第9話 第四の壁
ドミニク・アレス・ボーフォールには、母親がいなかった。
母・フローラはドミニクを産んだ後、産褥期に体調を崩し、そのまま儚くなってしまった。なのでドミニクには、母親の思い出や記憶がまったくなかった。
それでも、父と兄たちが一生懸命、母の話をしてくれて。
『母様は、家族のことをいつだって愛してくれていた』
『かあさまは、ドミニクが生まれてくるのを楽しみにしていたんだよ』
『かあさまは、とってもきれいで、やさしくて、すてきな人だったんだ』
父と兄はドミニクを愛してくれたし、使用人たちも彼を自分の子のように可愛がってくれた。
だからドミニクは、淋しい想いをほとんどしたことがなかった――他の家の子たちが母親に甘えているのを見ている時だけは、少しだけ淋しいと思ったけれど。
ドミニクの二人の兄は、幼い頃からそれぞれ異なる分野で豊かな才能を開花させた。
長兄のブラッドリーは、優れた頭脳に膨大な知識を蓄積させ、それを余すところなく活かし、神童の名を欲しいままにした。
次兄のセシルは、父親譲りの剣才で瞬く間に騎士学校のエリートへとのし上がっていく。
当然、周囲はドミニクにも大きな期待を寄せてきた。
しかしドミニクには突出した才能がなかった。与えられたものはそれなりにこなせるが、ただそれだけ。
兄たちに比べたら、凡庸であった。
そんな末っ子にも父は優しくて。
「ドミニク……おまえはまだたった四歳じゃないか。人生これからなんだぞ。おまえに向いていることややりたいことも、必ず見つかる。焦る必要はないし、とにかく今は、父様と兄様たちに可愛がられるのが、おまえの仕事だよ。こんなに可愛らしい四歳児は、なかなかおらん。自慢の末っ子だ」
そう言って笑いながら、幼いドミニクを抱きしめた。兄たちもドミニクを見下すことなく導いてくれた。
だから幼いドミニクは、腐らずにいられた。
転機が訪れたのは、ドミニクが六歳になる直前のこと。
領地を視察する父について行った時、とある農場が大雨による被害に悩まされていることが判明した。
しばらく続いた長雨の後、作物が上手く育たなくなってしまったという。
興味半分に畑に足を踏み入れたドミニクは、ぬかるんだ土に足を取られ転んでしまった。
その時、頭部に受けた衝撃のせいか――ドミニクの頭の中で光が幾度も瞬き、見たことのない光景が駆け抜けた。この国にはない大きな建物や、人々がたくさん乗った鳥のような乗り物、知らない食べ物、動いている人が映っている大きな板のようなものなど……おとぎ話のような映像が移り変わり、しばらくしてようやくブツンと切れた直後――
「――父様、卵のからをたくさん集めてください。それをよく洗ってかわかし、できるだけ細かくくだいて、畑の土にまぜるのです」
「……ドミニク? 何を言っているんだ?」
何かに目覚めたような末息子の発言に、アーサーは眉をひそめた。しかしドミニクはいたって真面目に、六歳前にしてはやけに冷静な表情で、次の句を継いだ。
「作物が上手く育っていないのは、大雨が土の中の成分を洗い流してしまい、質が変わってしまったせいです。それを戻すには、卵のからがこうかてきなのです」
土壌の中のアルカリ成分が大雨によって流され、土は酸性になってしまっていた。そこに卵の殻を砕いて混ぜることで、中性に戻すことができるのだ。
(どうして僕は、そんなことを知っているのだろう……)
習ったこともない土壌改善方法を何故か知っている自分が、少し怖くなったドミニクだ。
それでも真剣に父に訴えた結果、卵の殻肥料で土壌が改善された。領内の農場は見事に復活し、再び実りをもたらすようになったのだ。
父はドミニクを大いに褒めてくれ、ご褒美に何か欲しいものがあるか聞いてきた。
ドミニクは躊躇うことなく「お金をください」と答えた。
ある程度まとまった額の金銭を得た彼は、迷わずそれで銀を買った。
国のとある領地の銀山で採掘されていた銀鉱石が、そろそろ枯渇するのではと、視察先の農民が噂していたからだ。
小耳に挟んだ瞬間、誰に言われるでもなく「買わなくては」と思った。まるで天啓のようだった。
農民の噂どおり、その後、銀山は資源が枯渇して閉山となり、銀の値段は跳ね上がった。
そこからはひたすら情報を集め続けた。ボーフォール家の家令に頼み、国内の鉱山開発のニュースをチェックし続けた。
しばらくして、他の領地で銀鉱が見つかったという秘密裏の情報が入るや否や、ドミニクは即、銀を売った。
父から貰った金は何倍にもなり、彼の初めての投機は大成功を収めた。
ドミニクはその時点でようやく、自分がこの世界にはない特殊な知識を持っていることに気づいた。
おそらくそれは自分の『前世』であり、彩狼大陸とはまったく違う、魔術はないが科学が進んだ世界に生きた記憶だった。
