幽霊の居る日常
「おおーやったー!今日はおにぎり二つもだねー!ありがとっ、径真!ではさっそくツナマヨからいただきます」
部屋に現れた径真に挨拶する前に、トンビのように鮮やかな手つきでコンビニ袋を奪っていった腹ぺこ幽霊は、さっそくフィルムを剥がしはじめる。
「まずは、おはようだろ~お前は、俺より先におにぎりに反応しやがって」
苦笑しながら、あきれながら部屋に置かれた座布団に腰を下ろす。
この座布団は、何日か前に径真が金松邸の納戸の中から発掘してきた物だ。あれから、毎日奈良香に会いに来ている径真は、少しでも居心地よくなるようにと、屋敷の掃除を始めた。
とはいっても、金松邸は広く全体はとても掃除しきれる物でも無いので、掃除したのは玄関からこの部屋部屋までの通路部分だけだ。
しかも、径真は掃除嫌いだし、奈良香も今まで掃除する必要性を感じていないから、ここまで掃除していないのであり二人ともやる気は無かった。
ただ、部屋に上がる度にホコリまみれになる径真の一方的な申し出によって、掃除が決定したのである。
二人ともやる気が無い状態で始めた掃除だったが、雑巾で一拭き、箒で一掃きするだけで目に見えてハッキリと綺麗になるので意外とテンションが上がってしまい、
部屋から玄関までは結構な距離があったのに掃除には、奈良香と二人で意外とすぐに終わってしまったのだった。
その時に、何か掃除道具が無いか納戸を漁っていて発見した座布団だった。
緑地に唐草模様のまるで、昔の泥棒の様なセンスだが、デザインよりも見つかった座布団の中で痛みが軽いという事で、選んだ一品だった。
奈良香の今朝の恰好は、薄手の浴衣のような恰好だ。
浴衣というほど、外見にこだわった作りでもなく和服の部屋着といった感じで、滑らかな白い地に夏らしく紫の朝顔が、あしらわれている。
寝巻きとして使っている物らしく、何度かこの姿を見ているが、そのたびに無防備な胸元や生足が見えるため、視線のやり場に困る径真だった。
「むむ、二個目は何ですかこれは?チャーシューですか……。む、ネタなのか本気なのか微妙に迷うところです。こういうちょっと外れたおにぎりって何なんでしょうね、
鮭とかいくらとか、梅とか昆布とか、定番に甘んじない心粋は評価しますけれど、どうにも無理やり組みあわせている感じが否めないんですよね。
商品開発の方には、斬新さだけでは無く食材としてのマッチングを重視して頂きたいのですが……とはいえ、おいしくいただきますよ……もちろん残り一粒までいただきます」
やけに真面目な口調で喋りながらきちんと、両手を目の前で合せてから食べはじめる彼女。
隙の無い綺麗な顔立ちで真剣な顔をしていると、可愛いを通り越して近寄り難さを感じる程なのだが、真面目な顔をして手にしているのが、おにぎりなのをみると間がぬけていて一気に親近感が湧いてくる。
奈良香の食事が終わるまで、径真は手持無沙汰に待っている。
基本的に奈良香は自分のペースで物事を進めるタイプだ。幽霊の期間にそうなったのか、それとも元々そうだったのかは分からないが、基本的にはマイペース過ぎるくらいにマイペースだ。
幽霊となってからは、特別に他人の事を考える必要も無かっただろうし、生きていた頃は生きていた頃でこんな大きな屋敷で可愛がられていたのだから、
あまり人のペースに合わせるということを気にしていなかったのだろう。幸いな事に彼女のマイペースさには、周りを引っ掻き回す嫌らしさが無かくただ無邪気さを感じる物だった。
径真と話す時も奈良香のリズムは独特で、初めましての時は押されていたため大人しくしていたものの。今では、径真の質問を”飽きたからやめよう”の一言で切り捨てられるほどになっている。
こういう時には、径真もムッとするものの、悪意が無い事が分かっているので結局は許してしまい、続きはまた明日とばかりに、毎日ここに足を運んでいるのだった。
本当に、可愛いと無邪気さは最強である。
「はぁー、ごちそうさまでした。私としては、50点位ですね、このチャーシューはもっとご飯に合わせようとすべきです。今のままでは協調性がありませんから」
したり顔で生意気な事をいいつつ、ペットボトルのお茶をずずっと飲んでいる。
「落ち着いたか?」
「はい、いつもありがとう御座います、っと。でもさ、径真チャーシュー味は私としては無しだから、今後はパスしてね。甘辛ダレの甘味が強すぎるのが原因だと思うんだけど、
