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短編

恐れるべきで、恐れられないもの

作者: 阿江

 八代(やしろ)は酷い八方美人だ。


 何故そんな性格になったのか。それは彼女の両親に関係する。ギャグとしか言いようがないくらい、彼女の両親は完璧だった。容姿・頭脳・性格すべてが満点。何か一つ抜けてる方が愛らしくてよかったのかもしれないが、そんなことはなく、抜けめなく、なんでも完璧だった。

 親としても完璧だった。父は厳しくありながらも、常に穏やかで、声を荒げることはなかった。理想を体現した、そんな父親だった。母は美しく優しく、惜しみない愛情を与えてくれ、それでも分別はつき、行き過ぎた干渉をすることはなかった。


 しかしその完璧さは不自然ですらなかった。二人は本当に理想の人なのだと、そう思わせる空気を持っていた。

 八代は彼らに似なかった。中学に入学する時には気づいたのだ。別物だと。

 彼らが傑物で自分は人物。それだけの話だ。


 しかしだ、二人の影響は節々に滲み出て、また彼女も必死で両親の真似事を繰り返した。そんなわけで、行き過ぎた、まさしく行き過ぎた八方美人とあいなった。

 本人にとって幸いなことは、その『行き過ぎた』という部分で、傍からすると本当に聖人としか思えないような性格になり、逆に友人からは距離を取られてしまった。




  ことが起きたのは、彼女の父の誕生日だった。


 

 ああああーやだやだただと、私は鏡台の前でバタバタと手足を揺らした。逃げちゃう? なんて自分自身に問いかけてみた。いやいやいや、へタレすぎるだろ自分! それに逃げたら殺される。主にお父さんの友達に。


 私が何故こんなに悩んでいるかと言うと、お父さんの誕生日だからだ。

 私のお父さんはあれだミスターぱあふぇくと。無論、社 交 性もある。社交性なにそれ、友達? なんなのかなそれ? 友達の達ってどういう意味? みんなそんなにたくさん友達いるの? な私には荷が重過ぎるのだ。そう、お父さんの友達の人とお話しするのは。


 お父さんの友達はミスターごーじゃす。まじでみんなキラキラしてる、物理的に!

 ハーレクイン風に喩えると、ゴージャスでデンジャラスでエキセントリック、しかもみんな自信に満ち溢れてる。彼らといると私がナメクジで、彼らから塩まかれてる気分に陥る。八代、死んじゃうよー、干からびて死んじゃうよー。

 顔面偏差値はギリギリつり合ってる感じだ。でもあの両親から生まれたにしては、うん、落 第 点。

 いやいや、二度くらいスカウトされたことはあるよ、AV女優にね!! シクシクシク。

 やばい、マジで泣きそうになってきた。


 ともかく、いつもよりふれんどりーにね、私!! 貴方ならできるよ、私!!


 私はホテルの控え室から出て、大きく息を吸った。

 パーティー会場を貸切にして誕生日を祝う男なんて死ね。まあお父さんのことだけどね!!

 高級感に溢れたロビーを横目に見ながら私は重い足取りで、一歩一歩足をすすめる。絨毯が赤くてほえーとしてしまう。

 私の着ている服は、清楚でキュートなフワッフワッのドレス……。私のために作られたような服!! と少女マンガの馬鹿主人公みたいなセリフを言ってみたりしたけど、ダメだ恥ずかしい。


 絶対似合ってないしね!!

 誕生日パーティーの会場の前で、父の友人がニヤニヤしながら、しかもカッコよく立っていた。細かい細工がなされたシャンデリアの下に立っていて、壁にもたれ掛かっている。イケメンだね!

 だけど表情は端から見たら、微笑にしか見えないんだろうけど、元々が無表情だから、うん気持ち悪い。

 まあ父の友達の中では一番クレイジー(ハーレクイン風に喩えると)だ。


 そしてよく分からないうちに、その男、榊 大地が、キザったらしい動作で私の前に膝を着いた。

 うえ。


「お久しぶりです、お嬢様。貴女に一目会いに、貴女に鎖を付けられた私は犬のように、飢えながらここまで来たのですよ。お嬢様、貴女の手に私の手が触れるのを許してはいただけませんか?」


 うわーうわー。キ チ ガ イだ。ホテルの従業員の女性もドン引きしながらこっちを見てる。最悪なことに、あそこまでキザなセリフを言われたくせに、全然キュンキュンしていない!

