第10話 3ミリの空隙
骨を掘る作業というのは、外科手術に似ている。
使うのはメスではなく竹べらと歯科用スパチュラだが、求められる繊細さは同じだ。
ミリ単位で土を剥がし、脆くなった骨組織を傷つけないように露出させていく。息を止めて、指先の神経を極限まで研ぎ澄ます。
雨上がりの翌日。
俺と理香は、ブルーシートで屋根を作った穴の中で、ひたすら二体の人骨と向き合っていた。
湿った土は重く、竹べらにまとわりつく。
だが、その土の下から現れつつある光景は、疲れを忘れさせるほどに衝撃的だった。
「……見てください、先輩」
理香が震える声で言った。彼女が担当しているのは、二体の骨が接触している中心部――腹部のあたりだ。
俺は顔を近づける。
そこには、人間の手の骨があった。
指骨。専門用語でファランジと呼ばれる、指の関節を構成する小さな骨たち。
男性と思われる太い指骨の上に、女性の細い指骨が重なっている。
ただ重なっているだけではない。
土の圧力で多少のズレはあるものの、それは明らかに「指を絡ませて」いた。
恋人つなぎ。
数千年前のラブシーンが、そのまま化石化したかのような光景。
「……凄いな」
俺は素直に感嘆した。
考古学の教科書には、様々な埋葬例が載っている。屈葬、伸展葬、盤状集骨。
だが、「抱擁葬」なんて分類はない。
これはイレギュラーだ。システムのエラーであり、同時に奇跡的な保存状態だ。
「離したくなかったんでしょうね」
理香がスパチュラを止め、溜息交じりに呟く。
「死ぬ瞬間まで、こうして手を握っていた。土をかけられて、光が奪われて、息ができなくなっても、この手の感触だけが最後の救いだった……」
「想像力が過ぎるぞ」
俺は窘めるが、否定はできなかった。
物理的な事実として、彼らは触れ合っている。
骨と骨の間、わずか三ミリの空隙。そこにかつて存在した皮膚と筋肉の厚みを脳内で補完すれば、二人がどれほど強く抱きしめ合っていたかが分かる。
「でも、矛盾してますよね」
俺は冷静さを取り戻すために、視線を男性の胸部に移した。
肋骨に刺さった石鏃。
死因はおそらくこれだ。肺か心臓を射抜かれた即死に近い傷。
「男は殺された。状況からして処刑か、見せしめだ。なのに、どうしてこんなに丁寧に、愛する女と一緒に埋葬されたんだ?」
処刑された罪人と、村の娘。
通常なら、罪人はゴミのように捨てられ、娘は丁重に弔われるはずだ。
同じ穴に、しかも抱擁させて埋めるというのは、処刑した側の心理としては不可解すぎる。
「きっと、村人たちも葛藤していたんです」
理香は頑として譲らない。
「掟だから殺したけど、本当は二人の愛を認めていた。だから、せめてもの情けをかけたんです」
「ロマンチストだな。俺なら別の可能性を考える」
「別の?」
「呪いだ」
俺は竹べらで、骨の周囲の土を払った。
「強力な力を持っていた『異人』を殺した。その祟りを恐れた村人が、彼の魂を鎮めるために、あるいは封じ込めるために、最も親しかった女性を『人柱』として添えた。つまり、この女性は生きたまま……」
「やめてください!」
理香が叫んだ。
狭い穴の中に声が反響する。
彼女は涙目になって俺を睨んでいた。
「どうしてそんなに酷いことを言うんですか? 先輩には、この二人の想いが見えないんですか?」
「俺たちに見えるのは骨だけだ。想いは出土しない」
「……サイテーです」
理香は顔を背け、黙々と作業に戻った。
気まずい沈黙が流れる。
俺も少し言い過ぎたかもしれない。
だが、考古学は残酷な学問だ。美しい物語を剥ぎ取り、即物的な事実を突きつける。
生贄、虐殺、病死。
それらを直視せずに「愛だ恋だ」とフィルターをかけるのは、研究者としての逃げだと思っていた。
カツッ。
俺の手元で、硬い音がした。
男性の頭蓋骨の近く。耳のあたりだ。
土を払うと、白く光る小さな環が出てきた。
石製耳飾。
滑石を磨いて作った、スリットの入ったイヤリングだ。
「……また出た」
俺は息を呑んだ。
石鏃、漆塗りの櫛、そして耳飾り。
この墓の副葬品は、あまりにも豪華すぎる。
まるで王族の墓だ。
山奥の貧しい村で殺された「鬼」の墓にしては、リッチすぎる。
俺の中で、違和感が膨れ上がっていく。
この二人は、本当に「村八分にされた異人と娘」なのか?
もしかしたら、俺たちは根本的な前提を間違えているんじゃないか。
「牧村、記録写真を撮るぞ」
俺は声をかけた。
「……はい」
理香はまだ怒っていたが、仕事は放棄しなかった。
カメラのシャッター音が響く。
フラッシュの光の中で、二体の骨は、なおも愛を語り合うように微笑んでいるように見えた。
そのうつろな眼窩の奥に、俺たちの知らない真実を隠したまま。




