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怨霊 その5

「ここは共用の場所なのよ。変な薬品撒き散らすわけじゃないでしょうね」

突然声をかけられた俺は、慌てて薬品を水平に戻す。声の主を確認しようと、顔を向けた。

そこには薄い金髪で瞳がグレーの男が立っていた。

サラサラの横髪が頬にかかり、それを払い除ける長い指と立ち姿が、非常に美しい。

外国人のような風貌に、流暢な日本語。

ぼんやりとゲッカを思い出していた。

二十歳前後だろうか。

雰囲気があって、俺なんかよりずっとしっかりして見える。

「すみません。ここがあまりにも居心地よくて。あの、あなたはひょっとしてここの……」

「不動産屋でも管理会社でもないわ。ただの店子(たなこ)よ」

「店子?それって……」

「やだ、ちょっと。何か勘違いしてない?」

「え、あぁ。いやぁ」

賃借人(ちんしゃくにん)よ、()りてる人。ここのテナントを借りてお店をやっているのよ」

「あ、はい……」

グレーの瞳は青にも緑のようにも見える。その中心には、オレンジの様な色が混じっており、思わず瞳の美しさに言葉を失う。

俺はぼんやりとその人を見ていた。自分が潰そうとしている瞳とは、人が変わればこんなに美しいものなのか。

「んん?」

じっと俺を見ていたその人は、俺の周りをぐるりと一周し、顎に手を当てる。

「あぁ、そっか……」

ややして、納得した様にそう呟いた。

「あなた、コイツの宿主ね」

コトっと小さな音がして青い小箱が目の前に置かれる。

「コイツの残滓(ざんし)が纏わりついてるわ」

「コイツって」

「ギョロ目のグロいやつよ。久しぶりに見たわ、あんなグロいヤツ。気持ち悪いったらない!」

ヤダヤダと言いながら、両腕を交差させて自分で摩っているその姿は、言葉使いから受ける印象通り、婀娜(あだ)っぽい。

いや、それよりも、ギョロ目のグロいヤツ?

それって、俺の肩に乗っていたヤツじゃないか。

え?

それが、この箱?

「あら?」

何かに気がついた様な声に、顔をあげてその人を見た。

すると、ぐっと近づく相貌。

俺は驚いてその場で固まった。

「かなり喰われてるわね。なるほど、それで自殺ってわけ?」

死にたくはないが、強く否定できなくて、緩く首を左右に振る。

「わりと見えるのね。声は?悲鳴や叫びは聞こえる?」

俺はしばし考え、小さく頷く。

「そう。なら目を潰しても意味ないわよ。むしろ、耳が発達して、よく聞こえるようになるかもね」

何がとは言わなかったが、この人が言いたい事は分かった。それなら、目をつぶす意味などないか。

あんなに悩んでここまで来たのに、こんな短い会話ですぐに納得した自分が少し可笑しい。

「とりあえず、上がっていって。あなた、見込みありそうだし」

何の見込みかは不明だが、アイツが入った箱が気になって後に着いて行こうと思った。

なによりもこの人からは、この場に漂う安堵感のような空気と同じモノを感じる。

アイツはもう現れないと、言ってもらいたかっただけかもしれないが、俺はその人の店舗について行った。







「ここよ」

6階まで登り、一番奥の扉が開かれる。

「中はスリッパでお願いね」

そう言いながら、薄い金髪の人はスリッパを2足出して靴を脱ぐ。

さっと履いて中へ入ったその人は、適当に座るように奥から言ってきた。

何の店舗だろうか。

ドレスが溢れんばかりに壁際に並んでおり、その横に背もたれのない長椅子が壁にぴったりくっつくように設置してある。向かいにあるデスクには、パソコンがぽつんと置かれており、他はがらんとして何もない。