 まだこの前読んだ駄目少女マンガの告白のセリフの方がマシだ。ヒーローはまったく魅力が無かったけど。不良ってそんなに需要あるの? 絶対スポーツ少年の方がキュンキュンするでしょ? 普段ストイックなくせに、主人公に好意を寄せるときの切なそうな表情とかキュンキュンしまくるでしょ。


 まあ榊は少女マンガのヒーローというよりハーレクインのキチガイ系の作品のヒーローだ。

 ハーレクインにはキュンキュンを求めちゃ駄目だな。うん。


 立ち上がった榊に勝手に腕を取られ、私はしぶしぶ扉まで付き従った。


 先ほど見ていた女性従業員は慌てて、入場者リストに記入している。


 私が黙ってそれを見ていたら、榊はそっと囁いた。


「今日のパーティーはずっと僕と行動しようね」


 一人称変わってるぞ!?


「今日は父のパーティーです。榊さん」


 だからあっち行けやバーカ。


 会場に入ると一斉に拍手が起こった。私は微笑なるものを浮かべて、大きな声で皆さん、ありがとうございます、などと言おうとしたが、緊張のし過ぎで掠れた声で「ありがとうございます」と言ってしまった。社交性皆無だな、私……。


 一礼して誤魔化し、私はそっと榊の手を離した。驚いた顔をした榊。いつもは何だかんだで一緒に行動してるもんね。


 だってさあ、こいつしか喋る人がいないんだもん。お父さんの友達の子供とか来てるんだけどさ、総じてスペックがクソ高い。この前の誕生日なんて、イギリスの滅茶苦茶名門の学校に通う女の子が来てたんだけど、物凄い美少女で、うん泣きそうになった。

 イギリスの名門の学校ってほんとに凄いんだよ。いや聞いた話しじゃあ、王子様とか石油王の息子とかいるらしくて。薔薇邸園とか。あっこれは本人に直接聞いたんだよ。私がちゃんと会話できたのは、たぶんあの子もちょっとコミュ障入ってたから。なんか気が楽だった。同類みたいでね!


 そしてその子が会場にいるんだよね。うん頑張って話しかける!! 私は決意した、話 し か け る!!


「懐かしい人がいますね」


 やばっ、話しかけるの勇気いる。ちょっと涙目かも。離れようとしたら突然力強く手を握られた。

 イテッ。なに!?


「どうした?」


 えっなにが? 首をかしげる。


「大丈夫ですよ」


 たったぶん……「誰、あんた?」とかは言われないと思う。


 おっ恐らくはね!


「まあ。もうすぐどうなるかは分かります」


 忘れられていた場合は、私が一人で歩いているだろうからね。

 後ろでたじろぐような雰囲気があったが、構っていられないので、私は歩き出した。私の自虐的なセリフに動揺したんだろうなあ……。

 

 しかし、何人かに声を掛けられる。お母さんの友達も何人か来てるからね。お父さんの友達とは違って、皆お上品な感じで好感がもてる。

 お父さんの友達は、悪友って感じでお母さんの友達はご学友っていう雰囲気かも。私も友達欲しいなあ。仲いい子はいるよ、だけどさ、向うが気を使ってるのか敬語なんだよね。

 たぶん両親の地位が関係してるんだと思う。でもさ、本当の『友達』になれたらきっとそういうのもなくなると思う。

 

 彼女は一人で俯きながら、食事をしていた。親は前みたいに違うところにいる。そういえば、両親のいざこざで大変だという話を前に聞いた。

 大丈夫だろうか。

 そんなことを思いながら歩いていたら、彼女がふらりとバルコニーへ出てしまった。


 私は追いかけるように彼女の元へ言った。


「ユーリ約束を守りに来たよ」

 そう言って微笑む。この前また会おうって言ったからね。あれ約束って言うのかな? もしかして社交辞令? 考えないで置こう。

 でもこれ以外、いい言葉のかけ方思いつかなかったし。なんかこの言葉やけに上品だし、親しそうに聞こえるから良い感じじゃないかな!?


「あっあっあっ」

 なんか過呼吸みたいになってるよ!? だっ大丈夫?


「来てくれたの? 会いに来てくれたの? ああああああああ。八代八代八代八代!!!」


 美しいサラサラの金髪を振り乱しながら、狂乱する目の前の少女。


 えっ何これ?


