第8話 2つめの試練
王都のタウンハウスに、スティルトン公爵令息から先触れが届いたのは、ボーフォール家の晩餐会から二週間が経った頃だった。
翌日の夜、大きな花束を手にやって来たロードリックを、ウェンディは笑顔で出迎えた。
「ロードリック様、ご無事で何よりでした。兄たちが無理を申したせいで、危険な目に遭ったのでは……?」
「大丈夫だ、ウェンディ嬢。死んでしまってはあなたと結婚できないからな。絶対に死ぬことはない」
ロードリックが差し出した花束を、恭しく受け取ったウェンディは、花に顔を寄せる。
「いい香り……可愛らしいバラですね」
ウェンディの腕の中で、薄桃色の八重咲きのバラが、可憐な花を咲かせていた。フルーティな濃い香りが立ち上る。
「ウェンディ嬢のイメージにぴったりの花だと思って選んだが、気に入ってもらえると嬉しい」
「えぇ……とても可愛らしいお花で、わたくし、大好きです。ありがとうございます、ロードリック様」
「ところでブラッドリー卿は?」
「兄たちは全員、揃っています。こちらへどうぞ」
ウェンディは自らロードリックを案内する。前回、兄たちが試練を言い渡した応接室だ。
扉を開くと、三人の男がソファに座っていた。ロードリックを見るや、三人は立ち上がり、それぞれ彼に向かって挨拶をする。
そうして五人が揃ってソファに腰を下ろすと、ロードリックはわずかに眉尻を下げた。
「――さすがに、レインボーキマイラダイヤモンドは、手に入れることができませんでした。改めて、ボーフォール総騎士団長の偉大さを思い知らされましたね」
「そう簡単に、我が父を超えてもらっては困る」
ロードリックが尊敬の念を込めた口調で言うと、ブラッドリーは当然だと頷いた。
「ロードリック様が危険な目に遭うくらいなら、私はそんなものは望みません」
ウェンディがきっぱりとフォローすれば、ロードリックは優しく笑う。
「ありがとう、ウェンディ嬢。でもきっと満足していただけるものを贈ることができそうだ」
そう告げて、彼は小脇に抱えていた平たいジュエリーケースを目の前のテーブルに置いた。
筋張った大きな手がそっと蓋を開いた瞬間、ボーフォール家の兄妹は息を呑んだ。
「これは……」
光沢のある布張りの台座には、イヤリングとネックレス、そしてブローチとブレスレットが収められていた。
そのジュエリーたちは、目が眩みそうな煌めきを湛えてはいるものの、確かにレインボーキマイラダイヤモンドにはあと少し及ばないクオリティだ。
しかしそれは、至らないクオリティを補って余るほどの存在感を持っていた。
「なんという大きさだ……」
「こんな大きなダイヤモンドのブローチ、扱っている商店なんて聞いたことないよ」
普通、ポイズンキマイラの魔石は大きくても女性のこぶし大だ。そこからジュエリーとしての品質と大きさのバランスを計算してカットするのだが、大きくても原石の三分の二ほどになってしまう。
実際には一つのジュエリーではなく、イヤリングとネックレス、指輪やブローチ、ブレスレットをセット――パリュールとして誂えるのが、原石を入手した貴族の風習なので、ブローチ用の石は最終的には胡桃大程度になる。
しかしロードリックが持ち込んだジュエリーは、すべての石が一回りも二回りも大きかったのだが、中でもブローチに使われたダイヤモンドがこぶしの半分ほどもあった。
「この他に今、婚約指輪も作らせておりますので、それは婚約式の時に贈らせていただきます」
ロードリックがにっこりと笑った。
「これだけの装身具を作っているのに、石が大きい……一体、どんな魔術を使った?」
ブラッドリーが目を細めた。
「中央の森から時折、大型魔獣が街に下りてきて、家畜などに被害が出ていると以前から聞いておりました。その中には、ポイズンキマイラの目撃情報もあったので、討伐も兼ねて向かいました」
国の中央にあるその森に住まう魔獣は、大型化する傾向にあるという。ロードリックはそこに赴き、街で悪さをする魔獣の討伐をした。
