16話「交わらぬ想い」
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文化祭と音楽フェスを経て、ついに希愛と正面から向き合う時がやってきました。
文化祭では一体感を見せた彼女たちですが、心の中に積もってきたわだかまりは簡単に解けるものではありません。
今回は、希愛が抱えてきた本音と、それに向き合おうとする悠花と刹那の想いを描きます。
静かな住宅街の路地で、希愛と鉢合わせた瞬間。
街灯に照らされた彼女の横顔は、どこか影を帯びていた。
「……昨日は、その……ありがとう」
小さく切り出す。
「大丈夫」
その声は淡々としていて、感情が読み取れない。
刹那は一歩踏み出しかけて、結局何も言えず立ち尽くした。
彼女の瞳は揺れているのに、声はどこからも出てこない。
悠花が代わりに言葉をつなぐ。
「黒羽さんが叩いてくれたから、あの場は救われたんだよ。本当に、ありがとう」
そう伝えると、希愛は小さく肩をすくめ、視線を逸らした。
「……うん、話はそれだけ?」
「あ、もう少し静かな場所に行かない? 三人で落ち着いて話せるところに」
悠花はそう切り出し、提案する。
希愛は少し考えてから頷いた。
無言のまま歩き出し、刹那と悠花もその後を追う。
辿り着いたのは町外れの河川敷。
夜風に混じって川のせせらぎが響き、人の気配はほとんどない。
街灯の光が川面に反射し、空気はひんやりと澄んでいた。
三人は並んで立ち止まり、自然と希愛を中心に向き合う形になる。
悠花は改めて言葉を選んだ。
「昨日の演奏、すごかったよ。二年も叩いてなかったなんて信じられないくらい」
希愛はしばらく黙っていたが、やがて淡々と口を開いた。
「……ありがとう。でも、あれはもう私には関係ない」
「そんなことない。あのドラムがあったから、あの場が救われたんだよ。それに私も助けられたし」
「……」
悠花が必死に伝えるが、希愛はただ川を見つめるだけだった。
隣で刹那は唇を噛みしめ、拳を握るばかりで言葉が出ない。
悠花は沈黙を破るように、もう一歩踏み込む。
「どうしても、もう一度一緒に音楽をやりたいの。私だけじゃない、刹那も――」
その名を出した瞬間、希愛の肩がぴくりと震えた。
夜風が冷たく吹き抜け、三人の間の空気がさらに重くなる。
川のせせらぎが、三人の沈黙をかき消すように流れていく。
刹那は一歩踏み出したいのに、足がすくんで声が出ない。
幼いころからずっと一緒に音を奏でてきた相手の前で、なぜか言葉だけが消えてしまう。
代わりに悠花が、胸の内のざわつきを押し殺して口を開いた。
「黒羽さんのドラム、本当にすごかった。でも、どうしても楽しそうには見えなかった」
希愛の紫の瞳がかすかに揺れ、唇がわずかに歪む。
「……当たり前じゃない。楽しいはずないでしょ」
「え……?」
「私は……もう音楽をやめたんだよ。中学のとき、吹奏楽部で何もできなくて、ドラムに触らせてもらうことすらできなかった。刹那と一緒に遊んでたころの楽しさなんて、とっくに忘れた。だから昨日だって、ただ代わりに叩いただけ。私の居場所なんかどこにもない」
抑えていた感情が堰を切ったようにあふれ出す。
刹那は震える唇を動かしたが、声にならなかった。
その代わりに悠花が必死に言葉を重ねる。
「でも、私にはそうは見えなかった。昨日の黒羽さんのドラムには――確かに力があった。みんなを前に進ませる力が」
希愛は首を横に振る。
「違う。あれはただ……勝手に身体が動いただけ。それに刹那は私を置いて、違う中学に行って、違う仲間と音楽をして……。私はそこにいなかった」
その声は震えていたが、確かな痛みを宿していた。
悠花はちらりと隣を見る。刹那はうつむき、拳を固く握ったまま。
何か言わなければと思いながら、声が出ないのだ。
悠花は息をのみ、代わりに踏み込んだ。
「黒羽さん……刹那は、黒羽さんを置いていったんじゃない。昨日、電話で話したときも、どうしてももう一度一緒に音楽をやりたいって――」
