第二話 『筧』
NRW――New Real Worldは、学生を中心に流行っているアーケードゲームだ。『かつてないリアルさ』を謳い文句にした4D多人数参加型ネットワークゲームとして、数年前に市場に現れた。専用の機器を多数使って造り出された世界は、その名の通り現実世界と大差無い。今までプレイしたゲームの世界を正に体験出来るため、NRWはアーケードゲームとしては異例の速度で全国へと広まっていった。
康は高校生になった四月にNRWをプレイして、それからずっとハマっている。更にそれが高じて幼馴染の深鈴をNRWに誘ったと言う訳だった。
「えーと、まずは会員証を作らないといけないから……」
そう言って、康は深鈴を受付まで連れて行く。そこで深鈴は言われるままに学生証を出して、申込書に必要事項を記入していった。分からない所があれば、康が手助けしてくれる為、それ程掛からずに手続きは終わった。
「それでは、会員証を発行しますので十分程、そちらでお掛けになってお待ち下さい」
受付の女性がにこやかな微笑を浮かべ、並んでいるテーブルを手で示す。康と深鈴は言われるまま、そこへと腰掛けた。テーブルには何やらメニューの様なものがあり、一瞬深鈴は飲み物でも頼めるのかと思った。が、開いたメニューには絵本に出てくる様な妖精やら、アニメに出てくるようなロボットやらが並んでいて、思わず奇妙な顔をしてしまう。
「あ、それは最初に選べる『スキン』だよ」
「は? すきん……???」
深鈴は馴染みの無い言葉に一瞬ぽかんと口を開けたが、次の瞬間、自分の語彙の中にあるものと一致したそれを思い描き、顔を真っ赤にした。
「え? えっ! えぇーっ!!」
「ち、違う!! お前が何を考えたか分かっちゃったけど、それ違うからなっ!!」
思わず叫んだ深鈴に、康は慌ててそう叫び返した。一瞬の間の後、結構な大声を出してしまった事に二人して気づき、思わず周りを見廻す。と、周囲の人達何人かは、少し笑っていた。
「…………お前の所為で要らん恥掻いたぞ」
康も真っ赤になりながら、思わずぼそりと深鈴に文句を言う。だって、と深鈴はやはりまだ赤い顔のままで俯いた。
「いや、お前も最初は同じ間違いしただろーが」
不意に第三者の声が聞こえ、深鈴は驚いて顔を上げる。と、そこには見知らぬ青年が立っており、康の頭を小突いていた。自分達より四つか五つ程上だろうか。茶髪の長い髪を適当に後ろで括り、両耳には小さな赤いピアスをしている。良く見れば、結構格好良いお兄さん、だった。
「あ、筧さんってば来てたんだ」
小突かれたにも関わらず、青年の顔を見た康はぱぁっと笑顔になる。
「来てますよ。康がカノジョ連れて来るって聞いてたからね。これは見ないと、と思って」
対する筧と呼ばれた青年は、これまた笑顔でそう言った。その言葉に、康は今までとは違った意味で慌てだした。
「え? えっ、いや、違うって!! まだ……」
「え? 何時の間に康ってカノジョなんて作ったの? 今日、ここに居るの?」
ほぼ、同時に声が上がった。前者は康、後者は深鈴だ。深鈴の言葉が耳に入り、その様子が全く普段と変わりない――それ所か、ちょっとウキウキさえしている事に、康はがっくりと肩を落とした。少年のナイーブな男心を垣間見てしまった筧は、気の毒な康を何とも言えない瞳で見つめる。
「えーと……どうも、俺の勘違いみたいだな。新参のお嬢さんが来られるってんで、ここで待ってたんだ。初めまして、お嬢さん。俺は筧誠一。NRWで康と組んでる者です」
にっこりと笑顔を作る筧に、深鈴も思わず釣られて笑顔になった。
「あ、私は茅田 深鈴って言います。もしかして、私の事、康のカノジョと勘違いしたんですか? 違いますよー。只の幼馴染で幼稚園からの腐れ縁ってだけですもん」
