪~」

 私は銀花の頭を撫でた。澄み渡る冬の氷柱のように、透明な光を湛えた長い銀髪。一糸纏わぬ真っ白な深雪の肌。それら全てが、とても愛おしく思える。

「おやすみ銀花。また明日」

「わかった。じゃあね、雪花。また明日!」

第二章は初夏を目標に書いていきたいです。南無。薄々感づいてきましたが、これたぶん今年中に書き終わらない気がしますね……。

10~12万文字を目処にまとめたいのですが、1ヶ月で1万文字がやっとのこの状況では……;;

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