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『魔属領で暮らす人間は存在しない』
『魔族領で暮らす人のような存在は魔人という存在で人ではない者だ』
教会でも神殿でも昔からそう教えていたのでエレア自身が魔属領で暮らす事になるまで魔族領とはそういうものだと思っていたのだけれど、確かに普通の人は魔属領では暮らしていくには不便な土地だ。
魔素の強い食べ物が根本的に合わないからだ。
魔素自体が魔力を体の中に持たない人には合わないので体調不良になってしまう。
人の中でも魔力を持って生まれてきた者は生まれつき魔素に対しての耐性を持っていて、魔素のある食べ物を食べ続けていると不思議な事に徐々に体が慣れてしまう。
魔属領でも人の住む土地に近い場所に勝手に住む人もいるようで、魔族と人の架け橋のような商売をしていたりもする。
そういった仕事をしていた人達もサルム王国との行き来が出来なくなってしまい、数か月が経つと別ルートから珍しい魔属領の特産品を人の国へと運ぶようになり、人の国から仕入れた物を魔属領の端の村へと商売に訪れる。
商人からすれば儲かる場所があるのであれば確実に死ぬ場所でない限りは商品を持って訪れるのだろう。
大店と呼ばれる商人よりも個人で商いをしている者のほうがチャレンジ精神に満ちている様子である。
大抵の販売ルートは大店に良い所を持って行かれているので、大店では手を出せないような場所や、そこまでしての儲けであれば高位貴族に取り入った方がまだ実入りが良い。
等と、大店らしい計算をして放置されている場所だったりする。
前回エレアが魔王城に保護されてから、エレアが必要であろう生活必需品やらを魔王様の配下が取り計らってくれたので、食べ物以外の細々とした消耗品も魔属領に居ながらにして困らなくなった。
魔族はあまり食に対する探究心がないようで、生きるのに必要な栄養が何かしら取れればいいと思っている節がある。
脈々と受け継がれた魔族の常識の中では当たり前の事であり、生きていくのに一番必要な魔素を取り入れればいいわけだ。
それに比べて人の世界は美味しく食べるという事に重視を置いている。
味はもちろんのこと裕福なら見た目や貴重性、嗜好品ももちろんだが一日のうちに美味しく食べる事に執念を燃やすうちに人の世界は食生活が豊かになっていったのだ。
見た目に関して魔族の中で料理という物が発展しなかった理由に関しては、実際にエレアが魔属領の食材を見て仕方ないという感想を持ってしまった。
魔属領の食材は黒かこげ茶、黒に近い紫といった華やかではない色の食べ物が多く、どのように調理しても結果黒っぽい料理となってしまうのだ。
スープも同様に食欲をそそるような見た目ではない。
それらの料理を前に途方に暮れていた時期もあるが、魔力量の多い人間なら食べれるという話を聞くうちに、食材の魔素の量に違いに気付き食材から魔素を取り除けば食べられる事に成功した。
エレア自身は人の世界では魔力量は多い方なので、魔族領の食材もなんとか食べられるという範囲だったが三食魔属領の食材を食べるのは正直きつかったので、自分で調理する分は魔素抜きしてから調理することにしたのだ。
魔属領では調理器具は発達していなかったので、魔属領にやって来る逞しい商人に頼んで必要な物を適当に見繕って購入してくるようにと頼むと人の国に紛れている魔族の者に頼むよりもう少し人が欲する物をセレクトして持ってきてくれた。
魔属領の食材を人が食べれるように調理するには下ごしらえが重要なのだ。
あく抜きのように食材を聖水につけてしばらく置いておけば食材の中まで染み込んでいる魔素が聖水に混じりつけている聖水が黒く濁っていく。
そのあと魔属領の水でない普通の水で洗い流すと元の食材らしき色が現れるのだ。
聖水はここでは簡単に手に入らないが聖魔力を通した水で代用可能なのでエレアだと簡単に手に入った。
魔属領を訪れる商人達は滞在日数分の水や食料を持参してやって来るし、それほど長い期間魔属領で滞在する者が居なかったので魔属領の食材の下処理について詳しく研究した者もいなかったのだろう。
必要に応じてなんとなく試してみたことから成功した感じだった。
それでも食材は食べ慣れている物のほうが好ましかったりするので魔王城の一角に結界を張って野菜を育てている。