 しかし、これは、ヤバイ。

 いくら危機感が薄い私だって分かる。この子、狂ってる。


 ヤバイ、足が動かない。もし今振り返ったら襲い掛かってくる。顔が強張ってる。


「八代八代、こっち来て」


 甘えるようにそう言われる。恐怖でいっぱいの私の頭にある考えがひらめいた。


 説得しちゃいなよ、私!

 刺激しないように一歩近づく。


「大丈夫」

 引き攣った笑顔で微笑む。

「大丈夫」

 彼女の目が真っ黒なんですけどー。いや色自体は青だよ。


 そしてバルコニーの手すりにもたれ掛かっているユーリの横に並ぶ。


 落ち着けというように、両手を広げて、抵抗しませんよ~とアピールすることにした。


 しかしその目論見は辛くもってか普通に失敗したようで、目の澱みが尋常じゃないことになっている。


 ヤンデレとか需要ないだろボケ!! と心の中で罵倒。いやヤンデレてか病んでるだけだけど!!


 ふっと彼女が微笑んだ。


 ほえー綺麗。とボケっとしていたら、彼女が近づいてきて、ゆっくり私の体に抱きついてきた。


 うんうん、もしかして正気に戻ったと歓喜しながら、彼女の背に手を伸ばした瞬間。


 グサリ、と異様に温かい感覚が腹部にあった。状況を理解できず、そっと腹部をみて、そこには、ナイフが半分ぐらいまで埋まってた。


 え。


 彼女の顔を見る。そいて彼女越しに会場を見ると、こちらへ走ってくる榊の必死な顔をが見えた。


 痛みで朦朧とする意識の中、自分にい聞かせる。


「いっ痛くないよ。大丈夫」


 死ぬな。半分意識の外でそう思った後、私は意外と凪いでいる自分の心に苦笑した。


 死んだら、もう自分はいない。



 バルコニーの手すりに体重が掛かり、手すりから私の身体が落ちる。凄い勢いで走ってきた榊が私に手を伸ばす。体が動かせなかった。


「いいよ」


 無理しなくても。いい年だろうし。


 そう言おうとして声にならなかった。


 私の身体は5階から投げ出された。刺されて死ぬより、飛び降り? の方が良かったと思う。



 そうして過去を思い出す。



 昔、昔、私は聞かれたことがある。

 人生を生きるために重要なことは何かって。お父さんと、お母さんはそう尋ねてから、少しだけ悲しそうな顔をした。

『正しさとか、誠実さとか、とても重要だけど』

 二人はもっとつらそうな顔をして、思いつかないっていう顔をした私に言った。

『人間の好きと言う感情だよ』

 拍子抜けした私に、二人は完璧な美貌を暗くして、

『どんなにいいことをしても、人間に嫌われたら終わりなんだよ。どんなに悪いことをしていても、人間に好かれたら大丈夫なんだよ』

『お前もいつか気づく、この世で一番何かを決めているのは、人間の好悪の感情なんだよ』

『何とも思われないのはいい』

『でも、嫌われたら人生はとても難しい』

 二人は言った。

『好かれなさい。どんなに辛くても人をだましてでも、好かれなさい』

 いつかお前が、人に嫌われるということがどういうことか、分かる前に、いや一生分からないように好かれなさい。


 私は小さい頃、全然真意はわからなかったけど。大人になってから、人に囲まれる両親を見て、二人はお互い以外のことをもしかしたらそれほど好きではないのかもしれないと思った。

 二人は、周囲の感情を恐れていたのかもしれない。

 お父さんは友人たちに大変尽くしていて、それ以上のものを返してもらっていた。お母さんは人に与え、たくさんのものを与えてもらっていた。二人の豪華な生活は周りの無意識の好という感情で、どんどんと膨れ上がっていた。そして二人は絶対にそうならないと確信しながら、それが逆転するときのことをずっと頭にとめていた。

 同時に、多大に好かれる両親と言う存在がいたことで、その敵。たとえばライバル社――こちらから見たらそうというだけの話で、悪いこともしないでちゃんと経営されている会社――は多大に嫌われた。そういう構造に、なっていた。留まることもなく、両親の周りは両親だけが好かれていて、それ以外は敵か味方か、そういう様相だった。


 二人が怯えの中で優雅に笑っている時、周りの人間は二人の敵をことごとく好悪と言う正義で裁いた。榊という医者は、二人の『敵』の娘を病院に入れなかった。彼女は癌だった。そして父の友人の新聞社の人間は、その非人道的行動を密告され、その記事を握りつぶした。ライバル社は次々と倒れ、そうして両親はそれをまるで聖人のように救っていた。

