第2話 西郷流星(前)
【84g】
「店長さん、あの乱痴気騒ぎ、なんなの?」
「騒ぎ? ああ江戸コロッセオの泥覧試合ですかい?」
時間なのか、流行ってないだけか、午後三時を過ぎてこのラーメン屋には、カウンター席でチャーハンのピーマンを選り分けながら食っている女しか居ない。
彼女の風体も奇妙で、どう見ても小中に通う学生といった風だが、そんな人間がこんな時間にこんな店でこんなメニューを食べているだろうか?
それに荷物もまた奇妙、ツギハギや泥汚れだらけの登山用リュックサックはともかくとし、傍らのカウンター席に立てかけてある荷物にいたっては、それが何かすらわからない。
ブルーシートでグルグル巻きになっており、傾けて置いていなければ天井まで届きそうな、バカに長い何かだ。
店主も退屈を満喫し、自分用に丁寧に焼いたギョウザとチャーシューでビールを飲みながら雑談に付き合っている。
「それっきゃないでしょ、ね、説明してよ。なんてったってあたしのガイドブックではあそこは東京ドームって名前になってるからさ」
予想外だったのか、店主はギョウザを盛大に吹きだした。鼻からニラかネギの緑が覗いている。
「汚ないなァ」
「お嬢さん、かなり古いガイドじゃありませんか、それ。東京タワーは何本載ってます?」
「…東京タワーが何本もあるみたいな言い方だよね」
「ええ、量子通信用タワーとかで増設されて…何本だったけな、なんか七本目と八本目作るとかいってたんですけど…結局中止したんでしたっけ? お嬢さん」
今も昔も地球も火星でも、こういう頭の悪い質問をする人間はいるものだ。
「訊いてんのはタワーじゃなくてドーム、江戸コロッセオ。なんで斬り合いとかやってるの? 昼間から堂々と」
「それはもちろん、ギャンブルですよ。ヤクザの…ああ、これも説明が必要スか? 今の日本では赤字経営の政府よりもヤクザの新鮮組が顔をでかくして経営してんすよ」
世間体さえ考えなければ、人間同士の殺し合いほど儲かる商売はない。
競艇や競馬のようなものは設備維持だけで金が飛びすぎて黒字なんて神頼み、運営している方がギャンブラーでなくてはやっていられない。
だが、いつの世の中でも金に窮している人間というのはいるもので、それをふたり揃えて殺し合わせればいい。
給料は破格といえど一人分だけ、あとはせいぜい裏方のアルバイトくらいのもの。死体片付けの仕事も時給千三百円でまかり通るのだから、本当に安上がりだ。
「馬より金が掛からない馬の骨をふたり用意して、刀持たせて殺し合い、ってわけね」
「上手いねお嬢さん、座布団は出ないけどチャーハンお代わりします? 値引きとかはしませんけど」
少女がピーマン抜きはできるかと問い返せば、店主は手間が減るくらいだと応じて狭い調理場でベジタブルミックスを入れていないチャーハンを作り、少女に差し出した。
チャーハンにはピーマンどころか野菜が皆無、具はタマゴだけでさりげなくハムも入っていない。
これで同じ値段を請求するつもりか、少女も気付かないわけもないのにツッコミもしないが。
「にしても、よく食うねお嬢さん、なにか部活とかしてるの?」
「…あたし、二十代なんだけど」
またまた、と手を振る店主に彼女は小さな財布からカードのようなものを取り出し、店主に見せてやる。
大型宇宙バイクの運転免許証、地球では十八才から、火星では十六才から取得できる免許だが、名前は西郷流星、明記された生年月日から逆算すればどう考えても二十五才。
「あのさあ、店長さん? 普通間違えるかな、そういうこと? 確かに背は小さいし、胸だってないけどそれは火星の低重力のせいで…いや、同じ火星育ちの子たちより小さいけど…そりゃ…とにかく、背だけで年齢を判断しないでもらいたいんだけど」
「いや、だってお客さん、すごく童顔だし、態度も子供みたいだからさ…それなら、お客さん、何の仕事してる人なの? 学生さんじゃないんだよね?」
