第十四話 『訪問』
次の日、深鈴と康は学校が終わると同時に筧のマンションへと向かった。一度通っただけの道のりに不安を覚えていたものの、分かり易い道だった為か、そこまでは迷う事も無くたどり着いた。しかしそれよりも困ったのが部屋番号もうろ覚えだった事。そしてマンションのドアが似たり寄ったりだった事だ。二人は苦心して記憶を辿り、それらしきドアを探り当てると思い切ってチャイムを押した。
「はい」
ドアの中からした声は、くぐもってはいたものの確かに筧のものだった。二人はほっとしながらドア越しに声を掛ける。
「今日はー、康でーす」
「深鈴です。今日はー」
「ああ。今、開ける」
応答に続いて鍵を開ける小さな音と共に、ドアが開いた。そこから顔を覗かせた筧を見て、二人はほんの少し驚く。それを見て、筧はおや?、と不思議そうな顔をした。
「筧さん、目悪かったんだ」
そう言ったのは康だった。玄関先に立つ筧は、縁無しの眼鏡をしており、何時もより少し知的に見える。
「あ、眼鏡見るの初めてだっけ?」
康の台詞に筧は笑いながら、そう言った。
「何か、カッコいいですね」
「そう? あると結構邪魔だから、普段はコンタクトなんだよ」
深鈴の率直な誉め言葉に、筧は微かに照れた様に笑った。そんな二人のやり取りを見て、康がポツリと言う。
「……俺も眼鏡しようなかぁ」
「え? なんで? 康って両目2.0じゃん」
思わず漏れた心の内を、よりによって深鈴に聞かれ――しかも『なんで』とまで言われ――康の背中に哀愁が漂った。因みにそれに気付いたのは、筧だけ……とことん、不幸な男である。
「ゲーマーなのに目が良いのは、悪い事じゃないさ……多分。ま、入れよ」
落ち込む康に慰めとも付かない言葉を掛けながら、筧は二人を部屋に招き入れた。部屋に入ると、中央のテーブルにマニが座っている。マニは深鈴が入ってきたのを認めると、すぐさま立ち上がって駆け寄ってきた。
「ミレ、会いたかったっ!」
深鈴に抱き付くマニの口から理解出来る言葉が飛び出た事に、深鈴も康も驚いた。康は何事かとマニを凝視し、深鈴は驚きながらもマニの頭を撫でる。マニは気持ち良さそうに頭を撫でられながら、満面の笑みで言った。
「マニの言葉、分かる? オレもミレの言葉、分かるよ」
「そうなんだっ。一晩で言葉覚えたんだねー。すごーい、マニくん、賢いーっ!」
マニの台詞に、深鈴は拍手をしながらそう言った。後ろでは康が、まさかと言わんばかりの顔で筧に視線を投げ掛けている。筧はと言うと、少々面食らった顔をしていた。
「いやー、深鈴ちゃんって天然ボケタイプだったんだなぁ」
感心したとも取れる口調で、筧はそう言う。その口調からは、事実は違うのだと推して知る事が出来た。
「だ、だよなーっ。あー、びっくりした。俺なんて、七年近く英語習ってまともに話せないってのに」
筧の言葉に深鈴が言ったのが間違いだと分かり、康は情けない意味で安堵していた。それもどうかな、と心の中で呟きつつ、筧は深鈴に声を掛ける。
「深鈴ちゃん、チビが日本語話してる訳じゃないよ」
「え? じゃ、どうして??」
今さっき交わした言葉は、マニが喋っているものに聞こえた。それが違うのだと言われた為、深鈴は困惑する。すると、筧は微かに笑いながら、マニの腹部辺りを指差した。
「それ、翻訳機」
筧の指差した先、マニの服のベルトには携帯電話らしき物が差してある。それ自体は携帯電話そのものに見え、そこからはイヤホンマイクと思しき物が、マニの右耳に伸びていた。
「昨日、翻訳のプログラム作って解約した携帯にインストールした。後はちょっと手を加えて、翻訳機の出来上がり」
そう言われれば、先程の会話の時もマニの声は唇からと言うよりも腹部辺りからしていた気もする。その場面をもう一度詳しく思い返してみて、テレビで主音声と副音声を同時にオンにした吹き替え版の洋画の様に、何かしら別の音声が被っていたのだと二人とも気付いた。
「……それ、一晩でやったの? 人間業じゃ無いよ…………」
「そうだろー。俺ってば、凄いだろ?」
驚いて呆然と呟く康に、自慢げに筧は笑う。一頻り笑った後、その顔は何故か苦笑に変わっていた。
「……とか、言いたいんだけどね。ちょっと違ったりする」
筧はふう、と溜め息をつくと、やれやれと言った風情で深鈴達の横を通り過ぎる。そのまま部屋の奥のパソコンの電源を入れると、再び三人に向き直ってこう言った。
「俺がしたのはハッキング。実際に言語解析のソフトをプログラミングした訳じゃあないんだよ」
言いながら、筧はにっこりと笑う。その背後で、ブゥンと低い音と共に暗いモニターの画面に光が灯った。