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第31話 「音楽は、誰のものか」

学内演奏会という舞台が、

少しずつ「発表の場」から「選別の場」へと姿を変えていく。


まだ直接名前は呼ばれない。

けれど、確かに“見られている”。


この話では、

音楽の世界にある静かな圧と、

それでも前に進む決意を描いています。

学内演奏会の告知が出てから、数日が経った。


 大学構内には、どこか落ち着かない空気が流れている。

 エントリーされた名前を確認する学生、

 練習室の予約表を何度も見直す人、

 楽譜を抱えたまま廊下を行き交う影。


 そんな中で、

 悠花・刹那・希愛の三人は、

 あえて普段と同じ時間に、同じように講義を受けていた。


(変に目立たないほうがいい)

(今は、音で語る準備をするだけ)


 それが三人の共通認識だった。



 昼休み。

 掲示板の前に、学生が数人集まっていた。


「これが最終リストか」

「クラシック多いな……」

「まあ、学内演奏会だしな」


 その中で、

 刹那は静かに自分の名前を探していた。


白鷺 刹那(Ba/Vo)


「……載ってる」


 希愛が小さく頷く。


「……ちゃんと……ボーカル表記……」


 悠花は、その文字を見て、少しだけ胸をなで下ろした。


(逃げ道、もうないね)

(でも……ここまで来たら)


 視線を下に移すと、

 編成の備考欄に、短い一文が添えられていた。


編成バランス良好/審査対象候補


 その言葉に、刹那の眉がわずかに動く。


「……審査対象?」


「学内演奏会って、

 “発表会”の顔してるけど……

 実際は、評価の場でもあるから」

 悠花が説明する。


「特に、学長が来る回は……」


 希愛が、ぽつりと続けた。


「……見られてる……」


 三人の間に、短い沈黙が落ちた。



 その日の午後。

 練習棟の一角で、刹那と悠花が音を合わせていた。


 まだ歌わない。

 コードと低音だけを丁寧に重ねる。


 そこへ――

 通りがかった一人の教授が、足を止めた。


「……少し、いいかな」


 刹那と悠花は、同時に音を止める。


「はい」


「君たちの編成、面白いね」


 教授は譜面を覗き込みながら言った。


「ベースが主旋律を担い、

 ギターは前に出すぎない。

 ドラムは……体幹が安定している」


 希愛の方を見る。


「基礎が、非常に強い」


「……ありがとうございます……」

 希愛が小さく頭を下げる。


 教授はしばらく考えるように顎に手を当てた。


「君たち、

 “聴かせること”をわかっている」


 その言葉に、

 刹那の背筋がわずかに伸びた。


「学内演奏会……

 学長も、目を留めるだろう」


「……!」

 三人の心臓が、同時に跳ねる。


「大げさな演出はいらない。

 今のまま、音を磨きなさい」


 教授はそれだけ言うと、

 何事もなかったように去っていった。



 夕方。

 三人は中庭のベンチに座っていた。


「……今のって……」

 悠花が口を開く。


「学長に……伝わるよね……」

 希愛が不安と期待の入り混じった声で言う。


「ええ。

 “無名の学生”じゃなくなった、ってこと」

 刹那は冷静だった。


 だが、その表情は引き締まっている。


(見られるということは……

 守られるわけじゃない)


(凛子さんの影響も……

 確実に、近くにある)


 刹那はふと、紫苑の顔を思い浮かべた。


 最近、大学で見かける紫苑は、

 いつも一人で、

 完璧な姿勢で歩いている。


 声をかけられる隙もない。


(……紫苑)


 そのときだった。


 悠花のスマホが、短く震えた。


「……学内メール?」


 画面を確認し、

 悠花の表情が一瞬だけ硬くなる。


「……学生課から」


「内容は……?」

 刹那が問う。


 悠花は、深く息を吸ってから答えた。


「“演奏会に関する確認事項があるため、

 後日、担当教員より連絡します”だって」


 それは、

 遠回しな言い方だった。


(見られている)

(そして――選別される)


 学長という存在が、

 ようやく「噂」から「現実」へと変わった瞬間だった。




 同じ頃。

 紫苑は、特別レッスン室で鍵盤に向かっていた。


 今日も、正確で、美しい音。


 誰にも、何も言わない。

 助けも、言い訳も、求めない。


(私は……

 選ばれている)


(だから……

 迷わない)


