■目覚める姫巫女
うららかな庭先の満開に咲いた桜の下。
「コウカ様、僕を娶ってください」
キリとどこか似た外見なのは当然か。コウカは彼の父親にあたる。隣にいるレイア様は少し驚いたようで目をぱちくりさせている。
「隣に妻がいるわけだけど、このタイミングでかい?」
そうコウカとレイアは夫婦だ。それにコウカはもうすぐ海皇に即位する。
「このタイミングだからだよ。僕はあなたが好きなんだ」
飾りっ気もない告白だった。だからこそコウカは困ったのだろう。
「ヤシロ姫、私は妻をレイア以外に娶るつもりはないのです」
「だから諦めろというのも無茶だと思うけど?」
ふむとコウカは少し顎に手を当てて考えこむような仕草をする。
「でしたら、私の息子などどうですか?」
その一言に「何てことを言うの?」と批難の表情をレイアは浮かべる。
「いいの? あなたは自らの愛を貫くために息子を差しだすんだよ」
「本来、私はあなたの申し出を断る立場にない。あなたの申し出は正当なものですから。それを覆さずとなれば、こちらも何かを差しだす必要がある」
それが息子とはとレイアはため息をついている。
「約束は守ってもらうからね」
それからキリが大きくなるのを待つため時間庫内で五百年の時を過ごす。と言ってもすべては一瞬の出来事。
――◇◇◇――
「姉上の嘘つき!」
幼いハクトが部屋を飛び出していく。呼び止める間もなかった。
「ハクト様は私が追いますので、おひい様はここでお待ちください」
使用人の女性がそう言い残してハクトを追いかけていく。
「姫巫女の件、断るべきだったでしょうか?」
弟にあんなことを言われてショックだった。だから思わず残っていた使用人に訊ねる。
「ハクト様もいつかわかってくれますよ」
「……そうなのでしょうか?」
戸惑いがあった。両親は早々に亡くしてハクトにとっては母親のような存在だったろう。
ハクトにとっては自分でも戸惑うくらいの早い親離れだったのだろう。
――ごめんねハクト。
――◇◇◇――
「……姉上」
鳥居のくぐって境内にある本殿のほうをぼーっと見つめながらハクトは呟く。
――守れなかった。結局、こうして見ていることしかできない。あれから何が変わったというのか。
「お務めをきっちりと果たした人間のする表情ではありませんね」
マコナが意地の悪い笑みを浮かべながら現れる。
「悪いかよ。俺じゃない誰かに姉上の命運を託すんだぞ」
つまり自分は指をくわえているしかない。
「手心を加えて負けた、というわけではないのでしょう?」
ハクトはその一言にムッとした表情になりながらも――。
「……んなわけあるか。そんな余裕なかったよ」
「では認めるしかありませんね。自らを破ったもののことを」
マコナはハクトを背中から包みこむように優しく抱く。ハクトはむず痒いと感じながらも受け入れた。
――◇◇◇――
ヴラシオと名付けられた巨大彗星が一〇〇年後に地球へ落下コースをとっている。そんな内容が二〇〇五年七月二六日に大々的に発表されたが、その時に人類は動じることもなく淡々と受け入れたという。
二〇一五年、秋の色が濃くなる時期のことだ。
「一〇〇年後に彗星が降ってくるんだって」
教室の中で話し声が聞こえてくる。
「『いま向かっている』ってメッセージを彗星から受信したって」
まことしやかに流れるこの話は公的な機関から発信されたものだ。
「彗星に異星人がいるんじゃないかって」
「地球外知的生命体っていうんだっけ?」
情報も少ないので憶測が周囲を飛び交う。
放課後になると少し陽が傾いたように感じる。ヤシロはふうと一息つくと自分の席を立った。
顔をあげると左目に眼帯をつけた少年の姿を見た――ような気がした。しかし、それは幻であったようにかき消えていた。
――何だったのか? とふと窓からグラウンドの方へ視線を向ける。すると少年の後ろ姿がそこにあった。彼はもう学校を出ようとしている。
――待って! 手を伸ばそうとしてヤシロは走りだす。
気がつけばいつの間にか自転車に乗っていて、たどり着いたのは“吉野神宮”と表記された駅だった。
少年が駅舎へ入っていく後ろ姿が目に入る。ヤシロは息を切らせながら少年の足跡を追う。
そこにたまたま停車していた電車の中へ少年は入っていく。
「待って!」
ヤシロが電車に駆けこんで車内を見渡す。しかし少年の姿は――。
「……いない?」
ドアが閉まると少年は何故かホームに移動していた。そして彼は右手をあげて指の先は吉野山の方角だ。
――でも、どうして?
瞬きをする間に少年の姿は消えていて電車は発車する。
五〇〇年は一〇〇〇年の半分。それでも待つのは一瞬だったが、あたりの景色はすっかり変わっていた。
五〇〇年分の記憶は年上の弟ができるきっかけになる。周囲は代替わりしていてかつての知り合いはもういない。
時間庫の存在は時間の壁を壊したが、ほとんどの人間は寿命をまっとうすることを選ぶ。それでも自分は自分の肉体のままで彼との邂逅を望んだ。
電車が停車すると改札口に彼の後ろ姿があった。
その先はケーブル乗り場がある。ロープウェイに乗りこむと彼がそこにいた。それ以外に人の姿はない。
周囲を眺めると茜色に色づく山々の景色が窓ガラスに映っていた。
「……五〇〇年前に出会っていたら、この景色も変わっていたんだろうか?」
「どうだろうね。色づく景色は四季を通して変わっていくけど、それでも少しずつ違っていくんじゃないかな」
――きっとこの景色はいましか見られない。
「どうして俺はこの時代で目覚めたんだって思う時があるよ」
「目覚めるべきじゃかったって思うのかい?」
「ティユイを守れなかった。自分の無力さを思い知った……」
ヤシロは口許をきゅっと締める。
ロープウェイが停まってドアが開く。
「行こう。僕と一緒に」
ヤシロはゴンドラを出て振り返ると彼――キリの手を取る。
「それでも君は僕を助けに来てくれた。嬉しいよ、素直にね」
――五〇〇年待ち続けるってどういうことかわかるかい?
はじめて会った日、君は僕を覚えていなかった。
自分が何者かでさえ知らなかったんだね。
自身を知ることが幸福に繋がるものではない。彼の出生が本人に隠されていたのは理由があった。
知らない方がよかったのかもしれない。
――でも僕はそう思わない。君と相まみえたこと嬉しく思うから。
ヤシロは振り返って手の平を広げてキリの手を取ろうとする。
「さあ行こう」
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