第一話 『康と深鈴』
まだ残暑の厳しい日。アスファルトで舗装された賑やかな通りを、制服姿の高校生の少年と少女が連れ立って歩いていた。少年は背が高く、その割に幼さを残す顔立ちをしている。まだ大人とは言い難い、言っては悪いが可愛らしい顔に、何か楽しい事でもあるのか満面の笑みを浮かべ、隣を歩く少女に意気揚々と語り掛けていた。
「だから、やってみれば段々分かってくるからさ」
「でも……」
一方少女は、少年とは逆に浮かない表情で少しばかり口篭る。少女の方は少年に比べ、かなり幼く見えた。近隣の有名進学校の制服を着ていなければ、到底高校生には見えないだろう。
それもそのはず。少年――土岐原康と少女――茅田深鈴は、ほぼ半年前まではまだ中学生だった高校一年生。あどけなさが残っていて当然だった。
「ま、今回は俺が金出すし。お試しって感じでさぁ」
康は半ば必死でそう言うと、顔色を窺う様に深鈴の顔を覗き込む。そんな康の説得にもまだ浮かない顔のままの深鈴に、康はどうしたものかと空を見上げつつ人差し指で自分の頬を掻いた。が、次の瞬間、自分の目的地が目に入るや否や、その表情は一気に晴れやかなものへと変わる。
「何事も経験! なっ!!」
表情そのままの嬉しげな声を上げると、康は深鈴の手を握り、そのまま駆け出した。
「えっ? ちょ、ちょっと、私まだ……」
深鈴は慌てて反論しようとしたが、それも空しく、康に引き摺られるようにして聳え立つ大きなドームへと連れ込まれたのだった。
そこは、ちょっと変わった場所だった。入ってすぐの場所は広いロビーになっていて、入り口正面には受付がある。ロビーには何脚かの丸い小さなテーブルと椅子が、そして壁側にはボックス型の端末機の様な物があった。受付のカウンターには何台かのレジを兼ねた小型のパソコンがあり、後ろには料金表が掛かっている。そして、何よりも随分と静かな場所だった。
「これが、えぬ何とかって所……?」
康の熱中振りから想像していた場所と現実とのそれのギャップに、思わず深鈴はそう訊いた。そう問われ、康は少し困った様な顔をする。
「えーと、ここはNRWにアクセスする為の場所で……NRWってのは、んー……ゲームの名前ってのが一番分かりやすいのかなぁ?」
「……私、ゲームってよく分からないよ」
康の言葉に、深鈴は益々顔を曇らせた。康は自分に気を使って分かり易いように説明をしてくれているのは分かる。だが、そもそもゲームのゲの字も知らない深鈴にとっては、どう説明されようと分からないものは分からないのだ。
「いや、ゲームってもコンシューマーとは違って……じゃ、深鈴分からないよなぁ……家にある、えっと、ファミコンだ、ファミコンっ! それは分かる?」
「ファミコンって康の家にある黒い箱みたいなので、DVDとか入れるヤツ?」
「う、うんっ! それだよ、それ。それとは違うゲームなんだ」
深鈴が言った物は正確にはファミコンで無く、全く別会社の家庭用ゲーム機であるが、深鈴にとってはその類は全て『ファミコン』だった。そこを説明しようとすれば長くなるのは分かっていたので、康は敢えてその誤解を解かずに話を進めた。
「NRWはゲーム用に造られたネット内の仮想空間に行って、そこで色んな事をするんだ。主にはバトルだけど、他にも色々……メシ作ったり、釣りしたり。商売するヤツとかも居るし。ホント、何か実際の生活そのものみたいな感じでさっ! ネトゲみたいな感じだけど、リアルさが違うってのか……感覚とかもホントにリアルで。風とか吹いてる感覚とかもするし、花とか草とかの匂いもするんだ。空とかも飛べたりするんだけど、それがすっげぇ気持ち良くて。絶対に、一回やったらハマるって!!」
途中から説明で無く、NRWへの思い入れ弁論へと変わった説明モドキを聞きながら、そっと深鈴はため息をつく。康はこれと決めたら梃でも動かない頑固者で、深鈴はそれにしばしばつき合わされてきた。今までの経験から、そんな康には逆らうだけ無駄な努力だと言う事が分かっている。どれだけ今、深鈴が嫌だと言った所で、最後は付き合わされる羽目になるのだ。なら、
「分かったわよ」
無駄な努力はしないに越した事はない。そんな思いから出た深鈴の言葉を聞いた瞬間、康の顔がこれと分かる程、ぱぁっと輝いた。
「ただし、一回だけ、だからね! これで私が嫌って言ったら、もう絶対に誘わないでね!!」
「うんっ! 約束する。絶対に誘わないっ」
その表情を見れば、康は深鈴が一度でもこのゲームを体験すれば同じ様にハマってくれると信じて疑ってないのが分かる。けれども、その通りにならなかったからと言って、康はしつこく再度誘ってくるような性格ではない。だから、一回だけ。そう深鈴は自分に言い聞かせた。
それが、始まりだった。