■夏景(かけい)
山の向こうを眺めると入道雲が見えた。
キリは踏切の前で電車が通り過ぎるのを待っている。
熱中症対策に帽子を被っているが、額から流れる汗を止めることは適わない。
電車が通り過ぎると遮断機があがる。――向こう側から体格のしっかりした初老の男性がこちらに向かってくる。
「久しいな。大きくなった」
嬉しいのか悲しいのか。何せ表情を変えないのだ。相変わらずだとキリは思ってしまう。
「ヒズル爺ちゃんなのか……?」
どうしてこんなところに? という疑問は不思議と湧かない。それより込みあげてくる感情が勝ったせいだ。
「儂をお前は誰かと間違えるのか?」
「いや、だって……いままでどうしていたんだよ? 急にいなくなって心配してたんだぞ」
「すまなかったな。今日はお前に会いにきたのだ」
「俺に?」
――どういうことだ? とキリは眉をしかめる。
「お前がいまレイアの下にいることは知っている。その上でだ。奴と袂を分かち、儂と来い。さすればお前を儂が守ってやろう」
「ますますワケがわからないぞ」
「お前は自身を知らなさすぎる。それは周囲に災いを呼ぶかもしれんぞ」
「……爺ちゃんは俺の何を知っている?」
「レイアが知らせていないというのなら儂から言うことは何もない」
はっきりとした拒絶だった。
「レイア艦長は俺の何を知っているんだ?」
「それは本人から口にするだろう。それよりどうする?」
――来るのか、来ないのか。返答は二つに一つ。しかし唐突に現れたヒズルに対して判断材料があまりに少なすぎた。
「儂はいまソウジ・ガレイの下にいる。貴様らが保護しているケイカだったか。あの娘に指示を出していたのは儂だ」
キリは大きく目を見開く。信じられないとばかり。
「驚くことはあるまい。レイアと袂を分かつということは味方ではなくなるということだ」
「ティユイを苦しめたガレイに与していたってのかよ?」
キリの言葉に怒気がこもる。
「ガレイが皇女を苦しめたから敵か。感情的で単純だ。故に付和雷同する」
「何だと!?」キリは身構える。
「どうやら、いまのお前と話をしても無意味なようだ」
ヒズルはキリに背を向ける。
「待ってくれ爺ちゃん!」
「頭を冷やしてよく考えることだな」
ヒズルはキリの制止を聞く様子もなく歩き続ける。背を向けているのにも関わらず、一切の隙を感じない。それどころか動いた瞬間にキリの方が殺されるのではないかという気配をまとっている。
ヒズルの姿は踏切の向こう側――陽炎の彼方へ向かっていく。
遮断機が下りて、カンカンという警報音が響くと共に電車が通っていく。
電車がいなくなると、そこにヒズルの姿はなかった。
――◇◇◇――
夜が更けたといえど日中の熱気が残っているせいで額からじんわりと汗がでる。
キリは宿舎前でぼーっと佇んでいた。
「お待たせ」ケイカが宿舎から出てくる。
いつもとは違う雰囲気なのは浴衣を着ているせいか。白を基調とした生地に青い流線に赤い金魚が泳いでいるようだった。
髪の毛はアップにしているのでいつもよりうなじが綺麗に見えた。
キリは息を呑んでしまう。思っていたより少女は少女でなかった。
見惚れていたなんてとても言えないキリは少しケイカを直視することを避けながら頭を掻きあげる。
その仕草にケイカは思わず吹き出す。
「……何だよ?」
「別に」とケイカはどこか嬉しそうだ。そして「行こっか」と言ってキリの右手をとる。あまりに自然な行為だったので思わず握り返してしまう。
「こういうときって『似合う?』とか聞くもんじゃないのか?」
「聞く必要あるの?」
からかうような笑顔だった。キリも「認めるよ」と苦笑を浮かべる。
「私の勝ちね。今日は全部キリのおごりだから」
――働いているしいいでしょ。もといキリはそのつもりだった。
「……懐かしかったりするのか?」
「何か懐かしいけど、どっちかっていうと旅行に来た気分かな」
住んでいた場所の近くに海はなかったそうだ。
「もう帰れないんでしょ、私」