 そう自分に言い聞かせながら、

 紫苑はただ、音を積み上げていく。


 それが――

 誰かの手を振りほどくことになると、

 わかっていながら。


 学内演奏会は、

 もう「発表の場」ではなかった。


 それは、

 進路と覚悟を問う、正式な舞台になりつつあった。




数日後。

 悠花のもとに、正式な連絡が入った。


「……学生課から、呼び出し?」


 昼休み、スマホの画面を見つめたまま、

 悠花は小さく呟いた。


「“学内演奏会に関する確認のため”って……」

 刹那が眉をひそめる。


「確認、だけ……?」

 希愛の声が、わずかに強張る。


 三人は顔を見合わせたあと、

 無言で立ち上がった。




 学生課の部屋は、

 無機質で、余計な感情を排した空間だった。


「どうぞ、座ってください」


 対応したのは、

 柔らかな口調の事務職員だった。


「今回の学内演奏会ですが……

 いくつか、確認事項があります」


 机の上に置かれた書類。

 そこには、出演者名と編成が記されている。


「白鷺さん、ベース兼ボーカル。

 浅黄さん、ギター兼コーラス。

 黒羽さん、ドラム……ですね」


「はい」

 刹那が静かに答える。


 職員は一度頷き、

 次の言葉を慎重に選ぶように続けた。


「学内演奏会は、

 “教育的価値”を重視する場でもあります」


「……教育的価値?」

 悠花が聞き返す。


「はい。

 特に今回は、学長も出席されますので」


 その一言で、

 空気が一段重くなった。


「音楽の方向性について、

 念のため確認させていただきたいのです」


 刹那は、背筋を伸ばした。


「私たちは、

 学内規定を逸脱する演奏はしません」


「ええ。

 ただ……」


 職員は、言葉を区切る。


「一部の関係者から、

 “特定の学生の進路に影響を与えかねない演奏”

 について、懸念の声が上がっていまして」


 その瞬間、

 三人は悟った。


(来た……)


(これは……紫苑のことだ)




「その“特定の学生”とは……?」

 悠花が、あえて聞いた。


 職員は、少し困ったように笑う。


「個別の名前は出せません。

 ただ……」


 視線が、刹那に向いた。


「学内には、

 非常に注目度の高い学生も在籍しています」


「……」


「大学としては、

 その才能を最大限に活かしたいと考えています」


 刹那の拳が、

 膝の上でわずかに握られた。


(守る、じゃない……)


(“管理する”だ……)


「私たちの演奏が、

 誰かの才能を奪うことはありません」

 刹那は、はっきり言った。


 職員は、即座には否定しなかった。


「ええ。

 ですが……大学としての判断が必要な場合もあります」


 言葉は丁寧。

 声も穏やか。


 それでも――

 はっきりとした圧だった。




 しばらくの沈黙のあと、

 刹那が口を開いた。


「学内演奏会は、

 “音楽を学ぶ場”ですよね」


「ええ、もちろんです」


「なら……

 音楽そのものを、評価してください」


 職員の目が、わずかに揺れた。


「誰かの立場や、

 親の影響力ではなく」


「……」


「私たちは、

 誰かを引きずり出すために演奏するわけじゃない」


「ただ……

 “自分たちの音”を出すだけです」


 その声は、

 強くもなく、弱くもなかった。


 けれど、

 逃げ道のない覚悟があった。


 職員は、ゆっくりと息を吐いた。


「……わかりました。

 その意志は、担当教員を通じて伝えます」


 それは、

 完全な肯定ではない。


 だが――

 拒絶でもなかった。




 学生課を出たあと、

 三人はしばらく無言で歩いた。


「……言われたね」

 悠花が、ようやく口を開く。


「うん。

 でも……止められなかった」

 希愛が言う。


「それが、答えよ」

 刹那は静かに言った。


「完全に否定されなかった。

 つまり……」


「音次第、ってことだね」

 悠花が続ける。


 三人は、同時に空を見上げた。


(学長は……

 もう、私たちを知ってる)


(名前じゃなくても……

 “音”で)



 その頃、紫苑は

 大学の別棟を一人で歩いていた。


 すれ違う学生の声が、

 遠くに聞こえる。


「……」


 演奏会の話題が、

 耳に入らないわけがない。


 それでも、紫苑は足を止めなかった。


(私は……

 関係ない)


(もう、別の道を歩くって決めた)


