第11話 赤漆の技術
その日の夜。
廃校の理科室は、即席の研究ラボと化していた。
内海さんが持ち込んだ投光器が眩しく輝き、作業台の上には、今日出土した遺物が並べられている。
主役は、もちろんあの櫛だ。
洗浄を終え、泥を落とした櫛は、妖しいほどの輝きを放っていた。
長さ十センチほど。木製のボディに、鮮やかな朱色の漆が幾重にも塗り重ねられている。
さらに、把手の部分には、極めて精緻な透かし彫りが施されていた。蔓草のような幾何学模様。
現代の工芸品と言われても通用するレベルだ。
「……ありえねぇ」
内海さんが腕組みをして唸る。
「こいつはオーパーツだ。いや、時代的には合ってるんだが、場所がおかしい」
「どういうことですか?」
理香が尋ねる。彼女の機嫌は、カレーを食べて少し直っていた。
「漆の技術ってのは、縄文時代からある。だが、これほど高度な『赤漆』を作るには、大量の樹液と、顔料となる水銀朱、そして何より熟練の職人が必要だ」
内海さんは地図を広げた。
「この村は山奥だ。漆の木はあるかもしれんが、水銀朱の鉱脈なんて聞いたことがない。一番近い産地でも、ここから百キロは離れてる」
「つまり、交易品?」
「ああ。しかも、超一級品のブランド物だ。当時のベンツやロレックスみたいなもんだ」
俺は櫛を凝視した。
ベンツ。
そんな高級品を、なぜ「鬼」と呼ばれた男が持っていたのか。
そして、なぜそれを娘に贈ることができたのか。
「仮説ですが」
俺は口を開いた。
「この男、ただの漂流者じゃないですね。交易商人か、あるいは特殊な技能を持った職人集団のリーダークラスだったんじゃないでしょうか」
「……ふむ。続けてみろ」
「この櫛は、彼が持っていた『商品』か、あるいは彼自身の身分を示す『IDカード』のようなものだった。彼はこの村に、何かを求めてやってきた。例えば、鉱物資源とか」
「褐鉄鉱か」
内海さんが頷く。
「この辺りは鉄が出る。もし彼が、製鉄技術や、あるいは最新の農耕技術を持った集団の長だったとしたら……村人は彼を『鬼』として恐れながらも、その技術欲しさに受け入れた可能性がある」
利害の一致。
ロマンはないが、リアリティはある。
技術を持った先進的なよそ者と、貧しい村。
最初は上手くいっていたのかもしれない。娘との恋も、政略結婚的な側面があったのかもしれない。
だが、何かが起きて破綻した。
それが、あの石鏃による殺害だ。
「技術だけ奪って、用済みになったから殺した……ってことですか?」
理香が青ざめた顔で言う。
「だとしたら、あまりにも酷すぎます。人間じゃないです」
「歴史ってのは大体そんなもんだ。綺麗な話の裏には、ドロドロした欲がある」
俺は淡々と言った。
だが、理香は櫛を見つめながら首を横に振った。
「違います。この櫛を見てください」
彼女はガラス越しに、櫛の把手を指差した。
「ここの模様……すり減ってます」
「え?」
「使い込まれて、角が丸くなってるんです。新品の商品じゃない。誰かが長い間、大切に、毎日髪を梳いていた跡です」
俺はルーペを覗き込んだ。
確かに。透かし彫りのエッジが甘くなっている。手脂による摩耗だ。
「これは……」
「愛用していたんです。きっと、男の人が贈って、女の人が毎日使っていた。政略結婚の道具なんかじゃない。ここには確かに、生活と愛があったんです」
理香の言葉は強かった。
物質的証拠(摩耗痕)から、感情を読み解く。
俺が苦手とするアプローチだが、この点に関しては彼女の観察眼が勝っていた。
「……一本取られたな」
俺は認めた。
「確かに、使い込まれている。二人の間には、本物の絆があったのかもしれない」
「でしょう! やっぱりロマンなんですよ!」
理香が得意げに胸を張る。
その時、理科室のドアがノックもなしに開いた。
夜風と共に現れたのは、あの源さんだった。
昼間の穏やかな表情はない。
鬼気迫る形相で、俺たちを睨みつけていた。
「……掘り返したな」
低い、地を這うような声。
「源さん? どうしたんですか、こんな夜更けに」
内海さんが声をかけるが、源さんは無視して作業台へと歩み寄った。
そして、並べられた骨の写真と、赤い櫛を見ると、ガタガタと震え出した。
「ああ……やっぱりだ。出しちまった。封印を解いちまった」
「封印?」
「お前ら、知らねぇだろう。あの場所が、昔なんと呼ばれていたか」
源さんは充血した目で俺たちを見た。
「『鬼の哭き坂』じゃねぇ。もっと昔の名だ。あそこは『鬼封じの壇』……祟りを恐れて、何重にも土をかけて埋めた場所なんだよ!」
源さんは俺の胸ぐらを掴んだ。
老人のものとは思えない握力。タバコと泥の匂いが鼻をつく。
「すぐに埋め戻せ! 工事なんてどうでもいい! あの骨を外に出せば、村に災いが起きる! そういう言い伝えなんだ!」
「落ち着いてください!」
俺と内海さんで源さんを引き剥がす。
源さんは喚き続けた。
災い。祟り。
非科学的な言葉の羅列。
だが、その怯え方は尋常ではなかった。まるで、三千年前の恐怖が、DNAに刻み込まれているかのように。
俺は冷ややかな目で老人を見ていた。
祟りなんてない。
あるのは「後ろめたさ」だ。
この村の先祖たちは、何か隠している。
技術者を殺し、奪い、そしてその罪悪感を「祟り」という物語にすり替えて蓋をした。
源さんが恐れているのは、超自然的な呪いではなく、自分たちの先祖が犯した「罪の証拠」が白日の下に晒されることなんじゃないか。
「……面白い」
俺の中で、スイッチが入った音がした。
ロマンなんてどうでもいい。
俺は知りたい。
このシステム(歴史)に発生したバグ(矛盾)の正体を
。
なぜ彼らは殺され、なぜ愛し合い、そしてなぜ恐れられているのか。
俺は理香を見た。
彼女もまた、怯えてはいなかった。
むしろ、真実を知りたいという熱っぽい目で、源さんを見つめていた。
今夜、俺たちは共犯者になった。
村のタブーを暴く、考古学という名の探偵に。




