第20話 生徒会選挙と新たな光
新年度が始まり、生徒会選挙の季節がやってきました。
今回は、そんな紫苑の「生徒会長」としての始まり、そして軽音部の新たな一歩を描いています。
部活と生徒会、それぞれが違う形で「音」を奏で始める――そんな対比を楽しんでいただけたら嬉しいです。
春の柔らかい風が吹き抜ける講堂。
体育館ほどの広さを持つ空間に、在校生たちのざわめきが響く。
壇上にはマイクスタンドが一本――その前に立つのは、
整った緑髪に眼鏡をかけた少女、碧山紫苑。
彼女はゆっくりと視線を上げ、落ち着いた声で言葉を紡ぎ始めた。
「私は、生徒会が“規律”を守るためだけの組織ではなく、
“想い”を形にできる場所にしたいと思っています。
誰かの努力が、誰かの声が、埋もれてしまわないように――」
静まり返った講堂の中に、紫苑の声が澄んで響く。
まるで音楽の旋律のような言葉の抑揚に、
生徒たちは自然と引き込まれていった。
紫苑の視線が一瞬、生徒たちの中にいる悠花たちに向く。
目が合った悠花は思わず息を呑んだ。
(……やっぱり、紫苑さんはすごいな)
拍手が鳴り響く。
紫苑は一礼し、壇上を降りた。
その背中はどこか誇らしげで、悠花は思わず笑みをこぼす。
隣で刹那が小声で呟いた。
「まるで別人みたいですね……」
「うん、私たちの知ってる紫苑じゃないみたい」
横にいたともちゃんが、芝居がかった調子で言う。
「ふふ……“心を震わす音律”こそ、真の支配者の器――
まさに我が盟友、紫苑にふさわしい称号だな!」
その日の放課後。
軽音部の部室に戻ると、新入生の三人――美里、麻里奈、遥がすでに来ていた。
三人とも、紫苑の演説を聞いて興奮冷めやらぬ様子で話している。
「やっぱり紫苑先輩ってすごいですね! あの堂々とした感じ、憧れます!」
「ていうか、ここのキーボード結構手入れされてますよね? 誰かここで演奏してたんですか?」
美里が部屋の奥にある電子キーボードを指差す。
悠花と刹那は顔を見合わせ、少し気まずそうに笑った。
「うん、そのキーボードは紫苑が使ってたやつだよ。
私たちがフェスに出たとき、臨時で弾いてくれたの」
「えぇ!? すごっ……! 生徒会長でピアノも弾けるとか、完璧超人じゃないですか!」
「ほんとに……なんか、いろんな人がこの部に関わってるんだなあ」
麻里奈が感嘆の声を漏らす。
そんな彼女たちの反応を見て、悠花は胸の奥が少し温かくなった。
(……紫苑がいなかったら、今ここに新しい仲間もいなかったかもしれない)
数日後の昼休み。
校内放送のチャイムが鳴り、スピーカーから淡々とした放送部員の声が響いた。
『――生徒会長選挙の結果を発表します。
本年度、生徒会長に就任するのは……碧山紫苑さんです!』
一瞬の静寂のあと、教室がどっと沸いた。
「やっぱり!」「だと思った!」「あの演説、すごかったもんね!」
歓声と拍手があふれ、廊下まで熱気が伝わってくる。
悠花たちは3年生の教室の窓際で、放送を聞きながら顔を見合わせた。
「……すごいね」
悠花がぽつりとつぶやくと、刹那が柔らかく笑う。
「当然の結果ですよ。誰もが紫苑を慕い、尊敬してましたし」
「言葉に力があったしね。紫苑が上に立つと学校は変わると思う」
「ふふ……“支配者の風格”が漂っておったな」
ともちゃんの相変わらずのテンションで現れた。
「支配者の風格って…」
教室の隅で笑い声が弾け、昼休みのざわめきに混ざっていった。
放課後。
軽音部の部室には新入生の三人が顔を出していた。
「今日の放送聞きました! 紫苑先輩、生徒会長になったんですね!」
美里が嬉しそうに言うと、悠花はうなずいた。
「うん、そうだよ。すごいでしょ? あの人、昔はこの部の臨時メンバーだったんだ」
「へぇー! そんな人が生徒会長に……!」
麻里奈が目を丸くして感嘆の声をあげる。
「軽音部って、なんか不思議な縁があるんですね」
遥がそう言って笑うと、悠花も微笑んだ。
「うん。出会う人みんな、どこかで音でつながってる気がする」
悠花はふと、部室の隅のキーボードを見た。
埃ひとつないその楽器に、紫苑の几帳面な性格が滲んでいる。
「……また、紫苑と一緒にやりたいな」
ぽつりとこぼした言葉に、刹那が静かに頷いた。
「そのうち、きっとできますよ」
「ま、あれだけピアノ上手かったら、やめるほうが難しいよね」
しんみりしかけた空気を笑ってごまかした。
「えっ、紫苑先輩ってピアノ弾くんですか!?」
麻里奈が目を輝かせた。
「うん、お母さんがプロのピアニストで、音楽フェスのときも、オープニングでピアノ弾いてたし。
クラシック専攻のピアニストだから、プロ顔負けだよ」
「すご……そんな人が身近にいたなんて」
美里が感嘆の声をあげ、遥も感心したように頷いた。
