KISSまでの距離〜陰キャで不登校の私が体育祭実行委員になったら学校一のモテ男子にキスされました〜
第一章 なんで私が⁉
「未菜ー!今日は学校に行きなさいよー!先生から話があるって!」
母親の声が階下から部屋に響く。
「今日は登校しますって、先生と約束したからねー!」
なんで勝手にそんなことーー
未菜はベッドの中で丸まったまま、憮然とした表情で、これまでのことを思い返した。
晴れて憧れだった四つ葉学園中等部に入学したものの、生来の内気さと地味な見た目の未菜は、他のキラキラした学園生たちに圧倒され、当然打ち解けることもできないまま完全に浮いていた。
陰キャ、コミュ障、女子力ゼロ。
勉強もパっとしなければ、運動神経は壊滅的。
サラサラヘアとはほど遠い、重たい黒髪に暗い表情。
少しでも打ち解けようと、クラスメイトに話しかけても、コミュ障が災いして結果はさんざん。
陰で幽霊扱いされているのも知っている。
三年生になるまで、親しい友人もできないまま、だんだんと学校に行きづらくなり、今では家で寝ていることのほうが多い。
いつしか、気が向けば週に何回か保健室に顔を出すだけになっていた。
わたしって生きてる意味あるのかな?とか、もう何十万回も考えてる。
両親は心配してくれてるけど、結局のところ‘’普通にしてほしい‘’という思いが見え見えで、自分の気持ちなど誰も理解してくれないし、興味もないのだ。
朝から母親とケンカするのも面倒くさいーー
未菜は、久々の制服に身を包むと、重い身体を引きずって家を後にした。
住宅街の坂の上のからは、五月の新緑に彩られた町が一望できる。
未菜は通学中にこの景色を見るのが大好きだったけど、いつからか俯いて歩くようになり、視界は灰色で埋めつくされた。
学園に近づくにつれて、人の数も増えてきた。
周りの生徒たちの楽しそうな様子に未菜は、きゅっと身体を固くして身構えると、学園の門をくぐって足早に職員室に向かった。
「おー、おはよう!南!今日は来たのか!」
(あんたが呼んだんじゃん)ーー未菜は心の声でツッコむ。
担任で体育教師でもある馬場が、大きな身体で手を振りながら未菜を迎えた。
30代半ばでいかにもスポーツマン風の馬場は、面倒見がよく生徒からも保護者からも人気があったが、未菜はなんだか暑苦しくて苦手だった。
「先生から、話があると母から聞いて……」
未菜がもごもごと口走っていると、馬場は未菜に向き直り、唐突に言い放った。
「そう!実は先生から提案がある!南!体育祭の実行委員になりなさい!」
「ええっ⁉なんで?」
未菜は思いがけない提案に声を出してのけぞった。
「お前は、入学してから学校を休みがちだし、体育の授業の出席日数が足りないからこのままじゃ単位があげられない。進級にもかかわるぞ!」
「もし体育祭の実行委員として活動するなら、体育の成績として加点してやる!
どうだ!いい考えだろ!」
意味がわからないーー
未菜は呆然としている。
体育祭の実行委員といえば、学園でも花形のポジションで、例年、自薦他薦問わず人気のあるキラキラした生徒たちが仕切っている委員会だ。
馬場はなおも早口でたたみかける。
「断るのなら、体育の成績がどうなるか分かってるな⁉」
このまま進級できずに、留年したらお母さん悲しむかなーー
てか、信じられない!なんでそうなるの!!!ーー
未菜は、わけもわからず突っ立っていた。
その時、ガラガラっと職員室のドアを開ける音がして、見覚えのある男子生徒が入ってきた。
「おーい!榎本!こっち、こっち!」
ひょっこりと顔を出している男子生徒に馬場が手を振ると、こちらに招いた。
中学生とは思えない長身と引き締まった身体に、シャープな輪郭。
茶色い髪が朝の柔らかい日差しを浴びて、整った顔はより一層美しく見える。
「彼は、今年度の体育祭の実行委員長の榎本 快。分からないことは彼に聞いて、一緒に活動するように!」
「じゃあ、頼んだぞ」と快に言うと、馬場は忙しそうに去っていった。
いやいや、アンタ丸投げかいーー
絶望的な気持ちで顔を上げると、不思議そうな顔をした快と目が合い、
未菜は、急に恥ずかしくなった。
榎本 快ーー
