第14話 4人の音
14話をご覧いただきありがとうございます。
今回は希愛が加わった特別な演奏シーンを描いています。
ただ一緒に演奏するだけではなく、アクシデントから生まれる一体感――音楽だからこそ繋がれる瞬間を大切にしました。
私たちは急いで体育館に戻り、吹奏楽部の人に説明をし、無事に開園することができるようになった。
体育館の幕が上がった瞬間、ざわめきが一斉に広がった。
ステージに立ったのは、いつも図書室に籠もり、誰とも関わろうとしないはずの少女――黒羽希愛。
「……え、あの人……図書委員長じゃない?」
「本なんか読んでばかりの子が……ドラム? 本当に叩けるの?」
観客の驚きと疑念が渦巻く中、希愛は表情を変えずスティックを握った。
次の瞬間、体育館に響き渡ったのは、迷いのない鮮やかなリズム。
二年のブランクなど感じさせない。むしろ洗練された音が、会場を一気に飲み込んでいく。
一曲、二曲。正確で力強いビートが響くたびに、観客のどよめきは歓声へと変わっていった。
けれど――その横顔はどこか硬い。楽しさの欠片もなく、ただ義務を果たすかのように叩き続けていた。
袖で見守っていた私と紫苑、ともちゃん、ゆきちゃんは、ただ感心して拍手を送るしかなかった。
けれど、刹那だけは違った。
「……違う」
小さく吐き出された声に、私は振り向いた。
「こんなの希愛じゃない。……心がこもってない」
刹那の青い瞳が、希愛を射抜くように見つめている。
1曲目が終わり、2曲目が始まろうとした時に、刹那は一歩前に出て言った。
「このままじゃ……だめです。私たちで希愛と一緒に演奏しましょう」
「でも、楽器もないし、時間も――」
私が言いかけると、紫苑が舞台裏に目を留めた。
「……昨日のゲストバンドの機材。まだ残されています」
確かに、ギターやベース、マイクが端に寄せられている。
さらに舞台袖には、使われていなかったアップライトピアノまで置かれていた。
「これなら……できます」
刹那の声が力を帯びる。
「希愛が叩けなかった一曲分を、私たちでやりましょう」
だが、司会の先生が渋い顔をする。
「時間の管理がありますし、何かあったら責任が……」
他の先生方も口ごもり、誰もはっきりと許可を出さない。
その間に2曲目が終わり、吹奏楽部員と希愛が舞台袖に引き返してきた。
「このままじゃ終わっちゃう」
焦燥が広がる中、ともちゃんがマイクを片手に突如ステージに飛び出した。
「宴はまだ終わらぬ! ここからが我らの真なる開演だ!」
観客が一斉に笑いと拍手でざわつく。
ゆきちゃんは、落ち着いた声で告げた。
「準備をお願いします! 次の演目まで時間は十分にあります!」
混乱の中でも場をまとめ、空気は一気に変わった。
私はギターを手に取り、紫苑はピアノの前へ。
刹那は希愛のもとに近づき、真剣な眼差しで囁いた。
「もう一度、私たちと一緒にしましょう」
希愛はほんの一瞬だけ迷った。その紫の瞳が、揺れている。
そして、黙ったままステージへ歩みを進めた。
だが――。
「で、でも……何を演奏するの?」
私の声に、空気が一瞬固まる。
即席のステージ。持ち時間は限られている。適当な曲を選んで失敗すれば、それこそ取り返しがつかない。
「……『Blaze of Dawn』です」
刹那が真剣な表情で言った。
「去年の文化祭でやった曲です。私も弾き慣れてるし、希愛も――」
刹那は希愛の顔を見つめる。
「シルバーバレットの曲は、昔から一緒に演奏してきました。だから叩けるはずです」
希愛は一瞬だけ目を伏せ、静かに頷いた。
「……まぁ、覚えてる」
紫苑も落ち着いた声で補足する。
「私も、フェスの練習のときに何度か合わせました。コード進行も把握しています」
「でも……」
私は不安を隠せなかった。
「あのときのメインは先輩たちで、私はサブだった。今の私にできるのかな……」
「できます」
刹那は迷いなく断言した。
「今の悠花なら、絶対に」
その青い瞳に押され、私は息を呑んだ。
「……希愛も、いいよね?」
視線を向けられた希愛は、短く答えた。
「……最後ぐらいは……いい」
その言葉に、私の胸に小さな火が灯った。
ステージ中央で希愛がスティックを掲げる。
カン、カン、カン、カンと掛け声ではなく、力強くスティックをたたくカウント共に「Blaze of Dawn」が始まった。
希愛のドラムが体育館を揺らし、紫苑のピアノが鮮やかに旋律を織り上げる。
刹那のベースが低音をしっかり支え、私はギターを力いっぱいかき鳴らした。
音がぶつかり合いながらも、ひとつに溶け合う。
観客の手拍子と歓声が重なり、体育館全体が熱気に包まれていく。
――これだ。この瞬間のために音楽をやってきたんだ。
希愛のドラムは正確で、けれどどこか挑戦的だった。
刹那の低音と紫苑の和音がそれを支え、音の厚みが増していく。
私はギターを鳴らしながら、三人の音に全身が包まれていくのを感じた。
(すごい……これなら、成功できる!)
