幽霊は変人に見えるもの?
昼間の熱気を保ったままの部屋は、いまだにサウナのように暑かった。
都会は暑いけれど、田舎は夏でも相対的に涼しいだなんて、そんな事を言った人間は誰なんだろうか。そう都合良くはいかないものだ。
山が近くにあろうとも、盆地は夏に暑く冬に寒い残念な地形なのだ。
建物が少ない分、エアコンの排熱は少ないかもしれないけど、その分クーラーの良く効いたコンビニも少ない。
ショッピングに行くとしても、町に唯一のモールに行く位だし、そんなところに行けば必ず知り合いに出くわす。
遊ぶところが少ない分、暑さも少なくなればいいのに、世の中はそういう風にバランスはとってくれないものである。
「あっついなもう。この時間だって言うのに、なんでこんなに暑いかねぇ」
紺色のジャージに緑地に英語のロゴの入ったTシャツ一枚といった、だらけた出で立ちの少年がうんざりしたように口にする。
ベッドの上に置かれたネズミのキャラクターの目覚まし時計は、もう午後8時を示している。
それなのに、部屋の暑さはちっともおさまる気配が無く、さっき冷蔵庫から持ってきて机に置いたばかりの氷と麦茶の入ったコップは、すでに大量の汗をかいている。
その少年……径馬は机の上に放ってあった団扇を手に取ると、ばたばた仰ぎ始めた。団扇の柄は、濃い紫色をした朝顔の図柄だ。
といっても、朝顔が書いてあるのは、ほんの一隅だけだから、あおいでいる時には、ぱっと見には真っ白にも見える。
和風のセンスのある絵とも言えるが、目下のところ必要なのは涼しさであって、あおぐと目に入らない僅かな図柄なんて彼は興味がないようだった。
「暑さは愚痴っても変わらないって、それよりまだ来ないのかよ。8時に、径真の家って確かにメールしたのにな」
隣では径真の友人である隼人が、暑苦しそうに片手で団扇を仰ぎながらTシャツの胸元をつかんでばたばたさせている。
「今になって、ビビってるって事でも無いよな。こんな事なら迎えに行くべきだった」
「あいつがビビるかよ。いつも通りルーズなだけでしょ、迎えにって言ったってココが一番近いんだから、めんどうだろ」
「まあ、そうなんだけどさ。俺時間どおりに来ないのとか嫌いなんだよ。待ってるってのが一番バカバカしいって言うか、自分も相手も時間の無駄だろ。
メール一本いれて30分集合遅らせるとか、連絡よこせばいいのにさ。5分10分の遅れは遅刻に入らないと思ってるんだよな」
彼はうんざりした調子で、口にした。隼人は彼の厳しい言い方に眉を顰めながら諌める。
「まあ、気持ちは分かるけどな~。それ、女子達には直接そんな言い方すんなよ。なるべくオブラートにな、オブラートに、
あいつら結構根に持つからさ。ここだけの話、誰とは言わないけどお前口がキツイって結構陰で言われてるからな、気にし過ぎるのも良くないけどちょっとは、あいつらにも優しくな」
「優しくねぇ。俺は誰にでも優しいつもりだけどね」
取り合わない径真に肩をすくめながら、隼人は話題を変える事にした。
「それより、この番組見ようぜ。ちょうど、ホラー特集やってるし、気分盛り上げるのに丁度いいだろ」
径真がテレビに目をやると、確かに彼の目を引くタイトルが並んでいた。
”夏の怪談百物語”
”都内某所で連日目撃される幽霊にカメラが迫る”
”幽霊か?トリックか?心霊写真特集”
夏になると必ず流れる特別番組の一つで、毎年この時期にしか活躍しないタレントもいる位だ。
彼は、体をテレビに向けると、麦茶を手に取り喉に流し込んだ。どうやら真剣に見るつもりになったようだった。
径真と隼人は、同じ県立高校に通っているクラスメートだ。二人とも田んぼと山と畑がメインのここ湊山町に住んでいる。
通っているといっても、今は高校は夏休み。人にっては、部活にいそしむのかもしれないが、二人は帰宅部で、
しかも高2だから受験はまだまだ先で余裕とばかりに、最近は家から出ずにだらだらした日々を過ごしている。プチ引きこもり生活だ。
テレビに映ったのは、薄暗い闇の中にうずくまる女性姿をバックに踊る血のように赤いテロップだ。
定番のように血のように垂れるデコレーションが施されている。
どこかの廃墟に取材班が訪れるところから、映像は始まっていた。
