第9話 折れた肋骨の謎
天候の急変は、山の現場では日常茶飯事だ。
遠くでゴロゴロと低い音が響いたかと思うと、一気に空が暗転した。
ポツリ、と大粒の雨が頬を打つ。
「おい、シートだ! ブルーシートかけろ!」
内海さんの怒号が飛ぶ。
発掘中の遺構にとって、雨は天敵だ。雨水が流れ込めば、土壁が崩れ、せっかく検出した骨が流出してしまう恐れがある。
俺と理香は慌てて巨大なブルーシートを広げ、穴の上を覆った。
バサバサと風に煽られるシートを、土嚢袋で必死に固定する。
その直後、バケツをひっくり返したような豪雨が降り注いだ。
視界が白く染まるほどの雨。
俺たちはシートの下、狭い空間に避難した。
薄暗い青色の光の中、土の匂いが充満する。そして目の前には、半分ほど露出した二体の人骨。
奇妙な雨宿りだ。
「……すごい雨ですね」
理香が膝を抱えて呟く。
雨音で声がかき消されそうだ。
「ああ。通り雨だろうけど、しばらくは動けないな」
俺たちは懐中電灯を点け、骨を照らした。
光と影が揺らめき、うつろな瞳が動いたように見える。
「先輩、見てください」
理香が指差したのは、男性と思われる骨の胸部だ。
「ここ、やっぱり折れてますよね?」
肋骨の一本が、ポッキリと折れ、少しズレている。さらに、その近くに小さな石片が食い込んでいるのが見えた。
「……石鏃だ」
俺は息を呑んだ。
石の矢じり。
それが肋骨に刺さっているということは、死因は明らかだ。
「射殺されたんだ。彼は、矢を受けて死んだ」
「じゃあ、やっぱり殺されたんですね。村の人たちに」
理香の声が沈む。
だが、俺には一つ、違和感があった。
「待てよ。だとしたら変だ」
「何がですか?」
「矢を受けて死んだ人間を、こんなに丁寧に埋葬するか?」
俺は骨の配置を指し示す。
男性の腕は、女性の肩を抱くように回されている。女性の手もまた、男性の腰に添えられているように見える。
そして、何よりあの漆塗りの櫛。
高価な副葬品だ。
「罪人や生贄として殺したなら、もっと乱暴に穴に放り込むはずだ。逆さに落としたり、首を切ったりしてな。でも、この二人は違う。まるで眠るように、安らかに安置されている」
「言われてみれば……」
「それに、この櫛だ。殺した相手に、こんな貴重品を持たせるか? 普通なら奪い取るだろう」
矛盾している。
伝説では「村人に殺されて投げ込まれた」ことになっている。
だが、現場の状況は「手厚く、敬意を持って埋葬された」ことを示している。
この乖離は何だ?
伝承が間違っているのか?
それとも、俺たちの解釈が間違っているのか?
「……許されたんじゃないでしょうか」
理香がポツリと言った。
「許された?」
「はい。二人の愛は禁じられたものだったけど、死ぬ時だけは一緒にしてあげようって。村の人たちも、本当は鬼を殺したくなんてなかった。でも、掟とか、祟りとか、そういうもののせいで殺さざるを得なかった。だから、せめてもの償いに、櫛を持たせて、二人一緒に埋めてあげたんじゃないでしょうか」
ロマンチックな解釈だ。
だが、完全には否定できない説得力がある。
考古学は物質から過去を復元するが、そこに「心」を補完するのは、いつだって現代人の想像力だ。
「先輩の推理は?」
「俺か? 俺は……」
俺は骨を見つめた。
データ不足だ。まだ結論は出せない。
だが、一つだけ確かなことがある。
この二人は、最期の瞬間まで互いを求めていたということだ。三千年の時を超えて、その事実だけが、骨という硬質なメディアに焼き付けられている。
「……もう少し掘ってみないと分からないな。下半身の骨が出れば、もっと詳しいことが分かるかもしれない」
「ですね。雨、早く止まないかな」
理香はそう言って、そっと自分の手を、俺の手の甲に重ねた。
「え?」
「あ、すみません。無意識に……なんか、この骨見てたら、人肌が恋しくなっちゃって」
彼女は照れ隠しのように笑ったが、その手は離さなかった。
俺も、振り払わなかった。
冷たい雨音と、死者の骨の前で、彼女の体温だけが確かな「生」の証拠のように感じられたからだ。
雨は一時間ほどで上がった。
雲の切れ間から光が差し込み、濡れた地面がキラキラと輝く。
俺たちは再び作業に戻った。
だが、その直後。
さらなる衝撃的な事実が判明することになる。
掘り出した男性の骨の、大腿骨(太ももの骨)。
その長さが、当時の日本人の平均身長を遥かに超えるものだったのだ。
「……デカい」
内海さんがメジャーを当てて絶句する。
「推定身長百八十センチオーバー。当時の平均が百六十センチ前後だとすると、巨人もいいところだ」
伝説の「鬼」の正体。
それは確かに、規格外の体躯を持つ「異人」だったのだ。
物語と現実が、ピタリと合致していく。
パズルのピースが埋まる快感と、得体の知れない恐怖が、俺の背中を駆け抜けた。