東向きの窓にはステンドグラスのシートが貼られており、朝日が差し込んで床に色とりどりの模様を作っている。

「インスタントしかないけど」

その人はそう言って、マグカップを2つ持ってきて、パソコンデスクの端に置いた。

「ありがとうございます」

俺は軽く頭を下げて、マグカップの1つを手に取った。

コーヒーの香りが、鼻腔をつく。

「店はね、オープンの準備中なのよ」

何もないのはその為か、と納得して頷く。

「だから、名刺もまだないの。あたしの事は若月って呼んでくれていいわ」

「ワカツキ、さん」

「若いに月ね。それで、コイツとはどういう関係?」

コーヒーを片手に持った若月さんは、青い小箱を小突いた。

「あの、その入れ物はいったいなんですか?」

「シランスといって、怨霊を閉じ込める結界の一種よ」

「怨霊を閉じ込める結界……?アイツがここに閉じ込められているんですか」

驚いた顔をしてると思う。それを期待していたはずなのに、そうだと言われると、そんな事が出来るのかと驚いている。

俺は次の言葉を必死に探して、頭が真っ白なまま口を開く。

「アイツってどこにいたんですか?ここに入って来てから、見当たらなかったので……」

「結界の入口で穢れを撒き散らかしていたから、閉じ込めたのよ」

「閉じ込めた?そんな事できるんですか?それに結界って?」

俺は青い小箱を見ながら聞いた。

「結界術に長けた家系の生まれなのよ。自分の店は綺麗にしておきたいでしょ?」

「結界術……」

ここが居心地良いと感じたのは、そのためだろうか。

「それをどうするんですか?」

「色々取り込んでそうだから、少し調べてみるわ。祓っても問題なさそうなら、若い子達の修行にでも使おうかしら」

それなら、もう、俺の肩には戻ってこない?

「問題あったら?」

「しばらくここで保管になるかしら」

我知らず、ほうっと息を吐き出した。

「よほど苦しめられてきたのね。何年?」

そう聞くと、若月さんはマグカップに口をつけながら俺の答えを待っている。

「俺の肩に乗ってからですか?それとも、母の肩に乗っていた時から?」

マグカップが口から離れる。

「ちょっと待って。元々は母親に憑いていたの?それっていつから?」

「5歳か……6歳の頃にはもういた様な気がします。肩に乗ってて見え隠れしていましたが、しょっちゅう見たので20年は経っていますね」

「見え隠れしなくなったのはいつ?」

マグカップをデスクに置きながら聞いてくる若月さんに、俺は昔を思い出しながら口を開く。

「一度、そいつのせいで母が大火傷を負った事があるんです。その後からは、ずっと肩に乗っていたような気がします。俺が20くらいの時に、完全に乗っ取ったような感じで見えなくなりました。ざっと5年くらい前の事です」

「そう……それならあなた」

あなたのお母さんは、と続くのだろうと思い、言葉を被せるように告げる。

「母はその後すぐに自殺しました」

「包丁で自分を刺して?」

そこまで言うつもりはなかったが、何故知っているのか。

予測?

それとも、この人の能力?

もしかして、心が読める?

「心を読んだ訳じゃないわよ。ゲッカの友達でしょ、あなた」

「え……ゲッカ…………」

いや、でもまさか、こんなところで名前が出てくるはずがない。

「華やかな顔のモデル体型で、肌色は濃いめね。美人でしょう」

「まさかゲッカ様?」

本当にゲッカの知り合い?

「やっぱりね。聞いた事あるわ、あなたのこと。あなた、ゲッカから逃げたでしょう。いえ、その感じだと、巻き込まないように地元から離れたのね」

「ゲッカ様とは、お知り合いですか?」

「姉よ」

アネ?

姉って言葉、1つしかないよな?

「母が違うけどね。あたし達全員、月が名前に入っているの。月の花で月花。月花の母はフランス出身で、あたしの母はアイスランド出身なの。ややこしいけど、そういう事よ」

「お姉さん?ゲッカ様が?」

月に花。漢字だとは思っていなかった。

弟がなにか修行しているようなこと、言ってなかったか?

「月花はね、あたしの全力を知らなかったの。だから、自分のちょっと上くらいに思っていて、怨霊を振り落としたあなたを見て、あたしに会わせなくても大丈夫って思ったんでしょうね。あなたと会えなくなって、とっても後悔していたわ」

同じものが見えているのに、その能力を知らない事なんて、あるのだろうか。

「兄弟姉妹でも、こういった能力って隠すものなんですか?」

そう問うと、若月さんは肩をすくめて首を横に振った。

「あたしは跡取りだったから、1人本家で修行しなくちゃいけなかったの。月花は別宅で暮らしていたし、毎日同じ家で寝起き出来る環境じゃなかったのよ」

それでも、と若月さんは続ける。

「お母さん達が見えちゃう人達だったし、どうしても悪いモノに目をつけられる事だってあるから、最低限の知識はあるの。でも、うちの父親って過保護だから」

過保護だとどうなるんだろう?