ご飯との相性がイマイチなんだ。もっと、砂糖を抑えて山椒とかでピリッとした辛さを追加するといいと思うんだけどね」
「いや、もうおにぎり談義はいいから。結局ツナマヨ至上主義なんだろ?もうちょっと、他の事を喋ろう」
「ツナマヨは正義!おにぎりと言えばツナマヨ!」
どうも、こういう時だけテンションが全く違うのか、500mlのペットボトルを掲げながら熱弁を振るう奈良香。
「おにぎりの定番は、梅か鮭だろ。俺は鮭派だけど」
「甘いですね。鮭は味がシンプルな分、素材の当たり外れが大きいんですよ。それに対して、ツナマヨなら味の不足をマヨが補ってくれる分外れが少ないのです」
「そうか~?要はマヨネーズの味ってだけじゃないか。というか、おにぎり談義の時だけどうして、口調が丁寧なんだよ」
「おにぎりに敬意を表してですね」
「……」
普通に聞くと冗談なのだが、このどっかズレたこいつなら本気かも?と取れる事を真顔で言われて反応できずにいる径真を前に、
「まあ、それは冗談。何と無く熱くなると逆に口調は丁寧になるのが癖みたいなもんだから気にしないで」
奈良香はようやく普通の状態に戻ったのだった。
「さいですか。それでさ、奈良香のかこ……あ、いや、あの、何でもないよ」
奈良香の眉がふっと寄るのを見て、径真は言葉を濁した。既に何日も話していて奈良香の表情についても結構分かって来ている。
今のは嫌なというより、気まずいという反応だ。
「そっか、それより径真って最近うちに来てばっかりだけどいいの?家の人になんて言って来てるの?」
「え~っと家出るときは、ちょっと勉強しに学校の図書室にって言ってるな。まあ、嘘だって事は当然バレてるんだけどさ、あえて親もつっこまない。
妹は、勝手に遊び歩いているから、こっちも兄貴の行動をとやかく言わないし。出来た家族でありがたいよ本当」
「何か皮肉な言い方。でも、それなりに家族には信頼されてるって事だよね。そんな分かり易い嘘を飲んでくれるくらいだし、逆に言えばどこに行っても悪い事しない
と思われてるって事でしょ?」
「そんな風に考えた事無かったけどなー。単純に放任主義ってだけでさ。親も絶対深くは考えて無いって」
径真の言葉になぜかうんうんと頷いた奈良香は、
「何となく径真って信頼できそうな感じがするってのは、わかるんだよね。いい意味で行儀が良いっていうか、いい意味で冒険しないって言うか」
「それなら奈良香の方はどうなんだ。昔は信頼されてたのか?」
「何を言っておりますやら、私ほど信頼されてた人は居ませんよ。あーでも、こんな家に住んでたからさ、それなりにうるさかったんだよね。
いろいろ、門限とか友達づきあいを含めて、休みの過ごし方も結構縛られてたかな。こんな田舎だから、そんなに心配する事無いって私は言ったんだけど、
どこかに友達と出かけるにしても、やれ誰といつどこに行くんだとか、友達何人中に男が何人居るんだとか、そんなに遅くなるわけでも無いのに、
迎えの車を出そうかなんて直ぐに言い出すし、付き合う友達の事を根掘り葉掘り聞いてはダメ出しするし、それで居て友達は大切にしろとか人生の宝だみたいな事言う変な親だったな」
今思い出すと、なんだか変な感じだなーと言いながら奈良香の眉が再び寄った。
家族の話は、NGなのかもしれないと思いながら径真は、カバンにしまわれたままのノートの事を思い返した。
初めの数日で奈良香に対する質問や確認は、大体終わっていた。
それによって、分かった事が径真のノートにこっそりまとめられた。
・金松邸で発見した幽霊についての記録
・名前 金松 奈良香
・年齢 17歳
・死亡時期 12年前
・家族のその後 不明
・能力 存在する位置を半分ずつずらす事ができる(詳細は別に記載)
・怨みなど なし(本人が忘れている可能性はあり)
・成仏する方法 不明
・目的 不明
・身長 155cm
・体重 30~50Kg
補足 おにぎり、特にツナマヨを好む。好き嫌いが多くは無く、嫌いな物でもとりあえずは食べる。
ツナマヨが絡むと時折冷静さを失う。お金持ちであった金松家で育てられている。
※能力について
奈良香の体の存在を意図的に、濃くしたり薄くしたりできる。
常に存在としては、普通の人間の半分程度しか無く。意識的に集中させれば通常の人間程度の強度
にできるし、意識的に希薄にすれば空気と同程度になる。集中した分は、どこかが希薄になり、
