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第19話 遺言

 現場の空気は張り詰めていた。


 源さんたち老人グループの姿はない。昨日の騒動の後、彼らは沈黙を守っている。


 邪魔が入らないのは有難いが、この静けさは、嵐の前のそれを思わせた。


 俺と理香は、二体の骨を取り上げる作業に入った。

 人骨の取り上げは、発掘作業の中で最も緊張する瞬間だ。


 数千年の眠りを妨げ、バラバラにして箱に詰める。それはある種の冒涜であり、同時に彼らを「永遠のデータ」として保存する唯一の手段でもある。


「……失礼します」


 理香が小さく手を合わせ、女性の骨に触れる。

 肋骨を一本ずつ、慎重に取り外し、トレイに並べていく。


 俺は男性の方を担当した。


 毒に侵され、矢で射抜かれた男。

 その骨は想像以上に軽く、脆かった。竹べらで触れただけで崩れそうだ。


「先輩、これ……」


 女性の骨盤の下から、何かが出てきた。

 土の色が変わっている。

 赤だ。

 鮮やかな朱色。


「ベンガラ……いや、水銀朱か」


 俺はルーペで観察する。

 女性の体の下に、大量の朱が敷き詰められていたのだ。

 朱は防腐剤であり、再生の願いを込めた呪術的な色でもある。

 しかし、この量はおかしい。まるでベッドのように厚く敷かれている。


「待てよ」


 俺は違和感を覚えた。

 朱が敷かれているのは女性の下だけだ。男性の下にはない。

 つまり、この朱は「女性のため」に用意されたものだ。

 村一番の貴重品である朱を、惜しげもなく使い、彼女を弔った。


 やはり彼女は、村にとって大切な存在――高貴な身分だったのだ。


 そして、その朱の中から、キラリと光るものが見つかった。


 あの赤いくしの、欠けていた破片だ。

 俺はピンセットでつまみ上げ、すでに保管していた本体と合わせてみた。

 ピタリと合う。


 そして、その断面を見て、俺は息を呑んだ。


「……文字だ」


 櫛の把手とっての裏側。漆が塗られていない木地の部分に、微細な傷のような線が刻まれていた。

 文字というよりは、記号に近い。


 ×、△、そして波線。


 ただの傷ではない。意図的に刻まれたメッセージだ。


「これ、何かの暗号ですか?」


 理香が覗き込む。


「分からない。だが、これは男が作ったものだ。彼が娘に贈った櫛に、密かに刻み込んだメッセージ……」


 俺は脳内で、この村の地形図を重ね合わせた。

 波線は川。△は山。×は……。


「……地図だ」


 俺は戦慄した。


「これは、鉱脈の地図だ。彼が見つけた、まだ村人たちにも知られていない、新しい水銀朱の鉱脈の場所を示している」


「えっ、どうしてそんなものを櫛に?」


「遺言だよ」


 俺は確信した。

 男は自分の死期を悟っていた。毒に侵され、用済みとして殺される運命を。

 だから、自分が持っていた最大の「資産」である鉱脈の情報を、愛する女に託したんだ。


「これがあれば、彼女は生き延びられる。村を追放されても、この地図さえあれば、他の部族と取引ができる。これは彼が彼女に残した、最後の命綱だったんだ」


 涙が出そうになった。

 ロマンチックな愛の言葉じゃない。

 もっと現実的で、切実な、生存のためのギフト。


 「生きろ」


 この櫛には、そう刻まれている気がした。


「でも……」


 理香が悲しげに言う。


「彼女はそれを使わなかったんですね。逃げずに、彼と一緒に死ぬことを選んだ」


「ああ。彼女にとって、鉱脈なんてどうでもよかったんだ。黄金の山よりも、彼の隣にいることの方が価値があった」


 男は彼女を生かすために地図を託した。

 女はその地図を捨てて、男と共に死ぬことを選んだ。


 すれ違いだ。 


 けれど、これほど深く、激しいすれ違いがあるだろうか。

 俺たちは、その小さな櫛の破片を、まるで聖遺物のように慎重に袋に入れた。


 その時、背後で足音がした。

 振り返ると、そこには源さんが立っていた。


 手には、一輪の野花を持っていた。

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