互いの音がぶつかるのではなく、絡み合って前へ進んでいく。
客席の視線も熱を帯び、歓声が自然と広がる。
まるで最初からこの4人で組んでいたかのような一体感があった。
――そのはずだった。
私は一瞬、横でドラムを叩く希愛の姿に見惚れてしまった。
迷いなくスティックを振り下ろす姿、揺るぎないリズム、紫の瞳の奥に宿る強さ。
(希愛、やっぱり……すごい)
胸が熱くなると同時に、指先の感覚がふっと消えた。
次のコードを外し、音が途切れる。
観客のざわめきが広がり、頭の中が真っ白になる。
(どうしよう……戻れない……!)
慣れないアンプのノイズも重なり、復帰のタイミングを完全に見失った。
胸が凍りつき、私はステージの真ん中で立ち尽くしていた――。
私の指が止まり、ギターの音が消えた瞬間、観客のざわめきが一気に広がった。
背筋を冷たい汗が伝う。
(ダメだ……戻れない……!)
そのとき――。
ステージ後方から轟音が響いた。
希愛のドラムだった。
今まで以上に力強く、激しく、全身を叩きつけるようなビート。
スティックの一振りごとに、会場全体が振動するほどだった。
その瞳がまっすぐ私を射抜いていた。
「こっちを見ろ」――そう言っているように。
それに呼応するように刹那がすぐに動いた。
低音をうねらせるようにベースを鳴らし、ギターが抜けた穴を必死に埋める。
普段はリズムを支えるだけのベースが、今はリードするかのようにコードを刻んでいた。
紫苑も瞬時に理解した。
和音を厚く重ね、旋律を彩りながら音の隙間を覆っていく。
ピアノの一音一音が、私の背中を押すように響いた。
――誰も責めていない。
ただ、待っている。
「戻ってこい」と音で伝えてくれている。
胸の奥が熱くなった。
震える指を弦に添える。
希愛のドラム、刹那のベース、紫苑のピアノ……その全てが導いてくれる。
「……っ!」
私は深呼吸し、コードをかき鳴らした。
音が重なる。
途切れていた旋律が、一気に戻ってきた。
観客のざわめきは歓声へと変わり、体育館は再び熱気に包まれる。
4人の音がぶつかり合いながら、ひとつに溶け合った。
希愛のドラムは炎のように激しく、刹那のベースは大地のように重く、紫苑のピアノは光のように広がっていく。
私は全身でギターを鳴らし、その音に応えた。
観客の拍手と歓声が重なり、ステージと客席の境界が消えていくようだった。
――これが、仲間と奏でる音楽。
最後の一音が鳴り響き、刹那のベースと希愛のドラムが同時に止まる。
体育館は一瞬の静寂に包まれ――次の瞬間、大歓声が爆発した。
私たちは息を切らしながら顔を見合わせた。
「やった……!」
自然と笑みがこぼれ、みんなでハイタッチを交わす。
紫苑の表情も、珍しく柔らかい。
そのまま舞台裏へと退場すると、すぐに人の波が押し寄せた。
吹奏楽部員たちが一斉に希愛の周りに集まり、口々に叫ぶ。
「黒羽さん! すごすぎる! うちに正式に入ってよ!」
「こんなに叩けるなら全国大会も夢じゃない!」
「今日からでもいい、ぜひ一緒に!」
突然の勧誘ラッシュに、希愛は困惑して目を泳がせる。
「……いや、私は別に……」
弱々しく否定しようとする声は、歓声にかき消された。
私たち5人は少し離れた場所で、それを見守りながら余韻を分かち合っていた。
「本当に、すごかった」
刹那が小さく呟き、紫苑は静かに頷く。
ともちゃんは「伝説の幕開けだ……!」と拳を掲げ、ゆきちゃんが「はいはい」と笑って受け流した。
私たちが肩を並べて喜びを分かち合っていると――。
「君たち、ちょっと来なさい」
背後から低い声が響いた。振り向くと、腕を組んだ先生が立っていた。
「勝手に演奏を追加して……どういうつもりだ」
胸の奥にまだ残る熱狂が、一気に冷水を浴びせられたようにしぼんでいく。
私たちは顔を見合わせ、何も言えないまま、先生の後をついて行くしかなかった。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
希愛の実力が改めて描かれましたが、同時に彼女の中にある「わだかまり」や「楽しめなさ」も浮き彫りになった回でした。
そして悠花のミスをきっかけに、仲間全員が瞬間的に支え合う展開は、彼女たちが“ただの同級生”ではなく“共に音を紡ぐ存在”になったことを示せたと思っています。
次回からはいよいよ、演奏後に残された余韻と、それぞれの胸に去来する想いを描いていきます。
希愛と刹那、そして悠花たちの関係がどう変化していくのか、ぜひ見守ってください。