第1話 ボーフォール家の円卓会議
彩狼神はこの世の繁栄を望み、大陸を作った。
体内に宿る神気を大いなる力=神力に変えて創造した大陸は、彩狼大陸と名づけられる。
しかし使われた神力はあまりにも大きく、月の満ち欠けに影響を及ぼしだした。
その最たるものが、二十五年に一度、二つの月が同時に起こす皆既月食だ。
月が隠れた夜は大陸の時空が非常に不安定になり、時には異世界との接点を生み出してしまうことさえあった。
時空の安定を図るため、彩狼神は五頭の眷属を大陸の各地方へ送り出す。
『黒狼』
『緑狼』
『縹狼』
『赤狼』
『銀狼』
――各色をまとった神獣は、大陸に散らばりそれぞれ国を興した。
以来、神獣は民から『建国主』とも呼ばれ、今日まで代替わりを繰り返しながら崇められている。
『彩狼大陸記―序章―』より抜粋
***
ボーフォール侯爵家には、壁の中に住まう乙女がいる――
彩狼大陸、縹狼の国――ラスガーナ王国の社交界では、こんな噂がまことしやかに囁かれていた。
この国では三大公爵家に匹敵するほど、時には凌駕するほどの影響力を持つボーフォール侯爵家は、建国以来、連綿と続く名家だ。
前侯爵のアーサーは、王国の騎士団をまとめる総騎士団長を務めたほどの武人で『剣聖』とすら呼ばれた男だった。
妻・フローラとの間には三人の息子をもうけた。
息子たちは立派に育ち、現在、おのおのが確固たる地位を築いている。
そして彼らには、目の中に入れても痛くないほど溺愛している異母妹がいた。
「――いよいよ、皆既月食があと半年に迫っております。各領地の諸侯方におかれましては、神殿・教会の管理とともに食料の備蓄、医療体制の整備など、抜かりなく行っていただきたい。また、辺境につきましては、兵力及び魔術師の増強が必要であれば補充を進めてください」
ラスガーナ王国国防省大臣、ブラッドリー・ボーフォール侯爵は、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせて、王城の大会議場に集う貴族たちに満遍なく視線を送った。
「ボーフォール侯爵、本当にそんな災害級の備えが必要なのでしょうか。神獣様がいらっしゃるのです、きっとお護りいただけると思うのですが」
貴族の一人が、おずおずと挙手をして意見を述べる。
ブラッドリーは一瞬目を細めたかと思うと、ほぅ、と息をつき、つい、と顎を上げた。
「私は生まれて間もなかったので覚えてはいないのですが、こちらに御座す皆様の中には、前回の月食のことを覚えておられる方もおいででしょう。隣国のアーフェンド王国では、月食の日を狙ったクーデターが起こり、そのために神獣の加護たる結界が薄れ、異世界との接点が出来、こともあろうに生まれて間もない神獣の仔が飛ばされてしまったのですよ。今回の月食の日、アーフェンドではまず間違いなく神獣の帰還術が展開されるはずだ。ここ半年、我が国から隣国に輸出された濃縮魔素の量を鑑みれば、帰還術で膨大な魔力が使われることは容易に想像がつく。月食の夜に、隣国で大量消費される魔力の影響を我が国が受けないと、誰が言えますか? もし万が一、我が国の神獣様や随伴士殿が異世界に飛ばされてしまったら、貴公が責任を取ってくれるとでも?」
冷たい口調で一気にたたみかけられ、意見した貴族は気圧され口を噤んでしまった。
「――たしかに。前回は起きなかったクーデターや侵略が、今回、我が国で起きない保証はどこにもない。国防を考えれば、もっと強化してもよいとわたしも思う」
ブラッドリーの話を黙って聞いていたラスガーナ王国国王、パトリック・メイナード・ラスガーナは、静かに口を開いた。
鶴の一声は、その場にいた貴族たちをうなずかせた。
「そうですな。国を護るためですからな」