 そう言い聞かせながら、

 歩幅を一定に保つ。


 振り返らない。

 振り返らないと、決めている。


 ――その背中が、

 どこか危うく見えることを、

 本人だけが気づいていなかった。


 制度は、静かに牙を剥く。

 感情は、声を上げられない。


 それでも――

 音楽だけは、

 まだ奪われていなかった。



夕方。

 練習棟の廊下は、日中のざわめきが嘘のように静まり返っていた。


 悠花、刹那、希愛の三人は、

 予約していた小さな練習室に集まっていた。


 まだ演奏は始めない。

 それぞれが、考えを整理するための時間だった。


「……学生課から、あれ以上は何も言ってこなかったね」

 悠花が口を開く。


「ええ。

 でも“見てる”っていう圧は、はっきりあった」

 刹那は譜面を見つめたまま答えた。


「……止められなかった、ってことは……

 条件付きで……進んでいいってこと……?」

 希愛が慎重に言葉を選ぶ。


「そうね。

 “結果次第”ってこと」

 刹那は静かに頷いた。


 その瞬間――

 練習室のドアが、控えめにノックされた。


「失礼するよ」


 入ってきたのは、

 昼間に声をかけてきたあの教授だった。


「……先生」

 三人は立ち上がる。


「座ったままでいい」

 教授は軽く手を振った。




「君たちの編成、

 正式に学内演奏会の“審査枠”に入った」


「……審査枠……?」

 悠花が思わず聞き返す。


「簡単に言えば、

 “学長がきちんと聴く”という枠だ」


 その言葉に、

 三人の空気が一瞬で張り詰めた。


「避けられない、ってことですか?」

 刹那が尋ねる。


「そうだ」

 教授ははっきりと答えた。


「そして……

 これは忠告でもある」


 教授は少し間を置き、続けた。


「今、大学の上層部は

 “才能の管理”に神経質になっている」


「管理……」

 希愛が小さく呟く。


「特に、

 影響力のある保護者が絡む場合はな」


 三人は、名前を出されなくても理解していた。


(凛子さん……)




「最悪の場合……」

 教授は言葉を選びながら続けた。


「“大学の方針に反する行動”と判断されれば、

 処分が検討される可能性も、ゼロではない」


 その場の空気が、凍りついた。


「……処分って」

 悠花が、静かにつぶやいた。


 教授は否定しなかった。


「まぁ正式な理由があれば、な」


 刹那は、拳を強く握った。


「それでも……

 私たちは、出るべきだと思います」


 教授は、刹那をまっすぐに見た。


「理由を聞かせてくれ」


「音楽を学びに来たからです」


 刹那の声は、迷いがなかった。


「音楽をやる場所で、

 音楽を理由に黙らされるなら……

 それは、学ぶ意味がない」


 一瞬の沈黙。


 やがて、教授は小さく息を吐いた。


「……いい覚悟だ」




「安心しろ」

 教授は続けた。


「学長は、

 “感情論”で判断する人間じゃない」


「……本当ですか?」

 希愛が不安そうに聞く。


「ああ。

 彼は“音”を見る人だ」


「ただし――」


 教授は、少し厳しい目を向けた。


「完全な中立ではない」


 それでも。


「だからこそ……

 演奏次第では、その保護者の意向に“異議”を唱えることもある」


 その言葉は、

 三人にとって初めての“光”だった。



 教授が部屋を出たあと、

 しばらく誰も言葉を発さなかった。


「……処分って退学のことかな」

 悠花がぽつりと呟く。


「もしかしたらね。怖くないって言ったら……嘘になるね」


「……うん」

 希愛も頷く。


 刹那は、少し考えてから言った。


「でも……

 ここで引いたら、紫苑は戻らない」


 その言葉に、

 悠花ははっきりと顔を上げた。


「うん」


「紫苑は、

 “自分が犠牲になればいい”って選ぶ人だから」


「だったら……

 私たちが引く理由なんて、ない」


 悠花は、拳を胸に当てた。


「音で、行こう」


「学長にも、凛子さんにも……

 紫苑にも」


 希愛が、静かに頷く。


「……全力で……支える……」




 同じ時間。

 紫苑は特別レッスン室で、

 一人、ピアノに向かっていた。


 ふと、

 遠くから低いベース音が聞こえた気がした。


(……気のせい)


 紫苑は首を振り、

 再び鍵盤に集中しようとする。


 だが、指が一瞬だけ止まった。


 胸の奥で、

 何かが、微かに揺れた気がして。


 ――それでも、紫苑は顔を上げなかった。


 学内演奏会は、

 ただの舞台ではなくなった。


 それは――

 未来を賭けた、正面衝突の場所だった。

第31話までお読みいただき、ありがとうございます。


この回で、

学長との接触が避けられない段階に入りました。

同時に、「音で評価される」という唯一の道も見え始めています。


紫苑はまだ助けを求めず、

悠花たちは迷いながらも前に進ぶことを選びました。


次話からは、

いよいよ圧力が“個人”ではなく“制度”として牙を剥き始めます。

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