その中に超大型のポイズンキマイラがいて、人を襲おうとしているところを、ロードリックが食い止めた。
その個体は普通のポイズンキマイラの二倍近く大きかったので、必然的に魔石もかなり大きいものだったという。
「取り出した魔石をすぐに浄化して、宝石商に持ち込みました」
ロードリックが持ち込んだ魔石を見て、宝石職人は驚きで口をぽかんと開いたまましばらく動かなかったそうだ。
ただでさえ珍しいポイズンキマイラの魔石な上、今まで見たこともないほどの大きさだったから。
これ幸いと、ロードリックは魔石の大きさを生かしたジュエリーをオーダーした。もちろん、ウェンディに似合うような可憐なデザインを指定して。
ただただ派手なだけで品のないものは、おそらく求婚には逆効果だからだ。
とはいえ、ボーフォール家の三兄弟を納得させるだけのものを差し出さなければならない。
今まで生きてきた中で、一番頭を悩ませたと、ロードリックが苦笑していた。
王都の邸宅を出発してからキマイラを討伐して魔石を取り出して浄化するまでの時間よりも、ジュエリーのデザインを職人と一緒に考え試行錯誤する時間がかなりかかってしまったらしい。
しかし時間と頭を使っただけあり、その出来映えは、ボーフォール家の人間にため息をつかせるほどになった。
大粒のダイヤモンドと他の石が品よく配置され、ウェンディの美しさを際立たせるようデザインされたジュエリーは、アーサーがフローラに贈ったレインボーキマイラダイヤモンドには決して劣ってはおらず、至高の輝きを放っていた。
「なんて素敵なのかしら……ロードリック様のご苦労と想いが伝わってくるよう……」
ウェンディはうっとりとジュエリーに見入っている。
「職人が言うには、大きさやクオリティを加味すれば、レインボーキマイラダイヤモンドに引けを取らない価値があるとのことでした」
「……そうか。確かにこれは素晴らしい逸品であることは、私たちにも分かる。さすがと言うほかないな、スティルトン公爵令息」
ブラッドリーは降参、と言わんばかりに両の手を挙げた。
「うちの商会でも、今までたくさんの宝石を取り扱ってきたけど、こんなに見事なキマイラダイヤは、うちの家宝のアレ以外で見たことない」
ドミニクはケースを恭しく持ち上げ、矯めつ眇めつ宝石を眺めながらしみじみといった様子で呟いた。
「そんな大きなポイズンキマイラを、単独で討伐したのか……やるじゃん」
セシルはニヤリと笑ってロードリックの肩を軽く小突いた。
「ご満足いただけたのであれば、僥倖です」
「……私からの試練は、合格と言っていいだろう」
ブラッドリーはため息交じりに告げる。
「ありがとうございます」
ロードリックがにこやかに返すと、ウェンディが居住まいを正した。
「ロードリック様、あなた様がご無事で何よりでございました。わたくしは、それが一番嬉しいです」
「ウェンディ嬢と添い遂げるためなら、どんな試練にも立ち向かえると思う。あなたの存在は何よりも俺に力を与えてくれる」
二人は柔らかく見つめ合った。少しして、その甘い空気を断ち切るように、ドミニクが高らかに宣言した。
「それじゃあ、僕からの試練も受けてもらおうか」
「なんでしょう?」
「うちの国の騎士団で支給されている剣は、ドミーフォール商会が扱っているって、知っているよね」
「もちろん。魔力の通りも素晴らしく、魔獣の二体や三体切っても刃こぼれすらしないので、私も個人的に一振り欲しいと思っていたところです」
「うん。じゃあその一振りを貰っておいでよ」
「え……」
「ボーフォール家に縁づいた者は皆、自分自身の剣を打ってもらうのが習わし。ウェンディも持っているんだよ」
ロードリックが確認するような視線を寄越すので、ウェンディは頷いた。
「わたくしのは兄たちのものとは違って、細身のレイピアですが」
「これが俺たちの『剣』だ」
