第三話 『ウィル』
幾つかの手続きの後、深鈴はようやく目的地へとたどり着けた。そこは何処か外国の森を思い起こさせる場所だった。見慣れない大きな樹が幾つも、けれどゆったりと立ち並んでいる。柔らかい地面には小さいけれども色鮮やかな花達が顔を覗かせ、その先には澄んだ湖が木漏れ日をきらきらと反射させながら輝いていた。遠くで、小鳥達の囁きが聞こえる。
「ウソ……」
これが全て造り物だとは、深鈴には到底信じられなかった。大きく息を吸い込めば、緑の香りさえするのに、だ。目の前の木々に触れる事が出来るのか確認しようと手を伸ばし、深鈴は驚きからびくりと肩を震わせた。
「手が……」
伸ばされた自分の手は、透き通った水の様な蒼をしていた。試しにぶんぶんと振ってみると、それは自分の意思通りに動く。どうも、これは確実に自分の手のようだ。思い立って湖に自分の姿を映し見てみれば、そこにはあのロビーで選んだ『ウンディーネ』そのものの姿が現れた。
「……なるほど、着ぐるみだぁ」
着ぐるみを着た事が無いので若干は違うだろうが、例えに着ぐるみが出てきたのは納得出来た。この『ウンディーネ』の身体を動かしているのは紛れも無く自分の意思なのだが、触覚に多少の違和感があるのだ。完全に、自分の姿が変化している訳ではないらしい。大きなマリオネットの中で、四肢に絡まる操り糸を手繰るような感覚。その癖、触覚やら視覚やらは、どうもそのマリオネットと半同化している、そんな感じだった。
「へー……っえ?」
感心してまじまじと自分の両手を見ていた深鈴の上空から、何やら機械音らしき音がした。飛行機の音に似てなくもないが、それにしては小さい上に随分近い場所からだった。おや?、と思いつつ空を見上げると、自分の真上を大きな鳥が飛んでいる。良く見ると、それは鳥ではなかった。鳥の形をした全長五メートル程のロボット。かなり非現実的、かつこの場にそぐわない物体に、深鈴は思わずぽかんと口を開けた。だから、それが段々と自分へと近づいている事に気づくのが遅れる。
「あー、結構大きいな……って、わゎ、わっ!」
降りてくる鳥に驚いて森の中へと逃げ込んだ深鈴の耳に、聞きなれた声が聞こえてきた。
「待ったっ、深鈴! 俺だよ、康!!」
声は紛れもなく康の物であるし、深鈴の名前を呼んで康だと名乗るのだから、目の前の鳥は矢張り康なのだろう。理性は理解するのだが、感情はどうも追いつかない。思わず距離を取ったまま、樹の陰からびくびくと覗き見る格好となった。
「えーと、これならOKかな?」
ブゥンと言う虫の羽音の様な音と共に、深鈴の左目に何かが飛び込んできた。一瞬、驚いたが、良く見れば自分の左目正面の空間に小さなウィンドウが開いている。そこには康の顔が映っており、その下には『name:康 skin:Garuda/カルラ』と表記されていた。
「康、なんだよ、ね?」
それでも半信半疑の深鈴に、ウィンドウの中の康が苦笑いをする。
「そうだって言ってるだろー。お前も深鈴には見えないし、お互い様だって」
そう言われればそうだったと、深鈴は先程見た自分の姿を思い出した。
「ごめんー。何か面食らっちゃって」
深鈴は謝って、康の側へと歩み寄った。気にすんなよ、とウィンドウの中の康が軽く笑う。それを見ると、深鈴は何となく安堵を覚えた。そのまま康の目の前に座り、何気無く思いついた事を口にする。
「そう言えば、このウィンドウってどう出すの?」
こう言った操作の類は聞いていなかった。適当に実践で覚えれば良いと言われていたからだ。
「ああ、それならまずセレクトボタン押さなきゃいけないんだけど……それってスキンによって場所が違うから、音声ガイダンスで聞いた方が早いかな。初期設定ではONになってるはずだから、深鈴、聞いてみなよ」
「え? 聞くって、誰に?」
「スキンに搭載されてるAI(人工知能)に聞いてみるんだけど、最初に登録したスキンの名前があるだろ? それ呼べば応えるはず」
確かに最初にこのスキンを選んだ時、名前を登録した。それにはこう言う意味があったのか、と深鈴は感心した。
「えーと、ウィル……?」
『……音声ガイダンス開始します。初めまして、マスター。何かご質問ですか?』
聞こえてきたのは、落ち着いた女性の声だった。音声ガイダンスとは言われたが、機械音声と言うより人間の声そのもので、寧ろ『ウンディーネ』がそのまま喋っているかのように錯覚してしまう。中々、凄い造りだなぁ、と深鈴は改めて感心した。
しかし、ずっと感心している訳にもいかず、深鈴はそのままAIのウィルに先程の質問を始め、幾つか操作に関する質問をした。そのどれにも分かり易く答えて貰える事に、深鈴は感心を通り越して驚嘆する。
「うーん・・・大体分かった。ありがと、ウィル。あ、それと」
『はい、マスター』
「あのさ、マスターって言うの何か変だから……他の呼び方、出来る?」
『出来ます。何とお呼びしましょうか』
「えーと、深鈴、でいいよ。友達はみんなそう呼ぶし。後、敬語も無しで」
そう深鈴が言った瞬間、何故だかウィルが微笑んだような気がした。顔も見えない相手なのに、何故そう思ったのか、深鈴は少しだけ疑問に思う。だが余りに些細な疑問だった為、次の瞬間には脳裏から消えてしまっていた。
『はい、深鈴。これからもよろしくね』
深鈴に言われた通りくだけた口調となったウィルに、深鈴は嬉しげな声で応える。
「うん、よろしく、ウィル」
ゲームなんて出来ないと思っていた深鈴だったが、ウィルが居れば何とかなりそうだ、とそんな風に思い始めていた。