もうそろそろサムル王国からの討伐隊が訪れる時期だが、エレアの身辺は穏やかに時間が過ぎていくのみで魔王城に危機感は感じられなかった。
実質のところ二回目の討伐隊となればこちら側も守備に抜かりはなく、人間側にエレアを奪われなければいいとわかっている事もあり、現在のエレアは魔王城から出てはならないと告げられている。
つい先日に魔王討伐に向けての華々しいパレードが行われていたという情報も魔王城にまで入って来て、大まかな流れはそのまま進んでいる事を確認出来た。
そして魔属領とサムル王国の間に張った強固な結界を前に国を挙げて壮行会を開いて魔王討伐に向けてパレードしながら兵を引き連れてきたライラと王太子は何も出来ずに地味に王都まで戻る羽目になったと聞いた。
一歩たりとも侵入出来ずに結界の前で数日右往左往していたサムルの討伐隊はライラの放つ聖魔力砲に期待していたが、無敵になっていないライラの聖魔力が魔王の作った強固な魔の結界を破れる事はなく、魔属領側から見ていた魔族の偵察隊の目の前で
プスッ
という音と共に光だけは無駄に眩しい聖女の聖魔力砲が消えたそうだ。
その音にサムルの討伐隊は信じられないという顔で佇んでいたようだが、何かわけのわからないことを叫んで八つ当たりし始めたライラを王太子が宥め、結局翌日には撤退したと、見たことをそのまま説明してくれた。
ライラも元婚約者の王太子も物凄くプライドが高いのに何も出来ずに王都への帰途はさぞ屈辱だっただろう。
ゲーム通りのシナリオだと前回エレアが倒された後に聖魔力フルパワーになった大聖女ライラが魔属領を奪って、土地を耕し始めその地を浄化したのちに魔石を採集したり魔属領でしか育たない野菜や果物をスイーツにして出荷する。
魔属領を奪った後には魔王討伐というクエストも発生するんだけど、スローライフ系だと言い張るこのゲームは魔王討伐すら大したことのないクエストの1つとして出てくるので攻略は簡単。
ゲームの中の魔王はあっさりと倒されてしまうモブキャラだった。
スローライフ系恋愛ゲームには恋のバトル以外はどうでもいいのだろう
エレアという王太子攻略の邪魔になる悪役令嬢もライラを引き立てるために存在するキャラだ。
恋のバトルといえば大商人の息子を選択した場合に出てくる悪役幼馴染女子もスイーツ作りに必要な食材を手に入れるクエストで淘汰されるが、王都でスイーツ店を開くのならライラは王太子ルートと大商人の息子ルートを同時に進めるかもしれない。
いくら王太子といういずれは国王になる者の婚約者になったとしても王都の一等地の土地に幾つも店を立ち上げる財力となると王太子に与えられている年間予算をオーバーしてしまうだろう。
それならば商人ルートも同時進行で攻略すれば各国に支店を持つ大商会の息子に資金を出させることで店や工場をどんどん建てることが出来るのだ。
エレアはあのゲームの事を少しずつだが思い出してはいるけれど、女の子の夢をぜーんぶ詰め込んじゃう設定を重視し過ぎて、コツコツやり込むスローライフが好みだったエレアの前世は途中で挫折してしまっていたので、これから起きる事に対して予防や対策を思い出しながらしなければならない。
(確か隣国にもライラの攻略キャラがいたはずだわ、あそこは氷の魔力を持つ王太子がいたはずだから魔属領にライラが入れないならあの王太子ルートに動くかも)
隣国の王太子には異母妹姫がいて、氷の王太子ルートでは病弱系悪役異母妹姫が待ち構えている。
本当は健康体なのに大好きな兄を奪われたくないからとわざと病弱を装う性格の悪い異母妹の罠を捌きながら恋愛を進めていくのだ。
病弱系悪役異母妹姫はそこまで母親の身分が高くないから修道院か娼館に送られて終わりだったのよね。
この病弱系悪役異母妹姫も聖魔力を持っていてライラに敗れたあとはその聖魔力を奪われてしまう形でライラが更にパワーアップするのだ。
もしこの妹姫を攻略されればライラは無敵な聖魔力を得てしまうので、その力を持って魔族領に侵攻されればゲームの補正力も加わって魔族達を蹂躙し始めるであろう。
(恐ろしいわね・・・とにかくライラが魔族領に足を踏み入れないように守りを固めないと)
闇堕ちしてしまった元聖女として殺されてしまう運命しかないエレアはライラとこの先二度と会わないように生きるつもりだ。
