第4話 着々と、外堀が埋められていく(兄たちの)
ウェンディは父とともにスティルトン領の屋敷に招かれていた。
あれからロードリックが魔術書簡を飛ばし、二人の婚約を公爵家に伝えた。すぐに公爵から返事が届き、帰都する前に領地に立ち寄るよう招待されたのだ。
スティルトン領はボーフォール領の隣で、王都までの通り道でもあるので、ちょうどよい。
そんなわけで、ウェンディとアーサーは、急遽、スティルトン公爵家に一泊することになった。
正午前に広大な敷地内にそびえ立つ大邸宅に到着するや、大勢の使用人とともに、スティルトン公爵夫妻に出迎えられた。
「ようこそおいでくださった。ボーフォール総騎士団長」
威厳のある声音だが、にこやかに歓迎してくれたのは、アレン・スティルトン公爵。三大公爵家の一つである名家の現当主だ。
アーサーに負けず劣らずの美中年で、二人が並ぶと威厳も相まって実に壮観だと、ウェンディは目を見張った。
「お招きありがとうございます、スティルトン公爵閣下」
アーサーが胸に手を当て、頭を下げる。するとアレンがアーサーの後ろに視線を送った。内面を見透かすような目でじっと見つめられ、ウェンディは思わずドキリとする。
「そちらのご令嬢が『ボーフォール侯爵家の至宝』ですかな」
「お目にかかれて光栄です、スティルトン公爵閣下。アーサー・ボーフォールが娘、ウェンディ・ボーフォールにございます」
ウェンディがカーテシーをすると、アレンのそばにいたご婦人が目をキラキラさせて声を上げた。
「まぁまぁまぁ……なんて美しくて可愛らしいお嬢さんなのかしら。ボーフォール侯爵家の紳士方が壁におなりになるのも当然ですわね」
ずい、と進み出たご婦人は、ウェンディの両手を取り、きゅっと握った。瞳がさらにキラキラを増した。
「はしたないぞ、クリスティーナ」
「あら、家族になるお嬢さんですもの。堅苦しいことは言いっこなしですわ、旦那様」
会話から察するに、ご婦人はスティルトン公爵夫人だろう。
「彼女が困っているじゃないか、見なさい。……すまない、ウェンディ嬢」
「いいえ、歓迎していただき光栄ですわ」
「ボーフォール前侯爵様、ご無沙汰しております。それから、ウェンディさん、わたくしはロードリックの母のクリスティーナです。よろしくお願いしますね」
にこやかに挨拶をするクリスティーナは、ロードリックを女性用に作り替えたようなクールビューティだ。
(ロードリック様は、お母様似なのね……)
親子の血をひしひしと感じながら、ウェンディは軽く膝を折る。
「ウェンディ・ボーフォールでございます。本日は、お招きいただきましてありがとうございます」
「どうぞ、中にお入りになって。昼餐を用意させておりますので」
「ロードリックから『ボーフォール家のご令嬢と婚約することにしたので、都合がつく日にそちらに連れていく』と、魔術書簡が届いた時は驚いたよ。ロードリックにも結婚願望があったのだな、とね」
広々とした食堂の中央には、クロスの敷かれた大きな長テーブルが置かれている。そこにはさまざまなご馳走が並べられていた。
テーブルについているのは、スティルトン公爵夫妻、ロードリック、それからアーサーとウェンディだ。
ロードリックには兄がいて、すでに妻子もいるのだが、兄家族は王都のタウンハウスで暮らしているそうだ。
「確か王家からのご縁談もあったと伺っていますが」
料理にナイフを入れながら、アーサーが尋ねる。
「あぁ……あれは陛下の勇み足でね。元々エリザベス王女殿下は隣国・アーフェンド王国のクラレンス第二王子との縁談があったんだが、陛下は王女殿下を溺愛されていて、この国に留めておきたかったんだそうだ。そこで降嫁相手に選ばれたのがロードリックだった」
当のエリザベスは見合いのために来国していたクラレンスと、お互い一目惚れ。すんなり決まると思いきや、父である国王は、溺愛する娘が国を出てしまう婚姻に乗り気ではなく。
そこで、隣国へ輿入れしたいエリザベスと、結婚したくないロードリックがタッグを組んだ。
ちょうどその頃、ロードリックが高位魔獣を単独討伐し、国王から報奨を賜る予定になっていたので、それを利用することに。
『わたしは今のところ結婚するつもりはございません。よって、王女殿下との縁談を辞退する許しを報奨の代わりとしていただきたく――』
こうして無事にロードリックは婚姻を回避し、父陛下を説得したエリザベスはめでたくクラレンスとの婚約が成立したという。
「――なるほど、それが真相だったのですか」
「そんなわけで、陛下の思し召しを拒否してまで結婚を忌避していた息子が、態度を一八〇度変えて『婚約だけでも今すぐしておきたい』などと言うものだから、わたしとしては驚きを禁じ得なかったわけだ」
