■支度
――未来――
魂が打ち震えた。
黒い炎に灼かれても生存できる人間を自分は心待ちにしていた。
いても立ってもいられない。
こんな小さな檻になど収まっていられるものか。
ずっと待っていた。彼のような存在を――。
――過去――
半袖で過ごすにはちょうどいい季節だろう。梅雨入りも少し先になる。
「物部さん、乗り心地はどう?」
自転車で二人乗り。少女は後ろの荷台に乗って、少年の背中にしがみついている。
「お尻が痛いです」
少女は不満を惜しまず伝えた。返答に少年は「ははっ」と笑う。
「そりゃそうか」
自転車で二人が行ける範囲はそんなに広くないし、門限の夕刻は間もなくだ。
今日は少し遠回りをしてもらうよう少年に頼もうか。
少年の背中から伝わる温もりをもっと感じたくて、少女はまわした両腕に力をこめた。
――現代――
キリはセイオーム伝統の黄色を基調とした礼服姿を鏡でまじまじと見せられる。
「うん。ぴったり」
リルハは何度も頷いている。
「俺には着せられているようにしか見えないぞ」
「そんなことないよ。礼服着るのだってはじめてじゃないんだから。自信持ちなよ」
――きついところはないかと続けて聞いてくる。
「大丈夫だよ。それにしてもサイズよくわかるよな」
「当然でしょ。キリは私の体型わからない?」
リルハは意地の悪い笑みを浮かべる。
「……俺はわからないよ」
「だったら覚えるまで確かめてもらったらいいけど?」
キリは顔を引きつらせる。からかうのは勘弁してほしい。
「別にからかってないけど?」
胸中を見透かしたような一言であった。
「何ていうかウキウキしているよな?」
「キリが海皇候補として第一皇子に推薦されるんだもん。嬉しいよ」
「俺は困ってるんだけどな……」
キリは皇族に入るとなればティユイとは姉弟という立場になる。これは妙な感覚だった。しかし現実である。
「サイズ合わせはもういいんだよな?」
「うん」
キリは確認をとると別室に入って普段着に着替える。
「五カ国会議に出席なんて考えられないよ」
しかし礼服に袖を通したいまとなっては自覚せざるを得ない。
「キリはこれから大変だね」
「え?」
「キリは皇子になるともう私たち王女の中から一番を決めることはできない。それをキリが決めるとバランスが崩れるでしょ。それはわかるから」
「決めることができないか……」
それは自意識というものが存在してもそれを決して公の場で表出させないということだ。
「これからキリは立ち振る舞いを常に周辺から見られるってことになるから。五カ国会議が終わった後は意識しないとね」
「気が重いな……」
「だから、私たちが助けるんでしょ」
「頼りにしてるよ。そういえば会議中はどうするんだ?」
「王女は奉納があるんだよ。カリンは会議に出席するみたいだけど」
それはナーツァリ国で行われる会議だからだろう。
するとカリンを除く三人は会議場にはこないということだ。
「晴れ姿はしっかり収めておくから安心して」
安心とは? とキリは首を傾げる。
「とりあえず終わったし、ちょっと付き合ってよ」
――現代――
ナーツァリ国ターベ。夏の陽射しが降り注ぎキリは思わず目を細める。隣にいるリルハは純白をしたノースリーブのワンピースに着替えていた。そして頭に被っているのは――。
不意に強めの風が吹いて麦わら帽子がふわりと飛んでしまう。
「あ」
しまったと声が漏れる。
帽子は砂浜の方にふわりと落ちるとキリが先行して拾ってくれる。
「ありがと」
「どういたしまして」
帽子を差し出されてリルハは両手で受け取るとまた被り直す。
どうやら先ほどの風は潮騒が運んだ気まぐれだったらしい。潮の香りとともに吹きこんでくる風は頬を撫でるように穏やかだ。
「フユクラードだとあまり見ない光景だね」
「リルハがそんな格好するのもな」
「フユクラードだと、薄着になることが少ないからね」
フユクラード国は寒い時期が長く、ナーツァリ国は暑い時期が長い傾向がある。
「日焼け対策はしているのか?」
「あー、お姉ちゃんに言われたから」
口酸っぱく言われて、最終的にはセナがやってくれた。
「ま、リルハだしな」
「それどういう意味?」
ニヤリとからかうような笑みにリルハは頬を膨らませた。
砂浜を歩いていると日の光が波打つ海面に乱反射してきらきらと輝く。
それを眺めるでなく桟橋を並んで歩いていると背後から見知った声が聞こえた。
「やっと見つけたで!」
ユミリであった。肩を怒らせてこちらに向かってくる。
「リルハ、抜け駆けはなしだよ」
ヤシロに指摘されて、リルハはチロリと舌を出す。
「だから、裏口から出たのか……」
「さあ?」
困ったように眉をしかめるキリに対して、リルハはとぼける。
「ターベはいい場所ですから。みんなでまわりましょう」
――案内しますよ。とカリンが言う。
五人の時間がしばし共有されるのであった。
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