よくぞ聞いた、とばかりに流星は傍らに立てかけられた荷物に視線を飛ばしてから得意そうに答えた。
「人斬り」
「は?」
「だから人斬り、だって。用心棒とか傭兵とかやってるよ」
これも冗談だと思ったのか、それとも人斬り屋なんて珍しくもないのか、店主は変わらないそぶりだった。
残念なことに人斬りに免許なんてないし、証明する方法はないが。
「へえ、どんな火屯鉞刃使ってるの? 剣? 槍? 薙刀?」
「これだけど…こんなに大きくて、他になんだと思ってたわけ?」
先述したが、彼女の荷物はリュック以外ではこの刀しかない。
巻き付けている泥で汚れたブルーシート、刃渡り七尺五寸…メートル法では二メートルちょっと。彼女の唯一の商売道具だ。
「いや、そんな大きさの刀もないと思うよ? 火屯鉞刃あるしさ。そんなに大きくても関税上がるだけだろ?」
「関税…? ああ、それなら払えるないから密航してきちゃったよ」
やはり冗談だと思ったらしく店主は目を平らにしたが、次の瞬間、ドアベルを鳴らして入ってきた団体客には目を丸くした。
そろそろ来る頃だと流星は予想はしていたが、期待としてはもう三十秒必要だった。そうすればチャーハンを全部胃袋に入れられた。
「オぅラァっ、一週間前にうちの税関を破ってくれた西郷とかいうボケがいるのはここかァッ!」
入ってくるだけで店が狭くなるような大人数、ほとんどのメンバーがノーネクタイでプレスされていない背広を着ている。
カタギにこんな人間は居ないし、かといって警察なら尚更ありえない、ならば答えはひとつだけ。
「…まあナイスタイミングってヤツなんだけどよ、おたくら警察の人?」
顔を見合わせ、団体さんはそれぞれに顔を見合わせ、図ったように大爆笑。
こいつら、スライムとかと同じで集団無意識とかで同調してるんじゃなかろうか。
「っふっは。ンなわけねーだろ。警察なんて採算取れなくて江戸から居なくなってんだよ。
だからよぉ、今江戸を取り仕切ってるのは俺たちに決まってんだろうが、なあ、オヤジィッ!」
ラーメン屋の店長は言葉もなく、ただうなずいて見せた。威を借りようとなんだろうと、脅えられるというのは他のリアクションとは別種の快感ともなるらしい。
「…で、あんたたち、誰?」
あたしの発言に何人かが懐から何かを取り出した。火屯鉞刃のドスだ。
どちらにしても柄だけ持ち運ぶんだから日本刀サイズの火屯鉞刃を持てば良いと思うのだが、それでもドスに拘るヤクザの皆さんのプライドには頭が下がる。
「バカにしやがって…っ、もうテメーは…」
「…あのさァ」
連中が喋っている間に食べ終わったチャーハン皿をカウンターに置き、流星は動いた。
誰からも気付かれないような、僅かな、それでいて確かな体重移動、即座にある方向へ飛び込むための。
「ケンカを売るならさァ、喋る前に切り掛かった方が速いわよ?」
言い残して流星はブルーシートの巻いてある塊に手を伸ばし、一足飛びに窓ガラスに飛び込んだ。
散るガラス、叫ぶ店主、唸る極道連中。
窓の外には、店内に入ってきたのと同じ服装の皆さんが勢揃いしていたが、どの組員さんも自分たちの出番があると思っていなかったらしく火屯鉞刃を構えていない
「ボサっとしてちゃダメ。あたしは火星から不法入国した極悪犯なんだからね?」
「あ…う…?」
「てめぇら! ドスッ! 押さえ込め!」
司令塔の命令を受けてから火屯鉞刃を起動してももう遅い。並んでいる人間ほど倒しやすいものはドミノくらいしか存在しない。
流星は、ブルシートに包まれたままの獲物を握りこみ、思いっきり連中の足首のあたりで横薙ぎにする。
ブルーシートを取って刃を晒せば足首を斬り飛ばすくらいはできるはずだが、出さなくとも足を叩き砕くくらいはできる、それが流星の獲物の硬度と重量だった。