同じクラスになったことはないけど、名前は知っているーー
運動神経抜群で、おまけにイケメン。
確かサッカー部のエースだ。
明るく誠実な性格で、教師からの信頼も厚く、女子生徒からの人気も高い。
まさに陽キャを絵に描いたような生徒。
少しの沈黙のあと、快は、目の前で俯いている未菜に話しかけた。
「南さん?…だよね? 馬場先生から話は聞いてる?」
「……はい。……なんかこんなことになってすみません。私これからどうすれば…」
明らかに困惑している様子の快に、未菜は地味に傷ついていた。
はいはい、そうだよね。私みたいな陰キャのブスとは関わりたくないよねーー
これまでの男子からの屈辱的な仕打ちを思い返し、ため息をつく。
「今度、体育祭の実行委員長をやる榎本です。早速、来週の放課後に今年度の実行委員で初顔合わせをするので、参加をーー」
快がすべてをを言い終わらないうちに、未菜は耐えられなくなってペコっと頭を下げると、その場を離れた。
第二章 記憶
カバンを固く胸に抱いて、呆然と廊下を去っていく未菜の後ろ姿を、快はいつまでもも見つめていた。
快は意外にも前から未菜のことを知っていた。
あれは入学式のあとーーーー
桜の下に女の子が立っている。
突然風が吹いて、桜吹雪が舞い上がると、その子は眩しそうに、空を見上げた。
快はなぜか、一瞬時が止まったかのような感覚に襲われ、そのシーンが今もくっきりと頭に残っている。
ただ残念ながら、その子と同じクラスになることはなく、なんとなく遠目に見かけるものの、二人の距離が近づくことはなかった。
そう、今日まではーー
その後、どうにか帰宅時間を迎え、自宅に戻った未菜は、母親とろくに口もきかずに二階の自室に飛び込んだ。
よりによって、なんで体育祭の実行委員なんか!ーー
陽キャ連中にハブられながら一緒に活動するとか生き地獄!ーー
制服のまま、ベッドで枕に顔をうずめていると、未菜の頭の中にはネガティブな思いが洪水のように溢れてきた。
入学後に親しい友人ができず、どこのグループにも入れなかったこと。
一人で食べるお弁当の味気無さ。
することがない休み時間の手持ち無沙汰。
教師にすら名前を覚えてもらえないほどの存在感のなさ。
勉強ができるわけでも、運動ができるわけでもない。
容姿にもコンプレックスがあり、何をするにも積極的になれない。
どうして私は、かわいくないのかーー
どうして私は、ダメなのかーー
どうして私は、変われないのかーー
ぐるぐると一枚の葉っぱが、悪い妄想の渦に吸い込まれていくようにして、最後まで落ち切ったとき、未菜は、ある光明を見た。
ーーそうだ、いっそ死んでしまおうーー
きっとこのまま私の人生にはよいことなどないだろうーー
体育祭まで頑張れたら、このときまでに変われなければ、もう楽になろうーー
引き出しから日記帳を取り出すと、未菜は決行する予定日に印をつけ、家族へメッセージを残した。
「ごめんなさい。そしてありがとう。
私はとても幸せでしたが、うまく生きれませんでした」
どうせ私がいなくなったところで、世界は何も変わらない。
両親は悲しむかもしれないが、このまま私が年を取って彼らのお荷物になるよりは、お互いに幸せかもしれない。
どうやって終わらせるかは、これからカウントダウンしながらゆっくり考えればいい。
人生からの旅立ちを決意した未菜は、いくぶん心が軽くなる気がした。
決行できるかどうかは、その時にならないと分からないけど、この灰色の生活に期限が付くだけでもマシだった。
第三章 突然の訪問
家族も学校も誰も知らないこの計画があることで、未菜は妙にハイな気分になり、数日を淡々と過ごした。
そして、相変わらず登校したりしなかったりを過ごしていたある日の夕方、思いがけない人が訪ねてきた。
チリン、チリン。
繰り返し自転車の呼び鈴の音がする。
親は留守だし、どうしようーー
未菜は、二階の自室から、そっと音のする通りを見た。
制服姿で自転車に乗って、こちらを見上げているシルエットが見える。
「あっ!!!!」
それは、先日、会ったきりの榎本 快の姿だった。
快の太陽に焼かれたような茶色の髪からは、初夏の熱気が汗になって蒸気しているようだった。
