第21話 確認という名の参加
夏休みの始まり、悠花たちは軽音部の合宿をすることに。
場所は刹那の家――白鷺家にある防音スタジオ。
それぞれの想いを胸に、音と向き合う夏が始まります。
再び鳴り響くセッションの中で、
メンバー同士の距離が少しずつ近づいていく物語です。
夏の陽射しが校舎の窓を透かして、白い床に光の帯を描いていた。
高三の夏。紫苑は生徒会室で、冷めた紅茶を一口すする。
生徒会選挙を終えてからもう三か月。慌ただしい時期は過ぎたが、彼女の机の上には相変わらず資料が山のように積まれていた。
「……次のフェスの運営資料、ね。もうそんな季節なのね」
紙をめくりながら紫苑は、無意識に口元を緩めた。
去年、初めて出演した音楽フェス――あの時の記憶は、未だに胸の奥に残っている。
一方その頃、軽音部の部室ではいつものように悠花と刹那が練習をしていた。
新入部員の美里・麻里奈・遥の三人も、すっかり部に馴染んでいる。
「ねぇ悠花先輩、この前の練習の動画見たけど……やっぱりすごいです!」
麻里奈が目を輝かせる。
引っ込み思案な彼女にとって、悠花や刹那はまさに“憧れの先輩”だった。
「ありがとう。麻里奈ちゃんも声が前より伸びるようになってきたよ」
「え、えへへ……ありがとうございます」
「でも麻里奈、リズムちょっとズレてたよな?」
後ろから遥がツッコミを入れる。
「ご、ごめん……!」
「まぁまぁ、焦らなくていいよ」
と、美里がまとめ役として二人の間に入る。
そんな穏やかな雰囲気の中、ふと刹那が呟いた。
「ねぇ……せっかく今年もフェスがあるなら、私たちも出たいね」
「え?」
悠花の手が止まる。
「去年は紫苑さんのおかげで出演できたけど、今年はどうだろう?」
「……どうせなら、正式に軽音部として出たいよね」
刹那の言葉に、部室が一気に活気づいた。
去年は臨時参加だった紫苑。だが、今はもう正式な“仲間”のように感じている。
そして後輩3人も力をつけてきた。
――もう一度、あの舞台に立てるかもしれない。
「でも、出るなら練習しなきゃね」
「うん。合宿でもしようか?」悠花が提案した。
「いいね!」美里がすぐに乗る。
「え、合宿? そんな本格的にやるんですか?」麻里奈が目を丸くする。
「もちろん。場所は刹那の家、でいいよね?」
「ええ。昔、両親がバンドやってたときの防音ルームがあるからいいですよ。皆で泊まれますし」
「お泊まり……!」麻里奈が真っ赤になる。
「別に修学旅行じゃないんだから」と遥が笑いを堪える。
「そのときは希愛も呼ばないとね」
「そうですね」
悠花が提案すると刹那は嬉しそうに頷いた。
「でも、紫苑さんは来るかな……?」
悠花が少し表情を曇らせる。
去年のフェス以降、紫苑は軽音部の活動に顔を出していない。
生徒会長として多忙なのもあるが、なにより母親の“あの言葉”が影を落としている。
夕方。生徒会室にて。
ドアをノックして入ると、紫苑が書類をまとめていた。
「紫苑」
「……悠花。軽音部のことでしょう?」
予想していたかのように、紫苑は微笑んだ。
「はい。今度、合宿をやるんです。練習も兼ねて。よかったら一緒に来ませんか?」
「……私は生徒会の仕事があるので」
「ですよね」悠花は苦笑する。
「でも、フェスで一緒に演奏したとき、紫苑さん……とても楽しそうでした」
「“楽しそう”ではなく、“集中していただけ”です」
「なら、その“集中”をもう一度“確認”してみませんか?」
「……確認?」
「そう。去年より今の私たちの音がどう変わったか、見てほしいんです」
紫苑は少し黙り込み、視線を机の端に落とした。
あの日――音を重ねた瞬間、自分の世界が少しだけ広がった。
それを「野蛮」と切り捨てた母に反論できなかったのは、
本当はその音を愛していたからだ。
「……視察という名目なら、問題ありませんね」
「え?」
「生徒会長としての監査です。
――ええ、あくまで“確認”として。」
悠花が嬉しそうに笑うと、紫苑もわずかに口元を緩めた。
その夜、紫苑は母・凛子に電話をかけた。
『あなた、生徒会長なんだから節度を守りなさい。
クラシック以外の音楽など、あなたには不要よ。』
「……わかっています。これは仕事の一環ですから。」
通話を切ったあと、紫苑は窓の外を見上げる。