 何も知らないふりをして、美しい顔で。

 私は知っていた。二人は思う存分罵倒してほしかったのだ。その偽善を暴き、糾弾し、二人の友人に目を覚ましてほしかったのだ。

 最初はそういう人間は多かった。潰れた会社の従業員などは両親を『資本の化物』『リヴァイアサン』と呼び、彼らの悪を暴こうという活動した。けれど、両親はすぐに好かれた、そういう人間にも。両親を本当に好きになって、彼らを誤解していたというような本を書く、被害者たち。その本を読みながら、二人はただ能面のような表情で、また次があるというような顔をした。今まで、その被害者をいきいきと見つめていた眼は光を失う。



 そういうことは多かった。

 すさまじい程、感情的だった。けれど皆それに気づかず、ただ二人を愛でていた。


 娘だったから、それを茶化す事しかできなかった。

 私はちゃんとした友達をつくることを目指していた。

 けれど、それが結局は無理かもしれないという延々とした思いはあった。


 どこをみても、人の好き嫌いで世界は分断されていたから。正義が好きな人、嫌いな人。その時点からの問題だった。そして父も母も、人に嫌われるのは嫌だったから、怖かったら、あんなにも優雅だった。


 路傍の見知らぬホームレスを助けるくらいに、もう二人の生き方は、悲しいくらいに追いつめられていた。


 過去がぐるぐると蘇る。

 二人を助けたかった。でも私には無理で、あの二人を助けることなんか無理で、二人は何とか私という娘でバランスを取っていた。

 人の感情を恐れる娘を育むことで。友達なんて本気で作ろうなんて思っていなかった。私はもういやだったのに、二人の為に。


 私が死んだらどうなるのだろう。

 同情することで、ふたりはもっともっと好かれるのだろうか。悲劇の両親になることで、好かれたらあまりにも可哀想だ。


 泣きたい。


 親孝行できない娘だった。

 二人を救えなかった。

 救えると、一度も思ったことはなかった。


 ごめんなさい。




「お前、なんでそんなに嫌われてるんだ」


 公爵家の長女である黒髪の少女に、王子は問いかけた。

 少女は生まれてから、この言葉しか発していないのではないか? と疑問に思われている言葉を発する。


「申し訳ありませんが、喋りかけないでいただけますか」


「なあ、お前捨てられるんだろ」


「申し訳ありませんが、喋りかけないでいただけますか」


「……捨てられるんなら、拾ってやるぞ」


 少女はぱちりと瞬きして言う。


「申し訳ありませんが、喋りかけないでいただけますか」



 王子は肩をすくめた。




 公爵家から追放された少女を救ったのには、王子なりの理由があった。

「やっぱ強いな、お前は」

 王子は大変盤上ゲームが得意で、相手になるのがこの少女くらいしかいなかったからだった。

 王子は少女の技量に舌を巻きながら、どうして同じ言葉しか発さないのだろうと疑問に思った。また表情が変わらないのも。

 少女は何も言わなかった。そして盤の横に置かれているお菓子をパクリと一口食べる。面倒な時はあの言葉すら話さないのだ。


 少女は離宮で暮らしていたが、酷いいじめにあっていた。王子は知らないふりをしていた。助けを求められるのを待っていた。

 王子は助けたかったが、求められない限り何も与えないことを信条としていたし、そうするべきだと教えられていた。

 少女はあの言葉すら発さなくなって、王子は盤上を見つめながら、

「助けを求めてくれ」

 と言った。懇願する口調ではなかったが、辛いというのがにじむ言だった。

 少女は喋らなかった。


 王子が正妃の息子である弟に、反逆罪で牢に繋がれたとき、貴族の一部が王子の容疑を晴らし、逆に正妃の息子を牢に繋いだ。

 王子の母親は子爵であったが、貴族の出であり、王子もまた治世の才能があった。王子は何故、自分に逆らおうという気になったのか、また自分を本当に追い落とせると思ったのかと疑問に思って、牢の弟に会いに行った。

