幽霊は記憶喪失
「じゃあ、次は奈良香の事について教えてくれないか」
さんざん奈良香をいじめ倒した後で、径真は聞いた。
どちらかというと、こちらの方が本筋なのだろう。本に出てくるような幽霊の話ならその能力より、
幽霊になった経緯とか、誰を恨んでいるとか、そういった話の方が重要になる事が多い。
昔から幽霊は何かを伝えたいから現世に残るのが常だ。
愛していた人に裏切られた恨みとか、あるいは誰かに殺されたとか、好きな人に告白できなかった未練とか。そういう暗い逸話が付き纏う。
「私の事?いいよ」
無邪気に返事をする目の前に座った、朝靄のように透き通る彼女にも同じような話があるのだろうかと、径真はいぶかしんだ。
奈良香は生きている人間と全く変わらない澄んだ瞳で径真の事を見つめて、自然な笑顔を作った。
彼女の表情には、不思議なことに自身の過去を話す事に対する躊躇いが無いようだった。
「じゃあ、まず基本的なところからな。名前を教えてください」
しっかりとメモをとるために、鞄から大学ノートを広げるといたって真面目な口調で質問した。
黄緑色と白の淡い水玉が表紙の新品のノートの最初の1ページに、安っぽい100円のシャーペンでいまの発言をメモする。
”屋敷で出会った幽霊への質問 1.名前は?”
「ふふ、そう改まった口調で言われるとなんだかインタビューでも受けてるみたいだね。昨日も言ったし、もう径真も名前で呼んでるけど、名前は金松奈良香。
漢字で書くとゴールドの金に、松竹梅の松に、京都奈良の奈良に香るで、金松奈良香だよ」
「おっけー。それじゃあ、年齢、身長、体重、血液型をどうぞ」
「年齢は17歳かな、たぶん。身長は155センチだから結構小さいのよね、女子としては普通かもだけど、
あと5センチぐらい欲しかったです。体重はもちろんヒミツです。血液型は、O型天然系だよ」
奈良香の軽口には反応せずに、メモをしていた手を止め径真が眉をぐっとひそめた。
「体重は教えてくれないのか?」
今度は奈良香の顔にぐっと眉が寄る。
「径真さ、女の子に体重聞くのマナー違反だって知らないわけじゃ無いでしょ?私は普通の女の子なんだから、その辺りの気は使ってほしいな」
見た目はどこからどう見ても、普通じゃ無い少女がちょっと拗ねたように視線を逸らす。
「いや、大体でいいから教えてもらえる範囲でいいからさ」
「むー、じゃあねぇ。アバウトに言って30~50キロの間って事で」
「それ殆ど答えになって無いじゃん、その身長なら殆どがその間に入るんだから……」
「いいの!そのくらいの秘密は必要だし、人間関係を円滑にするためのスパイスみたいなもんよ。男なら気にしない、はい次っ、次のは答えるからさ」
「はぁ~、それなら、じゃあ次は奈良香のスリーサイズを」
「はーい。えーっと上から……ってそれこそ教えられるわけ無いでしょ!?ちょっと、径真大丈夫?ふざけてるでしょ!」
「なんだ、次は答えてくれるんじゃ無かったのか?」
径真は手に持ったペンを指先で器用にくるくる回しながらにやにやと笑っている。完全にわざとやっている目だ。
「ぐっ、こ、答えるとは言ったけど。そういうセクハラ質問には答えられません。径真の変態」
「まぁ、今のは冗談なんだけどな。さすがに俺でもスリーサイズが失礼なのは分かる」
しれっとして言う径真にじとっとした目を向ける。
こんな事言いつつ、私がのりでスリーサイズを言ったらそれはそれで、淡々とメモする気なんじゃ無いかと疑っている目だ。そして、多分それは正解だ。
奈良香の視線にも負けず、径真がまた口を開く。
「じゃあ、ちょっと突っ込んだ話になるけど、奈良香が死んだのが何時なのか教えてくれないか」
「……私の死んだ時ね。ちょっと、難しいというか、記憶がはっきりして無いんだけど、大体12年前くらいかな。まだ、この屋敷にも人が多くて、すごく賑やかだった頃の事だよ。」
自分の死の話なのに、奈良香はあっさりと答える。
教科書に書いてある年号を読み上げるとかそんな雰囲気、実感の伴わない無機質の事実。
「どこでとか、どんな風にとかそういった記憶が曖昧なんだ。ただ、確か近くにお母さんが居たような気がするんだよね。それが、お母さんに看取られたのか、ただの記憶違いなのか本当にあった出来事なのか、自分でも分からないんだけどね。
病院に居た記憶とかは無いから、病気では無いと思うんだけどね。結局体に傷があるとかでも無いから、良く分からないよ」
「奈良香の家族は何を?」
自分の死について、他人事みたいに語る奈良香に、自分の方が何だか我慢できなくなって径真は話をそらした。
「今は、わからない。12年前の記憶が殆ど無いって言うか、最近までの記憶がほとんど無いのよ。屋敷も古かったし多分、私が居なくなってすぐに出てったんだと思う。記憶が残り難いのかもね、この体って」