月が静かに光を落とす。
「……確認、ね。
だったら……私は、もう一度音を確かめてみたい。」
蝉の声が降り注ぐ午後。
刹那の家の前には、キャリーバッグや楽器ケースを抱えた一行が集まっていた。
「ここが……白鷺先輩の家……?」
麻里奈が息を呑む。
立派な門構えと、洋館のような佇まいに圧倒されたのは彼女だけではない。
「広っ! ホテルじゃんこれ!」遥が感嘆の声をあげる。
「落ち着いて。ご近所に聞こえるわよ」
美里が苦笑しつつも、目を輝かせていた。
「まぁ、音楽一家だからね」悠花が笑ってフォローする。
「部屋の奥に防音スタジオもあるんだって」
「スタジオ……!」後輩三人の目が一斉に輝いた。
案内された地下スタジオは、壁一面に防音材が貼られ、ドラムセットとアンプ、キーボードが並ぶ本格的な空間だった。
その中央に立つ刹那が、照れくさそうに笑う。
「昔、両親がバンドやってたときの名残です。今はもう使ってないけど」
「すごい……!」悠花が呟く。
希愛も少し懐かしそうにドラムを見つめていた。
「悠花先輩、そろそろあの人紹介してくださいよ」
っと美里が希愛のこと見ながら悠花に言った。
「あ、そうだったね。じゃあ軽く自己紹介しようか」悠花が言うと、美里たちは姿勢を正した。
「生天目美里、ギター担当です!」
「宮本遥、ドラムです!」
「寿麻里奈……です。一応ボーカルです」
三者三様の初々しい声が響く。
「黒羽希愛。よろしく」
「よし、それじゃあ今日はまず、麻里奈のボーカルチェックからいこうか」悠花が提案した。
軽く音合わせをして、刹那がコードを鳴らす。
「緊張しなくていいよ。私が合わせるから」
「……はい」
麻里奈は両手を胸の前で握りしめ、深呼吸をしてからマイクを握った。
最初は震えるような声。けれど、Aメロの途中で不思議と空気が変わる。
彼女の声は透き通っていて、まるで夏の風のように優しく流れた。
「……いい声だね」刹那が思わず呟く。
「ふぇっ!? あ、ありがとうございますっ!」
麻里奈の頬が一気に赤くなり、スタジオに笑いが起こる。
その隣で希愛が、静かに目を細めた。
音に合わせて自然に体が動く。
――また、音が鳴ってる。
刹那のギター、悠花のリズム、麻里奈の歌声。
そのどれもが、かつてのセッションとは違う温度を帯びていた。
(……やっぱり、いいな)
希愛の胸に、ほんの少し熱が灯る。
そんな彼女の横で、紫苑が無表情のままスコアにメモをとっていた。
「紫苑さん、音どうでした?」悠花が尋ねると、彼女は顔を上げた。
「……音程の安定は課題ですが、声質に伸びがありますね。感情の“揺れ”を恐れなければ、もっと良くなるでしょう」
「相変わらず分析が的確だね」刹那が笑う。
「それが今回の私の役目ですから」紫苑はあくまで冷静に返す。
けれど、その瞳の奥には、ほんの少しだけ柔らかい光が宿っていた。
「紫苑さん……やっぱり、ピアノ弾いてみませんか?」悠花が冗談めかして言う。
「私は見学です」
即答だったが、紫苑の手が譜面の端を無意識に撫でた。
その仕草を見逃さなかった希愛が、ふっと笑う。
「……“確認”の一環として、試しに一音だけ弾いてみたら?」
「っ……!」紫苑の眉がぴくりと動く。
みんなが笑いを堪えきれずに見守る中、紫苑は観念したように椅子に座り、鍵盤に指を置いた。
静かな音が、スタジオを満たす。
ただのスケール練習――けれど、その一音目が鳴った瞬間、空気が変わった。
柔らかくて、気高くて、まるで“風”に触れたような音。
「……やっぱり、紫苑さんの音だね」悠花が微笑む。
紫苑は少し顔を背けながら、ぼそりと呟いた。
「……一応これも確認、ですから。」
その夜、夕飯のカレーを囲んで賑やかに笑う皆を見ながら、紫苑はひとり考えていた。
――どうしてこんなにも、心が落ち着くのだろう。
これは野蛮なんかじゃない。音が人をつなぐという感覚が、ただ心地よかった。
彼女は誰にも気づかれないよう、小さく息を吐いた。
「……“確認”の結果、明日も続きを見守ります。」
その言葉に、隣の希愛がくすっと笑った。
「素直になればいいのに」
紫苑は視線を逸らしながら、少しだけ口元を緩めた。
夜が更けても、スタジオの熱は冷めなかった。
夕食後の片付けを終えた一行は、自然と再び楽器を手にしていた。
