第7話 飯篠土輔
〔飯篠土輔〕
「こちらです、飯篠様」
建てられてからどれほどの年月が経っているのだろう。
案内されるまま、岩清水に松がよく似合う庭園を抜けて招かれたのは二十畳ほどの座敷。僕が最後だったらしく既にUの字に六人の男女が座っている。
「よォ、あんたが七人目だな、待ってたよ」
僕から見て左側の畳は男の席、細長い愛宕橋蝙也、大柄な槍使い丸橋獣市郎、サイボーグの松崎仁…どの顔も江戸コロッセオで見覚えがある。
右側には女たち、コロッセオ最多勝の雑賀凶華、引き分け専門アイドル剣士伊藤幽鬼。そして僕に挨拶をした見覚えのない顔の女だ。
「あたしは西郷流星、彼氏なしフリーの二十五歳、よろしくね!」
サイゴウリュウセイ…やはり知らない名前だ。いきなり襲ってくることはないとは思うが、警戒は必要だ。絶対に必要だ。
「合同コンパみたいじゃの。男がひとり多いようじゃが…儂は男も女も選り好みはせんからのう、なんなら六人全員お持ち帰ってもよいぞ?」
ギャグか本気かは分からないが、とにもかくにも下品な男、丸橋獣市郎。
これで槍術の名門である宝蔵院流屈指の使い手の仏僧というのだから、存在そのものがギャグのようだ。
「あたし、好き合うなら強い人しかダメなんだけど…獣市郎さんって、強いの?」
「もちろんじゃ。儂の試合を見たことはないのか、西郷嬢」
「そこに居る蝙也さんとの試合なら見たけど…ちょっとパッとしなかったよね」
「――もし挑発のつもりなら獣市郎だけにしてくれ、俺まで巻き込まないでくれ」
「ノリが悪いのう、蝙也。儂はこの場で三人で乱交乱戦、というのもウェルカムなんじゃがのゥ」
「…乱戦は嫌いじゃないが、カネにならない戦いはパスだ」
こんな奴らが相手では、絶対に警戒は必要だ。いつでも動けるようにしておかなければ不安だ。
人生とは、カネや時間というポイントを消費し“不安”というクリーチャーから逃げ回るゲーム。
病気になるという不安から逃げるには、カネを消費して健康診断を受けるか、時間を消費して健康法でも実践する。
カネがなくなるのが不安なら時間を消費して働く。時間が足りないのが不安ならばカネを消費して自由を得る…そんなことをしても不安は薄くなるだけでなくなりはしない。
時間もカネも、どちらかのポイントも尽きると死ぬしかない。死ぬまで不安と戦い続けなければらない。
「皆さん、そうやって誰かを傷つけることだけを考えてはいけません。
戦いとは硬い心と硬い心との衝突…ならば、心を緩やかに、柔らかくしておけば衝突しても互いに傷付く事はありません…。
もっと心身をリラックスしてください」
空気も読まず、喋りだしたのは伊藤幽鬼。張り詰めた中で彼女だけは自身の言葉を実践しているらしく嫌味なまでの笑顔を浮かべている。
緊張しないというのは大事なことだと僕も思う、だがどうやっても人間は不安というストレスで緊張し続ける。
この不安を紛らわすために家族を作ることも強い効力があるが、多くのカネと時間を消耗する上、家族が居るせいで新たな不安も生まれる。僕には人生の悪手としか思えない。
だからこそ僕は短い時間で大金が稼げる泥覧試合に参加している。不安から少しでも逃げるために。
「――雑賀、起きろ…来るぞ」
「…サンキュ、松崎」
そこまで黙っていたふたりが言葉を交わすと、障子の向こう、庭から気配。
私は急いでU字に敷かれた七枚の座布団の中央、一番の下座に腰を下ろした。どんな人間が現れるかは判らないが、とりあえずひとりだけ立ってると気恥ずかしい。
「んー、七人、揃ってんな」
「そのようですね、今が十一時四十一分…急ぎましょう」
障子を威勢よく開け放ち、入ってきたのは四人の男たち。
全員が青と白の鉢巻きに羽織り、その背中には〔鮮〕の文字。極道に生きる処刑部隊、新鮮組の正装だ。
「俺は新鮮組、組長の芹沢火門。
江戸コロッセオの経営者で、お前らにファイトマネーを出してる金ヅルだ。
こっちの老け顔が副長の近藤、後ろのイケメンが一番隊隊長の沖田、しょうゆ顔の方が二番隊の永倉だ。
別に覚えなくても良いからな、俺たちはただの狂言回しだからよ」
その四人の顔には見覚えがある、名乗ったとおりの経歴の新鮮組のメンバーだ。
それぞれがサイボーグ剣術の人造理心流や、バイオボーグ剣術の振動無念流の達人、重心で判る。
「でよォ、お前ら、ここに居るってことはルールは合意の上、もう殺しあう気満々、ってことだよな?」
「ハーイ、大丈夫でーす」
西郷が軽い調子で云。僕を含む他のメンバーも異論はないらしい。
「オッケ。んじゃあ永倉…確認でルール、行っとけ」
「うす、任されました。今回の泥覧試合は明日の零時からスタートす。今が二十三時四十三分すから、あと少しスね。
開始後、二十四時間逃げ回っていただきます、こちらの三名の皆さんから」
出入り口から一番遠い隅の畳が天井まで跳ね上がった。
畳は落ちるより早く細切れに裂かれて綿毛のように宙を舞う。割けた畳の中に現れた人物はチェーンやファーで装飾された黄色い頭陀袋を覆面のように被り、胡散臭く薄汚れた中肉中背の男だった。
「根来が紀伊組頭領、一十一人居士がひとり、霞心居士」
霞心居士の登場に大道芸人にそうするように拍手を送っているのは、もちろん西郷流星と丸橋獣市郎。