ふっと、寂しそうに笑う。
その体が、いままでよりも一層薄くなって存在感を失っている感覚を受けた。
前と変わらないままそこにある奈良香の体が少しだけ、薄くなり部屋の空気に溶けて行っているような気がした。
径真は不思議に思った。幽霊というのは、こんなに自分の死を達観というか客観視できる物なんだろうか?クラスの中で一番落ちついている?と評価されている自分でさえ、
飼っていた犬の風太が死んだ時の事を思い出すと、がらにも無く鼻の奥がツンとして、喉がつまりそうになるのに。
奈良香は自分の死についてまるで、歴史の教科書に書かれた偉人の亡くなった日を応えるようにあっさりと応えた。幽霊は自分の死について強い印象、怨念を持っていると勝手に思っていたが、ちがうらしい。
この漠然とした感じは、まる小学校の教科書に出てきた年号を覚えているみたいな、曖昧な記憶しか無いからなのかもしれない。少しだけ、違和感がこころの中に残る。
さて、それにしても、12年前という事は……。
「12年前に死んでいて、それに名前が金松さんという事は、12年前奈良香はここに住んで居たって事だよね?」
この屋敷の古びた門についていた、表札の名前は金松だった。
これは奈良香の苗字と一致する。それに、径真の記憶通りなら、12年前まではこの家には人が住んでいた。それなら、奈良香はここの住人だったのだろう。
もしかしたら、俺はここに遊びに来ていた幼少期に生きている奈良香に会った事もあったかもしれない。
今度は奈良香は昔を思い出すように、目を閉じた。口元に微笑が浮かぶ。昔の記憶を思い出す事にも抵抗は無いみたいだ。
「そうよ、私はこの家に住んでいたの。ここの屋敷ってけっこう大きいでしょ?お父さんお母さんだけじゃ無くて、お手伝いさんとかも住み込みで居てね。賑やかだったなぁ。
下の部屋は結構大きかったでしょ?正月になるとね。あの広さでも足りない位に親戚一同が集まって、さわがしく宴会してたんだよ。親戚の子供も、全員合わせたら一クラスできるんじゃないかってくらい。
金松家って昔の地主だったらしくて、ここも江戸時代から代々続いたお屋敷らしいんだけど。戦後の農地解放で多くの土地を手放したらしくて、そうじゃなかったらここの裏の山とか、
目の前から山裾までの田んぼとか、一帯が金松家の土地だったらしいの。だから、時代が時代なら私はお嬢様だったってわけ」
「奈良香がお嬢様ね」
顔立ちだけなら、深淵の令嬢でも通りそうだけれど、先ほどの寂しそうな表情ならともかく、今は発言の活発さとくるくると落ち着きなく動き回る視線のせいで、お嬢様っぽさは無い。
どちらかといえば絵美の方がお嬢様っぽい立ち振る舞いができるんじゃないだろうか、
あっちは洋風でこっちは和風だけれども。
「俺、小さい頃に多分この家に来た事あるんだ。この屋根裏で、俺と同じくらいの世代の子と遊んだような記憶があってさ。ここが見つけられたのも、そのおかげだと思う。奈良香はこの屋敷で俺と同じ位の年齢の人知らないかな?」
「私の記憶には、無いかも。ごめんね。本当に記憶が曖昧でさ。径馬は12年前だと5才位だよね。私に兄弟が居たのか、それとも親戚の子だったのか」
奈良香は腕組みしたまま、頭を振る。こんなに大きな屋敷であれば、親戚の子が泊まりがけで来ている可能性もあるし、奈良香の記憶が戻らない限りは分からないだろう。
「さっきも、言ったけど。俺はここに来たことあるみたいなんだけど、この部屋は奈良香の部屋なんだ?俺たち会った事無いかな」
径真は改めて部屋を見渡しながら尋ねた。
一階からは押し入れの階段で通じているこの部屋は、窓も無く全体が薄暗く、隠し部屋、物置部屋という感じでお嬢様の部屋という雰囲気では無い。
壁や天井も、綺麗な木目が覗いてはいるが、下の部屋のような複雑な彫刻も施されていないし、第一窓だって無い。
「無い……のかな。と思うよ。うーん、ここの部屋は元々は使用人用の部屋だったみたい。昔もっと人が多かったころに、使用人が入りきらなくなるからって、無理やり屋根裏に部屋を作ったらしいの。だから、階段も変な所にあるのね。
でも、最近じゃ使用人も減ってきて部屋として使う必要が無くなったから。基本的には物置になってたんだけど、隠れ家みたいでステキでしょ?私が気に入っちゃってよく使ってるんだけどね。
普通の部屋もあったんだけど、そっちよりこっちを良く使うようになっててね。だから、荷物もこの部屋にあるの」
荷物というのは、あの箪笥の中身だろう。
「この部屋を使ってた事は覚えてるんだけど、やっぱりごめん。径真に会った事があるかは分からないよ」
まあ、自分の兄弟が居たかどうかも怪しい奈良香に、遊びに来ていたガキの事を思い出せというのは無理な注文なのだろう。