「騎士団や兵団に、対災害と対侵略それぞれに特化した訓練を採り入れましょう」
どうやらそれほど波風が立つことなく会議は終了するかに見えたが――
「それでは、前回の月食の際に国内外で起こった事象をまとめた資料をお配り――」
「失礼します。ブラッドリー卿、領地の屋敷から火急の知らせが入っております――」
傍らにいた職員に資料を配らせようとしたブラッドリーに、彼の侍従が耳打ちをした。
耳元で伝えられる報告を聞くにつれ、元々乏しかったブラッドリーの顔から表情がさらに抜け落ちていく。報告が終わった頃には、完全に気色ばんだ顔になり、そして――
「ありえん! それは本当なのか!」
大勢の貴族がいるにもかかわらず、ブラッドリーは卓上にこぶしを叩きつけた。会議卓に、割れてしまうのではないかと心配するほどの衝撃が走った。
魔王かと見紛うほど禍々しい怒りのオーラが彼から発せられ、諸侯たちを震え上がらせた。
「ボ、ボーフォール侯爵……いかがいたした?」
国王までもが口元を引くつかせながら、恐る恐るといった様子で尋ねてきた。
「――事と次第によっては、戦になるやもしれません。これにて失礼いたします。……資料は適当に配っておくように」
何やら物騒なことを言い残すと、ブラッドリーは怒りのオーラを立ち上らせたまま上衣の裾をひらりと翻し、足早に会議場を去っていった。
「一体どうしたというのだ……ボーフォール侯爵は」
何が何やら、といった表情の国王に、側近がそっと耳打ちをする。
「侯爵が国防よりも優先させ、ああまでして怒りを露わにするなど、理由はひとつしかございません、陛下」
「――あぁ、妹御のことだな」
その会話を耳にした貴族たちは、さもありなんとうなずき合ったとか合わないとか。
「――ニコラス、ウェンディが婚約したというのは本当なのか?」
王城の廊下を足早に進みながら、ブラッドリーは足並みを合わせてくる侍従に尋ねた。
「先ほど、領地のセバスチャンから魔術書簡が届きましたので、おそらく事実だと思われます。まだ正式に文書は交わしていませんが、両家の合意はすでになされているようです」
「すぐにセシルとドミニクを呼べ」
「おそらくお二人にもすでに書簡が届いているとは思われますが、念のため、わたしからも飛ばしておきました」
「そうか。わたしの侍従は有能だな。……それにしても、話がいきなりすぎるぞ。……そうだ! 肝心なことを聞き忘れていたではないか! その命知らずな男は誰だ! 相手をボーフォール侯爵家の至宝と知っての求婚なのか⁉︎」
「お相手は、ロードリック・スティルトン公爵令息様でございます」
「ロードリック・スティルトンだと⁉︎」
ロードリック・スティルトンといえば、この国の三大公爵家の一つ、スティルトン家の次男で、若くして第二騎士団の副団長にのし上がった剣豪ではないか。いやそれよりも、王国中の貴族令嬢の憧れとも言われるほどの美貌の持ち主で、姿を現せば常に女性が群がる、砂糖のような男だ。いかん、断じていかん! ――ブラッドリーはぶつぶつと口走る。
馬車に乗り込む前に「急いでくれ」と御者に伝えると、ブラッドリーは怒りに任せて座面に腰を下ろした。
「そもそも本当に父上は婚約を許したのか? あの三大公爵家の男と」
「それが……どうやら大旦那様ご自身が整えたご縁談だそうで」
「父上が⁉︎ ……何を考えているんだ、あの人は!」
毒づくブラッドリーに、侍従のニコラスが「落ち着いてください、旦那様」と、冷静に声をかけてくる。
「……そうか! 王都や領地の屋敷だと邪魔をされるのが分かっていたから、我々が行かない別荘でロードリック・スティルトンと引き合わせたのか! ……やることが姑息すぎるぞ、あの男は!」