すでに王太子ルートを確保しているライラがスローライフという名のもとにサムル王国の領土を広げるような侵略をしない限り今よりも聖魔力の上限を上げる必要はないのだが、前回エレアが殺されたのは領土を広げるつもりがあるからエレアの聖魔力を欲したのだし、今回だって魔族領に討伐に来たという事はその野望を持っているという事だ。
(王都にスイーツ店を開く為に聖魔力を求めて殺されるなんてとんでもないわ。私はここで静かに身を潜めて余生を全うするつもり)
今日も魔王からエレアにとプレゼントされた人間仕様の台所で魔属領で採れた新鮮な野菜をコトコト煮詰めている。
魔族にとって新鮮な野菜はどうでもいい食材だったらしく、前回エレアが調理した人間の食べ物の彩の良さで魔王を喜ばせたこともあり、子供姿の魔王の可愛らしさに癒されながらのんびり暮らしている。
王都でのスイーツ店が上手く立ち上げれないで苛々して魔属領まで攻め込もうなんて生き方をしているライラよりもスローライフをしているかもしれないなどと思いながら穏やかに暮らしているのだ。
公爵令嬢だからと親が勝手にゴテゴテとした飾りだらけのドレスを用意していたがエレアは本当は好きじゃなかった。
生まれた娘に聖魔力が宿っているとわかるといずれ王妃として王家に迎え入れられる候補になる事が決定したことなので、王太子との相性を見るお茶会や令嬢の資質を何度となく値踏みされて王太子妃になるという長い道のりの大部分を省かれる事になる。
もしも王太子妃候補になる世代に幾人かの聖魔力を有する令嬢がいた場合には、その聖魔力を有する令嬢だけで競われることになるが、エレアの生まれた王太子妃候補世代は微力な聖魔力を有している令嬢はいたがその程度であれば聖女候補に無理矢理ねじ込んだとしても聖女と呼ばれるには足らないので、実質エレアだけが王太子妃の候補として残り幼い頃に婚約者となったのだ。
ライラは名も殆ど知らぬようなかなり田舎の村で生まれた子爵家の遠縁で、ライラ本人は爵位を与えられなかった親を持つため平民生まれの娘だったらしいが、この子爵家には過去に数人聖女が出たという血筋のせいか平民育ちのライラにも隔世遺伝で聖魔力が出たということで子爵家の養女として10歳の頃に引き取られた。
10歳から5年ほど貴族としての知識を身に着けさせたようだが、貴族令嬢としての資質は皆無だった様子のライラに業を煮やして王太子の結婚式が行われる予定の前年に、王都にタウンハウスすら持てない子爵は期間限定の借家を借りて王都にやって来たのだから、すでに婚約者として知られていた聖魔力を持つ公爵令嬢のエレアに対抗する気満々だったのだろう。
『私はこんな賑やかな場所は苦手なんですぅ』
自然豊かな場所でのんびり暮らすのが夢と屈託なく笑うライラに夢中になった王太子はライラと出会い数か月でエレアとの婚約を破棄した。
自然が好きなはずのライラは王都での暮らしを満喫し、スローライフに必要な食材は使用人達に畑を耕すよう命じ決して畑に近づかないらしい。
自然が好きという割にはライラの肌は日に焼けてなかったし、王宮の侍女が話していたことだが薔薇の花についていたアブラムシを見ただけで悲鳴をあげているほど虫嫌いらしい。
それでも王太子はライラの嘘を鵜呑みにして素朴な田舎の少女と恋に落ちているつもりなのだろう。
ライラのサムル王国の王妃になるというルートはほぼ完成出来ているし、エレアの命を狙い聖魔力を奪うという欲を出さずにこのままサムル王国の王妃になり王宮の中で畑を作り楽しく暮らせば良いと思う。
前世でスローライフゲームが好きだったエレアもまた魔王城でスローライフを穏やかに楽しんでいる。
植物や得られる素材は少し禍々しい物が多いけれど。
魔属領は土地自体に整備されていない場所が多かったり、時々根っこを地面から引っ張り出して勝手に走っている木なんてのもいるので裾の長いドレスでは歩くのが大変だが、魔王城で作られたという生地は人の世界で見たことのないような光沢があったり丈夫だったりで何かに引っ掛けて破けることはない。
色はその生地を生み出した原材料が黒っぽいものらしくドレスはほぼ黒にはなるが、黒は汚れも目立たず汚れても少し払えば汚れが直ぐに取れてしまう優れものだった。
その黒っぽい原材料については見ない方がいいと言われているのでエレアも無理に見ようとはしなかった。
ただ機能的な黒いシンプルなドレスは気に入っている。