径真は改めて、この部屋を見渡した。大人が暮らす部屋としては、ちょっと狭いと思わせる6畳ほどのスペース。この大きさの屋敷なら間違い無くデッドスペースになるか、物置にしか役に立たないだろう。
隠れ家という表現は結構的を射ていた。
もし径真の家に同じような部屋があったら確実に秘密基地にしていただろう。押し入れの中にある階段に、窓が無く外からはその存在の分からない秘密基地。男の子のロマンだ。
「いいなこの部屋。お嬢様が住むには質素を通り越して貧乏くさいけど。秘密基地っぽいワクワク感がとてもいいな」
「でしょ、でしょ!いいわよね。特に階段が押し入れにある辺り、ここ作った人センスあったんだろうな~。下の部屋みたいに、緻密な装飾があるのもいいけど、木目の美しさってものもあるのよね」
ちょっぴりうっとりした目で壁を見つめる。うん、間違い無いこの子変な娘だ。
径真は、頭の中で奈良香の評価に自分と同類と付けた。
それにしても、自分がこういう行動を取ると引かれるのに、ただ壁を見つめてうっとりしているのが、目の前にいる半透明な美少女だと何となく絵になってしまうのが、なんだか憎らしかった。俺とか隼人みたいな一般人は、どんなに絵になりそうな所に行っても、絵の一部じゃなくて、絵の前でガキが群れてるようにしか見えないのに。
「奈良香ってこの部屋以外も出歩けるんだ?」
「うん、特に行けない所とか無いんじゃないかな。太陽がだめって事もないしね。もっとも、人に見られたくないし、知られたくないからこの家の敷地から出る事はめったに無いけど。こんな空家にまさか、入って来る人がいるとは思って無かったしなあ」
自分で言って奈良香がくすくすと笑う。
壁抜けできた所から想像はしていたけど、奈良香はこの場所に縛られてはいないようだった。この部屋で出会ったのは、この場所がお気に入りの場所だからなんだろう。寝るのもここみたいだし。
「人に会いたく無いのはなんで?昨日今日と俺と喋ってる限り、特に人に接しても問題ないみたいだけど」
実際に言葉を交わすだけじゃ無く手に触ったりもしているのだし。会話も無邪気なものだった。人と接するのを苦にするタイプには見えない。
「そりゃあ、この部屋にずっといるのここち良いし、外に出る必要感じ無かったっていうか」
奈良香は部屋にあった襖を開け押し入れの上段に腰掛けて、足をぶらつかせながら応える。後ろに朝見た布団がチラッと透けて見えた。
重度の引きこもりかよ。12年とか伊達じゃないぞ。
「……それに、外に出過ぎると大事な時に活躍できなくなるしね」
ぽつりと奈良香が漏らす。大事な時に?活躍って何をするんだろうか。
「大事な時にって事はあんまり長い時間外に出ると、消えちゃうって事なのか?」
奈良香は大きく首を振ると、押し入れの天井を仰いだ。
「ごめん、ただの独り言だからさ。深く考えないでよ……特に長い事外に出た事無いから分からないんだけどね」
「外が嫌いって事なのか?」
「う~ん?どうだろ、普通だと思うな。でも、しいて言うなら、人と会ったときに大声出されたり、人に逃げられたりするのもちょっとね。自分が異質なんだなぁって感じるのは、さびしいんすよ。
人間の社会からはみ出してるわけだし、それも当然だって分かってるんだけどね。こうやって部屋に一人で居るだけなら、そういう事は考えなくても済むしね」
付け加えるように告げたその言葉に、奈良香の思いが詰まっているような気がした。奈良香も、幽霊になりたての頃は外に出歩いていたのかもしれない。それで、周りの人に気付かれて驚かれ、逃げられ、そんな事が
トラウマになって引きこもっていたのだろうか?もしかしたら、この金松家が引っ越してしまったのは、奈良香の幽霊が出るからで、そのことがショックになっているのかもしれない。
「うん?どうしたの、次の質問は?」
息が詰まってしまった径真にくったくのない笑顔を向ける奈良香は、径真との会話に凄くはしゃいでいるように見えた。
径真の口から、次の質問が出なくなったのは何も、奈良香の事を可哀そうに思ったからだけでは無かった。
ちょっと質問を整理したいから、と言って結局話に集中してしまってあまりメモを取れなかったノートに逃げ込んだ。シャーペンで汚い文字を書き連ねる。一心不乱に会話の内容をノートに書く振りをしながら次の事を考える。
次はもっと重要な話を聞かなければいけない。何で奈良香が幽霊になったか。つまり、現世にどんな未練があるのかだ。
奈良香が幽霊になってから12年も経っている。それなのに未だここに居るという事は、果たせなかった未練があるのだと思う。話としては、非常に興味があるしこの話を抜きにして幽霊話はできない。
でも、本当にそんな話に立ち入ってしまって良いのだろうか?