『私達は現在、ちょっと場所はお教えできないのですが、とある廃墟となった病院に来ています。ここは、ですね戦後初期に建てられた総合病院なのですが、
現在20年前の廃墟になって以来、誰の手も入っていないという事です』
テレビで偶に見かけるB級男性アイドルがリポートの主役のようだった。
こんな場所にまで来なきゃいけないなんてアイドルも大変だ、今のアイドルは歌や踊りが上手いだけではダメで、
こういう仕事も必要なんだな~などと考えていると、隼人から声がかかった。
「なあ、今の場所どこか分かるか?」
「今のって、この番組に出てる病院か?さすがに今の映像だけじゃなぁ。もうちょっと、どうして潰れたかとか、せめてなに県とかのヒントが無いと
無理だな」
「なんだ、こういうの詳しいんじゃ無かったの」
「俺が詳しいのは、妖怪とか幽霊とかだけど、どっちかって言うと民間伝承っていうか土着の信仰とかと関わってる事だから、
現代風のは全然、まあ全くの一般人よりは詳しいと思うけど」
ふーんそんなものか、と隼人はうなずく。
径真はいわゆるオカルトと呼ばれる物が好きだった。幽霊や妖怪だけで無く、UFOやネッシーなんかも好きだから、
広く浅く超科学が好きなのだが、一度クラスで定番だと思って四谷怪談や、皿屋敷を披露して以来、何かとネタにされていた。
テレビの画面では、取材班が廃墟に侵入するところだった。テロップに”注意 特別な許可を取って撮影しています”という字が流れる。
こういう字が出ると今までオカルトの世界に居たのに、一瞬で現実に引き戻されるなと思いながらぼんやり眺めていると、
径真の携帯に着信があった。スマートフォンのディスプレイに名前が表示される。
山里絵美
すぐに携帯に出ると、絵美の甲高い声が聞こえてきた。
「あ、でたでた。ごめんね準備に手間取っちゃってさ。今から20分後位にそっち行くけど、大丈夫?」
絵美の軽~い声に、自然と径真の声が非難ぎみになる。
「大丈夫だよ、隼人も一緒に待ってる。今度こそちゃんと時間通りだろうな」
「あーごめんって、そんなに怒らないでよ。今度はちゃんと時間通りよ。もう自転車でそっち向ってるし、聞こえない?風切ってる音するでしょ。あと2キロ無いからちゃんと着くって」
「まったく、お前はマイペースだな。了解、電話しながらだと危ないから気をつけろよ」
たったそれだけの会話だから30秒もかからない。
径真は、通話を切ると隼人に伝えた。
「絵美今か20分後に来るってさ、俺達も後ちょっとしたら出る準備するか」
「おっけー、了解。ちゃんと、気をつけろって言う辺りちゃんと気を使ったんだな」
「お前に言われなきゃ、あんなこと言わないさ。あれでいいのかね、案外絵美のやつキモチ悪って思ってたりしてな」
そんな事は無いこういう気遣いがあるか無いかで、女子との付き合いが大きく変わるのだよ、と力説する隼人の話を聞きながらテレビに視線を戻すと、さっきのリポートは終わり、
スタジオの風景に変わっていた。
どうやら、リポートの途中で撮れた映像について、専門家が解説するようだった。
日本の幽霊文献のエキスパートや、超科学研究所の所長や、心霊現象を説明するために集まった人たちは、ほとんどが初めて見る肩書きの人ばかりだ。
専門家達は、分け知り顔で見ている映像について、意見を述べて行く。
『やはり今回カメラに写っていた物は映像が不鮮明ですが、火の玉、狐火だと考えられます。このタイプの映像は・・・』
『この映像は、霊による影響だと私は考えます。昔は医療技術が未熟だった事もあって、この病院でも多くの救われなかった患者がいたのでしょう。おそらくこの形から中年の女性の霊ではないかと思われます。彼女は生前・・・・・・・・・』『いや、この現象はおそらく取材陣の照明機器がガラスに反射して映り込んだ物ではないでしょうか。ほら、カメラの動きに合わせて揺れているでしょう。このように科学で説明・・・・・・』
中でも一番発言しているのは、”日本超次元科学研究所所長 時任 明俊”と書かれた椅子に座る白髪交じりのおじさんだった。
「なんだよ”日本超次元科学研究所”って」
