(5)
ある日、隆史に、取材の電話がかかってきた。
「ご都合、よろしいでしょうか?」
「ええ、ぜひ」
フリーライターの、葛城恭次と名乗った。
隆史は恭次と、近くの喫茶店で落ち合う。
「葛城さんは、美術関係の記事で、何度か目にしたことがあります」
恭次は、歳は三十を過ぎたぐらいだろうか、背は低くないが、少しやつれたような印象だった。
「三年前からライターをやってるんですよ。仕事がくれば何でもやる感じですが、最近はこうして自分で動いてます」
「それで、今日は?」
「期待の新人ということで、取材させていただきます」
「そんな。お恥ずかしい」
恭次は丁寧な物腰で、隆史の絵や、作風について質問してきた。しかしそれが本題ではないのは、すぐに分かった。
「ところで、この人物に心当たりありませんか?」
数枚の写真。家族写真や、学校の証明写真があった。そしてその少年――今は青年だが――それが井上霧也だとすぐに分かった。恭次もまた、霧也に注目していたのだろう。取材を断られたかして、遠回しに、隆史のもとに来たのだ。途端に、面白くなくなった。
「この人物が、何か?」
「氷上霧也、私の弟です」
「ひかみ?」
違和感を覚えた。名字が違う。それに家族写真に、歳の離れた女性と一緒に写っている。それは霧也が姉と呼ぶ、清美とは違った。
「こちらの女性は?」
「霧也の姉です。そして私の妻でした」
「あれ?」
いろいろと頭が混乱してきた。整理するために、隆史も正直に話す。
「実は、この写真の人物に心当たりがあります。ただ、名字が違うんです。僕が知っているのは、井上霧也。あと、お姉さんは別の人でした」
「名前は?」
「清美さんといってました」
恭次の表情も複雑だった。
「実は三年前に、弟の霧也は、行方不明になったんです。私はずっと行方を追っていました。そして今回の石木会の公募展で、見つけたんです」
「でも名字が」
「絵で分かりました。霧也は絵の天才でした。一度、これとは別の絵で、コンクールで受賞してます。そして今回の作品。被写体の女性の体に入った紫の斑点で、間違いないと確信しました」
「斑点?」
「霧也は目に、障害を抱えているんです。それは飛蚊症のように、黒い斑点が見えるもので、霧也はそこに、なんらかの意味を持たせているんです」
「まあいろいろと、分からないのですが、弟さんが見つかってよかったですね」
「いえ」
恭次は否定した。さっきから恭次の顔は、確信を持つほどに、暗くなっていった。隆史はますます混乱した。恭次は沈んだ声で言う。
「たぶん会えば、あいつは私を殺すでしょう」
「えっ?」
それがどういうことなのか分からない。二人の間に何かあったのか。
「霧也は病気なんです。にわかには信じられないでしょうが、彼の生まれた地域では、そういう病気があるんです。人を殺す」
「そんな病気が?」
「ウェンディゴ、という言葉はご存じですか?」
「いいえ」
そうして恭次は、カナダのインディアンの、なんとか族に特有の、精神病を語った。その病気にかかると、人殺しの鬼になる。それと似た病気が、日本にもあったというのだ。そしてその最後の一人が霧也。
隆史は苦笑するしかなかった。
「でも僕が会った人物は、ごく普通でしたよ」
そういって、あの目を思い出した。記憶の中の虹彩で、繊維質の虫がうごめく。
「潜伏期間は比較的長く、個人差はあるようです。また、発作のトリガーになる汚染物質を摂取していなければ、自然に排出され、治ります。しかし精神に関わる病気なら、その暗示を解かなければならない」
「発作を起こすたびに、人を殺すということですか?」
半信半疑だが、まるで首筋に、刃物を突き立てられている気分だった。
「私も一度、別の人間に殺されかけました」
恭次は嘘をついているように見えない。隆史を騙すことに意味はない。信じられないのは、隆史の理解を超えているからだ。いや、一つの事実を認めることになるから――
「実は去年、恋人が行方不明になっているんです」
怪訝そうな顔を、恭次が向けた。
「まだ見つかっていません。無事かどうかも。ただ、今回彼が描いた絵の女性が、うり二つなんです」
「それは……」
恭次はなにか言いかけ、口をつぐんだ。隆史も、それ以上確かめようと思わなかった。




