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愛なんて所詮口先だけ

作者: 黒ユリ
掲載日:2026/02/07

さぁ、どうしようか。

私は今、非常に困っている。


2時間の残業を終え、色んな臭いが混ざり湿度の高い毎員電車も乗り、ようやく家に到着した。ロビーの暗証番号を入力し、エレベーターに乗り込もうとしたところで問題が起きた。


熱く、乱れた息遣いが聞こえる。


「愛してる」


聞き覚えのある声だ。

猫のような少しつり目で、大きな瞳を持つあの子。ミルクティ色に染めた髪を、緩やかに巻いており、いつも薔薇の甘い香りのするヘアミストをつけている。少し大きな胸が彼女にとっての武器で、今日はお気に入りの黒のニットワンピースを着てデートをすると言っていた。


「俺も。なぁ、部屋行っていい?」


まさか、ここでも聞き覚えのある声を聞くとは。

普段の声より少しだけ甘く、優しい声。2人きりの時だけ少しだけ声が高くなる所も同じ。


鼓動が早くなると同時に、呼吸も浅く速くなる。

頭が冷たく、ただ手は熱く、じんわりと汗が出てくる。


ゆっくりと1歩踏み出す。


壁の角越しに見慣れた顔があった。


私の親友の愛梨と彼氏の和樹が抱き合っていた。

和樹はスラックスにジャケットを羽織っており、仕事と言っていたが、どうやら違うようだった。

和樹は愛梨の腰を強く抱き締め、何度も啄むように口付けを交わしている。愛梨の赤い口紅が和樹の唇にも着いており、まるで唇が一体化しているようだった。

両手で腰を掴んでいたが、右手をゆっくりと愛梨の後頭部に移動する。そして、より深く口付けを交わす。まるでお互いをもっとより深く味わうかのように。


2人はお互いのことしか眼中にないようで、私の存在には全く気づかない。


「ねぇ、もっと」


愛梨が一真の頬を両手で包み込み、より深く口付ける。それが2人に火をつけたようで、2人の出す音がより熱を帯びていく。それと共に、私の感情はどんどん冷めていく。


愛梨は猫のような容姿と、気まぐれな性格をしている。愛梨は私を「春花だけが親友だよぉ」と言うが、私を馬鹿にすることも多い。それが嫉妬故であることも知っている。

私の髪色、髪型、ネイル、服装全てを「えぇっ!それって派手じゃない? なんでそんなのしたのぉ?」と言いつつ、周囲が私を褒めると数週間後には私の真似をしてくる。

和樹の事も気になっていたことも知っていた。「どこの大学出た人なの? どこの会社に務めている人なの?」とたくさんの質問をしてきていた。しかしまさか、本当にひとの彼氏を奪おうとするような子だとは思わなかった。


和樹は高身長、有名大学出身、有名企業で働いているいわゆる高スペックと呼ばれる人だ。自信があり、優しく気が利くが自慢が少し多い。

また、親は早くに離婚しており、片親で育てられたようで母親とはかなり仲が良い。

スーパーに食料品の買い出しだけでなく、毎月一緒に出かけ、服や鞄をお揃いでプレゼントしているようだ。

幼い頃は貧しく、母親に恩返しをしたいと繰り返し話している優しい息子である。

幼い頃貧しく欲しいものが買えなかったせいか、「これは高いやつなんだ」と持ち物の値段を毎回自慢してくる。

少し気になるところはあるが、母親と接している時間が長いためか女性の扱いになれている。お出かけをした時には、ショッピングバッグを持ってくれるし、車道を歩いてくれる。そして、どこかレストランに入った時には「一口食べる?」と聞いてくれる。

そんな優しい彼氏であるが、彼は自分自身のことしか興味が無いことは以前から気付いていた。彼が優しいのは、私が好きだからではない。”彼女に優しい俺”が好きだからだ。

彼との買い物中に服を選ぶ際には、30分間ひたすは彼のジャケット、バッグ、そして買うか迷っている服が入っている籠を持たなければならない。自分の好きなことに夢中になっている時は、”彼女に優しい俺”は忘れてしまうようだ。