「またこうして希愛と一緒にできるとうれしいです」
「私もまたこうして刹那と一緒にできてうれしい」
二人は昔を懐かしみながら仲良くセッションしている。
「先輩たち、すごいですね……」
麻里奈が感嘆の声を漏らす。
「これでもまだ調整中なんだよ」悠花が笑う。
刹那はアンプの音量を調整しながら言った。
「先輩、ドラムできるんですね?私と勝負しません?」
そう言うと、ドラムスティックを肩に担いだ遥が希愛の前に出た。
「3年近くブランクはあるけど、それでいいなら」
「いいですよ。じゃあ私からいかせてもらいますよ」
自信に満ちた笑み。軽くスティックを回してスネアを叩くその姿は、どこか挑戦的だった。
「ふぅん……けっこう上手いじゃない」
希愛が腕を組んで呟く。
「当たり前です、ドラム歴5年ですから」遥は得意げに胸を張った。
「じゃあ、次は黒羽先輩ですよ。私に続いてください」
挑発気味の笑みに、希愛は一瞬眉をひそめたが、
次の瞬間には静かにスティックを手に取っていた。
二人がスティックを構えた瞬間、空気が張りつめた。
刹那と悠花は自然と見守る側に回り、紫苑もピアノの椅子に腰を下ろしていた。
最初の一打が響いた。
遥のリズムは力強く、テンポは完璧。
けれど、希愛の一打が重なった瞬間、空気の層が変わった。
希愛の音には「呼吸」があった。
スティックが皮を打つたび、音が生きていた。
ドラムが“鳴る”のではなく、“語っている”。
遥は汗を浮かべながら必死に食らいつく。
だが、希愛のリズムはさらに速く、複雑に絡み合い――
終わる頃には、完全に息を呑むような静寂が訪れた。
「……まいりました」
遥がスティックを床に置き、深く頭を下げる。
「すごい……私、まだまだでした」
「そんなことないよ」希愛は穏やかに微笑んだ。
「あなたの音、芯がある。あとは“遊び”を覚えたら、もっと良くなる」
その言葉に、遥は顔を上げ、素直に笑った。
「はい、先輩!」
周りから自然と拍手が起こる。
紫苑も静かに手を叩いていた。
「これのどこが“野蛮”な音楽というのでしょうか…」
「紫苑さん?」悠花が問いかけると、
紫苑は鍵盤に視線を落とし、淡く笑った。
「……どうやら、私は母に報告しなければなりませんね。
“これは芸術だ”と。」
その後、気づけば自然とセッションが始まっていた。
悠花のギターが旋律を刻み、刹那のベースがそれを包み、
希愛のドラムがリズムを引き立てる。
そして、紫苑が――
ふと鍵盤に触れた。
柔らかくも凛とした音が重なり、音の波が広がる。
クラシックとロック、静と動。
異なる世界が、一つの“旋律”の中で溶け合っていく。
悠花はその中心でギターを弾きながら思った。
――あぁ、これが“私たちの音”なんだ。
音は言葉を超えて繋がり、夜の空に流れていく。
練習のはずが、いつの間にか誰もが本気になっていた。
「……確認、完了ですね」紫苑がぽつりと呟く。
「確認?」悠花が笑う。
「ええ。野蛮でも不純でもない。“心を奏でる音”です」
その言葉に誰もが笑顔を返した。
夜も更け、全員がリビングでごろごろと横になる。
麻里奈が毛布にくるまりながら呟いた。
「……今日、すっごく楽しかったです」
「でしょ?」悠花が微笑む。
「うん……なんか、夢みたいでした」
「夢じゃないよ」希愛が優しく笑う。
「明日も、音を出せばまた続きが始まるんだから」
紫苑は少し離れた場所で本を閉じ、
窓の外に広がる星空を見上げた。
「……“音”って、静かなのに、うるさいですね」
「紫苑さん?」
「ふふ。……いえ、なんでもありません。」
風がカーテンを揺らし、ピアノの弦が微かに鳴った。
それはまるで、誰かの返事のように、優しく響いていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
第21話では、これまでの積み重ねの延長として「音楽を通して繋がる絆」を丁寧に描きました。
紫苑の葛藤、希愛の再生、新入生たちの参加――それぞれの想いが少しずつ重なっていきます。
次回、第22話では、紫苑が母と向き合いながら、自分の“音”を選ぶ決意を固めるお話になります。
Ametiara誕生へと繋がる大切な回ですので、ぜひ楽しみにしていてください!