「……あの、もし今度機会があったら、そのフェスの話、聞かせてください!」
麻里奈の言葉に、悠花は笑顔で頷く。
「もちろん。その代わり、次の練習で麻里奈ちゃんの歌も聴かせてね?」
「ひゃっ……!」
麻里奈は顔を真っ赤にして、両手で頬を押さえた。
それを見た遥が楽しそうに笑う。
「ほらほら、もう逃げられないね!」
部室には、いつの間にか温かな笑い声が満ちていた。
去年までの静けさが嘘のように、軽音部に“新しい音”が流れ始めていた。
紫苑は、生徒会室で新しい任命書を受け取っていた。
「これで正式に会長就任ですね。会長」
ゆきちゃんが軽く頭を下げると、紫苑は小さく息をついた。
「ありがとう、ゆき。でもいつも通り紫苑でいいです。あなたには会長としてではなく、ピアニストの私でもなく、親友としてそばにいてほしいので」
「わかったわ紫苑。でもこれで凛子さんの予定通り生徒会長にもなれて、ひと段落ね」
その問いに、紫苑は少しだけ視線を伏せた。
「これは私の為であって、お母さまのためではありません」
「もしかして軽音部…浅黄さんたちのため?」
「ううん。自分の気持ちを整理するためです。でも任された仕事はきっちりこなしますよ」
紫苑は窓の外、夕焼けに染まる校庭を見つめた。
どこか遠くで、ギターの音が小さく響いている気がした。
(――やっぱり、まだ忘れられない)
掌をそっと胸に当てる。
それはもう、音楽のためではなく、
自分が本当に立ちたい場所を見つけるための鼓動だった。
翌週――新生徒会の初会議。
紫苑は新しい生徒会室の前に立ち、深呼吸をした。
扉の向こうでは、役員の生徒たちが緊張した面持ちで待っている。
「……紫苑、もう時間だよ」
ゆきちゃんが声をかける。
紫苑は小さく頷き、扉を開けた。
「皆さん、今日からよろしくお願いします」
その一言で、場の空気が変わった。
柔らかくも芯のある声。
彼女の立ち姿には迷いがなく、まるで一つの音楽を奏でるような調和を感じさせた。
(――私にできることを、やるだけ)
紫苑はそう心の中でつぶやき、資料を手に取る。
「まずは各委員会との連携体制を見直します。
文化祭の改善案についても、早めに動きましょう」
ゆきちゃんが手際よく補佐し、他の役員も紫苑のテンポに合わせて動き始めた。
いつしか緊張は消え、静かな団結が生まれていた。
一方そのころ、軽音部の部室では。
「――よし、今日は刹那が歌ってみようか!」
悠花の提案に、刹那は少し緊張した面持ちでマイクスタンドの前に立った。
「わ、私が……ですか?」
「うん。麻里奈ちゃんがボーカル希望だから、先輩として手本を見せてあげないと!」
「そ、そんな……大げさですよ……」
「ほら、ボーカリストの子供だけあって、すごい原石なんだから」
照れながらも、刹那はベースを構えた。
遥がドラムを軽く叩き、リズムを刻み始める。
美里がコードを合わせ、悠花が優しくリードを支える。
そして――
刹那の声が、静かに部室を満たした。
透き通ったようで、どこか切なさを帯びた声。
聴く者の心にまっすぐ届く旋律だった。
音楽室の窓から春の風が吹き抜け、淡い光が彼女の髪を揺らす。
歌い終えた瞬間、麻里奈がぽかんと口を開けたまま呟いた。
「……きれい……」
「ね、すごいでしょ?」
悠花が微笑むと、麻里奈は小さく拳を握った。
「……私も、あんな風に歌えるようになりたい」
「うん。麻里奈ちゃんの声もすごく優しいから、きっと素敵なボーカルになれるよ」
悠花の励ましに、麻里奈は照れくさそうに笑った。
「ありがとうございます……!」
遥がスティックを肩にかけ、明るく言う。
「よーし! じゃあ次の練習では、私たちも全力で合わせよう!」
「おーっ!」
部室の空気が一気に明るくなる。
刹那はそんな光景を見ながら、ふっと目を細めた。
「……あの頃の私たちみたいですね」
「うん。でも、今度は“後輩たち”の物語が始まるんだ」
悠花の言葉に、刹那も静かに頷いた。
その日の帰り道。
夕陽に染まる校舎を見上げながら、悠花はつぶやいた。
「紫苑さんも、きっと今頃頑張ってるんだろうな」
「生徒会長か……紫苑さんなら、間違いなく立派にやるよ」
刹那の言葉に、悠花は微笑む。
ふと、遠くから風に乗ってピアノの音が聞こえた気がした。
まるで紫苑が、どこかの部屋で弾いているような――そんな音。
(……また、四人で音を重ねたいな)
淡い願いが胸の奥に残り、夕暮れの空に溶けていった。
紫苑が正式に生徒会長に就任しました。
凛とした彼女の演説は、これまでの迷いや葛藤を経たからこそ響くものだったと思います。
そして軽音部には、ようやく新入生の三人が本格的に顔を出すようになりました
静かだった部室が、少しずつ“音楽の部室”へと戻っていく過程を丁寧に描いてみました。