隼人が馬鹿にした口調で言うと、径真も同意した。
「胡散臭すぎるよな。こういうのって、名乗ったもの勝ちだからね。研究所とか言っても結局自宅の一室とかで、ろくな事してないんだろうな。
このおっさんも、いい年して、幽霊研究とかね普段何して働いてんだろ?」
「さあねえ、さすがにニートじゃないだろうし、ひょっとすると本当にどっかの研究所に居て、趣味で幽霊研究してるとかかな」
「研究者ねぇ、まあ、普通に市役所で働いていますとか、サラリーマンで営業してます、みたいな感じでは無いよな。普通の職場の人がこんな変わったテレビに出てたら恥ずかしもんな」
「確かに、家の父ちゃんの上司とかだったら笑えねえよな。時任幽霊担当課長とかフザけ過ぎてる」
くだらない事をしゃべって居るときほど時間はどんどん過ぎるものである。
結局なんだかんだとしゃべっているうちに、すぐ8時半になって、家に到着した絵美を迎えに径真と、隼人は部屋を出た。
山里絵美は、自転車にまたがった格好で家の塀の外に立っていた。
「ごめん、お待たせしました!」
「おう、遅いぞ。ってお前その格好で来たのかよ」
隼人が思わず口に出したように、絵美はなかなかに不釣り合いな格好だった。
足元は、真っ黒いかなり厚底なブーツ、それに白黒の縞々のニーソックス、大きくふわりと広がった黒のスカート。それにも白い糸で多くの細かい刺繍が施されている。
上着は白いヒラヒラのついたブラウスに、バラの花のブローチが一つ、手には肘までの薄手の手袋、最後に縦に捲かれた髪には赤いリボンが着いている。
彼女は洋服に関して独特なポリシーを持っているらしくいわゆるゴスロリファッションが好きなのだ。
「なによ、いいじゃ無い。好きなんだから。そっちこそ、ファッションなんて全く気にしない格好してるくせに」
絵美に指摘されたように、男二人の格好はお世辞にもファッションとは呼べない代物だ。
洋服に気を遣う人なら部屋着でもこんなにダサくない。
「俺達のファッションはいいんだよ。動きやすさ重視って事で、そっちはせめて靴だけはまともなの履いて来いよな。10年以上放置されてる空家だから、足元悪いぞきっと」
「動きやすさ重視じゃなくて、部屋着のまま出てきただけじゃないの。でも、そうね」
軽口を止め、径真の言葉に少しだけ思案すると、
「径真、ちょっと靴だけ貸してくれる?他の洋服だけは絶対に外せないけど、靴はこの際しょうがないわ。転んで服破いたり、髪汚れたり、怪我したら大変だもんね」
「服より自分を先に心配しろよ。おっけい、妹のスニーカーで多分入るだろ。あいつまだ中学生だけど、絵美も身長は中学生位だもんな」
すぐさま家に取りに戻る径真の背中に向かって、
「いちいち人の気にしてる事言うなー!」
絵美の文句が聞こえた。
3人は月が照らす夜道を歩いていた。
周囲の田んぼからは、カエルのせわしない合唱が聞こえ、風が吹き抜ける度に、稲の絨毯が波のように大きくうねっている。
農道と呼ぶにふさわしい、軽トラック一台分しかない幅の道だ。舗装もされていないから、わだちの部分以外は雑草がぼうぼう生えている。
先頭に絵美、右後ろに隼人、左後ろに径真の順になる。
絵美は、靴をブーツからスニーカーにチェンジし、軽快に歩いている。歩幅は小さい癖にともすれば後ろの二人を置いてきかねないスピードだ。
「ねえ、なんだかこんな風に歩くのって新鮮だね」
歩くリズムに乗せて、絵美が後ろ振り向き二人に話かけた。
「そうだな~、学校終わりに三人で歩いてる時とは雰囲気違うもんな、今は制服じゃ無いし」
「こんな時間だもんな、普段は明るいうちにしか歩かないし、そもそもこんな田舎道じゃなくて、まだちょっとはましな道歩くもんな。
せめて、ダサいながらも店はあってさ、その中で気になるところに入ってさ。でもなんていうか、こういうの新鮮だよなぁ」
3人で一緒にうんうんと頷く。普段一緒にいるだけあって、こういう時のタイミングの一致は抜群だ。
「それで、あとどれ位なの?」
絵美が径真に尋ねた。
「あと、大体5分位だな。あそこの大きな杉の木を曲がれば見えて来るよ」
「うわー。結構遠いわね。携帯ももう圏外になっちゃったし、その屋敷に住んでたら不便よね」