 彼は睨んで、唾を吐いた。

「いまに、いまに、私の部下がお前なんぞを、引き摺りおろしてくれよう。それまでのそれまでの」

 しんぼうだ、と言う顔をして、弟は俯いた。


 王子は肩をすくめた。

 そんな人間がいないことを知っていた。


「なあ、何故だと思う」

 王子は少女に聞いた。少女と厳密にいうと話したことが無く、また盤上のゲームで負け続けているので、王子は少女の知的レベルが自身の遙か上をいっていると思っていた。

 だからこそ、弟の不可解な行動に対することが分かるかもしれないと思ったのだ。

 何の返事も返ってこない、という予想とは裏腹に少女は口を開いた。


「彼を牢から放して」

 王子は初めての言葉に、ただしばらく動揺した。

 それから、会話が続くという状況に胸を鳴らしながら、

「なぜ? 弟を放したら、また同じことが起こるかもしれない」

 と尋ねた。少女は一瞬目を細め、睨むような顔をした。

「誰が、彼に力を貸すというの? 正妃の実家だって、貴方に寝返ってるじゃない」

 王子は苦笑した。

「いるかもしれない」

「あなたと、弟殿下を比べて、弟殿下を好きになる人間がいると思う? 貴方という知性的で寛容で公平で人を愛し大切にする貴方と、悪くはないというだけの弟殿下」

「好き嫌いの問題じゃないだろう」

「一緒よ」

 少女は軽蔑するように笑った。先ほどの褒め言葉を王子は思い返し、少しの戸惑いを覚えた。

 少女は王子がそういう完璧と言える人間であろうが、たぶん好きではないのだ、ということを理解させられる。

「お前は、じゃあ弟の方が好きなのか?」

 王子は少女の最初の一言を思い出し、不機嫌に問う。ダメ人間の方が好きだ、と言っていた王子の侍女の言葉を思い出したのだ。

 一瞬、ダメ人間になろうか、少し欠けていた方が、というような思いが走る。

「そうじゃないわ」

 少女は俯く。ただ暗い顔で。

 王子はなんだかわけもわからず腹が立ち、

「弟は殺す」

 と言った。ぱっと少女が顔を上げる。その顔に焦りが見えて、王子はさらに苛立って、「殺す」ともう一度言った。少女は歯を噛み締めた。


 それから王子のもとにある報告が来た。

 それは弟の牢への侵入者の捕獲、という内容で王子は弟への見方が少女以外にいたことで、少しだけ安堵した。

 けれど次の内容で凍り付いた。

 助けに行ったのは、黒髪の少女だという。


 独房に入った少女は、いつもと大して違いはなかった。

「なんというざまだ」

 王子は頭を掻いてそういった。

「俺の、友人が国家反逆罪だ」

 責めるように言うが、勿論少女の表情は変わらない。

 あらそう、とも思っていない。全く無感情な顔は、王子の苛立ちに火をつけた。

「なんだ、弟のことが好きだったのか?

 なんでお前が助けるんだ。意味が分からん。

 なんなんだ、お前がそんな好きなら」

 

 王子は黙り込む。好きなら、何なのか。


 少女はそんな王子を見ながら、悲しげに笑った。

「良かったわね。結局貴方の弟の味方は、私以外には一人もいないことが分かったでしょ。

 正妃様は、貴方に自分の妹君を妻として差し出すそうね」


 王子は口を紡ぐ。正妃のことはさすがに罪に問えない。この国でもっとも位の高い貴族の娘だ。

 正妃は自身の美しい妹を差し出すことで、なんとか立場を保持しようとしている。


「断るつもりだ」

 それをどうしようか、保留にしていたが、口からはそんな言葉がついて出た。

 少女は「貰った方がいいわ」と言う。


「お前に口出しされる覚えはない。自分で決める」

 早口で、怒鳴る。

 少女は「一人もいなくなるのに」とつぶやく。


「何がだ」

「あなたを嫌う人」

 と囁く。

 王子は黙る。少女に腹が立って仕方がなかった。こんなに厭味ったらしい女は見たことが無い。とおもう一方で、そんな少女が顔を上気させて微笑んでくれれば、何でも許すと思えた。

