第11話 フェス当日
こんにちは、msnoです。
いよいよフェス当日の物語に突入します!
紫苑の父・凛一が手掛ける「クラシックとロックの融合フェス」を舞台に、悠花・刹那・紫苑の三人が挑む大舞台。
緊張、支え合い、そして紫苑の家族との確執が描かれる重要なエピソードです。
六月の朝。目覚ましが鳴る前に目が覚めた。
――いや、正確にはほとんど眠れていなかった。布団の中で何度も寝返りを打ちながら、フェス本番のことを考えてしまったからだ。
今日は、あの日からずっと準備してきた音楽フェスの当日。胸の奥がそわそわして、朝から心臓が早鐘を打っている。
学校の文化祭とはまるで違う、大きな舞台。観客席にどれだけの人が集まるのか想像するだけで、胃の奥がひやりと冷えた。
刹那と待ち合わせて会場に着くと、広々としたホールの入り口には既にたくさんの出演者やスタッフが行き交っていた。
天井の高いロビーに入った瞬間、思わず足が止まる。
「すご……」
ホールの奥から聞こえる楽器の音、照明の光、舞台袖を行き交うスタッフたち。どれもが非日常で、現実味が薄れていく。
「悠花、大丈夫ですか?」
隣の刹那が静かに問いかける。
「う、うん……ちょっと緊張してるだけ」
声が震えているのは隠せなかった。
舞台袖に向かうと、そこには既に紫苑がいた。制服のブレザー姿のまま、眼鏡を押し上げながらスタッフと打ち合わせをしている。
朝から会場入りして、ピアノのリハーサルを終えたところらしい。
凛とした横顔は、やっぱりどこまでも完璧に見えた。
「やあ」
穏やかな声に振り向くと、そこには紫苑のお父さん――碧山凛一さんが立っていた。
落ち着いたスーツ姿に、柔らかな笑み。けれど目の奥は鋭く、ただ者ではない雰囲気を漂わせている。
「昨日まで練習を重ねてきたそうだね。今日はいよいよ本番か」
「は、はい……!」
背筋が自然と伸びる。
凛一さんは私と刹那を見回し、ゆっくりと頷いた。
「難しく考える必要はないよ。大切なのは、誠実に音を届けることだ。君たちがそうしてきたように」
その言葉は声高ではなく、まるでささやきのように静かだった。
けれど胸の奥に、ずしりと響いた。
(誠実に音を届ける……アメジストの石言葉と同じだ)
紫苑が話してくれたあの言葉が、頭の中で重なる。
私は強くギターケースの取っ手を握った。
「はい……誠実に、音を届けます」
自然とそう口にしていた。
その直後、舞台進行を担当しているらしいスタッフが近づいてきた。
「今回のフェスは、“クラシックとロックの融合”がテーマなんです。クラシックの演奏者とロックバンドが同じ舞台で競演するなんて、なかなかありませんからね」
「クラシックと……ロック」
私は思わず呟いた。
「そう。碧山プロデューサーの発案です。クラシックの気品とロックの熱を一緒に楽しんでほしい――それがこのイベントの特色なんですよ」
説明を受けるうちに、胸がじんわりと熱くなる。
なるほど、だから紫苑がオープニングでピアノを弾くのか。
クラシックの静謐さで幕を開け、ロックの熱狂へ繋げる……考えただけで鳥肌が立った。
私たちの出番の前、会場の照明が落ちて、静寂が広がった。
ステージ中央に、一人だけ立つ人影。
――紫苑だった。
彼女は深く一礼してピアノの前に腰を下ろす。
観客席から息を呑む気配が伝わってきた。
鍵盤に指が触れた瞬間、空気が変わる。
澄んだ旋律がホール全体に流れ出し、やがて波のように広がっていった。
弱音の一音すら揺らがず、力強い和音は完璧に制御されている。
「……すごい」
隣で刹那が小さく呟いた。
その演奏は、ただの高校生のものじゃなかった。
音の粒は一つひとつが宝石のように輝き、会場を支配していく。
観客は誰一人として物音を立てず、ただその音に飲み込まれていた。
私は思わずギターケースを握りしめる。
――プロ顔負けなんて言葉じゃ足りない。
舞台に立つ彼女は、すでに「完成されたピアニスト」だった。
最後の和音が響き渡り、静寂の中で余韻が消えていく。
一拍置いて、会場全体が大きな拍手に包まれた。
紫苑は淡々と一礼し、舞台袖に戻ってくる。
「待たせました」
涼やかな声に、私も刹那も返す言葉を忘れていた。
それほどまでに――圧倒的だった。
楽屋に案内され、楽器をセッティングする。
けれど、手が思うように動かない。弦を押さえようとする指が震えて、音がかすれる。
「……あれ」
深呼吸しても、胸のざわつきは収まらなかった。
「緊張してますね」
隣の刹那が低く呟いた。
「……うん。手が震えて、うまく弾けない」
すると刹那は私の手を取って、軽く弦を押さえ直してくれる。
「大丈夫です。練習通りやればうまくいきます」