「金持ちだから、もし今も住んでるなら自分で基地局立てちゃったりしてな。それに、そんなに遠く無いだろ、興味あればこれから何度でも来れるよ」
「それは遠慮しとく。一人で肝試しをしに空家に入るなんてぞっとするわ」
「なんだ、意外だな。怖いのか?」
「いや、怖くは無いんだけどさ。私幽霊とか信じないタイプだし、暗い所もそんなに苦手ってわけじゃ無いけどさ。そんな所に一人で行くなんて、なんか友達いない奴みたいで嫌じゃん。
肝試しってのは、みんなでやるイベントだから楽しいんだよ。この3人でだったら何回か行ってもいいけど」
「径真の話じゃ、そんなに大きく無いんだろ?その家。だったら一回で飽きちゃうよ。今回限りって事にしようぜ。それにしても、径真も絵美も幽霊信じて無いなんて、こりゃ絶対に幽霊出てこないよな、
幽霊って、霊感あるやつのところにしか出ないって言うし」
隼人の言葉に驚いたように、絵美が尋ねた。
「あれ?径真ってオカルト好きなんじゃ無かったっけ?」
径真も間髪入れずに返す。
「好きだよ。……ただ、幽霊を信じてはいないけど」
「??よく分からないけど、普通好きな人は、幽霊とか妖怪とか信じてるんじゃないの?」
「俺は、科学で証明できない物を科学で証明してやるのが好きって事だ。見える人には見えて、見えない人には見えないなんて、そんな話があるわけ無いだろ。そういうのは、結局錯覚か妄想だよ。
そいう言う風にして、幽霊も居ないって事を証明してやりたいってだけさ」
「ふーん。前々から径真って変わってるって思ってたけど、オカルトマニアとしてだけじゃ無く、人として変わってるんだね。なんていうか捻くれてるって言うか。どっちかって言うとオカルトより、科学マニアって感じかな」
「科学って言うか、似非科学って感じだけどな、こいつの場合。でも、そういう奴に限って自分が見ちゃうと全然性格変わったりするんだよね」
隼人が混ぜ返したが、径真は鼻で笑った。
「ふん、見せられるものなら見せてみろってもんだ。こっちから、見せて下さいってお願いしたい位だ。でも、残念なことにこういう、まともな人間のところには現れないらしいな」
「お、オカルトマニアがまともな人ぶってるぞ、どっちかっていうとまともより変人のタイプだろお前、きっとお前のところには現れるな」
「もし俺の所に現れてくれるんなら、俺は変人認定されてもいいよ」
「よっ!この変人、いや変態!」
隼人が調子に乗ってふざけた。
「変態は違う。何言ってんだよ、本気で女子更衣室除くために更衣室の外壁のコンクリを削って穴あけて、足場作ってた奴の言う事じゃないな」
「それ、なんの話?」
絵美がじとっとした目を向けたので、隼人は本気で慌てて、
「いやなんでも無いなんでも無い。なあ、そうだよな、径真!」
「なんでも無いか~。さっき隼人が俺の事を変態よばわりしていた気がするけど、あれは気のせいだよな」
「はい!気のせいです。変態は僕の方でした」
真面目な顔をして、変態宣言した隼人に、プッと二人が吹き出し笑い出す。
笑いはしばらくの間続いた。
3人が先ほどの大きな杉の木を右に曲がると、そこに一軒の家のシルエットが見えてきた。遠目で見ても背の高さから、かなり大きい平屋だと分かる。
「いいよねぇ」
「うん?何がだ?」
「こういう夏らしいイベントって。非日常の香りがするって言うかさ、夏満喫してるぞーって感じがして大好き!」
絵美の突然の無邪気な笑みに、男二人の動きが止まる。絵美はそれだけ言って満足したのか、
前を向いてるんるん歩きだす。
服のセンスには賛否あるが普通に見て絵美は十分過ぎるほど、可愛らしい女なのだ。
名前の通り絵のように美しいのでは無く、絵にも描けないくらいの活発さと愛くるしさがある。
「い、行こうか」
「あ、ああ」
動き出した二人の顔はなぜだか赤く染まっていたようだ。
その大きな日本家屋は、近づくとよりその大きさが際立っていた。
家そのものの大きさはそれほどでも無いが、庭を含めた広さで考えると結構広く、ぱっと見たところで、
道に沿って建てられた石造りの塀だけでも50mはありそうだった。
石の塀は両手で抱えても持てないほど大きな石が、一見乱雑だが実は隙間なく敷き詰められ、