 しかし無表情で言われれば、身を焦がすような苛立ちしか覚えない。何かを発散したいのに、少女によって抑えられているとしか思えない。


「死刑になるぞ、お前」

 俺が何もしなければ、語尾に込めた思い。

 少女は「そう、それも悪くないわね」と言う。

 それから続ける。


「貴方を嫌いになって死ぬのも」

 次の瞬間王子は、少女の身体を固い石の地面に叩きつけていた。


 少女は髪が乱れただけで、表情一つ変えない。

「俺が嫌いか」

 少女を押さえつけ、低い声を出す。この女をどうにかしたい、という欲求が耐え難かった。

 少女は目を瞑った。

「そうか、嫌いか。それなら仕方ない」

 王子は平静を取り戻す。少女を開放する。妙に心が静まり返っていた。


 何も言わず牢から出た。


 王子の部下の大半は、黒髪の少女を嫌っていた。流石に王子の前で言うことはないが、少女の存在を無視していた。

 そして今回の件で、その嫌悪は爆発した。

 弟の姦婦ということにされ、二人同時の死刑が望まれた。


 王子はそのうわさを否定しなかった。いつもの無表情でそのうわさを聞いていた。部下たちはその様子を見て、ホッとしたようだった。


「では、妹君を娶られますか」

 その質問が繰り返し言われ、王子は「なぜあれが死ねば、妻をめとるのだ」とはっきりと返事はしなかった。


 王子は日々、少女の扱いを酷くするように言った。

 少女が我慢強いことはわかっていたが、そうすれば助けを乞うてくるだろうと予想した。毎日、少女の報告を聞いたが、それは一向に訪れず、王子は毎日苦痛と共に目覚めた。


 王子は自分自身、牢獄にいるとき、拷問染みた扱いであったが、耐えられた。

 元来痛みに強い体質であった。


 しかし、王子の方はもう限界だった。苦痛は精神をこえ、肉体にまで及んでいた。

 そんな王子にダメ人間が好きという侍女が微笑んでいった。

「まあ、これはこれは、随分わたし好み」

 にこにこと、舌をなめずりする。

「王子、愛は苦痛ですが。愛して、憎んでいるのですね。愛がそれほど強く、憎しみもそれほど強い。そうにもならないことですね」

 ああ、王子は心臓の痛みに眉を寄せる。


 愛している。憎くて憎くて、愛している。


 思い通りにしたいわけでもない。壊したいわけでもない。

 

 しかし、傷つけなければおさまらない。

 こんなに、苦しいのに。

 お前は苦しくないのだな、と。


 苦しいのに。お前が笑えば収まるのに。頼ってくれれば。

 何もしてくれないのだな、俺の為に。感情すら動かしてくれないんだな。


 王子は倒れた。


 



 目覚めれば、侍女が笑っていた。

「今日は、あの人の死刑の日ですよ」

 王子は時計を見て、侍女に言う。

「命令しろ! あいつを、ユリーを救うように!! 早くしろ!」

 侍女は首を振った。


「どうにもなりませんわ」

 王子は青ざめた。

「王子は愛に負けなさったのです」

 おかわいそうに、という顔に王子は顔を歪めた。

「嘘だろうな」

 王子は声を荒げない。そういう教育を受けているのだ。無様に泣きもしない。


「出て行ってくれ……」

 死にそうな声だ、王子はそう思いながら顔を隠す。

 

 もし少女が霊にでもなって、殺してくれれば。

 ああ、しないだろうな。しないとも、俺などどうとも思っていなかったのだから。

 

 少女の個性に何も思わなかった。そう生きたいなら、生きればいいと思っていた。


 王子は他人の人生に干渉するほど、熱くも傲慢でもなかった。ただ受け入れてやればいいと思っていた。

「優しくしたかった」

 けれど、王子は自身の愛情ゆえに、失敗した。




 王は自身を酷王と呼ぶように言った。王が自称する号のようなものであり、後世に残る資料に使われる。先代の王は、正厳王と名乗っていて、歴代も同様に、負の号を名乗るものはほとんどいなかった。

 周りは自身の尊敬する王にそのような名を名乗らせることを忌避して、字体の都合上という意味不明な理由で、簡易に国王とだけ名乗らせた。今まで国王という号はなかった。


 王は精力的だったが、基本的には疲労しているように周りは見え、それを助けようと皆必死で尽くした。

 彼のために尽力したのは他国の学者にまでおよび、国民はどこか陰のある魅力的な王を誇りにしていた。また自身を酷王と自称する、そんな悲しく辛い国王に思いを馳せ、色々な小説を書く者もいた。


 王の周りには彼を否定するものはいなかったが、彼は自分自身を否定することで、道を踏み外さなかった。そして無表情から、皮肉気な笑みを浮かべる現実主義の王になっていった。

 そんな王は時折、美しい女を抱いたが、ほとんど黒髪ばかりだったため、過去を知るものからはその無生産の行動を苦々しく、また悲しく眺めるものは多かった。


 誰もが、当時知っていた。

 王子は、あの気の狂った少女を愛していたのだ。愛していた、まぎれもなく。

 