だが何をするのかとずっと見ているわけにもいかない、霞心居士を見続けているわけにもいかない。彼が現れた畳とは逆の部屋の隅にもうひとり、男が現れているからだ。
「伊賀、隠衆…ええっと…百地弾牙」
音もなく姿もなかったはずの青年はそう名乗った。この和室には不釣合いな洋装、フォーマルなスーツに身を包み革靴。就職活動中の大学生にも見えるが黒いネクタイが、それは僕たち七人に対する喪服なのだろう。
続いてどんな登場をするかと不安にかられている間に、閉めた障子が開いた。普通に手で開かれて。
「甲賀、万衆、中忍、猿飛重三」
トレーナーにジーパンで芸も見せずに現れたが、勤め人という出で立ちではない。
服の上からでもわかるほど鍛え抜かれた筋肉と、さらに特徴的な体毛。頭髪はもちろん、眉毛もまつげも総じて針のように突っ立てている。そうやって揃った三人に永倉が声を張り上げる。
「この根来、伊賀、甲賀の三派三忍から明日の深夜二十四時まで逃げ回っていただき、生存している方を勝利とし、賞金がでます」
「…その賞金の値段も教えてもらっていい?」
「資料に明記したはずスよ、雑賀さん」
「値段が値段だからね、あんたらの口から直接聞いておきたいのよ、万が一にも書き間違いじゃ済まされないからね」
私は以前に読み込んだ資料の内容をなぞる。
制限時間二十四時間は泥覧試合でも最長、七対三というマッチメークも泥覧試合の歴史では初、そして賞金額も史上初。
「一億円。七名の内、逃げ延びた方々で一億円を山分けしていただきます」
その金額を聞いた瞬間、血の温度が変わった気がした。熱くなったのか冷えたのかは判らない、ただ肌がざわめいた。
「一億円、云ったからね? 一億ペソとかそういう冗談は聞かないからね?」
「貧乏な日本政府じゃないんだ。俺たち新鮮組はそんなケチ臭いことは云いませんよ」
「安心したわ」
一億円。七人全員で分けるにしても、一千四百万以上。
それだけあれば、大分安心できる。安らげる。逃げ回るだけで多くの安心感を得ることができる。
これほどすばらしいことがあるだろうか。
「…ということは、俺たち七人はその三人に必ず殺される、そう思われてるわけだ。芹沢さんよ?」
蝙也に言い返そうとした部下を手で制し、芹沢火門が一歩前に出た。
「ある程度は放出覚悟だな。 この三人のレンタル料を合わせてもそれぐらいならまだまだ黒字見込みだしな。
…見たくないか? 日本政府様の秘蔵部隊と俺の江戸コロッセオの人気メンバー。毛唐連中への動画配信だけで採算は合うんだよ」
その言葉に、僕は少し安心していた。確かにそれなら不渡りということもなさそうだ。『戦う平和』である忍者が極道のイベントの泥覧試合に参加するともなれば、いくらでも儲かるだろう。
「それなら、もうひとつの一億円の方も間違いないのね」
「ああ、忍者を返り討ちにすれば殺したヤツに一億円ボーナス。だから三人全員を殺して、かつ他の六人が全員死んでれば最大で四億…分かりやすいだろ?」
一億円ボーナス、それも魅力的だが、国防のプロである忍者と戦う不安のほうが大きい。遭遇したらそのまま逃げればいい。
「というわけで、こっちの三人組と斬りあって…いや、斬り合わずに逃げ延びてくれよな」
「ん、でも火門さん?これから江戸コロッセオに移動すると、三十分くらい掛かるよ。二十四時に始めるのは難しくない?」
この西郷という女、ルールブックを読んでいないらしい、なんとなくそんな気はしていたが、不安にならないんだろうか。ルールも知らないで命懸けの試合に挑むというのが。
「江戸コロッセオじゃ狭いだろ、この江戸二十三区、全部だ」
「え、あたし聞いてないけど」
繰り返しとなるが、ルールブックにはしっかりと明記されている。
僕たち七人は二十三区内を自由に移動し、それを三派三忍が独力で追跡。忍者及び新鮮組が追跡しつつ試合を録画する。
「…いいの、一般の人に迷惑掛かったりしないの」
「なんで一般人の迷惑なんぞ俺たち新鮮組が気にするんだ。俺たちは新鮮組、ジャパニーズマフィアだぜ?」
「組長、カッコよすぎです」
「だべ? 一生着いてきていいぜ、一生利用してやるから」
「ウッス、組長」
どうでもいいが、羨ましくもある。
芹沢火門を中心として、他の新鮮組のメンバーは不安を感じているように見えない。
ただ近くにいるだけで他者の不安を取り除くスキル、それをなんと呼ぶのか知らないが、そんな人間を多く周囲に置くのも人生の目的の一つ。
人間関係を構築するにもカネや時間が有った方が良い。
「今が四十九分だ、五十分になったらこの屋敷から抜け出て解散、適当に生活しててくれ。あとは忍者が勝手に襲うから」
最初から資料で云われていたことだ。僕たちは立ち上がって想定していた隠れ家を思い描いた…明日は長くなりそうだ、人生で一番長い日に。
そのとき、驚くほど冷たいそれは僕の後頭部に押し付けられた。
「あんたに明日は来ないのよ、これがね」
拳銃使いの雑賀の言葉とともに放たれたそれは、そう僕が感じることもできないほど熱かったのだろう。
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