――そうだ。
世界はいくつもある。この世界の住人は他の世界のありようを覗く技術がある。そして、そこからデータを抜き出しケイカの肉体を作り出して、脳にいた世界の記憶データを焼きつける。
ここにいるケイカは本来いた世界のケイカとは同一人物というよりかぎりなく再現した存在であるというのほうが正確だろう。
つまり本来の世界にあっては別人格の存在と断言できるのだ。そして当然ながら彼女は帰還できない。
それは彼女がこの世界に生まれたということである。これは変えようのない事実であった。
「ここで生きていくんだ、君は」
自身の記憶が異なる世界に存在する肉体へ移される事態が観測されている。これが常態的に起こっているのだが、その起源がわからないということで物議を醸しだしている。
ただ、どれほど多くの世界が創造されたとしても繋がりは存在する。それは多元的ではない。あくまで視点角度の相違に過ぎないのだと。
夜空を仰げば満月が輝いていた。
――◇◇◇――
提灯と夜店の灯りで通りは明るい。
「人が多いわねぇ」
「これって結構な数がAR映像なんだぜ」
「そうなの?」
「回顧都市ってどっちかいうと体験型余興の側面があるからな。実際、こんなに人は来ていないよ」
時代を再現して、街を一つ造り、必要とあれば人々の生活は映像でも埋める。その中に現在に生きる人間が体験のために混ざったりする。一種の娯楽となっていた。
「食べ物は本物?」
「もちろん」
ケイカの目線がさまよい、ある店を指さす。
「あれが欲しい」
「……リンゴ飴か」
キリはリンゴ飴を購入してケイカに手渡す。
「大きいね」
ケイカはキリの手が触れると照れくさそうに受け取り、飴の部分を少し舐める。
「どんな味?」
「甘いかな」
――それもそうか。砂糖だもんな。キリとケイカは再び歩きだす。
「あれは何なんだ?」
桶の中にボール状のものが複数浮かんでいる。キリにとってはリンゴ飴も珍しいものだった。
「スーパーボール掬いね。やってみたら?」
「ああ」と言いつつ、キリは挑戦を試みる。店の主人に声をかけるとお椀とプラスチック枠に和紙が貼られた道具が手渡される。
「それはポイっていうの。それを使ってスーパーボールをすくうのよ」
キリはその説明でゲーム内容をようやく理解する。
キリは中腰になってポイを構える。隣でケイカはお手並み拝見とばかりニヤニヤ笑みを浮かべている。
――見ていろ。そう思いながらポイでスーパーボールをすくおうとした瞬間に和紙の部分が破ける。
「あれ?」とポイが破けて向こうが見える。
「ちなみに破れたらゲーム終了だからね」
――一個くらいとってみたら? ケイカは挑戦的な視線で訴えてくる。キリも退けないとばかりもう一回とポイを受け取る。
「見てろよ」今度こそというばかりキリは気合いを入れる。
――◇◇◇――
夜店から離れて岬のほうへキリとケイカは移動していた。
「ここが花火のよく見えるスポットらしいわよ」
「へぇ」キリは右手で一個のスーパーボールを触りながら眺める。
「戦果はスーパーボール一個かぁ」
くすくすとケイカは口に手を当てて笑っている。からかわれているようでキリは何となく不服だった。
「笑うことないだろ」
キリはボールをケイカに向けて投げる。当然のように彼女は右手で受け取る。
「うんうん。たくさんあっても仕方ないしね」
ケイカがボールを投げ返してくるのを再度受け取り投げ返そうとする。だが、投げる瞬間にボールが手を滑る感覚。ボールは月の彼方――海へ落ちていく。
「もう。何やってるのよ」
「……ごめん」
そういう割にケイカの口調は優しい。それでもキリはつい謝ってしまう。するとパーンという弾けるような音。
打ちあげ花火があがっていた。
「綺麗なもんだな」
二人は並んで眺めている。
「……そうね」そうつぶやくケイカの姿はどこか寂しそうだった。
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