快は、未菜を見つけると、小さく手を振った。
未菜は驚いて、窓を開けて叫んだ。
「どうして?!」
「突然、ごめん! 南さん、この間、話が終わらないうちに帰っちゃったから、来ちゃった…」
「なんか悪いことしたかなって気になって」
「連絡したいことがあったけど、学校でもなかなか会えないし。馬場先生が学校のプリントも届けてくれるならって住所教えてくれて……」
快は、赤面しながら矢継ぎ早に、言葉を続けた。
「………」
未菜が絶句していると、快はなおも続けた。
「あっ、なんか怪しいとか、そんなんないから!」
「来週の水曜日の放課後。視聴覚室で体育祭実行委員の初顔合わせをするから、よかったら参加して。もし、学校に来るの嫌なら、俺、また会いにくるから、じゃあ」
快はプリントを郵便受けに入れると、そのまま自転車で帰っていった。
心臓がバクバクしているーー
未菜は信じられない思いでいっぱいだった。
なんでこんなことまで?ーー
ちゃんと外に出て、話せばよかったーー
もっとお礼を言うべきだったーー
いろんな思いが、未菜の頭の中をぐるぐると回っている。
榎本 快が、なぜみんなに人気があり好かれているのか、未菜は分かった気がした。
実行委員長としての責任感からの行動だとしても、未菜は快の心遣いが嬉しくて温かい気持ちになった。
第四章 初顔合わせ
初顔合わせの日は、あっという間にやってきた。
未菜は、一応体育祭の実行委員であるという責任感と、わざわざ家まで訪ねてきてくれた快への申し訳なさから、顔合わせに出席することにした。
本当は、もう一度、快に会いたいと思っている自分を強く否定しながら。
緊張しながら視聴覚室の側までくると、未菜は意を決してドアを開けた。
すでにほかのメンバーは集まっていて、何やら楽しそうに盛り上がっている。
あれは、たしか学年一の秀才の浦川くんーー
あっ、もしかしてあれは美人で有名な三人組?ーー
集まったメンバーのキラキラ感に圧倒され、未菜が突っ立っていると、
後ろから、「お疲れー!」と声がして、快が現れた。
「みんな集まったかなー!これから今年度の体育祭実行委員会の顔合わせを行います! 机を円にして座ってー!」
みんなが円になって着席すると、早速自己紹介が始まった。
「今年度の体育祭、実行委員長を務めます榎本 快です。馬場先生からそそのかされて…、っいや薦められて引き受けました。みんなで楽しくできたらなと思います。
よろしく!」
「じゃあ次は」、と快に促されて隣にいる男子が立ち上がった。
藍色がかった黒髪に、細いシルバーフレームの眼鏡。
学校一の秀才といわれる浦川 総だ。
「俺は、3-Bの浦川 総。この榎本とは前から友人で、今回はこいつから頼み込まれて、付き合いで引き受けました。今回、副委員長をやるので、よろしく」
「なんだよー。嫌々かよー。副委員長ー」
お調子者で有名な早川 那留が、チャチャを入れても総は華麗にスルーしている。
「次、俺ね!3-Aの早川 那留!ナルって呼んじゃって♡面白そうなので参加しましたー!」
カワイイ系子犬男子として、マスコット的な人気を誇るナルは、小柄で童顔に大きな瞳をウルウルさせている。
「次は女子どうぞー!」
ナルに促されたのは、学年一の美女、近藤 愛花だ。
ストレートロングのポニーテールで、人形のような愛らしい顔をした愛花は、成績もよく、男子から抜群の人気を誇り、愛花に憧れる女子も多かった。
「3-Bの近藤です。みんなで実行委員長を支えて、体育祭をぜひ成功させましょうう。よろしくお願いします」
愛花が、あいさつをしながら、快へ目配せをしたのを未菜は見逃さなかった。
その後、愛花の友人であるりりあと柚季も自己紹介をした。
柚季は、スタイル抜群で将来のモデル候補。
りりあは、芸能事務所に所属し、幼いころから子役をしている。
三者三様に美しいルックスをしており、学園でも目立つグループだった。
その後も各クラスからの自己紹介が続き、とうとう未菜の番になった。
「……3-Cの南 未菜です。……よろしくお願いします。……」
消え入りそうな声に、あたりが沈黙すると、柚季が言った。
「南さん?聞いたことないけど。もしかしてC組の不登校の子?