アレンは苦笑しながら、切り分けた肉を口に運んだ。
「ウェンディ嬢はこんなにも美しく聡明な女性なんです。のんびりしていたら、横から浚われてしまうではないですか。そんな事態になったら、わたしには耐えられません。いっそ婚約を飛ばして、すぐにでも結婚式を挙げたいくらいなのですから」
ロードリックはナプキンで口元を拭い、テーブルの向かい側に座しているウェンディを見つめた。そのまなざしは愛おしげだ。
「まぁ……ロードリックのあんな表情、初めて見たわ。今まで結婚を渋っていたのは、ウェンディさんと出逢うためだったのかしらね」
うふふ……と、クリスティーナがお淑やかに笑った。
「今さらではありますが、スティルトン公爵閣下は、二人の結婚を許してくださるのでしょうか?」
アーサーが本当に今さらな質問をする。
「もちろん。スティルトン家としては、ボーフォール侯爵家とは以前からつながりたいと思っていたよ。何せ王国一の商会を傘下に持つ名家だ、つながりたくない家などなかろう。さらに言えば、貴家のドミニク卿に我が家の末娘との縁談を打診しようかと思っていたところに、ロードリックからウェンディ嬢との婚約話が来たのでな。こちらとしても是非に、といったところだ」
「それは重畳。当人同士も相性がいいようですし、よい縁談がまとまり、安堵いたしました」
「婚約式の日取りは明日までに決めるとして、どうかな総騎士団長、この後狩りにでも。ちょうど我が領の農作物に悪さをする魔獣を一掃しようと思っていたところでな。久しぶりに貴公の剣術を拝見したいのだが。何、小魔獣なので物足りないとは思うが、食後の運動にはちょうどいいのではないかな」
「閣下のご要望とあれば、否やはごさいませんな」
アレンの提案に、アーサーがニヤリと笑った。すると二人の会話を聞いたロードリックが、手にしていたカトラリーを空になった皿の上に置いた。
「父上、わたしも行きます」
「ロードリック、おまえには狩りよりも大事な仕事があるだろう。婚約者殿との親交を深めるという大仕事だ。この家の案内をしてやりなさい」
「そうよ、ロードリック。せっかくウェンディさんが来てくれたのに、放っておくつもりなの?」
ため息をつく両親に説得され、ロードリックはわずかに頬を染めながら、ウェンディに目線を移した。
「……分かりました。ウェンディ嬢、案内させてもらえるか?」
「もちろん。よろしくお願いします」
「とても広大で、素敵なお屋敷ですね。王城にも匹敵するのではないでしょうか」
ウェンディはロードリックに案内され、まずは屋敷の中を巡っていた。差し出された手にそっと己の手を載せると、軽く握られる。ごつごつとしているのに、温かい。ドキドキしながら、ロードリックを見上げた。
「ボーフォール家もかなり大きいのでは? 王国一の富豪だろう?」
「我が家もそれなりに大きいですが、こちらほどではないです」
「王都に帰ったら、今度はボーフォール家をあなたに案内してもらいたいな」
「えぇ、是非」
「それに、結婚後に暮らす屋敷を一緒に探したい」
囁くようにそう請われると、急に婚約が現実味を帯びたように感じられて、頬がかあっと熱くなった。
「わたくしの希望も、聞いていただけるのですか?」
「当然だ。あなたが幸せに暮らせる家でなくてはならないからな。なんでも言ってほしい」
「……子どもはたくさんほしいので、その分居室が多い屋敷がいいと思います」
少し恥ずかしかったので小さな声で告げると、ロードリックも照れたように頬を染めた。
「俺も、あなたとの子なら何人でもほしい」
ロードリックの口から初めて『俺』という一人称を聞き、心を許してくれているのだと、ウェンディは嬉しくなった。
「わたしも、ロードリック様のお子なら何人でも」
同じように返せば、つないだ手をきゅっと握られて。
「本当に……あなたと出逢えたことを、ボーフォール総騎士団長とあなたのご母堂に感謝しなくてはな」
「もしお嫌でなければ、結婚後も毎年、わたしと一緒に母のお墓参りに行っていただけますか?」
別荘を立つ前、ロードリックとともに母の墓前で婚約を報告した。その時に彼は、
『あなたのお嬢様は、わたしが命を賭けて守ってみせます。どうか、ご安心ください』
と、誓ってくれた。それが嬉しくてたまらなかった。
「もちろん。何をおいても同行する。俺たちの仲睦まじいところを、毎年ご母堂にお見せしよう」
彼の心強い言葉を聞き、ウェンディは満面の笑みを見せて「ありがとうございます、ロードリック様」と、手を握り返したのだった。