第十三話 『幕間』
太一は二人を見送った後、時間潰しも兼ねて色々と近隣の店を廻った。適当に雑誌や食料を買い込んで、二、三時間うろうろした後に、筧のマンションへと向かう。辿り着いたドアの前で呼び鈴を押すか逡巡したが、ドアノブに手を掛けてみると鍵は掛かっていなかった。
「戻ったよ」
鍵を掛けながら、太一は一応筧へと控え目に声を掛けた。案の定、返答は無い。見れば、筧は太一に背中を向けて、銜え煙草でパソコンのキーを叩いていた。三人がここを出てから直ぐに何かしら始めたのだろう。部屋の中は煙草の煙で真っ白だった。
太一はなるべく物音を立てない様にキッチンへと足を運ぶと、買ってきたスーパーの袋をそこへ置く。白くなった部屋を少しでも改善しようと、そこの換気扇のスイッチを入れた。出来れば窓も開けたかったが、その為には筧の傍を横切らなければならないので、それは断念した。スーパーの袋を開けると幾つかの食材を冷蔵庫に放り込む。仕舞い終わった後、太一は自分も休憩とばかりにさっき買ったばかりの雑誌を取り出した。
ページを捲った瞬間、キッチンの端から何かが顔を覗かせた。唯一この部屋に残っていたマニが、太一が帰ってきたのに気付いてやって来たらしい。
――俺の事を随分怖がっていたのに、どうした事やら。
はて、と一瞬首を傾げたものの、良く考えればそれも妥当かも知れない。そう太一は思った。鬼の様な形相で無言のままパソコンと格闘している人間より、体格はプロレスラーとは言え多少人間染みた感のある人物の方の傍へ。相手はNRWの生物とは言え、思考回路は普通の人間と変わらない様だった。
「ま、気持ちは分かるな。こっち来い、ボウズ」
太一は開いたばかりの雑誌をキッチンへ放り出すと、マニに片手を振って来い来いと意思を示す。それに応じる様に、マニはととと、と太一の傍に来て、ぺたんと床に座り込んだ。それを見て、太一は冷蔵庫の中から先程買ってきたパックのアイスを二個取り出す。二つとも蓋を開け、一つをマニへとスプーンと一緒に渡した。一つは自分用だ。
「後でメシ作ってやるから、今はそれ食っとけ」
マニは物珍しげにアイスを見つめていたが、目の前で太一がばくばくとアイスを食べているのを見て、恐る恐るだが自分も口を付けた。
「!」
一口食べた瞬間、マニは信じられないと言った顔をした。暫くはまじまじとアイスを眺めていたが、次の瞬間には物凄い勢いでアイスを口に放り込み始める。当然、小さなアイスはあっと言う間に無くなってしまった。マニは名残惜しそうにカップを眺めていたが、太一へ顔を向けると空のカップを差し出す。身振り手振りでもっと無いのかと言っている様だ。
「……あんま食うと腹壊すから、駄目だ」
太一は残っていた自分のアイスを一気に口に掻き込んで、もう無いと言うジェスチャーをする。その様子に、マニは酷く落ち込んでしまった。別に悪い事をした訳でも無いのに、何となく罪悪感を感じてしまう雰囲気だった。太一は仕方無いと言った風に、袖を捲くる。夕飯を作るのはもう少し後にするつもりだったが、今から始める事にしたのだ。
「子供は菓子じゃなくて、メシをもりもり食え」
休息は、まだまだ先になりそうだった。
それから数時間後、一区切り付いたのか筧はほっと小さく息を吐いた後、大きく伸びをした。煙草を吸おうと箱に手を伸ばした所、もう空である事に気付いてそれを握り潰す。確か買い置きがあった筈と振り返り、筧は漸く太一の存在に気が付いた。
「……戻ってたのか」
筧はほんの少し唖然としていたと思われる。視界に入った太一の腕の中には、寝息を立てているマニが居たのだ。一見すると子供がそのまま眠ってしまったのをベッドまで運ぶお父さんである。
「大分前にな。ボウズにはメシ食わせて遊んでやった。それ位前には戻ってたぞ」
気付かなかったのか、と笑い混じりに筧は言って、買い置きの煙草を取り出した。太一は特に断りも無くマニを筧のベッドに寝かせると、自分はキッチンへと向かう。