落ち着いた声に、不思議と胸の震えが和らいでいく。
「誠実であれば、音は必ず届きます」
紫苑がキーボードの前からこちらを見て、穏やかに言った。
彼女の眼鏡の奥の瞳は真っ直ぐで、揺るぎがなかった。
誠実に――。
父親がさっき残した言葉と重なって、胸の奥がじんと熱くなる。
「……うん。ありがと」
私はギターをもう一度抱え直した。
まだ怖さはあるけど、二人がいてくれる。それだけで心が軽くなった気がした。
舞台袖から客席を覗くと、人の波が広がっていた。
その中に見覚えのある二人を見つける。
「……あ、ゆきちゃん! ともちゃんも!」
手を振ると、ゆきちゃんはにこやかに振り返してくれた。
隣でともちゃんは立ち上がり、両手を掲げて叫ぶ。
「闇を切り裂け、我が同胞よ! この舞台こそ汝らの宿命!」
周囲の観客がざわついているけれど、あの調子は相変わらずだ。
でも、不思議とその大げさな言葉に緊張が和らぐ。
私は笑って手を振り返した。
再び舞台袖に戻る。
ライトの光がカーテンの隙間から漏れ、まぶしさで胸が締めつけられる。
でも――。
「刹那、紫苑。一緒に頑張ろう」
自分から口に出すと、胸の奥に力が湧いてきた。
二人とも静かに頷いた。
「もちろんです」
「ええ、悠花」
三人の視線が交わる。
次の瞬間、名前を呼び合った小さな絆が、大きな勇気に変わっていった。
ステージに出た瞬間、照明の眩しさで観客の顔はほとんど見えなかった。
でも、音が鳴った瞬間、その存在感は確かに伝わってきた。
最初は指が硬くてコードを外しかけた。けれど、すぐに刹那の低音が支えてくれる。
紫苑の鍵盤も、重厚な響きで旋律を導いていった。
――大丈夫。私は一人じゃない。
「誠実に音を届ける」
父の言葉を胸の奥で繰り返しながら、私は全身でギターをかき鳴らした。
曲が終わった瞬間、客席から大きな拍手と歓声が押し寄せる。
ライトの向こうに揺れる無数の手。その光景に胸が熱くなった。
「……やった」
小さく呟くと、隣の二人も笑って頷いた。
舞台裏に戻った途端、安堵で足がふらついた。
「ふぅ……緊張した……」
「でも、見事でしたよ」
刹那の穏やかな声に、肩の力が抜ける。
紫苑も眼鏡を直しながら、少しだけ口元を緩めていた。
「……成功ですね」
短い一言だったけれど、彼女の声には確かな満足が滲んでいた。
「紫苑」
背後から静かな声がした。振り向くと、そこに紫苑の母――碧山凛子が立っていた。
白いワンピース姿のまま、変わらぬ優雅な笑みを浮かべている。
けれど、その瞳は冷たく、底に怒りを潜ませていた。
「どうして……勝手にバンドなんて」
声は小さいけれど、逆に胸を刺すように鋭い。
紫苑は言葉を失い、視線を落とす。
「お母さま、それは――」
声を振り絞ろうとしたその時。
「僕が勧めたんだよ」
背後から紫苑の父、凛一の声が重なった。
彼は穏やかな笑みを崩さず、一歩前に出る。
「高校生のうちに、幅広い音楽を経験するのも悪くないだろう。紫苑にとっても、いい刺激になるはずだ」
凛子は夫を見つめ、長い沈黙のあと、ゆっくりとため息をついた。
「……後で話しましょう」
それだけ告げると、踵を返して去っていった。
その場に残された紫苑は、しばらく動けなかった。
眼鏡の奥の瞳は揺れていて、普段の冷静さが見当たらない。
「紫苑……」
声をかけようとしたけれど、うまく言葉が出なかった。
凛一が紫苑の肩に手を置き、短く声をかける。
「気にすることはない。胸を張りなさい」
そう言って二人はスタッフに促され、舞台裏の奥へと消えていった。
残された私は、胸の奥がざわざわと騒ぎ出すのを抑えられなかった。
フェスは成功したはずなのに、紫苑の背中が不安に揺れているように見えて――。
(……本当に、このまま大丈夫なんだろうか)
歓声の余韻がまだ響く会場の隅で、私はひとり立ち尽くしていた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
第十一話では、
紫苑の父・凛一の「誠実に音を届けろ」という穏やかな言葉
フェスが「クラシックとロックの融合」を掲げた特色ある舞台であること
紫苑のオープニング独奏、プロ顔負けの演奏に圧倒される悠花と刹那
本番直前、刹那と紫苑が悠花を支え、名前呼びで深まる絆
観客席のともちゃん&ゆきちゃんの応援
成功に終わった演奏のあと、母・凛子に呼び出され、静かに怒られる紫苑
……と、成功の余韻と新たな不安が交錯する回になりました。
「フェスは成功したはずなのに、紫苑の心は揺れている」
その揺れは、彼女が本当にバンドとどう向き合うのかを考えるきっかけになります。
次回はいよいよフェス後の余韻から次の展開へ。
お楽しみに!