第7話 カレーライスと夜の理科室
発掘現場の夜は早い。
日没とともに作業は終了。泥だらけになった道具を洗い、日報を書き、そして翌日の準備をする。
それが終わると、ようやく人間に戻れる時間だ。
「今日の当番は須藤と牧村なー。メニューはカレーだ。不味かったら埋めるぞ」
内海さんの理不尽な号令の下、俺たちは家庭科室に立っていた。
廃校の家庭科室というのは、独特の不気味さがある。
古びた調理台、曇った窓ガラス、そして壁に貼られた「バランスの良い食事」というポスターの色褪せ具合。
換気扇が回る音だけが、ブォォォンと低く響いている。
「先輩、玉ねぎ切ってください。私、肉炒めますから」
理香は手際よくフライパンを熱し始めた。
普段のおちゃらけた態度とは裏腹に、料理の手際は悪くない。
「了解。……しかし、なんでキャンプといえばカレーなんだろうな。もっとこう、パエリアとか作っちゃダメなのか」
「予算と手間の問題ですよ。それに、カレーは失敗がないですから。スパイスさえ入れれば、とりあえず食べ物にはなります」
「それもそうか」
俺は涙を堪えながら玉ねぎを刻む。
ジュウウ、と肉が焼ける音がして、香ばしい匂いが立ち込める。
労働の後の空腹に、この匂いは暴力的なまでに魅力的だ。
「ねぇ、先輩」
理香が木べらで鍋をかき混ぜながら口を開いた。
「先輩って、なんでそんなに冷めてるんですか?」
「冷めてる?」
「はい。考古学に対しても、伝説に対しても。いっつも『データだ』とか『科学だ』とか言って、一歩引いてるじゃないですか。もっと熱くなればいいのに」
「……熱くなると、疲れるんだよ」
俺は包丁を置いた。
「期待して、裏切られるのが嫌なんだ。すげぇ発見だと思って騒いだら、ただの近現代のゴミだったとか。ロマンチックな伝説だと思ったら、ただの勘違いだったとか。そういうのに一喜一憂するのが、無駄に思える」
「臆病なんですね」
「慎重と言え」
「ふふっ。でも、私は思いますよ。先輩は冷めてるんじゃなくて、怖がってるだけだって」
理香は鍋に水を注ぎ込んだ。
ジャァァァ、と激しい音がして、白い湯気が立ち上る。
その湯気の向こうで、彼女は言った。
「本当は、誰よりも『人の想い』に触れるのが怖いんじゃないですか? 土器や骨に残った、生々しい感情に当てられるのが」
図星を突かれた気がして、俺は言葉に詰まった。
そうかもしれない。
俺がデータを重視するのは、そこに「感情」というノイズを混ぜたくないからだ。
数千年前の人間も、俺たちと同じように悩み、苦しみ、愛し、死んでいった。それを直視してしまうと、ただの破片が重くなりすぎて、背負いきれなくなる。
「……煮込むぞ。ルーを入れろ」
俺は話題を逸らすように言った。
理香は「はいはい」と笑って、カレールーを割り入れた。
完成したカレーは、少し焦げた味がしたが、今まで食ったどのカレーよりも美味かった。
内海さんも、他の学生たちも、無言でかき込んでいた。
食後の片付けを終え、俺たちは夜の廊下を歩く。
外は完全な闇だ。街灯などない。虫の声と、風が木々を揺らす音だけが聞こえる。
「先輩、トイレ行くの怖くないですか?」
「お前がついてきてほしいのか?」
「べ、別に? 一人で行けますし!」
理香は強がって見せたが、その手は俺のシャツの裾を少しだけ掴んでいた。
可愛いところもあるじゃないか、と思ったその時だ。
――ピシッ。
廊下の突き当たり、理科室の方から音がした。
ラップ音のような、何かが弾ける音。
「ひっ!」
理香が俺の背中にしがみつく。
「な、今の音! 出ましたよ、絶対出ましたよ!」
「建付けが悪いだけだろ。古い木造校舎なんだから」
俺は平静を装ったが、心拍数は跳ね上がっていた。
理科室。そこには、発掘した出土品を一時保管しているコンテナが積まれている。
そして、その中には今日掘り出した、あの墓の土も入っているのだ。
「……見に行きますか?」
理香が恐る恐る提案してくる。
「馬鹿言え。ホラー映画なら一番最初に死ぬ奴の行動だぞ、それ」
「でも、もし泥棒だったらどうします? 重要文化財級のものが出てるかもしれないのに」
確かに、その可能性はゼロではない。
俺は意を決して、懐中電灯を取り出した。
「俺が先に行く。お前はここで待ってろ」
「嫌です! 一人にしないでください!」
結局、二人でダンゴのように固まって進むことになった。
理科室のドアを、ゆっくりと開ける。
懐中電灯の光が、埃っぽい室内を切り取る。
人体模型……はないが、黒板に描かれた落書きが不気味に笑っている。
そして、部屋の中央にある作業台。
そこに置かれたコンテナの上に、何かが乗っていた。
「……蛾だ」
俺は安堵のため息をついた。
握り拳ほどもある巨大な蛾が、窓ガラスに体当たりしていたのだ。あの音はその衝突音だったらしい。
「なんだぁ、蛾ですかぁ……驚かせやがって」
理香がへなへなと座り込む。
だが、俺の視線は別のものに釘付けになっていた。
コンテナの中。
今日掘り下げた土の中から、微かに光るものが見えたのだ。
懐中電灯を近づける。
それは、泥にまみれてはいるが、明らかに石でも土器でもない質感を持っていた。
艶やかな、赤黒い光沢。
「……漆?」
俺は思わず呟いた。
漆塗りの製品。
縄文時代から漆の技術はあったが、これほど鮮やかに色が残っているものは珍しい。
しかも、その形状は――。
「櫛……?」
理香が息を呑む。
昼間、源さんが語った伝説が脳裏をよぎる。
『男は娘のために、見たこともない美しい櫛を作って贈った』
偶然だ。そう言い聞かせる。
だが、背筋の震えは止まらなかった。
俺たちは見てはいけないものを見てしまったのかもしれない。あるいは、彼らが「見つけてくれ」と主張しているのか。
暗闇の中で、赤い櫛だけが妖しく光っていた。




