第15話すれ違いの帰り道
前回の文化祭で奇跡のような共演を果たした悠花たち。
しかし、その喜びを本当に分かち合うことはできませんでした。
希愛との距離はまだ遠く、刹那もまた葛藤を抱えています。
今回はその余韻から始まり、再び希愛に向き合おうとする彼女たちの一歩を描きました。
先生の説教は、予想以上に長引いた。
「勝手な真似をして……校則違反とまでは言わないが、こういう前例を作ると収拾がつかなくなるんだぞ」
冷や汗をかきながら頭を下げるしかなかった。
悠花も刹那も、紫苑も、ともちゃんやゆきちゃんまで一緒に謝罪を繰り返し、ようやく解放されたころには夕日が校舎を赤く染めていた。
「……やっと解放されましたね」
刹那が小さくつぶやく。紫苑も「全く、責任の所在ばかり問うて、音楽のことは一言もなかったわね」と皮肉を漏らした。
私も同じ気持ちだった。舞台で奏でたあの一体感や、希愛が見せてくれた力強いドラム。その余韻を誰かと語り合いたかったのに、冷や水を浴びせられたようで言葉が出ない。
舞台の余韻はとうに過ぎ去り、現実の重さだけが肩にのしかかる。
けれど、あの一体感の感触は消えていない。ドラムを叩く希愛の姿も、隣で支える刹那や紫苑の音も、確かに心の奥に残っている。だからこそ、このまま何事もなかったように散り散りになるのは嫌だった。
「……黒羽さん、少し待って。一緒に帰らない?」
一旦教室に戻ろうとする希愛に、思わず声をかけた。
振り返った希愛の紫の瞳には、驚きよりも迷惑そうな色が浮かんでいた。
「……ごめん。まだ残ってすることがあるから」
短い言葉。それだけで、彼女の拒絶は十分に伝わる。
「でも、今日の演奏、すごくよかったよ! 一緒に喜びたくて」
必死に笑顔を作って言葉を重ねる。だが希愛は首を横に振り、かすかに唇を噛んだ。
「……ありがとう。でも、やっぱり今日は無理」
それ以上、踏み込むことはできなかった。
刹那でさえ声をかけられず、ただ立ち尽くしている。
三人と希愛の間に横たわる壁の厚さを、悠花は痛感する。
「じゃあ……また、ね」
絞り出した言葉は、ひどく空虚に響いた。
希愛はうなずきもしない。ただ背を向け、校舎内へ消えていった。
遠ざかる背中を見つめながら、悠花は胸の奥がじんわりと痛むのを感じていた。
今日の演奏は、きっと奇跡みたいなものだった。
あの一瞬だけ心が重なったけれど、本当の意味で希愛と繋がるには、まだ越えなければならない壁がある――。
その夜、悠花はベッドの上で何度もその背中を思い返した。
胸の奥に残る痛みは、まだ続きがあることを示しているように思えた。
翌日の教室は、昨日の文化祭の余韻がまだ残っていた。
ともちゃんは机に腰をかけ、例によって大げさな口調だ。
「いやぁ、昨日は見事であったな! 隠されしドラマーが図書室から舞い降りるなんて、誰が予想できただろう!」
「舞い降りるって……」
悠花は苦笑したが、その表現は案外的を射ている気もした。
「でも、本当に上手かったね」
ゆきちゃんが真剣に言葉を重ねる。
「二年もブランクがあるのに、あんなに叩けるなんて」
隣でノートを整理していた紫苑が、ふと顔を上げた。
「……でも、楽しそうには見えませんでした」
その一言に、場の空気がわずかに張り詰める。
悠花はドキッとし、思わず聞き返した。
「紫苑さんもそう思ったの?」
紫苑は静かに頷いた。
「ええ。音は正確で力強いのに、心がどこか閉ざされている……そんな印象でした」
紫苑の言葉は、悠花の胸を突いた。
(やっぱり私だけじゃなかったんだ。黒羽さんの中には、まだ何か残ってるんだ)
気づけば、口が勝手に動いていた。
「ねぇ紫苑……。よかったら、私たちで一緒に演奏してみない? 紫苑さんみたいに音を感じ取れる人となら、もっと音楽を広げられる気がする」
一瞬、紫苑の目が大きく見開かれた。
すぐにいつもの冷静な微笑みに戻ったが、その瞳の奥に揺らぎがあった。
「……嬉しいです。でも、生徒会の仕事がありますから」
やわらかく、けれどはっきりと断られる。
「そっか、じゃあせめて黒羽さんを演奏に誘いに行こうよ! 昨日の演奏を一緒に喜べなかったの、やっぱり悔しいし」