何年も放置されていたはずなのに、全く隙のない頑強なたたずまいをしていた。
その長い、壁の真ん中地点に、立派な木で作られた大きな門が据え付けられている。
左右の柱は、どこかの巨大な原木をそのまま使っており、節目の大きくうねった木が威圧感を出している。
門に付けられた両開きの扉は、こちらは使われていた板材が腐ってしまっているのか、下半分が完全に欠けてしまい、
少しかがめば誰でも出入りできるようになっている。門の柱には、風雨にさらされて大分色の薄くなった表札がついている。
”金松”マネーの金に松竹梅の松とは、なるほど、いかにも金持ちそうな名前だった。
三人は、門の前で立ち止まると、今日の肝試しについてルールを決める事にした。
まあ、肝試しといってもこの人数なので一人一人回るという事をせず、全員で出来れば家の全部を見て終了にすることになった。
その代わりに、怖いと言った回数×100円を罰金にして、後日それを軍資金に街に繰り出して豪遊しようという事になった。
「じゃあ、怖いって言った人はその回数覚えておけよ。スタートは門をくぐった瞬間から、ずるはなしだぞ」
それから、と径真はリュックから人数分の懐中電灯を取り出し二人に手渡した。
「明かりはこれで、たぶん中は暗いから十分じゃないだろうけど、念のため。無くさないように気をつけてくれよ」
「おっけー、ありがとう。じゃあ、隼人今のうちに怖いって言っておいたら?なかに入ったら言えなくなるし」
おどけた調子の絵美に、隼人は懐中電灯のスイッチをいじりながら、
「さんきゅーな。うん?そうかじゃあ、いっちょいっとくか?こわい、怖い、怖い、怖い、こわい、こわい、子わい、子Y子Y子」
「なんか、こうして見ていると……お気の毒な人って感じが……ところで誰よY子って」
「おい!やらせといてそりゃないだろ!でも、怖いって言ってると本当に怖い気がして来るから変だよな。この辺でやめとくわ」
「ふざけて無いで行くぞ!じゃあ、こっから怖い禁止肝試しスタートだ」
径真は、ライトを片手に勢いよく木の扉をくぐった。
扉をくぐった先にあったのは、庭園だった。奥に見える日本家屋の玄関までは、長方形の石が組み合わさってまっすぐな石畳の通路となっていたようだ。
今は、その石畳のいくつかが割れ、周囲に生えていたであろう木が倒れているのもあって、若干歩きにくい状態になっている。
三人は注意しながら、少しずつ進んだ。今度は、横一列の状態だ。
月明かりがあるものの、塀に囲まれ高い木もあるため、庭全体が薄暗く広いためにどうしても影になる部分ができてしまう。
三人がそれぞれに照らす明かりが揺れて影が大きく動く。何もいないと思っても、自分や他の二人の気配にすら緊張してしまう。
「なあ、径真この家っていつから空き家なんだ?」
隼人が石畳の上に落ちている木の枝を蹴飛ばしながら聞いた。
「詳しくは知らない。でも、うちの親の話だと、12年前までは人が住んでたらしいよ。覚えてはないけど、俺も小さい頃この家の子と遊んでたらしい。
でも、その子が事故で亡くなって、それから残った家族は居なくなったらしい。事故のショックのせいとも借金があったとも言われてるけどね。だから、もし出るとしたら子供の幽霊だな」
「意外と最近なんだね。そっか、10年くらいで家がこんなに荒れちゃうんだね。でも、って事はその幽霊は径真の知り合いって事になるよね。じゃあ、やっぱり径真の元にでるんじゃない?」
絵美がライトを自分の顔の下から当てて怖い顔を作ってみせる。
負けないとばかりに、径真も自分の顔の下からライトで照らしながら言い返す。
「出て来て欲しいぐらいだぜ。それより、そろそろ絵美、あの言葉が言いたいんじゃないのか?」
「ぜーんぜん。まあ、ちょっとは暗くてこ……不安だけど、全然余裕よ。それより、隼人の方がヤバいんじゃないの?」
「ただ暗いだけだぞ、さすがにこんなもんで怖くは……あっ!?」
「よし、隼人さんから百円頂きましたー!」
「なあ、径真、今のはなしだよな?俺が言ったのは説明で言っただけで、怖いと感じてるわけじゃ」
「はい、二百円目頂きましたー」
「えっ!それもありかよ~カンベンしてくれよな」