「ま、待て!」
待つと思っているからこういうことを云ってるんだろうが、極道に待てと云われて待った根性があるんだかないんだか分からないヤツって存在するんだろうか、日本の歴史上。
「テメぇ、速すぎだぞコラァッ!」
「ちょっと止まれアマァッ!」
「殺されろォー! 俊足クソ女ァー!」
褒めてるんだかなんなんだか、背後からオリジナリティのない罵声を流星は無視する…が、ひとりだけ気になる気配があった。
どんな人間かはわからない、強いかどうか性別も敵味方もわからない、だが気になる気配だ。その気配は背後ではなく真横、猛スピードで走る流星に併走していたのだから。
「話には聞いていたが本当に速いな、そんな刀を背負って」
気のせいではない。背後の三下とは比べ物にならない端正な顔面が流星の真横を走っている。流星と同い年か年下くらいの線が細く、冷たい眼をした美青年。
「――西郷流星、止まれ、止まらなければ撃つぞ」
「建前はともかくさ、極道さんのお兄さん、あんたは撃ちたいの、撃ちたくないの?」
「撃ちたいに決まっている、実弾が発砲できる機会なんて私たちの稼業でも多くないからな」
「ナイスフィーリング。 あたしも実弾を発砲される機会なんて多くないのよ」
流星と併走し、口元に笑いを浮かべつつ美形極道は、貴族みたいに手袋を投げ捨てた。その下のシルバーメタリックの拳には指先がなく代わりとして銃口が備わっている。
どうやら人工細胞人間…いや、機械人間らしい。
「あたしは示現流の西郷流星、お兄さんは?」
「人造理心流、沖田総治。新鮮組の始末一番隊の隊ちょ」
流星にはここまでしか聞こえなかった。
続きは沖田の手先に備え付けのマシンガンの銃声で掻き消された。
聞き返そうにも弾丸を全身に受けて口が回らなくなっていた…撃たれた流星ではなく、いきなりバランスを崩した沖田の方が、だが。
「沖田の兄貴ィーッ!」
「また持病スかっ」
「労咳はサイボーグ化したときに治っているっ」
「ではなぜ倒れたのだ」
立てなくなった沖田は、足腰の差で取り残されて後方で騒ぎ立てているだけの部下たちと同じ顔をしていた。なぜ自分が倒れているかがわからない。
無傷であるはずの流星も立ち止まり、ブルーシートを剥ぎ始めた。
「山至示現流の…技とも呼べない宴会芸ね、ただ弾の通り道に刀を置いて、運が良ければ…っていうか、相手の運が悪ければ跳弾するだけだから」
種を明かされ、むしろ総治は表情を曇らせた。
「バカな…私の弾丸はウラン合金弾だぞ、それを…弾くなんて…!」
「地球のヘタった金属なら無理かもね、だけどあたしの…火星合金を配合した超々硬合金なら…できるのよね」
それは、ダイヤモンドがブラシにもならない理不尽な強度と水や風よりも軽やかに衝撃を受け流す理不尽極まる火の展性、大理不尽なその刀は火星の赤い砂で生まれた甲虫と同じ輝きを放つ、故にその名をアカムシ。
「大蛮奔、あたしの愛刀、蛮一文字なわけよ、オッケー?」
「…ああ、わか…った」
全身に弾丸を受けたはずの沖田は返事をして見せた。これで沖田が生身なら根性かド根性か、気合といった言葉で説明しなくてはならない、だが彼はサイボーグ。
跳ね返った弾丸というのは弾道が真っ直ぐではないので着弾時にメチャクチャな銃創を作り、強い対人効果があるはずだが、沖田をよく見れば血が一滴も流れておらず、代わりに歯車が散らばっている。
全身サイボーグの剣士、必ず彼は傷を治せばまたも立ちはだかるだろう、その再戦を思えば流星の腕が鳴る。ついでに指を鳴らす。肩を鳴らす。腹が鳴る…満腹のはずの、腹が鳴った。
「…アレ…?」
腹は空いているわけがない、むしろ喰いすぎたくらいだ。
店構えは汚いし、店長が適当そうとはいえ、チャーハンを食い逃げしてきたばかりだ。
悪い予感と腹痛に苛まれ、流星の意識は痛みの中に没していった。