第六話 『異常事態』
気が付くと、深鈴は大きな椅子に座っていた。今いち状況が掴めず、周りを見回そうとすると頭が何かに引っ掛かる。深鈴は被っていたヘルメットの様な物を外し、やっと自分がNRWにログインした所に居るのに気付いた。今まで居た場所とは逆に、最先端の機器達に囲まれた、狭いボックス状の部屋。外からは完全に隔離されていて、小さな窓一つ無い。体だけはこんな所にずっと居たのかと思うと、深鈴は何だか複雑な気分になった。
「そう言えば、あれからどうなったんだろ?」
ウィルに薦められるままにログアウトしてしまったが、あのコロボックルは無事なのだろうか、と不安になる。もう一度ログインし直すべきか悩んでいる最中、ふと深鈴は自分の膝の不自然な重みに気付く。
「?」
鞄でも置いていたかと思い、視線をそこへと動かした深鈴はそのまま凍り付いてしまった。
「深鈴、起きてるなら開けてくれ」
聞き慣れた声のおかげで我に帰ったが、状況は変わらない。深鈴は扉を開けたものかどうか迷ったが、開けなければ事態は進展しないだろう。そう考え、深鈴は膝の上のものをそっと抱き抱えると、少しだけ扉を開けた。
「急にログアウトするなよ……って、何持って……え?」
康は最初、不機嫌な顔をしていたが、深鈴の腕の中を見ると、驚きに目を丸くした。
「……これ、どうしよう」
深鈴の声は、当然の事ながら途方に暮れた物になっていた。
「……か、筧さんに…相談しよう、か?」
自然に、康は小声になる。こんな事態、自分には解決不可能だと思ったのだ。深鈴はその提案に声も無く、こくこくと頷いて肯定する。そうして二人は『それ』を隠すように、そそくさとその場を離れたのだった。
ロビーに出ると、そこには待ち構えるように筧が立っていた。
「あ、お帰り。二人共、ちょっとマズい事になったぞ」
「え、あ…あの、こっちもマズい事に……」
康の歯切れの悪い物言いに、筧は怪訝そうな顔をする。
「何か、あったのか?」
「あ、えっと、これ……」
康がおどおどと深鈴に視線を送ると、深鈴は無言で隠し持っていたものを筧に示した。一瞬にして、筧の表情が固まる。
「な、んだ……?」
深鈴の腕に抱かれていたのは、身長四十センチ程の子供。若干、縮尺が違ってはいたが先程のコロボックルそのものだった。重い沈黙が、三人の上に乗し掛る。
「…………一先ず、俺の車に」
やっとの事で、筧はそれだけ言った。その後は三人共、逃げるようにその場を去ったのだった。
裏にある駐車場で、三人は無言のまま車に乗り込んだ。日陰に停めてあったとは言え、むっとする蒸し暑い車内で筧がエンジンをかける音だけが、嫌に大きく響く。
暫く沈黙だけが辺りを占めていたが、考え込んでいても仕方が無いと思ったのか、筧は車を発進させた。
「どこ、行くの……?」
康が疑問を口にする。
「……俺んち。周り気にせず話せる場所、そこしか思いつかん」
投げ槍な風に聞こえるのは、筧も混乱しているからなのか。
「……これも、バグ?」
「違う、だろ。むしろ……深鈴ちゃん」
何か思い付いたのか、筧は信号で止まった所で自分の携帯を取り出した。
「ちょっと、その子見せて」
深鈴が腕を少し広げてコロボックルを見せると、筧は携帯のカメラでそれを撮った。そのまま素早くメールを打つと、どこかにそれを転送する。
「何……?」
不安げに深鈴が訊いてきたが、筧はちょっとな、と言うだけだった。信号が青に変わり、再び景色が流れ始める。暫くすると筧の携帯が鳴り始め、筧は運転しながら器用にそれに出る。
「……あぁ、悪いな……うん、そうか。いや、大した意味は無いよ。うん、今、運転中だから……あぁ、また呑み入ったら行くよ。じゃあ」
筧は短い会話を終えると携帯を切り、大仰な溜め息をついた。
「何……今の?」
不安そうに、康が訊いてくる。筧は前を見たまま、いやな、と言った。
「ダチにその子の写メ送って確認してみた。どうも集団幻覚の類じゃ無いみたいだな」
いっそ、そうであってくれた方が良かった、と言わんばかりに、筧は康に返答する。そんな筧に、康はぽつりと呟くように言った。
「何か、筧さん、冷静だね」
「そうか? そう見えるかぁーっ! 滅茶苦茶、こっちは混乱しまくってるぞ!!」
「う、うわぁー! 筧さん、前っ! 前、見て運転してっ!!」
康に反論すべく叫んだ筧は、見事に真横を向いていた。いち早く(?)それに気づいた康が、慌てて叫び返す。つまりは、筧も余り冷静ではないらしい。
「……まぁ、そんな討論も、家についてゆっくりするか」
下手打って事故死なんて、冗談じゃないからな、と筧は苦笑しながら言った。