「はいはい、隼人の負けだ。絵美もいじめるのはそれくらいにしとけよ。隼人が二回ね、自分で覚えといて」
勢いに負けて結局払うことになってしまった隼人はしぶしぶ顔で従う。
そんな話をしているうちに、家の玄関部分に辿りついた。
家そのものは大きい事を除けば普通の家のようだった。
外から見るといかにも古くから伝統のある旧家ですと主張しているように見えたが、壁も柱も結構新しい物だった。
基礎のコンクリート部分が見えているし、何百年と経っているという事は当然無く、どれだけ古くても戦後に建てられたものだろう。
もしかしたら、基礎だけ作り直して古い家をそのまま補強しながら移築したのかもしれない。
玄関は横にスライドするタイプの曇りガラスのドアだった。木目調の格子がはまっていて、案外丈夫そうである。
ここは思ったほど、痛んでいないのかガラスも割れておらず、ドアがきっちりと閉まっている状態だった。
径真はそのドアを躊躇無くとってに手をかけると、力を込めた。長年放置された割にはギシギシと軋む音はするものの案外するっと、ドアは開いた。
ドアを開けると、家の中にずんずん進んで行く。その後ろから、申し訳なさそうに絵美と隼人が続く。
しんがりの隼人は何となく気になったのか最後にぴったりとドアを閉めた。
入った先は広い玄関があり、そこを抜けるとだだっ広い板の間があった。おそらく、たくさんの美術品やら何かが飾ってあったと思われる、
台座があったが今はそこには、何も置かれていなかった。それよりも、全体が埃だらけだった。
「うえー、なにこれ、ホコリだらけじゃない。ちょっと、服汚れちゃうじゃない。私帰ろっかな」
「おいおい、ここまで来て帰るの勿体なく無いか?もしかして、絵美ちゃん恐ろしくなってきちゃったのかな?」
「隼人じゃあるまいし、このくらいで怖気づかないわよ。でも、予想外。埃ってこんなになるんだ。ねえ、見てよ」
絵美は、つま先で玄関脇の埃を蹴り上げた。
ふわふわと灰色の塊が宙に舞う。舞う。
「ゲホっ、う~コホっ。ホントにヤバいよこれ。喘息とかなったらどうしよ」
「ゴホっ、ゴホっ。ばか、何やってんだよ。人を巻き込むなよな」
締め切られた室内で舞い上がった埃は中々落ちてこないで、ひらひらと二人のまわりを舞い続けている。
「おい、二人とも何やってるんだ?先行くぞ」
径真だけは、マイペースで先に板の間の上に乗って天井にライトを当てて観察している。当然のように靴は脱いでいない。
さりげなく、口をハンカチで押えて埃対策までしている。
「あー、ごめん私はパス。これ以上汚れたところに、この格好でここに入るのは私のポリシーが許さない」
絵美のやる気が果てしなくダウンしている。
洋服にこだわりがある分、汚れにもうるさいらしい。すでにスカートにも、ブラウスにもたくさん埃が付いているので、手遅れな気もするが気づいた以上許せないんだろう。
「おいおい、何しに来たんだよ。というか、それくらい分かってただろ」
「気が変わったの。というか、予想以上だった。なめてたわ、10年の空き家って、私の人生の半分以上だもんね」
「それじゃ、隼人は行くだろ?」
「俺は汚れはいいんだけど、絵美に付いてるわ。さすがにここで女の子一人にはできないわ」
「意外と隼人ってフェミニストなんだ、やるじゃん隼人の癖に」
「癖には余計だ。ちゃんと感謝しろよー」
「あ、その一言で台無し。あーあ、全く残念な男ねほんと」
「お前ら、ホントに今日何しに来たと思ってるんだよ。まだ、入口だぞ。まあ、分かった隼人は絵美に着いててくれ、こっからは一人で行くよ」
径真はあきれたように言うが、二人とも奥に踏み込むつもりが無いようで、むしろ玄関に向かって引き返している。
「じゃあ、がんばれよ径真!幽霊に会ってもビビるんじゃねえぞ」
「気をつけてね~、家の中は、見たところ汚れてるだけみたいだけど、壊れてるところもあるかもしれないし、怪我しないようにね!私たちはもうちょと庭を見て回ってるよ」
手をひらひらさせながらドアの向こうに消えていく二人を、径真はため息をつきながら見送った。
あいつら何しに来たんだよ、自分一人でも肝試しらしい事をしよう。そう心に決めると、奥の部屋に向っていった。