(5)
清美が給湯室でコーヒーをいれている時だった。
「最近つきあいが悪いな」
上司の松葉が入ってくる。四十近いが、背は高く、髪も短く刈って、精力にみちていた。
「今、コーヒーいれてます。あとで持っていきますから」
「そうじゃなくてさ」
松葉は清美の肩に手を回す。
「なんだよ? 彼氏でもできた?」
「べつに……」
松葉の、左の薬指の指輪が光った。
「今度、猫、見にいっていい?」
「困ります」
「なんで?」
清美は松葉の腕を振りほどき、給湯室を出た。そのままトイレに駆けこむ。
廊下で、同僚とすれ違った瞬間、うしろから笑い声が聞こえた。
清美は体を抱きしめ、うずくまる。
松葉との関係は二年前、この部署に配属されてからだった。抵抗がなかったわけじゃない。自分に言い訳して、関係を続けた。仕事で優遇されることもあるし、何かと便利だった。
しかし関係を隠していても、空気で分かる。いつしか影で、揶揄されるようになった。
そうして、いつもその影に怯え、ただの儀礼に溺れた。このまま自分は、朽ちた骨になっていくのだろう。何もない、ただの空虚な存在として。
そう思っていた。それでも霧也は、「綺麗だ」といってくれた。
霧也といれば、霧也が意味を与えてくれる。ずっと一緒にいたい。失うことが怖い。
このまま誰にも明かさず、あの部屋に夢を飼い続けよう。
清美は憂鬱な気持ちで家に帰る。
「おかえり」
そういって、霧也は出迎えてくれた。
清美はじっと、霧也の顔を見つめる。
「どうしたの?」
霧也は姉のように慕ってくれる。どこかに本当の姉がいて、家があるのだろう。
「霧也は、いつか出てくの?」
唇がふるえた。
霧也は、清美の瞳を見返す。
「ずっと、一緒にいて……」
それに霧也は微笑んだ。
「当たり前だろ、姉さん」
その瞳が、清美ではなく、姉の記号を見ている。そのことは分かっていた。たとえそれでも構わない。
霧也は、想像で絵を描けない。清美の絵だけは、確かに見てくれている証拠だ。
丸くなって二人で眠る。甘い嘘の中で、夢は肥大していく。
抱き寄せれば、その温度の中で、骨が触れ合う。




