(4)
霧也がきてから清美の生き甲斐は、この少年に物を与えることだった。
貯金をはたいて、画材を一式揃え、部屋を一つアトリエにした。
霧也の喜んでくれる顔と、描いた絵が見たかった。
清美はよく、そのモデルをした。ずっと動かないでいるのは辛いが、霧也の、射るよな目に見つめられると、金縛りにかかったように体が動かなくなった。
いつもおとなしく、じっとしていて、なにも考えてなさそうな少年だが、十歳近くも年下だというのに、自分の何もかもを見透かされているような、不思議な気分だった。
揮発した油の臭いが立ちこめる中、窓から差しこむ、金色の光だけを頼りに、霧也は描く。下絵のデッサンはものの数分で終わるが、色を入れる間も、清美はじっとしている。霧也の話では、書くだけなら誰でもいい。ただ一枚の絵を描くなら、その被写体から、何かを取り出さなければならない。その何かを取り出すために、モデルと対峙する。
「頭の中のイメージで、描くこともできるけど」
霧也は清美に向かいあいたいといった。清美はここで、気づいていることがあった。霧也は人の顔が描けない。見ながらなら顔を描けるが、イメージでは顔が曖昧になる。
それは絵描きなら誰でもそうなのか、霧也だけの弱点なのか。
「ふう」
霧也が一息つく。清美も全身の緊張がとける。一時間近くじっとしていただろうか。体中がかたくなり、ところどころ痛む。
「できたの?」
「おおまかには」
「見せて」
のぞきこむと、
「えっ? 何これ?」
「骨」
「私、モデルの意味ないじゃん……」
そこには人骨が描かれていた。夕日を受けて、その輪郭は輝き、同時に暗い影も落としている。しかしこれだったら、自分でなくともいいんじゃないのか。
「これはモデルが大事なんだよ。その人の骨格や、体の流れを把握するのに」
「でも、もう少し可愛く描いてくれても……」
まるで自分の白骨死体と対面しているようだった。確かにこれが、芸術なのだろう。常人には理解できない境地だった。
霧也は悪びれた様子もなく、
「すごく綺麗だよ」
「えっ?」
「姉さん」
「そ、そう」
脈絡もなかったが、いわれて嬉しかった。
「人間は、死んだら燃やしちゃうんだ」
「えっ?」
霧也はどこか遠い目をした。
「そしてあんな小さな壺に、人間のすべてをしまいこんでしまう。僕はそれが嫌いだ。あんなに綺麗だったのに、あんなに美しい形をしていたのに、炎が奪ってしまう」
それが誰かのことをいってるようだが、誰かは分からなかった。
清美は、ずっと前に亡くなった、祖母の葬式を思い出した。棺の中に眠る祖母。火葬場に送られ、残ったのはわずかな骨だった。その骨も、ちりとりに集められて、骨壺へ納められる。その光景を見ていると、人間に魂なんてないんじゃないかと思えた。
人間の尊厳など、どこにもなく、まるで物のように扱われていた。
「綺麗だから、描きたくなったんだ」
霧也はそう笑いかける。
清美はいつか、自分の尊厳など踏みにじられる日がくるのを知っている。だから自分の肉にも骨にも、なんの意味もないと思っていた。
だが霧也は、その骨を美しいという。気がつくと清美は、霧也を抱きしめていた。