紫苑は少し眉を寄せた。
「黒羽さん? ……でも、彼女はもっと難しいと思いますよ。昨日の様子を見ても」
「わかってる。でも、誘わなきゃ始まらないから」
強く言い切った悠花を、紫苑はじっと見つめる。
そして、ぽつりと問いかけた。
「それは……軽音部のためですか? それとも、浅黄さんが作ろうとしている“あなた自身のバンド”のため?」
悠花は言葉に詰まった。
軽音部の活動のため――そう答えれば簡単だった。けれど心のどこかで、自分が目指すものはそれだけじゃないとわかっている。
昨日の一体感。あの瞬間の輝き。それをもう一度作り出したい――自分だけのバンドで。
けれど、それを口にする勇気はまだなかった。
「……どっちでもいい。ただ、みんなと演奏したいだけ」
苦し紛れの言葉に、紫苑はそれ以上追及しなかった。
だがその沈黙こそが、悠花の胸に小さな火を灯していた。
(いつか必ず……私のバンドを作る。その時に、黒羽さんも紫苑も一緒に)
夕暮れの教室に、放課後の鐘が鳴り響く。
悠花の決意は、まだ形にならないまま静かに心の奥で膨らんでいた。
放課後。校舎の外に出ると、夕日が校庭を長く照らしていた。
刹那は鞄を肩にかけたまま、どこか落ち着かない様子で口を開いた。
「……浅黄さん。昨日のこと、もう少し話してもいいですか?」
その声音は真剣で、悠花も自然と歩調を合わせる。
「うん、もちろん」
「昨日、帰ってから希愛と電話で話たんです。あの演奏のことを伝えて……一緒に、また音楽をやろうって」
刹那の声はかすかに震えていた。
「でも、断られてしまいました。まだ怒っているのか、それとも……私といること自体が嫌なのか。よくわからなくて」
悠花は立ち止まり、夕焼けに照らされた刹那の横顔を見つめた。
その目には、気品を保とうとする意地と、幼なじみを想う必死さが入り混じっていた。
「……刹那は、それでも黒羽さんとやりたいんだよね」
「はい。どんなに拒まれても……やっぱり私は、希愛のドラムが一番だと思うんです」
その言葉に、悠花の胸が強く揺さぶられた。
(やっぱり、この二人の間には特別な絆がある。私がどうこうじゃなくて……でも、それを繋ぐのはきっと私の役目なんだ)
「じゃあ、行こう」
「……え?」
「黒羽さんの家に。ちゃんと話したほうがいい」
刹那は一瞬目を瞬かせたが、すぐに真剣に頷いた。
「……そうですね。逃げていても何も変わりませんもの」
二人は校門を抜け、並んで歩き出した。
商店街を抜けるころには、夕暮れが夜に溶けはじめていた。街灯が一つ、また一つと灯り、通学路に柔らかな光を落とす。
「悠花は……怖くないんですか?」
不意に刹那が問いかける。
「なにが?」
「拒絶されることがです。私も昨日の電話で、胸が締めつけられるくらい怖かった」
悠花は苦笑し、少し空を見上げた。
「怖いよ。でも、怖いままにしておくほうがもっと嫌だから」
「……なるほど。悠花らしいですね」
やがて辿り着いた住宅街の一角。
黒羽の表札が掲げられた家の前で二人は立ち止まった。
玄関の明かりは消えている。
チャイムを押しても、しばらく応答はなかった。
代わりに庭の水やりをしていた隣の家の人が声をかけてくる。
「黒羽さんなら、まだ帰ってないよ」
肩を落としかけた刹那に、悠花は首を振った。
「待とう。どこかで必ず会えるはずだから」
二人は路地の角で足を止め、夜風に吹かれながら希愛の帰りを待った。
やがて遠くから、見慣れた黒髪の姿がこちらに歩いてくるのが見えた。
紫の瞳が街灯に照らされ、ほんの一瞬、驚いたように見開かれる。
刹那は言葉を失い、悠花の手が自然と強く握られた。
ついに――向き合う時が来たのだ。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
文化祭での演奏は一区切りつきましたが、物語はむしろここからが本番です。
希愛との再会、そして彼女が胸に抱え続けてきた想いにどう向き合うのか――。
次回はいよいよ、悠花と刹那が希愛に真正面から言葉を届けることになります。
ぜひ続きを楽しみにしていただければ嬉しいです。