表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/23

第7話 カレーライスと夜の理科室

 発掘現場の夜は早い。


 日没とともに作業は終了。泥だらけになった道具を洗い、日報を書き、そして翌日の準備をする。


 それが終わると、ようやく人間に戻れる時間だ。


「今日の当番は須藤と牧村なー。メニューはカレーだ。不味かったら埋めるぞ」


 内海さんの理不尽な号令の下、俺たちは家庭科室に立っていた。

 廃校の家庭科室というのは、独特の不気味さがある。

 古びた調理台、曇った窓ガラス、そして壁に貼られた「バランスの良い食事」というポスターの色褪せ具合。


 換気扇が回る音だけが、ブォォォンと低く響いている。


「先輩、玉ねぎ切ってください。私、肉炒めますから」


 理香は手際よくフライパンを熱し始めた。

 普段のおちゃらけた態度とは裏腹に、料理の手際は悪くない。


「了解。……しかし、なんでキャンプといえばカレーなんだろうな。もっとこう、パエリアとか作っちゃダメなのか」


「予算と手間の問題ですよ。それに、カレーは失敗がないですから。スパイスさえ入れれば、とりあえず食べ物にはなります」


「それもそうか」


 俺は涙を堪えながら玉ねぎを刻む。

 ジュウウ、と肉が焼ける音がして、香ばしい匂いが立ち込める。

 労働の後の空腹に、この匂いは暴力的なまでに魅力的だ。


「ねぇ、先輩」


 理香が木べらで鍋をかき混ぜながら口を開いた。


「先輩って、なんでそんなに冷めてるんですか?」


「冷めてる?」


「はい。考古学に対しても、伝説に対しても。いっつも『データだ』とか『科学だ』とか言って、一歩引いてるじゃないですか。もっと熱くなればいいのに」


「……熱くなると、疲れるんだよ」


 俺は包丁を置いた。


「期待して、裏切られるのが嫌なんだ。すげぇ発見だと思って騒いだら、ただの近現代のゴミだったとか。ロマンチックな伝説だと思ったら、ただの勘違いだったとか。そういうのに一喜一憂するのが、無駄に思える」


「臆病なんですね」


「慎重と言え」


「ふふっ。でも、私は思いますよ。先輩は冷めてるんじゃなくて、怖がってるだけだって」


 理香は鍋に水を注ぎ込んだ。

 ジャァァァ、と激しい音がして、白い湯気が立ち上る。

 その湯気の向こうで、彼女は言った。


「本当は、誰よりも『人の想い』に触れるのが怖いんじゃないですか? 土器や骨に残った、生々しい感情に当てられるのが」


 図星を突かれた気がして、俺は言葉に詰まった。

 そうかもしれない。

 俺がデータを重視するのは、そこに「感情」というノイズを混ぜたくないからだ。


 数千年前の人間も、俺たちと同じように悩み、苦しみ、愛し、死んでいった。それを直視してしまうと、ただの破片が重くなりすぎて、背負いきれなくなる。


「……煮込むぞ。ルーを入れろ」


 俺は話題を逸らすように言った。

 理香は「はいはい」と笑って、カレールーを割り入れた。

 完成したカレーは、少し焦げた味がしたが、今まで食ったどのカレーよりも美味かった。

 内海さんも、他の学生たちも、無言でかき込んでいた。


 食後の片付けを終え、俺たちは夜の廊下を歩く。

 外は完全な闇だ。街灯などない。虫の声と、風が木々を揺らす音だけが聞こえる。


「先輩、トイレ行くの怖くないですか?」


「お前がついてきてほしいのか?」


「べ、別に? 一人で行けますし!」


 理香は強がって見せたが、その手は俺のシャツの裾を少しだけ掴んでいた。

 可愛いところもあるじゃないか、と思ったその時だ。


 ――ピシッ。


 廊下の突き当たり、理科室の方から音がした。

 ラップ音のような、何かが弾ける音。


「ひっ!」


 理香が俺の背中にしがみつく。


「な、今の音! 出ましたよ、絶対出ましたよ!」


「建付けが悪いだけだろ。古い木造校舎なんだから」


 俺は平静を装ったが、心拍数は跳ね上がっていた。

 理科室。そこには、発掘した出土品を一時保管しているコンテナが積まれている。


 そして、その中には今日掘り出した、あの墓の土も入っているのだ。


「……見に行きますか?」


 理香が恐る恐る提案してくる。


「馬鹿言え。ホラー映画なら一番最初に死ぬ奴の行動だぞ、それ」


「でも、もし泥棒だったらどうします? 重要文化財級のものが出てるかもしれないのに」


 確かに、その可能性はゼロではない。

 俺は意を決して、懐中電灯を取り出した。


「俺が先に行く。お前はここで待ってろ」


「嫌です! 一人にしないでください!」


 結局、二人でダンゴのように固まって進むことになった。

 理科室のドアを、ゆっくりと開ける。

 懐中電灯の光が、埃っぽい室内を切り取る。

 人体模型……はないが、黒板に描かれた落書きが不気味に笑っている。


 そして、部屋の中央にある作業台。


 そこに置かれたコンテナの上に、何かが乗っていた。


「……だ」


 俺は安堵のため息をついた。

 握り拳ほどもある巨大な蛾が、窓ガラスに体当たりしていたのだ。あの音はその衝突音だったらしい。


「なんだぁ、蛾ですかぁ……驚かせやがって」


 理香がへなへなと座り込む。

 だが、俺の視線は別のものに釘付けになっていた。

 コンテナの中。

 今日掘り下げた土の中から、微かに光るものが見えたのだ。


 懐中電灯を近づける。


 それは、泥にまみれてはいるが、明らかに石でも土器でもない質感を持っていた。

 艶やかな、赤黒い光沢。


「……うるし?」


 俺は思わず呟いた。

 漆塗りの製品。

 縄文時代から漆の技術はあったが、これほど鮮やかに色が残っているものは珍しい。

 しかも、その形状は――。


「櫛……?」


 理香が息を呑む。

 昼間、源さんが語った伝説が脳裏をよぎる。


 『男は娘のために、見たこともない美しい櫛を作って贈った』


 偶然だ。そう言い聞かせる。

 だが、背筋の震えは止まらなかった。


 俺たちは見てはいけないものを見てしまったのかもしれない。あるいは、彼らが「見つけてくれ」と主張しているのか。


 暗闇の中で、赤い櫛だけが妖しく光っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