魔王様の養い子から魔王様の子守りのような立場になったエレアは魔王がこのような姿になってしまった原因が自分の命だったために魔属領に対して負い目もあり、命のある限り今代の魔王に尽くすつもりだったが、100年という月日は緩やかに時を待つ場合であり、積極的に魔力を回復すればもっと時間が短縮できるらしい。
幼い姿に引っ張られた魔王はエレアのおかげで知った甘い物を非常に好み、毎日魔王城でのんびりと魔亀と日向ぼっこしながら暮らしている。
王太子妃教育の過程で国王の役割というのを学んでいたエレアは、そのあまりにも世俗から離れたのんびりとした暮らしの中でライラがいずれ魔属領を狙ってくるだろう危機感を抱いていたが、魔属領を攻め落とすに必要な核となるエレアをこちらで魔王が保護している点と、優秀な部下がそつなく仕事をしていることで今の魔王にまで回る仕事がないそうだ。
強大な力を持つ魔王が治めているという噂さえ流していれば大抵の人間は噂だけで恐怖を抱いて魔族領に入ることを恐れるようになるのだ。
魔亀はたまに日光浴が必要なのだと魔王は両手で抱えて魔亀の世話を甲斐甲斐しくしているが、この姿を見て恐怖を覚える者は誰もいないだろう。
いや、元の姿に戻ったとしても人並外れた美形の魔王の容姿だけでは恐怖を覚えることはない。
魔王の放つ覇気が恐怖を与えるのだ、その放つ覇気がない今の魔王の姿を絶対に隠さなければならないだろう。
◇◇◇
「エレア様、魔属領に侵入した人間を捕まえましたが閉じ込めておきましょうか?」
サムル王国側は全面的に結界で行き来を閉じてはいるが、他国との境界線は今まで通り出入り出来るようにしている。
サムル以外の国は近年魔族領に侵入し魔王討伐を試みる等の動きがないため今まで通り行き来することは出来るようにあえてしているのだが、突然魔族領すべてに結界が張られるとなると様々な憶測が広がりかえって多くの人間が魔族領に起きた異変を調べに調査団を魔族領に派遣する恐れがあるからだ。
サムル王国側にだけ強力な結界を張る理由は歴代最高の大聖女がもう間もなく就任するという噂を利用させてもらった。
ライラの事をそのように周辺諸国に伝えているサムル王国の言葉を裏付けるように魔族領側に結界が張られたとなれば周辺諸国は魔族の動きよりもサムル王国に存在する大聖女候補のほうに目が向けられる。
大聖女という存在が国にいるだけであの魔族達がそこまで嫌がるのであればその大聖女を是非とも国に招きたいという思惑があるのだ。
「まぁ!どんな人間が侵入してきたの?」
「見た目はただの農民風ですが、ただの農民にしては身に付けている服装が地味ではありますが、どう見ても新品を何度か洗濯してわざと使用感を出したような雰囲気ですね」
農民のフリをした間者ではないのかと疑われる雰囲気だったので魔族の兵が捕まえたのだが、その後どうするかを決めかねているという話だった。
「それじゃあその人を雇っている人物はそこまで優秀な人ではないわね」
貴族ほど服を所持していない平民で中でも農民は更に服を所持していないのに、綺麗な普段着で森のような場所に入るはずがない。
「魔物に殺されそうになっていましたし、魔属領の中でも人の領土に近い場所は弱い魔物しか住んでいないし、魔族領は中に深く入るととんでもない化け物が存在することを知らない類ですね」
「何処に所属しているのか目的と知ればそれでいいわ。何処か遠くに逃がしてあげて」
「それだけでいいのですか?」
「自分達が太刀打ちできないとわかればまた来ることはないでしょう。なるべく恐怖を覚えてもらえば来ないと思うし」
魔王が住む最中央に来るまでには人の領土では滅多に現れる事のない魔物がウロウロしている。
その魔物と対峙出来るのが勇者と聖女を有するパーティで、魔王を討ち取ろうと訪れる場合には複数人で力を合わせて魔族領を進まなければ魔王城まで辿り着くことが出来ない。
滅多にあることではないがパーティメンバーが全て優秀だったり、幸運が続いているパーティ等は魔王城付近にまで辿り着くことがあり、その場合は魔王の側近と呼ばれる魔人たちが対峙し、側近を倒すことが出来れば次は魔王との直接対決となる。
たった1人で魔族領に偵察に訪れるなんて愚かなことだ。
世間知らずな若者なのだろうが魔獣に殺される前に魔人に捕獲された点は幸運だっただろう。
魔族は心得たとばかりにエレアの命を受けて消えた。