「やめて!」
希愛がかぶせるように叫ぶ。
紫の瞳が潤み、街灯の光で揺らめいた。
「……あなたは何も知らないくせに。私がどんな気持ちでドラムから離れたかも、どれだけ刹那を待っていたかも」
その言葉に、悠花の胸は締めつけられる。
彼女の言葉は痛いほど真実で、反論する余地がなかった。
ただ、それでも――。
「……それでも私は、黒羽さんと一緒に演奏したい」
希愛は視線を逸らし、再び川を見つめた。
夜風が彼女の髪を揺らし、その背中にはまだ固い壁が感じられる。
希愛は川面を見つめたまま、ゆっくりと口を開いた。
「……刹那には、もう浅黄さんがいるじゃない」
「え……?」
不意に名前を呼ばれた悠花は、胸が跳ねるのを感じた。
希愛の声は静かだったが、その奥には確かな嫉妬と痛みが潜んでいた。
「一緒に笑って、一緒に音楽をして……私の居場所なんて、もうどこにもない。だから、もうやらない」
はっきりとした拒絶の言葉。
刹那は目を見開き、何か言おうとしたが、声は震えて出てこない。
その沈黙を破ったのは悠花だった。
「……黒羽さん」
気づけば、悠花は一歩踏み出していた。
心臓が早鐘を打つ。けれど、このまま黙っているわけにはいかなかった。
「私はね、黒羽さんのことが……好きだよ」
希愛の瞳が驚きに揺れた。
「昨日だって、私がミスして崩れそうになったとき、黒羽さんが助けてくれた。誰よりも早く気づいて、激しいドラムで私を引き戻してくれた。あの瞬間……本当に救われたの」
言葉を選びながらも、悠花の声は自然と強くなる。
「刹那のことを大切に想ってる黒羽さんを見て、ああ、この子はすごく一途なんだって思った。だから私は……もっと黒羽さんと仲良くなりたい。一緒に音楽をやりたい」
希愛は信じられないものを見るように悠花を見つめた。
「……そんなこと、言われても……」
声が震え、やがて言葉が続かなくなった。
ぽろぽろと大粒の涙が頬を伝い、彼女はその場に崩れ落ちる。
「私……どうしたらいいのかわからない……」
その瞬間、刹那が動いた。
何も言えずにいた彼女は、ただ希愛を強く抱きしめた。
「希愛、ごめん。辛い想いをさせて、本当にごめん。助けてあげられなくてごめん」
「刹那……」
希愛の名が震えた声で漏れる。
刹那は涙を拭いながら、必死に胸の内を明かした。
「私はずっと、希愛と一緒にやりたいと思ってた。高校受験が終わるのを待って、また一緒にセッションしようって、そんなことを考えてたんだ。音楽を辞めたのは受験のための一時的なことだと思ってた。だから、早くまた二人でバンドを組んでやろうって、ずっと楽しみにしてたんだ」
刹那の声は震え、言葉は涙を伴って溢れた。希愛はぽろぽろと泣きながら、静かにその言葉に耳を傾ける。
「昔、母に言われたことがあるんです。『音楽は、誰かと分け合うと強くなる』って。だから私の音は『誰かのそば』でこそ本当に強くなる音なんだって。その誰かっていうのは希愛のことだってことも気づいた」
刹那は希愛の肩に手を置き、真っ直ぐに目を見て続けた。
「昔も今も、変わらないのは――希愛のことが大切だってこと。私は希愛と一緒じゃないと嫌なんです。音楽をしてもしなくても、あなたは私の大切な親友だから」
希愛の肩が大きく震えた。刹那の腕の中で、長年押し殺してきた感情が堰を切ったようにあふれ出していく。
悠花はそっと隣に立ち、二人の姿を見つめながら小さく頷いた。
まだすべてが解決したわけではない。
けれど、この瞬間が新しい一歩になる――そう確信できた。
こまで読んでいただきありがとうございます!
希愛の「嫉妬」や「置いていかれた想い」は、彼女にとって避けられなかった痛みでした。
そして悠花が真正面から「好き」と伝え、刹那が涙ながらに本心を告白することで、ようやく三人の関係が一歩進みました。
完全に解決したわけではありませんが、確かに「新しいスタート」を感じていただけたのではないかと思います。
次回からは、この出来事をどう受け止めて進んでいくのかを丁寧に描いていきたいです。