「あ、何か飲むもん取ってきてー」
筧が言うや否や太一はキッチンから何か皿を持って出てきた。それはコンビニで売っている様なプラスチックの皿だったが、乗っているのは立派な煮物だった。何だかアンバランスで思わず筧は太一を不審そうに見てしまった。
「食器がマグカップぐらいしかなかったんだから、贅沢言うな」
更に続いて白いご飯まで出てくる。これもまた、煮物と同じ皿に乗っていた。箸はコンビニの割り箸だった。
「……なぁ、俺んち炊飯器無かった気がすんだけど?」
「知らんのか? 鍋でも飯は炊けるんだぞ。味はアレだが、炊けるのは早いし」
「鍋……? それも無かった気がする」
「コンビニで買ってきた」
へー、と筧は感心した様にその皿を眺めていた。これを太一が作ったのかと思うと、何だか尻込みしてしまうのだ。だが、それも失礼と言うもので、筧は割り箸を袋から取り出すと煮物へと箸を運んだ。
「ああ、案外美味いな」
口にした煮物は、そこそこ以上の味がする。太一は意外にも、外見に似合わず料理上手の様だった。
「案外は余計だ。しかし、お前普段どう言う生活してんだ。外食ばっかならまだマシだが、メシ自体食ってるのか?」
それは太一が日頃から思っていた疑問だった。仲間内で呑みに行く時も、昼休み等で一緒に食事する時も、これと言う量は食べないのだ。普段から食事をしない人間は、得てして小食だ。そして、それを裏付ける様にこの部屋には飲み物意外のものを調理する器具が一切無かった。実は包丁すら存在しなかったので、太一はそれもコンビニで買って来たのだ。
「別に……必要最低限は摂ってるさ」
筧の声のトーンが、妙に低くなった。その様子に、太一は少し眉を顰める。『いつも』と違う筧に、またか、と思ったのだ。
筧は一見、社交的で明るい性格に見える。だが、付き合いがそこそこ長い太一は気付いていた。それは外だけの話で、筧自身は自分個人の生活エリアに他人が立ち入るのを良しとしない。この部屋だって太一こそ何度も来ていたが、他の大学の友人は立ち入った事が無い筈だ。
急に変わった声のトーン。それは、これ以上立ち入るなと言う筧の意思表示だろう。だが、太一は敢えてそれに気付かない振りをした。何時もの調子で、愚鈍な男の振りをして会話を続けていく。
「そんなんだから、細っこいんだ。しっかり食え、もりもり食え。ついでに煙草とコーヒーは控えろ。それから面倒だから炊飯器買え」
「…………そう言う台詞も初めての手料理も、可愛い女の子が良かったなぁ」
少しの間を置いて、筧ははぁー、と態とらしく大仰な溜め息を漏らしながらそう言った。もう何時もの調子へと戻っている。そうやって、太一が立ち入ろうとすればそれをかわし、飄々とした笑顔で逆に壁を作るのだ。太一はそれを再び気付かない振りでやり過ごす。まるで、いたちごっこのように。この二年、二人はずっとそんな調子で付き合ってきていた。
「……まぁ、アレだ。それはさて置き」
こうなっては手の出し様も無いと思ったのか、太一は不意に話題を変えた。徐に、自分の携帯電話を筧へと差し出す。
「ボウズが話すのを幾らか録音しといた。使うか?」
携帯電話とは言え、太一が持っているのは最新機種だ。音質に問題は無い。今、筧が何をしているのか大体の見当を付け、必要と思っての厚意だろう。筧にとっては思いもしない行為だったのか、最初は少々きょとんとしていた。
「何か、お見通しって感じが嫌な気もするが……使わせてもらう」
筧はそう苦笑しながらも、そう言って在り難くそれを受け取ったのだった。
4月28日に評価を下さったアーク様、ありがとうございました!申し訳無い事に評価に気付いたのが評価システムが変更になった後だったため、返信が出来ずにいました…(;;)これだけ更新が不定期ではありますが、今後とも読んで頂ければ嬉しいです。
考えあぐねた末、こちらで返信させて頂きました。他の方々、個人的な事で申し訳ありません(;;)