本人には何の他意も無く、しかも無邪気な発言なのだが、『只の』だの『腐れ縁』だのの辺りで、これと分かる程、康は落ち込んでいる。しかし、深鈴は全く気づいてなかった。
「えっと、深鈴ちゃん……で良いかな? 受付で呼ばれてるよ」
「え? あ、ホントだ。行ってきます」
タイミング良く受付から声が掛かり、深鈴はそのままそっちへと走って行った。残された男二人、少し小声で話をする。
「……悪かったな。てっきり」
「いや、いいんです……俺がはっきり言ってなかったから……」
半涙目で康は筧にそう応えた。康は『気になる女の子を連れて来る』と筧に伝えていたのだが、それを筧は既に付き合ってると受け取っていたのだ。その辺りの誤解は年齢の差なのか、経験の差なのか。微妙な所である。
「まぁ、勝負はこれからだろう。頑張れよ」
そう筧が言った所で、深鈴が受付から会員証を握り締めて帰ってきた。一先ず全員が座った状態で、改めて深鈴へのNRWの説明が始まる。まずは手始めに康が質問をした。
「えっと、NRWのフィールドの概念って分かる?」
「分かんない」
即答され、康は頭を抱えた。ここに来るまでに、何度か説明したはずなのに……と言う思いが頭痛を起こさせたのだ。思わず康は、筧へと助けを求める視線を投げ掛ける。それを受けて、筧は口を開き始めた。
「まー、難しく考える事でも無いだろう? これから俺達は遊ぶ為に、特別に作られた場所へ行くんだけど、その時に外見を変えれるんだ。着ぐるみみたいに、好きな姿にぽーんとね。その着ぐるみが『スキン』って訳。これは、分かる?」
「んー……何となく」
深鈴は眉間に皺を作りながら、申し訳無さそうに筧を見上げた。その表情に、筧はにっこりと笑顔を返す。
「何となくでいいんだよ。こんなのは感覚だし。遊びなんだから難しく考えなくてOK」
そう言いながら、筧は例のメニューもどきのスキンの一覧表を広げる。
「要は感覚。これが可愛い、これがカッコイイ。そんな基準でいいから、選んで。自分の外見が変わる訳だから、本当に好みオンリーで良いよ」
「えー……逆にちょっと難しいかも。少し時間掛かってもいいですか?」
窺うように筧を見る深鈴に、筧はいいよとこれまた笑顔で応える。その様子を見て、康は一人ハラハラとしていた。それに気づいた筧は、そっと康に話し掛ける。
「なぁーに、気にしてんのさー」
「いや、だって……スキルだとか、属性だとか……」
「だって、深鈴ちゃん、何のゲームもやった事ないんでしょ? だったら最初は滅茶苦茶でいいから、好きにさせたげた方が良いよ。その都度、こっちがサポートすれば良いし」
「う、そうか……」
「楽しんで貰いたいんだろー? 自分と同じもんを」
最後はにやにや笑いながらの言葉だった。からかわれている事に気づき、康は思わず赤くなる。何か文句を言ってやろうと思った瞬間、深鈴が顔を上げた。
「これ。これがいい」
深鈴が指差したスキンを見た筧と康は、全く真逆の表情を示した。筧は面白そうだな、と呟きながら感心の表情を、康はこれ?、と言いながら渋面を作る。深鈴の指先に示された画像は、蒼い半透明の液体で出来た女性の姿をしており、名前の欄には『ウンディーネ』と書かれていた。
「いいんじゃない? 回復スキル有りだし。美人さんだしね」
「でも、弱っちぃじゃん」
「最初は誰でも弱いでしょうが。それに女性回復系なんて、守って何ぼだろ?」
説明欄を見ながら、筧はふぅーんとまた感心したかのように声を上げていた。ちらっと康に視線を向けると、そっと康にだけ聞こえるように小声で話す。
「守ってあげればいいじゃない?」
その一言に康は、心の葛藤等々、色んなものが駆け抜けたらしき表情を見せたが、すぐに決意をした。
「そうだな。深鈴、それにしろよ」
斯くして、漸く深鈴のNRW初参加の第一歩が踏み出されたのだった。