表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/30

第26話「揺れる音、揺れる心」

大学生活が本格的に動き始める中、

四人の距離にも“静かな変化”が現れ始めます。


希愛はアンサンブル授業で天才的なリズム感を見抜かれ、

刹那は歌声を評価され、母からも大きく背中を押される。

それぞれの才能が開花する一方で、

紫苑だけが、母・凛子の強い干渉により、

思うように自由な時間を持てなくなっていきます。


ほんの少しずつ、音がずれていくような違和感――

それがやがて“大きな波”になる前の、最初の揺れ。


26話では、その“揺らぎの始まり”を描いていきます。

四月の終わり。

 大学のキャンパスには、新生活の緊張も少しずつ薄れ、

 それぞれが自分の速度で馴染み始めていた。


 地下スタジオ棟の前の廊下は、

 今日もドラムや打楽器の音が絶えず響いている。 


「希愛さん、今日のアンサンブルはBスタジオです。ちょっと早めに来ておいて」


 講師に声をかけられ、希愛は小さく頷いた。


「……はい」


 その声は相変わらず静かだが、

 どこか凛とした強さを含んでいた。



 スタジオに入り、ドラムセットの前に座る。

 スティックを握った瞬間、

 希愛の表情は自然と“集中の顔”に変わる。


 周りの学生たちが集まってくる。


「ねぇねぇ、黒羽さんってさ……

 初回のアンサンブルで教授に褒められた人だよね?」


「うん。“内側にメトロノームを持ってる”って言われたって聞いた」

「今日、合わせられるの楽しみだなぁ」


 ひそひそ声で交わされる言葉に、

 希愛は戸惑いながらも軽く会釈した。


(……注目されるの、苦手)


 でも――

 叩き始めた瞬間、すべてが消えた。


 ドン――


 一打目のスネアに、メンバーの肩が同時に跳ねる。


 安定感。

 重心。

 揺れないリズム。

挿絵(By みてみん)

 希愛の体の奥で脈打つテンポは、

 そのまま音となってスタジオ全体に流れ込む。


「ちょ、ちょっと……すごくない?」

「音が“走らない”ってこういうこと……?」

「黒羽さん、一緒に課題曲やってほしい!」


 周囲の視線が一気に集まり、

 希愛はこっそり目を伏せた。


「……やっぱり、すごいなぁ」


 スタジオの隅で見ていた悠花が、

 そっと胸の前で両手を握った。


(希愛……高校の頃からリズム感はすごかったけど、

 大学に来て、もっと伸びてる……!)


 眩しくて、誇らしくて、

 胸が少し熱くなる。




「黒羽さん、次のアンサンブルも一緒にやらない?

 あなたがドラム叩くと、安心するんだ」

 授業が終わり、廊下では数人の生徒たちに希愛が囲まれていた。


「よかったら、うちの声楽の課題伴奏もお願いできないかな……?」


「黒羽さんって、毎日スタジオいる?

 時間合えば練習みてもらいたいんだけど……!」


 徐々に希愛の周りには、いつの間にか学生たちが集まっていた。


「あ、あの……」


 困ったように目を泳がせたそのとき――


「希愛、こっちおいで!」

 悠花がぱっと割って入った。


「ごめんなさい、この子ちょっと用事あるんで!