さっきから、暇をもてあましてなのか、押し入れの上の段と下の段をわざわざ壁抜けでひょいひょいと移動している奈良香を見ると、聞いたら答えてくれそうな気がする。
一方で、12年もの間この薄暗い部屋から殆ど出ていない奈良香が心に大きな闇を抱えている気がして、簡単に聞いたらとんでもなく後悔しそうな気もした。
「あのさ、奈良香」
「うん?なに?」
おへその位置で丁度上半身が上段、下半身が下段に分かれた奈良香が顔を向ける。
「いや、えーと、何でも無い。好きな食べ物って何だ?」
径真は心の中で、自分を罵った。好きな食べ物って何だよ!誤魔化すにしても適当すぎるだろ。それに、幽霊にご飯の話とかもし地雷だったらどうするんだよ俺!
そんな径真の葛藤に気づかないふりをして奈良香は答えた。
「何?買って来てくれるの?なら、おにぎりがいいな。コンビニのツナマヨね!」
ぴしっと、肘を伸ばした理想的な挙手!のポーズ、胴体が輪切りになってる状態は異常だが、何だかキリっとした表情で威圧感がある。おにぎりに相当の拘りでもあるのだろうか。
「あ、ああ。今度来る時に買ってくる」
あまりに、真剣な奈良香の様子に気おされて好きな食べ物でおにぎりって、というか食べ物食べれるの?!という突っ込みを入れるのも忘れ径真はなんとか答えた。
「じゃあ、約束ね。よろしく~」
今度は、押入れの天井に下半身だけ差し込んで、逆さ釣りになった状態でにこにこ顔で応える。
どれだけ暇なんだろうか、さすがに呆れながらも径真も落ち着いた。
聞かなければいけない決定的な事を聞けなかった気がする。偶然会った可愛い子のアドレスを聞きそびれてしまったとかより、もっと大きな失敗な気もしたが、
まあ、いいさ。まだここに来る事は許して貰えてるみたいだし、時間はたっぷりあるんだ。もっと仲良くなって、聞けるようなタイミングで聞けばいい。
夏休みは未だ長い。12年も続いた奈良香の幽霊生活が、この先2・3日で終わるはずも無いんだから。
「じゃあ、また明日な」
太陽がすっかり高く昇ってお昼になってから径真は帰る事にした。手にした荷物には、今日の記録がたっぷりと入っている。これだけで、歴史的な重大な資料になるだろうと思われる、資料の数々だ。
なにせ、実際のはっきりとした幽霊の記録だ。過去に沢山の心霊写真や、幽霊の居た証拠はあったが、かつてこれほどまでにハッキリした証拠は無かっただろう。なにせ、本当に喋っている所や透けている所が映像に残っているのだから。
お腹もそろそろ空いてきているし、奈良香はずっとここに居るそうだから、いろいろやったし初日はこの辺でお別れしようというわけだ。
「あっれ~、もう帰っちゃうの?」
奈良香の方はつまらなそうに、視線を向けた。
「また明日来るからさ。あの、迷惑じゃ無いかな俺がここに来るの?」
「別に迷惑じゃ無いよ。私はずっと一人でこの家に居たから、一人で居るのが平気になってたけど、案外寂しかったのかも。今日径真と話せて良かったよ楽しかった。また明日ね」
それから、約束のおにぎりを忘れないようにと、釘をさしながら軽く手を振る奈良香に、径真も手を振って階段を下りた。
埃だらけの廊下を抜けて玄関の扉を開ける。
部屋に居る時には感じなかったのに、呆れるほど暑い太陽が径真を迎えてくれた。