希薄にした分は逆にどこかに集中する。着ている服等にも同様に作用する。
上手く活用する事で壁抜けも可能となる。
冗談までも、そのまま書いている辺りが天然なのか、わざとなのか。
径真は、かなりまとまった来た……それでもなぞだらけのノートを見ながら思案した。
これ以上突っ込んで聞いた所で、奈良香から解答は得られないだろう。
そう解答は得られない。
この結論に径真は随分前に至っている。
毎日奈良香に会いに来ているのに、メモは全然詳しくならないのだ。それどころかここ二三日はカバンからノートを取り出す事も無くなった。
奈良香と喋る内容が段々とくだらない内容になっていっているからだろう。
さっきのおにぎりの話なんかはいい例で、なんとなく深刻な話になりそうなときは、わざと食べ物の話に逃げたりするし、
気まずい展開になったときに話題を変えるきっかけになるのを見込んで新しい商品を選んで買ったりしている。
本当なら、もっと突っ込んだ話もしたい。
奈良香の死んだ理由も、幽霊になった経緯も、そして奈良香が何をしたいのかも不明なままだ。
それら全ての謎が、径真の好奇心を大きく刺激し続けている。
でも、それを聞いた時奈良香は怒らないだろうか?それより悲しまないだろうか?この関係を嫌だと思わないだろうか?いまの所、この可憐で温和な幽霊は、径真の事を歓迎してくれている。
それでも、怒らせたらいきなり消えてしまう事もあるかもしれない。奈良香の能力は、それほど極端に凄い力を発揮する事はなさそうだが、
径真と顔を合わせずにこの屋敷の中で隠れてしまうくらいは容易いだろう。
奈良香に消えられては困る。
奈良香の事について本当に調べたいのなら、径真一人の力ではとても足りなくて、どこかの研究機関の力でも借りなければならないという事は頭ではわかっている。
レーザーでも、CTでもなんでも、今の奈良香を調べる手段などそれこそ有るところには、いくらでもあるだろう。
でも、それを奈良香は嫌がるだろうし、もしそうなれば径真が奈良香に会う事もなくなってしまうだろう。
それは幽霊に会うチャンスが無くなるから困るというだけで無くて……”奈良香と一緒にいたい”
そこまで、考えて径真は頭をぶんぶんと振った。
何を考えているんだ。幽霊を相手に、れ、恋愛対象に考えるなんて馬鹿げている。相手は、存在し無いような物なのに。
”でも、奈良香の手は柔らかくて……”
研究対象にひどく興味が湧いて愛着が付くっていうのは普通の事だ。
”朝顔を合わせるだけで、こんなにもどきどきするのに”
いや、いや、普通だ。普通の事なんだ。単純に、あまり女性に耐性が無いってだけであって。
”絵美には良く会ってるじゃないか”
絵美は例外っていうか幼馴染だし
「ねえ?さっきから一人で何やってるの?新しい遊び?」
径真が気がつくと、奈良香は不思議そうに径真の顔を見つめていた。径真が慌てて目線を逸らす。
「さっきから、ブンブン頭を振ったり、急に頷いたり、と思ったら眉間に皺を寄せたり。くるくる顔が変わってたよ」
「ひ、人の顔をそんなに熱心に見るなよな」
「だって、径真は全然反応しないだもん。せっかく来てくれてるのに、一人でぼーっとするのも何だし、結構面白い見世物だったからつい、止めるタイミング逃しちゃって」
未だ顔を戻せず壁の方を向いたままの径真は、ノートで口元を隠しながらようやく奈良香の方を向いた。
「人の事を見世物扱いするなんて、失礼なやつ」
「いや、本当に面白かったんだって、そうだ!今度あったらその径真のデジカメで録画してあげるよ。きっとクラスでも大ウケだよ」
「いらん!本気でいらん!そういう状態になったら、スリッパで叩いてでも、俺を止めてくれ」
「おっけー。次からはそうする」
次は無いように、なるべく気をつけよう。平常心、平常心。と自分に言い聞かせながら、径真は何となく足を組み直すと。
「奈良香……………………今度、高級志向のおにぎりに挑戦してみないか?」
「なにそれー?私にその話を振ったからには覚悟してよー。詳しい話を聞かせてもらうよ」
結局何も変わらない会話をするしか無い径真だった。
日中の気温が最も高くなる昼過ぎ。セミがこれでもかとワーワー鳴き、どんなねぼすけでもそろそろ起き出すだろうという時間に、
絵美は、自室のベッドに寝転がりながら、携帯をいじっていた。
男の子に電話するのと、女の子に電話するのを違うものだと考えるようになったのはいつからだろう?