他には、テーマパークに遊びに行った時には「この俺盛れてるよな?」とひたすら彼の写真を見せられる。

”彼女に優しい俺”に酔っている彼は私にとって都合が良かった。優しく、一緒にいる時には大切にして満たしてくれる存在であったため、それで満足していた。とてもプライドが高い彼の事だから”浮気をする彼氏”には成り下がりたくないと考えているものだと思っていた。読みは外れていた。

まさか、親友と彼氏に肉体関係があるなんて。と嫌悪する気持ちと、あの二人ならやりかねないかと納得する気持ちが同時に流れてくる。


「そこで何してんすか?」


後ろから声が響く。消して大きい声ではなかったが、甘く熱を帯びた音に支配されたこの場所ではあまりにも冷たい声だった。


同い年?いや年下?少し幼い顔立ちだが、鋭くとも落ち着いた瞳は成熟した男性のものだった。


「ここ、公共の場なんすけど」


パーカーにジーンズとカジュアルな服装で、余計に若々しさを感じる。あまり高くないとはいえヒールを履いている私より遥かに身長は高い。180cmくらいあるだろうか。


和樹はとっさに愛梨を突き放す。愛梨は驚くように和樹を見るが、すぐに視線をこちらに向ける。


「春花?」

「春花、なんでここにいるの?」


愛梨と和樹が同時に口を開く。

愛梨の表情には焦りと優越感が浮かんでいる。驚きの表情と口元が少し歪に歪んでいる。

和樹は焦りと罪悪感。恐らく、”モテている俺”に酔いしれ、愛梨の毒牙にかかったのだろう。そして、浮気をしてしまった自分が見つかってしまった事で罪悪感を感じている。


「どうして……って、ここ私も住んでいるから」


当たり前のことを愛梨と和樹に言う。

私がここに住んでいる事は愛梨も和樹も知っているはずである。


「ごめん、悪かった」


和樹はこちらに走り寄る。鉢合わせする可能性なんて少し考えれば分かることであろうに、耳を真っ赤にさせて冷や汗をかいている。


「別れたくない。一生かけて償うから」


和樹とは半年前も別れ話が出ており、その時も同じように「別れたくない」と言っていた。価値観の違いはもうどうにもならないと思い、別れようと思っていたが、彼の涙に潤んだ瞳を見て結局復縁をした。しかし、それは間違えた判断だった。彼は謝罪すればまた今まで通りの関係でいられると思ったのだろう。


「ううん、今回はもう無理。貴方はもう私には必要ないみたい」


もう、これで関係は終わりにするべきだと思い、あえて強い言葉を選ぶ。


「どうして! 私の方が好きって、相性良いって言ってたじゃん!!」


愛梨は手に持っていた小さなバッグを和樹にぶつける。元々小さな傷が沢山ついたバッグであったが、何度もぶつけることで、形も変わっていく。


「俺が口挟むことじゃないかもしれないけど……どういう関係すか?」


口を閉じていた青年が私に声をかける。

質問ではあるものの、ある程度予測はしているのか哀れむような視線だ。


「彼氏だった人と、自称親友だった人です」


もう彼氏ではなくなった和樹と「うちら親友だよぉ」とよく言ってきていた愛梨に再度視線を向ける。


告白され、恋愛感情は持てないまま惰性で付き合っていただけの和樹。一緒にいる時は大切にしてくれるからそれでいいやと思っていたが、”良い彼氏である俺”をもう出来ないのであれば、もう私にとって不要である。

愛梨もよく話しかけてくれるがマウントも多い。毎日LINEをし、沢山話しかけてくる。そして誘われ、一緒にお茶をすることも多い。そして、夏は露出度の高い服装で、冬は体のラインがよく出る服装を好んでおり、ふくよかな胸元と、柔らかくむっちりとした肌質。そんな彼女には男性が寄ってくる。待ち合わせしているとナンパされている姿をよく見るし、ナンパ相手を気にいれば私との約束はそっちのけに、遊びに行ってしまうことも少なくはない。ナンパをされる事を自慢に思っているようで、よくそれを鼻にかけて話しかけてくる。