 またね~!」


 半ば強引に希愛の手を引き、

 二人はスタジオ棟の外へと抜け出した。


「……ありがとう」

 希愛が小さく呟く。


「いいよいいよ。希愛って人気者なんだから」

「人気者じゃない……ただ、叩いただけ」

「その“ただ”がすごいんだよ」


 悠花は本気でそう思った。



「二人ともー!」

 校舎の影から刹那が手を振る。


「刹那も授業終わった?」

「ええ。教授に声を褒められて……帰ってお母さんにも報告したの」


「どうだった?」

「……すごく喜んでくれたわ」


 刹那の頬に嬉しさがにじむ。

 その表情を見て希愛も微笑む。


「刹那……よかったね」

「ええ。本当に」


 しかし――そこで、ふと気づいた。


「……あれ? 紫苑は?」

「今日は授業が長引いてるのかな?」


 悠花がスマホを見ると、紫苑からのメッセージが入っていた。


『ごめんなさい。今日は帰宅します。

 母様から課題の確認を言われたので。』


「……帰宅?」

「まだ夕方なのに?」


 胸の奥に不安が広がる。


「紫苑、大丈夫かな……?」

 希愛が心配そうに呟く。


 刹那は唇を結び、静かに首を振った。


「……しばらく一緒にいられない時期が来るかもしれないわ」


 その言葉が、夕方の風に沈んでいった。


紫苑が先に帰った翌日。

 四人で昼に少しだけ顔を合わせる約束だったが――

 時間ぎりぎりになって、紫苑から連絡が入った。


『すみません、急に教授から呼び出しがあって……

 今日は行けそうにありません』


「……また?」

 悠花がスマホを握る手を少し強くした。


「最近、ずっとこんな感じね」

 刹那も表情を曇らせる。


「紫苑さん、疲れてる……?」

 希愛の声は小さいが、胸を締めつけるような不安がにじんでいた。


 キャンパスの中庭は風が心地よく吹いていたが、

 三人の胸の中にはどこか重い空気が流れていた。


(紫苑、どうしたんだろ……?

 大学に入ってから、前よりずっと忙しそうで……)


 悠花は空を見上げた。

 淡い雲がゆっくりと流れていき、それが今の4人の距離に見えた。




 同時刻、紫苑は別棟の特別演習室にいた。

 壁一面に吸音材が貼られ、

 中央には美しく磨かれたフルコンサートピアノが置かれている。


 教授が楽譜を置きながら言う。


「碧山さん。お母様から連絡をいただいていてね。

 “紫苑にはこの曲を仕上げてほしい”と」


「……母が」


 紫苑の胸がぎゅっと締めつけられる。


「キュッフェルの楽曲は難解だ。

 でも君ならできるよ。

 お母様も“うち娘なら可能だ”と強く言っていたから」


「……はい」


 その“強く”という言葉に、

 紫苑は目を閉じた。


(どうして……)

(私は……ただ……)


 鍵盤にそっと指を置く。

 音は美しく響いた。

 でも、その響きの奥には、

 少しだけ震える影が混ざっていた。




「ねぇ、二人は気づいてる?」

 キャンパスの木陰で刹那がぽつりと口を開いた。


「気づいてるって……?」

 悠花が顔を向ける。


「紫苑、大学に入ってから“自由にしてる時間”がほとんどないのよ。

 特別レッスン、課題、母親の指示……

 高校の頃よりもさらに厳しくされている気がする」


「たしかに……」

 希愛も小さく頷いた。


「大学に入って、やっと自由に音楽できると思ってたのに……

 紫苑さんだけ、“縛られてる”みたい」


 希愛の言葉は穏やかだが、

 その奥には弱くない怒りがあった。


「紫苑は……本当は、みんなと一緒にいたいのに」

「うん。紫苑、声に出さないけど……そう思ってる気がする」


 悠花は拳を小さく握りしめた。


「紫苑を一人にしたくない。

 私……ちゃんと話すよ。

 どれだけ忙しくても、紫苑と音を合わせたいって」


「悠花……」

「私も一緒に行くわ」

「わたしも」


 三人は頷き合った。




 夜、紫苑は自宅の防音室で、グランドピアノの前で膝に手を置いたまま動けずにいた。


 母・凛子が静かに言う。


「紫苑。大学ではクラシックの価値を守りなさい。

 あなたは生まれながらに“選ばれた器”なのだから」


「……はい」


「友人との活動も大切でしょうけれど……

 雑音に流されてはいけません。理解して?」


(雑音……)


 その一言が胸に刺さる。


(悠花たちの音は雑音じゃない……

 でも……母様の前では……)


 心の中で何かが軋む音がした。



それから数日。

 四人の時間割は相変わらず合わず、

 紫苑の忙しさはさらに加速していった。


「紫苑、今日の放課後は合わせられる?」

 悠花がメッセージを送っても――


『ごめんなさい。母様が課題を確認したいそうで……』


 返事はいつも同じ。


(何か……おかしい)