「修行して、能力を磨いていくって事は、見えるものが増えるの。嫌なモノだって視る事になる」

「でも……でも、見えないと、何が起こっているのか、分からないですよね。分からなければ、何も出来ないし、助ける事もできない!」

俺は興奮で立ち上がり、強い口調で若月さんに言った。

知らないうちに怨霊に取り憑かれて、自らを刺した母や、車を暴走させた男。

それらが人の命を刈り取った事も含めて、見えない方がよかったなんて言えるだろうか。

「分かったところで、何も出来なければ辛いだけよ」

冷静な若月さんの声に、ハッとなって腰を下ろす。年下に八つ当たりなんて、大人気ない。

「すみません」

「いいのよ、あなたは今、不安定だから」

「?」

「見えたって対策方法が分からなければ、何も出来ないのよ。それどころか、関われば次のターゲットになりやすい」

言われて、ドキリとした。

「いかに近寄ろうとも、相手から見えなければ、取り憑かれたりしない。でも、能力を磨くと、どうしても見つかりやすくなるの」

だから、コイツは母が死んだ後、俺に乗って来たのか。

俺は青い小箱を睨む様にして、若月さんの説明を聞いた。

「あなたは小さい頃から、コイツや、黒い煙を纏ったような人を見ていたわね。コイツが見え隠れしていたんじゃなくて、あなたの視る力が不安定だったの。中学の頃には、もうずっと見えていたんじゃない?」

そう言われて、俺はコンクリートが剥き出しの天井を見あげて考える。壁紙のない天井にシャンデリアが設置されており、涙型のガラスが折り重なるその中心に、丸いガラスが吊り下がっていた。その丸いガラスがサンキャッチャーを連想させ、過去を想起させる。

「そう、ですね。言われてみれば、そんな気がします」

「視るくらいの能力は10歳くらいで安定すると言われているのよ。その頃に、変なモノが見えなくなればラッキー。曖昧でも、時々でも、見えるなら一生付き合うしかない」

小さく揺れるシャンデリアの光を見ながら、昔を思い出す。何度も母に手を伸ばしては怒られていたのは、何歳の頃だ?

俺は顔を若月さんに向けて質問する。

「母に乗っていたのを、何とか引き離そうと何度も手を伸ばしました。でも、その時には触れることさえできなかったのが、どうして今は投げ飛ばせるんですか?」

「一般的な事だけど、自分に憑いているモノは触れやすくて、人に憑いているものは触れにくいのよ」

一般的な事だと言われてしまった。

「あなたはかなり目をつけられやすい体質だから、しばらくここで働きながら修行しなさいな。霊体がかなりいっちゃってるから、コイツが消えてもまた他のやつに乗っかられるわよ」

働きながらって、ここは何の店?

しかもそれに紛れて、不吉な事を2つも言われた。

「俺、目をつけられやすいんですか?」

「そうね。自分を守れないんだし、当然だわ」

弱っちい奴ですか、俺は。でも、本当のことだから何も言い返せない。少し項垂れながら、もう1つの疑問を口に出す。

「霊体がいっちゃってるとは?」

「食われて損傷している感じね。心も体も弱っているから、怨霊だけじゃなく、ウイルスや細菌にも弱いわよ」

踏んだり蹴ったりだな。

不吉を確認したので、その次を聞く。

「ここって、何屋なんですか?働くといっても、俺はすでに仕事を持っていますし」

「ここは写真館よ。成功報酬型で副業しない?」

俺の今の気力で副業なんて。

だけど、もっと知りたい。もっと知りたい気持ちもある。

「休みの日でいいのなら」

「もちろんよ。週1でいいわ」

若月さんはそう言うと、デスクの端から金のカードを出して俺にくれた。

「簡易結界よ。効果は6日程度で、その間は弱いやつから守ってくれる」

弱いヤツとは、どの程度だろうか。

俺はシランスを指差して聞いた。

「ソイツは強いやつですか?」

「コイツくらいなら弾けるわ」

え!

俺は驚いてマグカップを落としかけた。すでに飲み干していたので、店を汚さずに済んだが、危なかった。

「コイツ以上のやつに襲われたら、連絡をして。ま、瞬間移動なんてできないから、とりあえずは全力で逃げてもらうことになるけど」

「遭遇しない事を祈っています」

「そうね。そのうち回避できるようになるわよ。消し……隠れ方も教えてあげるから」

とりあえず、と呟いた若月さんは、俺に目を向けて言う。

「来週の土曜日にまた来て。営業先のリストを渡すから」

「あ、はい」

突然ビジネス的な会話に、慌てて頷く。

俺はこの年下の美男子が、近い未来の上司になるような気がしていた。


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