第5話 碧山紫苑 幼少期編
こんにちは、msnoです。
今回は 碧山紫苑の幼少期から中学時代 を描きました。
有名ピアニストの母を持つ「凛子の娘」として注目されながら、誇りと同時に重荷を背負ってきた紫苑。
そして、幼なじみのともちゃん・ゆきちゃんという二人の友人に支えられ、自分の仮面と本心のあいだで揺れる姿を綴っています。
ぜひ、彼女の「内側の物語」に触れていただけたら嬉しいです。
碧山紫苑が本格的にピアノに触れたのは、まだ幼稚園の頃だった。
母・碧山凛子は世界的に知られるピアニストであり、紫苑にとっては「母」よりも「舞台の上の人」という印象が強かった。
背筋を伸ばし、流れるように鍵盤を叩く母の姿は、幼い紫苑の目にまるで魔法のように映った。
「しおん、ちょっと弾いてみる?」
母に促され、小さな手で白い鍵盤を押す。高く澄んだ音が鳴り響いた瞬間、紫苑の顔はぱっと輝いた。
「きれい……!」
母は微笑んで頷き、「あなたはきっと私に似ている」と言った。その一言が、紫苑の幼い胸に深く刻まれた。
それからは、母の指導の下で毎日練習を重ねた。
最初はぎこちなかった指も、数年で流れるように動くようになった。人前で演奏する機会も増え、小学校に上がる頃には「碧山凛子の娘」としてすでに注目され始めていた。
「紫苑ちゃん、すごいね! 本当にお母さんに似てる」
近所の人にそう言われると、紫苑は胸を張った。
「はい、わたし、お母さんの娘ですから!」
幼い彼女は、それを誇りに思っていた。
紫苑には、もうひとつの大切な居場所があった。
幼稚園からずっと一緒の友達、ともちゃんとゆきちゃん。三人はいつも一緒に遊んでいた。
ともちゃんは、誰もが首をかしげるような発言を平然と口にする子だった。
「我が闇の力が暴走する前に、この手を離せ!」
遊具の鉄棒にぶら下がりながら叫ぶともちゃんに、周囲の子たちは「何言ってんの?」と笑った。
「やめなよ、変だよ」
隣でゆきちゃんが呆れ顔で言う。
「ふっ、まだ時代が私に追いついていないのだ」
ともちゃんは胸を張り、全く気にする様子はなかった。
紫苑はそんな二人を見て、いつも笑っていた。
「ともちゃんって、ほんと面白いね」
心からそう思った。彼女の堂々とした姿は、幼い紫苑の目にきらきらと映っていた。
小学校に上がると、紫苑は母の指導のもと、さらに練習を重ねた。
四年生のとき、全国的なピアノコンクールに出場し、金賞を受賞した。
「碧山凛子の娘、才能を証明」
新聞や音楽雑誌にはそう書かれた。学校でも大きな話題となり、先生や同級生たちからは惜しみない称賛を受けた。
――けれど、その言葉には必ず「お母さんの娘だから」という枕詞がついた。
「すごいね、紫苑ちゃん。やっぱり凛子先生の娘だもんね」
同級生にそう言われると、紫苑は笑顔で「うん」と頷いた。
けれど心の奥では、かすかな違和感が芽生え始めていた。
(わたしが褒められているんじゃない。お母さんの娘だからって言われているだけ……)
最初は気にしないようにしていた。けれど繰り返されるたび、その違和感はじわじわと紫苑の心を覆っていった。
一方、ともちゃんは相変わらずだった。
「闇の炎に呑まれし我が魂よ、今こそ解き放たれよ!」
校庭で叫ぶともちゃんに、男子たちは「うわ、また始まったよ」と笑った。
「やめときなって、ほんとに恥ずかしいよ」
ゆきちゃんが止めても、ともちゃんは気にしない。
「我が真の姿を理解するのは、未来の者たちだ」
そう言って笑う彼女を見て、紫苑は心の奥で「すごい」と思った。
(わたしは『凛子の娘』って言われるのに、本当の自分を見てもらえない。ともちゃんは笑われても、自分を隠さない。……なんで私はできないんだろう)
中学に進学しても、「碧山凛子の娘」という肩書きは紫苑を追いかけた。
先生たちは「将来有望だ」と口を揃え、同級生も「すごいね」と褒める。けれど陰では「親の七光り」と囁く声が聞こえた。
その言葉は鋭い棘となって紫苑の心を刺した。
(わたしの努力じゃなくて、お母さんの名前なんだ……)
それでも紫苑は笑顔を崩さなかった。成績も優秀で、運動も人並み以上。周囲から「完璧」と呼ばれるようになっていった。
けれどそれは仮面だった。本心を隠し、期待に応えるための顔。
そんな紫苑にとって救いだったのは、やはりともちゃんとゆきちゃんだった。
図書室で三人並んで勉強しているとき、ともちゃんが突然ノートを閉じた。
「偽りの天使に囚われし友よ、私が必ず解き放ってみせよう」
紫苑は思わず吹き出しそうになったが、真剣なともちゃんの瞳を見て笑うのを堪えた。
「……ありがとう、ともちゃん」
そう口にしたのは、本心からだった。
ゆきちゃんは呆れながら「ほんとにやめなよ」と言うが、紫苑は絶対に否定しなかった。
(自分を偽らないって、すごい。私も、あんなふうに言いたい)
その夜、紫苑は机に向かい、一冊のノートを開いた。
誰にも見せない詩を書き留める。
「仮面を脱ぎ捨てて、真実の声で歌いたい」
震える手でペンを走らせたその言葉は、紫苑自身の叫びだった。
ある日、練習を終えた紫苑に母が声をかけた。
「紫苑、あなたは私の娘なのだから、期待を裏切らないでね」
紫苑はにっこりと笑い、「はい」と答えた。
母は安心したように頷き、部屋を出ていった。
けれど、紫苑の心の奥では別の声が響いていた。
(私は……私自身の音を奏でたい。お母さんの娘じゃなくて、碧山紫苑として)
机の上のノートに視線を落とす。そこには、夜に書いた数々の「詩」が並んでいた。
拙くても、稚拙でも、それは紫苑が自分の言葉で紡いだものだった。
その秘密のノートは、紫苑にとって唯一「仮面を外せる場所」だった。
やがてそこに書かれる言葉が、後にAmetiaraの歌詞へと繋がっていくことになる――。
こうして紫苑の中学時代は、「母の娘」と呼ばれる誇りと重荷の狭間で揺れる日々だった。
ともちゃんとゆきちゃんという大切な友人がいなければ、彼女はきっと押し潰されていたに違いない。
そして今も紫苑の胸の奥では、ひそやかに燃える願いがある。
――いつか、自分自身の音を奏でたい。
その想いは、まだ誰にも知られていない。
けれど確かに、彼女の中で強く輝いていた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
紫苑は完璧主義に見えますが、その裏には「母の娘」と呼ばれることへの葛藤や、本当の自分を出したいという願いがあります。
ともちゃん・ゆきちゃんという幼なじみは、そんな彼女にとって欠かせない存在です。
今回のエピソードは、彼女が「仮面を被るようになった理由」と「歌詞を書き始めるきっかけ」を描きました。
次回はいよいよ、高校時代の出会いと変化へ。
紫苑がどうやってAmetiaraと関わる道へ進んでいくのか、楽しみにしていてください!