 違和感は、もはや“確信”に近づいていた。




 練習後、三人はキャンパスの中庭に集まっていた。

 紫苑だけ、今日も来られなかった。


「紫苑さん、最近ずっと帰ってる……」

 希愛の声は弱く震えている。


「ちょっと、無理しすぎよね」

 刹那も腕を組んで心配そうに眉を寄せた。

「紫苑は努力家だけど……これは努力じゃなくて“義務”を押しつけられてる感じ」


 悠花は静かに息を吸った。


「……私、紫苑の家に行ってみようかな」

「え?」

「ええ?」


 二人の驚いた声がそろう。


「だって……このままだと紫苑、一人になっちゃう。

 私たちの声が届かなくなっちゃう気がして」


「悠花……」

「行くのは危険かもしれないけど……気持ちはわかる」


 刹那はそう言いながらも、どこか遠くを見るように目を細めた。


「紫苑の家って、母親の凛子さん……厳格な人よね」

「うん。昔から“クラシック以外は認めない”って言ってたから」

 希愛も静かに頷いた。


「でも……紫苑は紫苑だよ。

 クラシックも好きだけど、私たちの音も好きなんだよ。

 それを否定されるの、絶対つらいと思う」


(三人の音は合っているはずなのに……

 紫苑の音だけ、遠くに行っちゃいそうで怖い)


 悠花は胸の奥がじんわり痛むのを感じた。




 紫苑は帰宅後、母・凛子の前でピアノを弾いていた。


 美しい旋律。

 完璧な指の動き。

 しかし――その音は、どこか緊張で固くなっている。


 凛子は腕を組みながら言った。


「紫苑、大学でも優秀でいなければ意味がないのよ。

 あなたは“碧山凛子の娘”なのだから」


(母様の期待……重い……でも……)


 脳裏に浮かぶのは、四人で合わせた音。


 柔らかくて、

 あたたかくて、

 悲しくなるくらい好きな音。


(あの音を……また聞きたい)


「紫苑? 聞いているの?」

「っ……はい」


 紫苑は慌てて姿勢を正した。


「もう“遊びの音楽”に関わる時間はありません。

 クラシックこそがあなたの価値。

 それを忘れないように」


 紫苑の胸に、鋭い痛みが走った。



 翌日。

 四人のグループチャットに、紫苑から長いメッセージが届いた。


『悠花、刹那、希愛

 ごめんなさい。今は少し、クラシックに専念するため距離を置かせてほしいの。

 母様の期待に応えるため、しばらく自由な時間を作れない状態で……

 本当に、ごめんなさい』


 文末には、

 “ごめんなさい”が繰り返し書かれていた。


 メッセージを読んだ瞬間、

 三人の胸は一斉にざわついた。


「紫苑……距離を置く……?」

 悠花の手が震える。


「やっぱり、お母さんが……」

 刹那の声にも怒りと悔しさがにじむ。


「紫苑さん……泣いてる……?」

 希愛はスマホを抱きしめた。


 空気が重く沈む中、

 悠花はゆっくりと息を吸った。


「――行こう」

「行くって……どこに?」

 刹那が目を丸くする。


「紫苑の家に。

 紫苑が一人で抱えてるなら、私たちが行くしかない」


「悠花……」

「もう、黙って見ていられないよ。

 紫苑は、私たち四人の仲間なんだから」


 夕暮れの光が三人を照らす。


 不安と決意が交じり合った表情で、

 三人は紫苑の家の方向へ歩き出した。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます!


第26話では

・希愛のリズム感が大学でも突出して評価される

・刹那が“歌うこと”への第一歩を踏み出す

・紫苑の時間が急速に奪われ、心が追い詰められていく

という、四人の中の“差”が浮かび上がり始めた回でした。


特に紫苑のメッセージは、

四人の関係の中で初めて “距離を置きたい” と言葉にした瞬間で、

大学編の大きな転機の始まりです。


ここから紫苑の状況はさらに悪化し、

凛子の圧の正体、そして学長との関係なども徐々に明らかになっていきます。

この揺らぎは、後の“四人の再結集”につながる大切な布石です。


次回、第27話では

紫苑の追い込まれる姿がより鮮明になり、

悠花が本気で動き出すきっかけが描かれます。


引き続きよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