小学校の低学年では友達は、友達というくくりだったと思う。
かといって、中学に上がる頃には男女という意識はハッキリしていたと思う。
だとすると、小学校の3・4年生の頃だと思い出そうとすると、たかだか10年とちょっとしか生きていない自分の記憶なのに、数年前の事がもう思い出せなくなっている。
つかみ取れるのは、断片的な記憶だけで、教室に貼ってあった標語まで思い出せるのに、一緒のクラスだったのが誰だったかも忘れている。
きっと、そういう事を意識した瞬間は忘れるようにできているんだろう。
あいまいなままの方が綺麗で、つかみとれない方が美しいのだろう。
そんな男とか女とか考えるのが面倒になった絵美は、友達は友達と一旦考えを保留する事にして、画面から発信履歴を呼び出すと径真の名前を選んでコールした。
しかし、電話は呼び出す事さえできずに、電源offであるという機械の声が帰って来ただけだった。
小さな舌打ち、絵美はそのまま次の電話番号を呼び出す。
「ねえ、隼人。今日径真に電話つながった?」
早口の絵美に対して隼人はのんびりと返す。
「いーや、最近は昼間かけても全く繋がらない。メール送っても返事来るのは夜になってからだし、最近どうにも反応悪いよな」
「隼人の方もそうなんだ。私の方もそう、昼間は全く繋がらないし、夜になって返って来てもそっけないのよ」
「なにやってんだよなあいつ。去年はUFOの観測とか夜中ずっとネットしてたりで、朝方まで起きてるから、昼間は電話に出なかったけど、電波がつながるにはつながったしな」
隼人もなんだかんだと径真を心配している口調だ。
「あの引きこもり人間が毎日、電波の届かない所に外出しているってのも考え難いし、充電切れてるのも毎日ってのはおかしいし。それにね……」
「それに、なんだよ」
思わせぶりに言葉を切った絵美に隼人が、気のない声で先を促す。
「径真がおかしくなったのって、あの日からだよね。あの屋敷に行った日」
「ばっか言うなよ!あの屋敷で、径真が何かに取り付かれたってのか?あの日の径真だって普通だったろ?」
「そうかな、私あの日は気にならなかったけど、今考えると何であんなに長いこと一人で屋敷の中に居たのか?とか、帰るときにだってなんだか中の様子が気になるみたいにしていたし、
結構心ここにあらずだったような気がするよ」
絵美は、不安そうに隼人に告げる。
「そう言われるとそうだよな。確かに、あいつの事だから幽霊が見つからなかったら、凄いイヤミとか田舎に対する愚痴とか出そうなもんだけど、そういうのは全く無かったし。
何かにあったのかな?」
「ちょっと、やめてよ怖い事言うの」
「元はお前が言い出したんだろうに。まあ、とにかく明日あたり、どっか3人で出かけるか」
急に明るい声を出して隼人が誘う。
「いいけど、どこ行くの?」
「そんなのどこだっていいだろ?普通に遊びに行くって事で、そういやこの前の罰金があるんだったな」
「あれ?隼人自分で覚えてたんだ、てっきり踏み倒すのかと思ってた」
隼人の調子に合わせて明るい声で絵美が言う。
「当たり前だろ。俺は約束した事は破らない主義なの。っていうか、今更ながら俺だけ額が大きいのが気に食わん。あいつにも、2000円位払わせよう。それで、6000円だ」
「そうだね、私達をこんだけ心配させてるんだから、それぐらい当然だよね。あー何して遊ぼうかな?それと、何おごってもらおうかな?」
「そうそう今から考えとけよ。ついでにどっか神社でも行くかこの辺りじゃでっかいところは無いけど、神主さんにあの白っぽい紙のはたきみたいな奴で、お払いしてもらおうぜ
なみあむだぶつみたいに」
絵美はたまらず笑いながら言った。
「なによソレ。幽霊払いに、神社って事?しかも、南無阿弥陀仏じゃお寺になっちゃうじゃない。しかも、はたきって失礼な。でも、お払いは無理でも行ってみてもいいかもね。こんな事でも無いとお正月以外に行かないし」
「おう!絵美も乗ってきたな。というか、絵美はあのハタキみたいな奴の名前知ってるのかよ」
「も、もちろん知ってるわよ」
言いながらパソコンの前に移動し、起動してあったブラウザで神社、白い紙、ギザギザなどで検索する。
「紙垂って言うのよそれ、覚えときなさい」
「あからさまに時間かかってるだろ。大体ググったら俺でも分かるわ。それじゃあ、径真は誘っておいてくれ」
絵美は、慌てて携帯をギュッと握り直した。
「え、そこは隼人から誘っておいてよ」
「あほか、今度出かける理由はこの前ので溜まった俺の金で遊ぶだろ?それなら、俺から誘うのはおかしいだろ。ほら、夜になったらきっちり電話しておけよ~、そんじゃ」
「別にあんたの金だけで遊ぶってわけでも無いじゃない。あ、ちょっと……っもー」
絵美は自分が、さっきより気分が晴れている事気がつくと。通話状態がきれているのを確認して、電話越しの繋がらない隼人に、小さくありがとうとつぶやいた。
電話は届かないからと、メールをと思い画面まで開いた絵美だったが、せっかくだし夜に電話しようと思い直し携帯を机の上に投げ出した。