 王子は若かったが、恋愛と言うものに敬意を抱きながらも、どこか冷静にしていた部分があった。

 皆、それが分かっていたから、王子が気づく前に、その少女をいないものにしたかったのだ。


 決して幸せになれない、そんな王子を皆は見たくなかった。

 周りの者からしたら、ただ一言の状況だった。


 きちがいの女に、どうしてだか王子が惚れてしまった。


 

 その日の王はいつも通りの皮肉気な笑みをたたえていた。

 舞踏会というやつだったが、王にとってそれはどうでもいいできごとだった。

 どうでもいいというより、好きにやってくれという気分だった。


 ふと王の目に壁の花になっている黒髪の少女が目に入る。細い少女だが、どことなく青白い顔は一人の人物を想起させる。

 王は目を伏せ、ワインに口をつける。妙に色っぽいその行動は僅かに視線を集める。

 王は席を立って、横の部下に目をやる。

 部下はしばらく王の瞳を見つめ。それから、また黒髪の少女へと視線を向ける。

 王は頷いた。





 侍女が王に「もうお止めになられなませんか」といった。

「節操のない」

 嘆息される。

 

「少なくとも不幸にはしていない」

「まあ、びっくり」

 彼女の見開いた眼は呆れを含んでいる。

「髪の色だけで人を選んで、それから何度か抱いて、部下にポイっ、これが人を幸せにする行為ですか」

「髪の色だけで選んでるわけではない。向こうが頼んできて、手を出す。俺は幸せに出来ぬから、能力ある有望な部下に幸せにしてもらう」


「無口で顔色の悪い女、という条件ですわね。そして惚れさせたら、もうずぶずぶと自分に嵌らせて、そんな内気な少女が自分に懇願するのを見て一時的に満足する。そして少女たちは貴方に身も心も捧げて、もっと他の物まで捧げようと思うまでいつも思い詰めます。貴方を救おうと、ただ一身に身を粉にして、貴方に愛を乞う。そうしてどうにもならなくなったとき、貴方の有能な部下とやらに下げ渡される。何度、そんな少女がわたしの前で泣いたでしょう。貴方が望むなら、貴方の為に幸せになるふりをしましょうと――――言います。


 ――――また人を傷つけるのですね。彼女たちはあなたの人生の置物ではないのですよ。

 貴方が執着している少女と同じ血の通った人間なのです」

 

 王は薄く右頬を歪めて笑う。

「人を愛することは傷つくことだ、誰かがそういった。俺もそう思う。

 俺はいつも正直に言っている、誰でもいいと。俺は彼女たちを傷つけたくはない。でも愛するのも生きるのもそういうことだろう」


 

