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午睡  作者: 藤原建武
最終章「カミノフルメキ」
14/19

(2)


 一瞬見せたあの表情。

 霧也の瞳の奥で、得体のしれないものが蠢いた。それは整った顔立ちを歪めて、まるで別人のような顔になった。

 それは何に向けられたものか。自身の故郷に対してか、自然を破壊した人間にか。

 清美も気づいたのか、怯えたように、黙って運転していた。

「ああ、ここでとめて」

 長い沈黙の後、最初に口を開いたのは霧也だった。

 開発によって切り崩された山の麓。清美は車をとめる。

「こっちからなら、見晴らしがいいでしょう」

 霧也は車を出て、トランクから画材を取り出す。そして後部座席の窓を、笑顔で叩く。隆史はその笑顔に見られて、逆らうことができなかった。

 隆史は車を降りる。

「季節外れの台風が近づいてるので、今のうちに下絵を完成させましょう」

「ああ……」

 霧也は帰省だが、隆史はスケッチの名目。台風が予定に重なったので、当初は中止になると思っていた。しかし霧也はそれでも行くとのことで、隆史もついて行くしかなかった。

「じゃあ姉さん、旅館に荷物おいてきて」

「うん、分かった」

 そこで隆史は、人気のない山奥で、霧也と二人きりになることに恐怖した。

 清美は車の向きを変えて、引き返そうとする。

 霧也はさっさと、山に分け入っていった。

「どこまで行くんだい?」

「この先に、いい場所があるんですよ。昔、姉さんとよくきてて」

「清美さんと?」

 それに霧也が振り返った。

「ええ……」

 肯定したが、その顔に困惑があった。隆史もここまで動揺すると思っておらず、面食らう。

 霧也を先頭に、下草が生えた道を行く。

 霧也の話では、ここの一帯は奥月村。遠雷のように、重機が山肌を削る音がする。

「ここらへんにしましょう」

 そこからは、月前町と、向こうの山並みが一望できた。谷から流れる、小川が続いていた。その小川から水田に水を引いていたのだろうが、刈り入れの季節もおわったからか、稲穂は一つもそよいでいない。

 まるで死んだように静かだった。

 少なからず霧也もショックを受けているらしく、その表情は引きつっている。

 二人は三脚の椅子をすえ、画板を抱えて座る。そして木炭での、簡単なデッサンを始めた。

「わざわざ、すみません。お時間をとって」

「いや、卒業制作も準備できたし、暇だから大丈夫」

「せっかく来てもらって、あいにくの天気ですからね」

 よく、なにかにつけて「秋の空」と銘打つぐらい、この時期の空は描きがいがある。しかし今、灰色の雲が垂れこめ、どんよりとした色合いだった。

「いいさ。勝手についてきたようなもんだから」

「そんなに気になるんですか?」

「ん?」

「僕の描いた絵ですよ」

 隆史の背中に、冷たいものが走る。恭次の話が思い出された。隆史は自分を奮い立たせ、

「ああ。少しでも手がかりになればと思ってね」

「じゃあ、仮に、の話をしましょうか」

 そう霧也は笑いかける。

「仮にですよ。仮に恋人を奪われたら、あなたならどうします?」

 それは「仮に」の話とは思えなかった。奪われたら、とは、つまりはそういうことだろう。隆史はどう答えたらいいか、言葉に迷った。感情でいえば、犯人を殺してやりたかった。その場合、犯人は霧也だ。

 霧也は隆史が沈黙する中、続ける。

「もし恋人が殺されたとして。法の裁きを望みますか? その結果に納得できますか? その犯人が異常者で、なんの罰がなかったとしても?」

「それは、まあ、納得できないだろうね……」

「僕がその立場だったら、犯人を殺してやりたいですね。たとえ法の裁きが公正だとしても」

 霧也は、挑発しているのだろうか。暗に、香奈を殺したことをほのめかし、異常者に霧也自身をなぞっている。これは見方によれば脅迫だ。しかしそこまでいわれて、黙っていられるほど、隆史はプライドがないわけではない。

「どちらにしろ、俺は、ゆるすことはできない」

「復讐は許されるでしょうか? 命を奪われたから、相手の命を奪う。よく、連鎖を生むといいますね。またその親族が復讐にくると。その繰り返しだと」

「勝手な論理だ。当然の報いだろう」

「では、復讐は罪ではないと?」

 隆史は憎しみを霧也に向ける。

「ああ。もし本当なら、俺はそいつを殺す」

 霧也は笑う。

「よかった。なら僕は、正常なようだ」

 それが何を意味しているのか分からなかった。

 少なくとも、霧也の瞳に宿る光は、まともとは思えなかった。


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