遂には自分の父親を『あの男』呼ばわりしだしたブラッドリー。
屋敷に辿り着くまで、それは続いた。
ブラッドリーの馬車がボーフォール家の車寄せに入るのと同時に、もう一台の馬車が到着した。
「ブラッドリー兄上!」
「ドミニク」
「ウェンディが婚約したって本当なの?」
「あぁ、どうやらそうらしい」
ブラッドリーの末弟、ドミニク・ボーフォールが馬車から降りるなり兄を問い詰める。と、その時、一頭の馬が馬車の後ろに入ってきて「よーし、どうどうどう……」という声とともに止まった。
見るからに毛並みのいい馬からひらりと下りてきたのは、スラリとした美しい騎士だ。
「兄上! ドミニク!」
「セシル……単騎で来たのか」
「セシル兄上」
三兄弟の真ん中、セシル・シャンベルタン侯爵が二人の間に割って入る。
「馬車より速いからな。って、そんなことよりも、ウェンディが婚約したというのは、冗談だよな?」
「冗談だったらどんなにいいか」
「とにかく、いつもの場所に」
ドミニクの提案に兄二人はうなずき、連れ立って屋敷に入っていった。
ボーフォール家の一階の奥には、普段は使われない部屋がある。
中には蜜蝋で丁寧に磨かれた天然木の円卓が置かれており、その周りには四脚の椅子が配されていた。
兄弟がその椅子にそれぞれ腰かければ、彼らの従者が主の後ろに控える。
「ここに兄弟三人揃うのも久しぶりだ」
ボーフォールの男たちは何かあればここに集い、話し合いをする。
彼らはそれを『ボーフォール家の円卓会議』と呼んでいた。
「セシル、仕事は大丈夫なのか?」
ブラッドリー・ボーフォールは、ボーフォール侯爵家嫡男であり、王立学院を過去最高の成績で卒業後、出仕し国防省へ。二十六という若さで大臣となった。
父から爵位を継いだ今は侯爵として、また国の要職として、日々辣腕を振るっている。
父に似た精悍な面差しは美しいが、ペイルブルーの瞳は眼光鋭く。普段からかけている眼鏡も相まって、視線が捉えた者は背筋を伸ばさずにはいられないほど。
唯一、母から受け継いだ優しげなクリーミーブロンドだけが、その印象を和らげている。
「今のところは俺がいなくても、騎士団の訓練や業務にさほど支障はない」
セシル・シャンベルタンは、ボーフォール家次男であり、現在は婿入り先のシャンベルタン侯爵を継いでいる。
母・フローラによく似た顔は、中性的でとても美しく、見る者をうっとりとさせる。つやつやしたタークブロンドの髪と透き通るようなペリドットアイ、スラリとした長身は、一見すると武術とは無縁の佇まい。
しかしながら幼い頃から才能を発揮した剣技は兄弟一。『剣聖』と呼ばれた父からの遺伝のようだ。
瞬く間に騎士団の階段を上り詰め、二十四歳となった現在では、近衛騎士団の副団長。次期団長との呼び声が高い。
「ドミニクは?」
「僕も帰国したばかりだから、今は少しは時間がある。……いや、そんなこと聞かなくても、ウェンディのことは最優先事項でしょ。僕にはまだ兄上たちみたいに妻子はいないからね。自由に動ける」
三男のドミニク・ボーフォールは、人の好さそうな美男子。キラキラした大きなペリドットアイと柔らかそうなクリーミーブロンドは、人の警戒心を解くのに一役買っている。
そして穏やかな声音と説得力のある話術で、人の心を掴むのが異様に上手い。
だからなのか商才に長けており、十二歳で事業を興し、個人資産を増やしに増やし、二十歳にして総資産額は王国内一とも言われるようになっていた。
ドミニクの経営する商会は、元々裕福だったボーフォール侯爵家をさらに大富豪へと押し上げたのだった。
「我が家にはウェンディを厭う家族や使用人は一人としていない。条件はドミニクとそう変わらん」