「わたし好み……」

 侍女の朱に染めた頬を、王は胡乱気に横目で見て肩をすくめる。

「ダメ男か」

「わたし好みの」

 王は椅子に深く腰掛け、両手を組んで、そのまま眠るように瞼を閉じる。


「俺も彼女に傷つけられた。そして俺は彼女を傷つけた、と思いたがっている。

 皆そうだ」


「そうであればよろしいですがね。わたしは人を傷つけるような愛を持ちはしません。いつもわたしの身をすり減らして愛することにしています」

「……」


「それで、本題なのですが」

「なんだ」


「生きておられますよ。ユリー様」




 王は一瞬の混乱を抑え込み、すぐに行動を起こした。

 色々な事情はすべて無視した。場所だけを聞いた。

 彼女がいる先が、牢獄であり、しかも重罪の人間ばかりのところだと聞いても何も思う余裕はなかった。


 王の視線の先で、黒髪の女が文書を書いている。


「ユリー」

 王の喘ぎ声に、女は振り返って、表情を少し驚いたものにした。

 彼女は現在、牢獄に勤め、文書整理の仕事をしている。


「お久しぶりですね」

「ああ」

「王になられたとか。随分聞き及んでいます」

 王は何も言わず、首を振った。

 無表情な女にため息をついて、

「二人で話せないか」

 と言った。そこは視線の端に鉄格子が見えるようなところで、睨むように囚人がこちらをのぞいている。

 わかりました、と頷いて王の前を行く。後ろから罵詈雑言――おそらく女に向けてであろうもの――が飛ぶ。

「うるさいですね」

 その一言で、囚人は黙る。王は振り返る。囚人の薄黒く汚れた顔は拗ねたようなものだった。


 謝ることはしなかった。

 最初に言ったのは、ただ

「お前のことが好きなんだ」

 という、どうにもならない事実を告白するだけだった。

 王は女が平然と、そうとでも言うかと思ったが、その顔は一瞬のうちに驚愕に染まった。

「そんな、それは」

 余りの様子に、王は少し心を落着けてもう一度告白する。


「愛してる」

 愛してる? 女の目はぐるぐると回っていて、聞いていないようだった。

 それからか細く笑う。

「私のことを?」

「ああ」

 何かの冗談とでも思ったのか、次の瞬間には苦笑していた。

「誰が、私のような女を愛すというのでしょう」

「俺だよ」

 また女は黙り、もっと苦しそうに俯いた。

「好きだ、ずっと好きだ。お前は俺の事が嫌いか」

 『貴方を嫌いになって死ぬのも』という言葉が思い出された。

 そのことを言うと、女は首を振った。

「私は、貴方の事は嫌いではありません」

「そうか。嬉しい」

 傍から見ると、嬉しそうには聞こえない言葉だが、やはり王は嬉しく、結局のところ何を言えばいいか分から無かった。

「けれど、貴方のことを好きにはなれません」

 言葉は出なかった。

「恨んでいるのか?」

「いえ。貴方がなさったのは国家反逆者に対する正当な行為でした」

「では」

 理由を聞こうとして、王は黙った。女は泣いていた。王は思わず身を乗り出し、女の涙をぬぐった。そのまま抱きしめようとして、できない。

「陛下、貴方は大変好かれていらっしゃる。誰からも敬愛されていらっしゃる。誰からも嫌われていらっしゃらない。あの時私は、ただあなたを嫌ってあげたかった」

 王は女が言いたいことが全く分からなかった。

「お前に嫌われたくはないが」

「人から好かれ続けるのは、怖くはないですか?」

 王はしばらく黙って「いや」と短く答えた。そして続けた。

「ただ弟のことは哀れだった。気づかぬだけで一人で生きていた。俺はあいつを好きだとは一度も思わなかった。ただ一人だけでもあいつを心底救おうとするやつが現れてもいいように思えた。


 お前が言いたいのはそういうことか。俺が好かれるから、弟が嫌われたのだと。好きという感情が怖いのだと、そういうことか」

 女が悲しげに頷くと王は「くだらん、くだらない」と首を振った。


「お前はだから、そんな生き方をしていたのか。人に好かれまい、としたのか」


「じゃあ何故、俺が好きだと言って、怯えなかった。どうして驚いただけだった?」

「……」

「ユリー、在るものを怖がってどうする。ユリー気付け。お前が怖いのは好悪の感情ではない。人間に対して怯えているんだ。俺のことを怖がってはいないだろ」

 女はぐっと唇を噛み締めた。瞳は薄く潤んでいる。震える唇で言葉を紡ぐ。

「好き、です」

「ああ、そうか。嬉しい」

「ほん、っとうに」

「……どういう意味でだ」

「真剣な意味、です」

 王は口を押えた。

「どうする? 一緒に暮らすか。お前は妃の役目など務められないだろうな。俺も退位しよう」

 女はなんだか良く分からない、という感じだった。自分の言った言葉にも、王が早口でまくしたてている言葉にも。けれど何だか良く分からないながら、安心するような、今までの自分の重荷がふっととれたようなそんな気がした。女には前世の曖昧な記憶があって、その中で問題は実のところ一つだった。女は誰一人として愛することができ無かったと言うことで、そして人間に対して深く恐れていた。


「お菓子屋」

「あ?」

 ぽつりとユリーがつぶやいた言葉に、意味不明な言葉をつぶやき続けていた王が反応する。

「ジギ、王様やめてどうして暮らす?」

「それは……」

「私、ジギと一緒にお店開きたい」

「何のだ」

「お菓子屋」



 ある国に珍しい洋菓子の店がある。店員は危険でダメそうな男を贔屓して値段を安くして、また真面目な人間にはたいそう意地悪で、接客には難がある。けれどそれをいつもフォローするのは、真面目そうな店主の夫で、不機嫌そうな顔をして店員を叱るが舐められているのか、あまり効果はない。店主はちょこんといつも同じ場所に座ってお勘定をしている。


 隣国には新しい王が誕生した。前王の弟とかで、捻くれた、性格の悪い人間だと側近はこぼすが、顧みられない苦しみをよく知っている、と少し優しい声で最後にはそうこぼす。



前半の八代さんは勘違いされています。

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