第十六話 『仮説2』
NRWと言う、最先端のバーチャルリアリティシステムを使用した人気のネットワークゲームがあった。それは仮想世界では無く、実際には異世界を使用した現実の空間だった。筧の言った仮説を簡単に説明すれば、そう言う事になる。こんな風に完結に纏めると、余計にその嘘臭さが目立って酷く陳腐に聞こえた。御伽噺所か、妄想の域に達している。
「で、でもさ……それなら、バトルの時とか、死ぬほど痛いんじゃ。ってか、死んでる人もいるしっ」
はっと気付いた様に、康がそう言った。確かにNRWはゲームとしては戦闘を主にしていないが、だからと言ってそれが無い訳ではない。幾度か経験したバトル中に、パーティから死人が出た事もある。
「だから、スキンが必要なんじゃないかと俺は思ってる」
筧は冷静に康の反論に応える。それも想定の範囲内だったのだろう。
「スキンの役割が『防具』ってんなら、頷けないか?」
言いながら、筧は一つのプログラムを立ち上げる。それを覗き込んだ康が、あっと声を上げた。
「これってログイン画面じゃ……」
筧のパソコンのモニターに映し出されているのは、大きさこそ違えど、NRWにログインする時のものだった。本来、ログインする時には360°視野を遮り、そこへモニターの画面を映し出すヘルメットを被るため、実際はもっと大きなものに思える。
「これはNRWの体験版。って言っても、実際にオンラインで遊ぶ訳じゃなくて、オフラインで大体の流れが分かるヤツだけど」
筧が立ち上げたのは、NRWの公式HPでダウンロード出来るフリーソフトである。NRWがどう言ったゲームなのか、オフラインで疑似体験出来るものだった。深鈴も見た事のある幾つかの設定項目の画面が映し出され、筧はそれに必要事項を記入してゲームを進めていく。
だが、筧が『ログインしますか』のメッセージに『OK』のボタンをクリックした瞬間、ピーと小さなエラー音がした。画面には小さな灰色のウインドウが開いており、そこには『スキンがセットされていません。セットしてから、もう一度やり直してください』と言うメッセージが書かれている。
「ほら、スキンをセットしてないと、ログイン自体出来ないだろ? スキンって言う全身を覆う『防具』で、ダメージは全てこれに吸収される。そして、そのダメージが一定以上になって中のプレイヤーを護れない状態になった瞬間が、このゲームで言う所の『死』だとすれば……」
「確かに、可能性はあるかもな」
不意に聞こえた声に、全員がそちらを向いた。そこには今まで何処かに行っていたらしい太一が立っている。外に居たのだろう、汗だくになっている太一の手には、ボストンバックとコンビニの袋が下げられていた。
「NRWでダメージを受けた時、多少とは言え衝撃らしいものは感じるし」
太一はボストンバックを床に放り投げると、コンビニ袋からスポーツドリンクを取り出して口を付ける。二リットルのペットボトルの三分の一ほどを飲み干すと、人心地着いたのか四人の輪に加わるべく腰を降ろした。
「それじゃ、筧さんの言った事って可能な訳?」
「可能かどうか、と聞かれると答えられんな。少なくとも、現在の科学力でそこまで出来るとは思えんが……」
尋ねた康に、太一は複雑な面持ちでそう応えた。何だか仮説ばかりではっきりとしない様に、何だか嫌な気配が場を包む。しかし、それを壊す様に、明るい声が聞こえてきた。
「おかえりー、タイチー」
ずっと口を閉じて深鈴の膝に座っていたマニは、そう言うや否や、太一の膝へと移っていく。当たり前のように太一も、マニが膝に座るのを受け入れた。
「おやつは?」
「食う事ばっかだな、お前」
そう言いながらも太一はコンビニ袋の中から何やらスナック菓子を取り出し、マニに渡す。どうも、マニの為に買ってきたものらしい。いそいそとスナック菓子を開けようとするマニの様子から、マニが随分と太一に懐いているのが分かった。