「そもそも俺たち兄弟の結婚の最重要条件が『ウェンディを慈しみ庇護すること』だからな。今では奥方連中の方がウェンディを可愛がってるくらいだろう? どうやらうちのも魔術書簡を受け取ったらしくてな。『旦那様方を出し抜いてディちゃんと婚約を結ぶ気概がおありになるのは、どこぞの王族くらいなものではなくて?』と、驚いていたらしい」
「そうだ、そのことだ! ウェンディが婚約したのは、あのロードリック・スティルトンらしい」
ブラッドリーが苦々しく告げると、セシルはチッと舌打ちをした。
「よりにもよって、あいつか! 常に女が群がる男前じゃないか。あいつ目当てに騎士団の訓練を見学したいと押しかける令嬢が山ほどいるという」
「そうだ。そんなやつにわたしたちの宝物を奪われるなんて我慢ならん!」
普段は冷静で動じないブラッドリーが、セシル相手に珍しく息巻いている。円卓をダン! と叩いて怒りを露わにする。
先ほど運ばれてきた紅茶のティーカップが、ガチャン、と耳障りな音を立てた。
それを見てかえって冷静になったのは、ドミニクだ。
「そもそも、父上は何故ウェンディの結婚相手に、三大公爵家の男を選んだのさ。あれだけ三大公爵家だけは、って言っていたくせに」
「まったくだ。正気の沙汰とは思えないぜ、父上は」
「しかもよりにもよって、あのロードリック・スティルトンだ。あんな女塗れの男にウェンディを嫁がせるわけにはいかん。父上に進言せねばなるまい」
ドミニクの疑問に、二人の兄が唸りながら父への怨嗟を吐き出す。
「でも厄介なのはさ、ロードリック卿は恐ろしいほど女にモテるけれど、当の本人は娼館に通い詰めてるでも遊び歩いてるでもないところだよ。これでどうしようもなく女にだらしない男だったなら、それを理由に縁談をぶち壊すことも出来たのに、あの男には女に関する瑕疵がないときてるから、こちらとしてはやりにくいんだ」
「確かに、騎士団でも浮ついた噂など聞いたことがない。いわゆる硬派というやつか」
「ドミニク、相変わらず情報通だな」
「まぁね。ロードリック卿は有名だし、勝手に情報は入ってくるんだ。山のように来る縁談はすべて蹴散らし、秋波を送る女は冷たくあしらい、王女殿下との縁談すら、魔獣討伐の褒章として断った。ひたすら第二騎士団の副団長として邁進する日々を送っているような、一点の曇りもない男だね」
「……そうか、だから父上はあいつを選んだんだな」
「父上とあの男に接点なんて、あったか?」
セシルが首を傾げる。騎士団所属の者として、父とロードリックが接触する機会があっただろうかと、記憶を辿っているようだ。
「父上のことだから、ウェンディを託すに値する男か否かを知るのに、実際に会わないはずがない。わたしたちが与り知らぬところで接触したのだろう。しかもわたしたちが寄りつかない、あの別荘でウェンディと引き合わせたそうだ。まったくもって、気に入らん!」
「へぇ……父上もやるなぁ。っていうかさ、肝心のウェンディはその縁談に乗り気なの?」
「そこまではまだ情報が来ていないが」
「ドミニクの言うとおり、重要なのはウェンディの意思だ、兄上」
「その手が使えるな。……ウェンディが少しでも嫌がっていたら、この話は潰す」
「ウェンディの幸せのためなら、僕も労は惜しまないよ」
三人は顔を見合わせ、お互いの決意を確かめ合った。
「ドミニクは、ロードリック・スティルトンに本当に汚点がないのか、調査してくれ。相手は三大公爵家だからな、念入りにだ」
「了解」
「セシルは、騎士団周りで聞き込みを」
「分かった」
「――わたしは、ウェンディとあの男に真意を確認する場を作る」
ブラッドリーは後ろに控えていたニコラスを一瞥すると、これまで激昂していたのが嘘のように、静かな所作で紅茶を口に運んだ。