いつの間に席を外していたのか、セシルが鞘に収められたままの剣を四振り手にして応接室に入ってきた。
テーブルに置かれたそれを、ロードリックがじっと見つめている。
「お手に取ってみますか? ロードリック様」
ウェンディは自分のレイピアを取り、ロードリックに差し出した。
「これがあなたの『剣』ですか」
レイピアを受け取ったロードリックは、鞘から抜こうとしたが――
「っ、抜けない……?」
彼はかなりの力を入れているように見えるが、鞘はピクリとも動かない。向きを変え、角度を変えてみても、一向に抜ける様子はなかった。
「ロードリック様、それをわたくしに」
ウェンディは両手を差し出して、釈然としない表情のロードリックからレイピアを受け取る。次の瞬間、第二騎士団副団長があれだけ悪戦苦闘していたレイピアが鋭く静かな音を立て、刀身を露わにした。
「え……」
驚くロードリックに、ウェンディが微笑む。
「このレイピアは、わたくしにしか抜けないのです。これだけではないです。兄たちの剣も、それぞれ本人にしか抜けないようになっています」
「魔力適合術式が組み込まれているのか……?」
「そのとおりです。さすがロードリック様ですね」
彩狼大陸には『魔法』は存在しない。魔素・魔力を燃料、術式を媒介とし魔術を発動する。
魔力量が多い者や上級魔術師になれば、術式によるものの、記述する必要もなく魔術を扱える。
魔術とは言っても、生活魔術や戦闘魔術、治癒魔術など、種類は様々だ。
剣を扱う時も、魔力を流して剣の性能を最大限に引き出すことが可能だ。
しかしその剣自体の質が悪ければ、剣士も能力を活かせない。
剣士の実力と剣の質、双方の相性やレベルの釣り合いが取れてこその剣術なのだ。
「この剣自体に術式が組み込まれていて、持つ人間の能力を余すところなく引き出せるどころか、増幅させるのも可能。そういう剣」
「なるほど……」
「作っているのは、アボット家なんだ」
「アボット家!? 中央の森の奥に住んでいるという、伝説の鍛冶一族ですか!?」
アボット家――ドワーフの血を引き、鍛冶を生業としている一族。アボット家が手がけた武具は魔力をよく通し、魔術の発動も速く正確。剣の切れ味の鋭さたるや、薄い布をほつれもなく簡単に静かに半分に切れるほど。それでいて、固い岩も刃こぼれせずに一刀両断できる。
武具を作らせたら大陸一とも言われている一族だ。
しかし簡単には手に入れられないのが、アボットの武具。
気に入らない依頼者からの内容は、どれだけ金を積もうが彼らは引き受けてはくれない。それは王家であっても例外ではないという。
「ボーフォール家がアボット家と取引できるのは、アボット家の再興に尽力したからなんだよね」
ドミニク曰く。
百年近く前、アボット家のある中央の森が魔獣大発生の被害に遭った。その時、魔獣討伐に貢献した上に、アボット家を含む森の住人の住まいや作業場の復興支援をしたのが、ボーフォール家だ。
アーサーの数代前の当主が資金や人的資源を投入し、復興させたのだった。
その時の縁で、アボット家は現在でもボーフォール家には武具を仕立ててくれる。
但し、必ず総領と会い、話をし、納得した上でだ。過去、あまりにも態度が悪くアボット家を軽視した言動を繰り返したばかりに、こっぴどく拒否された傍系のうつけ者もいた。
以来、必ず本人と面談をしてから製作を受けるか否かを決めているそうだ。
「そのアボット家の総領に、あなたの剣を作ってもらうのが、第二の試練だよ」
ドミニクが意味ありげに笑った。
「総領のクルト翁はウェンディを孫のように可愛がっている。その相手になるかもしれないとあっては、見る目が相当厳しくなるだろう」
ブラッドリーが自分の剣をスラリと抜き、その抜き身の輝きを見つめたまま呟く。
ボーフォール家の直系ではないこともあり、ロードリックはかなり警戒されるだろうと、セシルとドミニクは同意するように頷く。
「――分かりました。全力を尽くします」
ロードリックは力強く答えた。