「何だか、お父さんって感じですよね、太一さん」
上手くスナック菓子の袋の袋が開けられず、見兼ねて代わりに開けてやっている太一の姿を見て、深鈴は率直な感想を述べた。確かにそのものずばりの感想に、筧が小さく吹き出す。
「……せめて、お兄さんにしてもらえんか?」
実は体格やら顔つきやらの所為で、年より上に見られがちで、太一はそう言った言葉に人より敏感である。だが、それを知っているのは、この場では筧くらいのものだった。
「お父さん、イヤか? マニはいいぞー」
やっと開いたスナック菓子の中身を頬張りつつ、マニは太一にそう言う。その一言に軽く傷を抉られているのが、太一の表情から見て取れた。
「それで、ミレがお姉ちゃんでー」
「おい、待て。俺はお父さんで彼女はお姉ちゃんなのか?」
「うん。ミレはお姉ちゃんってカンジ」
何だかどんどん傷口が深くなっていく様に、筧は堪えられず笑い出す。康は笑っていいものか分からず視線を泳がせ、深鈴は太一の様子には全く気付いていないようで、お姉ちゃんと言われ浮かれている。
「ま、まぁ、アレだ。お父さんも帰ってきた事だし、チビ、そろそろ話してくれてもいいんじゃないか?」
何とか笑いを収めながら、筧はマニに向かってそう言った。チビと言われた為か、マニは少々むっとしている。
「そろそろって何?」
筧の言葉に疑問を持った深鈴が、そう尋ねてきた。それは康も同じらしく、視線で筧に問い掛ける。
「実はチビから色々とNRWの話を聞こうと思ったんだけど、深鈴ちゃんと太一が揃わないと話さないって言ってさ。それで今までお預けになってたんだ」
確かに、今までの仮定を立証する為にも、マニからの話は必要だ。なのに、今までそれに触れていなかったのは、そう言う訳があったからか。そう二人は納得した。
「太一が家に居りゃ、少し位は話も聞けたのに」
「仕方無いだろう。今月末には昇段試験なのに、道場を休めん」
筧の言葉に、太一がそう反論する。その中に出てきた『昇段試験』だの『道場』だのの言葉に、康と深鈴はお互いに顔を見合わせた。
「道場? やっぱり、太一さんって何かやってたんだ」
体格から何かしら格闘技をやっていたとは思っていたが、実際には何をしているのか聞いてはいない。好奇心も手伝って、康は太一にそう尋ねた。
「今は柔道と剣道だ。高校までは空手もしてたんだが……」
「格闘まにあ?」
太一の口から飛び出た格闘技の名の多さに、深鈴の口から失礼とも思われる言葉が零れた。その台詞に、太一は跋の悪そうな顔をする。
「いや、そう言う訳では無いんだが……必要があって柔道と剣道をな」
言い辛そうにしている太一の代わりに、ひょいっと横から筧が身を乗り出し、説明を始めた。
「こいつ、警察官になりたいんだと。で、親戚に警察官が居たから相談したら、勉強もだけど柔道と剣道の段も取っといた方がいいからって勧められて、道場に通ってるってワケ」
「えっ! 太一さん、警官になるの!! 凄いっ」
それを聞いた深鈴は、思わず拍手をする。だが、太一は酷く困った様に笑った。
「……なれればいい、と思ってる。だが、まだまだ先の話だな」
言いながら、太一は何故かマニを抱き上げ、深鈴へと預ける。その顔が、何かを懐かしんでいる癖に、同時に苦い想いを引き摺っているかの様に見えて、深鈴は瞬間、息を飲んだ。
「筧、風呂場借りるぞ。このままで居たら、エライ臭いになるからな」
そう言うと、太一は筧の返事も聞かず、立ち上がって玄関の横の扉へと消えていく。悪い事を聞いたのかな、と深鈴が筧に呟くと、そんな事はないよ、と返事が返ってきた。
「照れてるだけだから、アレは」
散々仲間内からからかわれたからね、と筧は言った。そう言われたものの、深鈴は何だか太一の表情が忘れられなくて、太一の消えていった方をじっと見つめていた。
何だか太一をお父さんっぽく書いているつもりでしたが、寧ろお母さんっぽくなってしまった気もします。きっとお菓子は無添加です。