ココナッツ奮闘記
今日の出来事を小説風にしてみました。
仕事の終わり、街の灯りは少しずつ夜の色を濃くしていく。腹を空かせた私の思考は、夕食をどこで調達するか、その一点に絞られていた。
いつものコンビニか、それとも業務用スーパーか。しかし、今夜の運命は「駐車場」という物理的な制約によって強制的に書き換えられる。自宅前のパーキングは満車。隣も、その隣もだ。渋々ハンドルを切り、少し離れたスーパー「ライフ」に近い駐車場へと車を滑り込ませた。
「今夜は、ライフの日か」
店内に入ると、私の足は無意識に衣料品コーナーへと向かう。そこを一周するのは、自分でも説明のつかない「儀式」のようなものだ。目に留まったのは、好みのデザインの服が二つ。だが、手を伸ばした先にあったのは「合うサイズなし」という冷酷な現実だった。運命の女神は、服ではなく、もっと別の何かを私に買わせようとしているらしい。
エスカレーターを下り、B1の食品コーナーへ。降り立ったその瞬間、視界に飛び込んできたのは、異彩を放つ白い球体だった。
ココナッツ。
竹製のストローが添えられたその姿は、あまりにも「物珍しさ」という引力に満ちていた。私は迷うことなく、その重厚な球体をカゴへと放り込んだ。
部屋に戻り、手早く夕飯を済ませた私は、ついにその「白い要塞」と対峙した。
表面には、英語の焼印。親切にも「ここを刺せ」と言わんばかりの目印が打たれている。付属の竹ストローを、その聖域へと突き立てる。
最初の一口。
「……ほう」
それは、芳香剤のあの暴力的な甘さとは無縁の世界だった。さっぱりとしていて、鼻に抜ける微かなナッツの香り。まるで、冷えたポカリスエットを植物のフィルターに通したような、滋味深い天然のスポーツドリンクだ。
だが、幸福は一瞬で終わった。量が、圧倒的に少ない。
「たったこれだけか?」
私は球体を振ってみた。音はしない。だが、私の頭の中の論理回路が作動する。ココナッツの表面には三つの筋が走っている。ならば、残りの二つの穴も、同じようにストローを受け入れるはずではないか。
私は残りの穴に竹ストローを叩きつけた。しかし、返ってきたのは「パキッ」という虚しい音。ストローの先端は潰れ、要塞は一ミリも揺るがない。嫌な予感が、確信に変わった。
「ならば、力技だ」
私は工具箱から安物のラジオペンチを取り出した。これで表面の殻をペリペリと剥がしていけば、中の実へ辿り着けるはずだ。
だが、ココナッツの殻は私の文明的な試みを嘲笑った。三分割された筋の部分にペンチを立て、渾身の力を込める。その瞬間だった。ペンチが滑り、鋭い痛みとともに私の手に赤い線が走る。
「……っ!」
少しだけ割れた隙間から、白い実を削り取って食べてみた。美味い。だが、これでは夜が明けてしまう。私はペンチを投げ捨てた。負傷した手が、私の中に眠る「野生」を呼び覚ます。
私は白い球体を掴むと、夜の道路へと飛び出した。
街灯の下、私はその要塞を、アスファルトという冷たく硬い「大地」へと叩きつけた。
ガシャッ、という乾いた破壊音。
それは、数十年前に父が「食べづらい」と切り捨て、食す事が出来なかったあの壁を、自分の手で粉砕した音でもあった。
部屋に戻った私の手元には、不格好に割れた白い殻の破片があった。
茶色い渋皮を剥き、剥き出しになった真っ白な実を口に運ぶ。
シャキシャキ、シャキシャキ。
それは、果物を食べているとは思えない不思議な音だった。かつて生の栗を噛み締めたときのような、「降り積もった雪を踏みしめる音」。あるいは片栗粉の袋を押し潰すような、あの"密度"の高い感触。
そして野菜のようなシャキシャキとした硬い食感。それなのに、味覚の奥で広がるのは、紛れもない「ミルク」のコク。この食感と味の猛烈なミスマッチこそが、私が格闘の末に手に入れた戦利品の正体だった。
道路で叩き割った衝撃、ラジオペンチの敗北、そして幼き日の未練。
そのすべてを噛み砕くように、私はその不思議な「ミルクの野菜」を咀嚼し続けた。
終わりに
駐車場が空いていなかった不運。
服のサイズがなかった不運。
そのすべてが、この「人生初のココナッツ」という奇妙な体験へと繋がっていた。
次はもう少し、まともな工具を用意しよう。
だが、あの道路で響いた破壊の音と、その後に訪れた「雪を踏むような食感」は、どんな洗練された道具を使っても再現できない、今夜だけの勝利の味だった。