以来、ドミニクはその知識を大いに活用し、ボーフォール家の富を増やしていった。
現在、彩狼大陸五カ国で通信手段として使われている『魔術書簡』の概念を考えたのもドミニクだ。術式を組み込んだ送受信機で文章を飛ばし、相手側の送受信機で読めるようにした。
手紙だと何日もかかる距離との連絡が、一瞬でできるようになったのは、革命とも言えた。
しかしドミニク自身は、当然ながらそれを実際に作る技術など持っていない。父を介して王家に掛け合い、最終的にはドミニクと宮廷魔術師が協力し、通信体系を構築した。
これにより、ボーフォール家は、巨額の利益を得ることになる。
以降、ドミニクは様々な革新的な製品・仕組みのアイデアを出し続けた。この国の誰も思いつかないような概念を提供し続ける彼を、誰もが『天才』だと褒めそやした。
(僕はべつに天才でもなんでもない。……違う世界の人の知恵を拝借しているだけだ)
兄たちのように天賦の才に恵まれているわけでもなく、努力で何かを成し遂げたわけでもない。しかしそれを憂いだところで仕方がないし、この国に新しいものをもたらし続けているのは確かなのだから、後ろめたく思う必要なんてない。
ドミニクは、ブラッドリーともセシルとも違う方法で、ボーフォール家に貢献できるのが嬉しかった。
この国で学んでいるだけでは考えもつかないことを次々に思いつくドミニクに、父や兄たちも何か思うところはあったはずだ。しかし彼らは何も言わないでいてくれた。
「ドミニクの頭の中には、彩狼神の加護が詰まっているのだな」
ブラッドリーが笑って、ドミニクの頭を撫でた。
「おまえのおかげで、この国の生活がどんどん便利になっていくな。魔術鉄道も、早く実現させてくれよ。頼むぞ?」
セシルは、ドミニクが夢物語として兄たちに話している『大陸縦横断高速魔術鉄道』の構想の実現を心待ちにしているらしい。人を乗せた大型の乗り物が、地面に敷かれたレールの上を高速で走り、遠くまで移動する。燃料として大量の魔素が必要になるので、どう確保するか、いかに少ない魔素で走らせるかが課題となる。
しかしそれが実際に通れば、自分がいずれ所属するであろう騎士団の派遣も容易になる。
「弟の考えた乗り物に乗って、兄が活躍をする。それって最高だな!」
「そうだな。末の弟が考えた乗り物に乗った上の弟が守る国を、兄が発展させる――ボーフォール家の未来は明るいな」
兄たちに期待されているのが、嬉しいドミニクだった。
周りに支えられて自分が生きていられる。支えてくれる人がいるから、豊かにもなれた。
齢八歳にしてそれを悟ったドミニクでも、妹がいたと聞かされた時にはうろたえた。
「父様は、母様のことを忘れてしまったの……?」
そんなはずはないと分かってはいたが、聞かずにはいられなかった。もちろん、父は否定する。
その時の、わずかに悲しそうな表情を見たドミニクの心はチクリと痛んだ。
国一番の強さを誇る父だって、母亡き後、誰かに支えてもらいたかったのだと、なんとなくそう思った。
妹――ウェンディを見れば、不安げにこちらを見つめていて。少年三人から不躾な視線をぶつけられれば、怖いのも当然だ。
小さくて、弱くて、少し力を込めれば折れてしまいそうな身体で、懸命に淑女の挨拶をしているウェンディ。
(この子が、本当に僕の妹なら、支えてあげないといけない)
ドミニクは、幼心にそんなことを考えた。
ボーフォール家の霊廟で、ウェンディがこの家の血を引いていると正式に判明した時点で、ドミニクは決心する。
(ウェンディは、僕が守ってあげるんだ)
だからウェンディが部屋に案内される時に一緒につき添った。部屋に入った後、
「ウェンディ、分からないことがあったら、僕になんでもお聞き。もし、誰かにいじめられたら、すぐに言うんだよ。……そんなことをする者は、この屋敷にはいないとは思うけどね」
まかり間違っても、庶子であることを理由に使用人がウェンディに危害を加えたりなどしないよう、あえて大きな声で言う。
このドミニク・ボーフォールが認めている妹に何かあったらただではおかないと、遠回しに宣言したのだ。
「ありがとうございます、ドミニクにいさま」
その時のウェンディの無邪気な笑顔を、ドミニクは一生忘れないと思った。
ドミニクは「自分には才能がない」と常々言ってはいるが、実は人の心を掴み情報を得るのが異様に上手い。穏やかな語り口と、人好きのする見目で、相手の懐にすんなりと入り込む。そうして様々な情報や噂話を集めるのが、彼の手腕。
集めた膨大な情報は、彼が立ち上げた『ドミーフォール商会』を運営するのに大いに役立っている。
前世の知識と情報収集――それは紛れもなく、ドミニクの武器であり才能だった。