いわゆるフレネミーというものであるとは感じていたが、色んなタイプの人間と接することで学ぶものがあると考え、今まで付き合ってきたが、もうこれ以上は不要であろう。


「春花もこう言ってるんだから、私だけのものになってよ!!」


愛梨は和樹の腕に抱きつき、胸を押し当てている。そして、再度口付けようと顔を近づけるが、和樹は腕を解き一歩離れる。


和樹は口を開き、そしてまた閉ざす。そして床に視線を移す。言い訳は思いつかなかったようだ。


「大丈夫すか? なんか顔色悪い。」


最近残業続きで疲労困憊である。仕事中から激しい頭痛があり、鎮痛剤を飲んでいたが切れてしまったようだ。そして、本来であればもうお風呂に入り、布団に入っている時間だが、このやり取りのせいで立ちっぱなしである。


青年の大きく温かい手が額に被さる。


「熱は無さそうすね。あ、すみません。いきなり触って。」


心配そうな表情で私を見たあと、急いで謝罪した。

エレベーターで居合わせた時には挨拶する程度の住人同士であったはずだが、このトラブルで一緒にいてくれること、私の体調を気にしてくれる彼の優しさに胸が熱くなる。


「夕飯ってこれからすよね? 実は凄く美味い蟹雑炊のパウチあって。ぜひ貰ってくれませんか?」


小包のダンボールをバリバリっと開けると、黒いパッケージに金の文字で蟹雑炊と書いてある。それをひと袋私に渡してくれた。

どうやら体調が悪いことも、その状態でお夕飯を作ることへの負担も考えてくれたようだ。


「すごく美味しくて、つい取寄せするんすよ」


にっこにと微笑みながら教えてくれた。


「あ、アレルギーとか大丈夫すか?」


「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」


「早く帰って寝た方がいいすよ」


青年の優しさに頬が熱くなる。

何やら、愛梨と和樹はまだ争っているようだが、もう興味はない。

よく見ると、青年のパーカーもジーンズも生地が良い。特にブランドのロゴがある訳では無いが、明らかに質の良いものである。ここまで気を遣えて、かつ行動に移すことができる青年である。恐らく、仕事も出来るであろうと推測できる。


何やら言い争っている2人の服装を見ると、和樹はブランド物の服ではあるが着古ておりやや型崩れている。愛梨は常に流行を負っているため、新しい服ではあるが安い通販のもので、生地もペラペラである。

実はというと、私も女性にしてはそこそこ稼いでおり、また実家がそこそこ裕福である。洋服に強いこだわりがある訳ではないが、親や祖母が洋服にはこだわりがあり、そのおかげで目が養われている。だからこそ気付けた明らかな服の生地の違い。


現代のこの時代が求める理想の男性像である、優しく、私の家事のことを心配してくれていたため恐らく家庭的で、しっかりと仕事もしており、そして身長も高い。何より、柔和で爽やかな人の良さそうな顔はかなり好印象だ。




この時はまだ知らなかったが、彼は以前から私を気にかけてくれていたようで、挨拶をする程度の関係性ではあったものの好意を抱いていたらしい。

この後、関係は急接近し交際へと進む。そして、穏やかな日々を共に過ごし、結婚をする。





ちなみに、春花が和樹と付き合えたのも、愛梨と友人関係を続けられたのも、春花はお金と愛情を沢山与え育ててくれた両親のお陰で自尊心はそこそこ高めだからこそ精神的な搾取をされなかった。

なにか自慢をされたとしても、それ以上のものを既に持っていたため羨ましさをそもそも感じない。


春樹は口先だけで何も与えようとはせず、愛梨も搾取することしか考えていないため、二人は早々にうまくいかなくなる。

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