実行委員なんて大丈夫なの?」
普段からズケズケとものをいう柚季が、さらに畳みかけようとするのを、快が制しようとした瞬間、横から愛花が割って入った。
「これから一緒にがんばればいいじゃない。南さん、よろしくね」
にっこり微笑む愛花は、未菜が思わず赤面するほどかわいかった。
「南さんって、ひらがなだと、みなみみな。ってことは、名前、『み』と『な』だけじゃん!うけるー!あだ名はミナミナでいいじゃん!」
ナルがそう言って笑い転げると、総が「しょーもなっ」とあきれ顔でつぶやいている。
様子を見守っていた快も一緒に笑っている。
「とにかく今日はみんな集まってくれてありがとう。近藤のいうとおり、これからみんなで頑張っていこう!」
こうして初顔合わせはお開きになった。
どうしよう……有名人ばかり……
未菜は、血の気が引くのが分かった。
ーーーーー
気分が悪くなった未菜が、トイレの個室で一息ついていると、外から女子たちの話し声が聞こえてきた。
どうやら愛花とその友人である柚季とりりあだ。
メイク直しをする音がする。
「それにしても、馬場先生もひどいことするよねー。あのこ完全に浮いてるじゃん。これからどーすんだろ?」
「なんかダサいし暗いし、とりあえず無視しとこ」
柚季とりりあの高い声が響く。
「やめなよ。快にも言われたでしょ?仲良く頼むって」
愛花の声も聞こえる。
「愛花のいい引き立て役になるんじゃない?快ったらほんとに鈍いんだから!」
「わざわざ同じ実行委員になったんだし、いくらでもチャンスあるでしょ!」
甲高い笑い声がだんだん遠ざかって完全に消えるまで、未菜はその場から動くことが出来なかった。
第五章 戸惑いながら
十月の体育祭に向けて、実行委員会の活動も増えていった。
体育祭のスケジュール設定や、競技内容の検討、会場の設営、進行管理、安全管理など、話し合うことは多岐にわたる。
未菜も、しぶしぶながら放課後に行われる活動に顔を出していた。
実行委員長の快、副委員長の総、ムードメーカーのナル、そして愛花たちのグループが中心になり、活動をすすめるのが常だった。
未菜は、自宅に快が訪ねてきてくれて以来、まともに彼と話す機会がなかった。
快のまわりには、常に誰かが集まっていて、特に愛花は何かしら世話を焼きながら、ごく自然にスルリと快のとなりにいることが多い。
未菜は、彼らの快活さ、眩しさが作る輪の中に当然入っていけず、いつも仕方なく黙って板書された事案をノートに書きこんでいた。
わたしっている意味あるのかな?ーー
帰りたいーー
「南さん、これまでの話し合いをずっと記録してくれてるんだよね!」
快が不意に未菜のノートをのぞき込んだ。
「そっかー、俺らペチャクチャ喋るばっかで、ちゃんとまとめて記録するの必要だよなー」
ナルが、感心したように目を丸くする。
「すごい綺麗な字だし、とっても見やすい!」
快の言葉が嬉しくて、未菜は照れて赤くなった。
何より、自分がノートにちまちまと書いていることを、快がちゃんと見ていてくれたんだと思うと、胸が熱くなった。
「確かに、書記が必要だな。南さんに書記をお願いしたらどうかな」
総が提案すると、快もぜひお願いしたいということで、図らずも未菜は、書記を引き受けることになった。
それからの未菜は、自分にできることがあるのが嬉しくて、出来る範囲で話し合いの記録や資料作りに精をだし、そんな未菜を快は好ましく見つめていた。
作業を通して、快や総、ナルやほかのメンバーとも少しずつ会話を交わすようになり、時折、明るい表情も見られた。
柚季やりりあは相変わらずだったが、愛花は未菜にも優しく接していた。
快の本心に気づくまではーー
第六章 衝突
その日は、雨の日の午後だった。
中間試験の最終日を終えて、今後の活動予定を組んでいた。
「南さん、夏休み中に学校側にスケジュールの確認と説明をしたいから、一緒に来てくれるかな?都合のいい日ある?」
快の言葉に未菜がキョトンとしていると、後ろにいた柚季が横から口を挟んだ。
「ちょっと待って。どうして南さんなの?彼女は黙って言われたとおりに書いてただけで、話し合って決めていったのは私たちじゃない?」
友人である愛花の気持ちに気づいている柚季は、納得できない。
快が未菜のことを知らず知らずに気にかけている姿に、愛花が傷ついているのを知っていたのだ。
「あんたも、不登校か何か知らないけど、調子に乗って!いい気にならないでよ!」
「みんな先生に言われて気を遣って、腫れ物のように接しているだけ!あんたが病気だから優しくしてるだけなんだから!」
「私たちがどれだけ我慢してあんたに付き合ってると思ってるの⁉」
りりあも柚季に加勢する。
二人の未菜に対する激しい糾弾に、その場にいたメンバーも固まった。
愛花は、大きな瞳に涙をためて、手で顔を覆っている。
「もう、やめろよ!」
涙を浮かべた愛花の前で、快が叫んだ。
未菜も、愛花に謝ろうと近づいたとき、未菜は愛花の手の内から覗く冷たい視線にゾッとした。
そうだった、思い出したーーー
未菜が快と接していると、必ず愛花があらわれて、巧みに快を翻弄した。
そでを引っ張ったり、腕をからめたり、二人の距離の近さを見せつけられて、未菜はいつも閉口していた。
そしてその度に、快への気持ちを心の奥底に閉じ込めた。
愛花が未菜に優しく接していたのは、誰にでも親切な自分を快にアピールするためだったのだ。
周りの生徒たちが、ひそひそと未菜を非難しているのが聞こえる。
明らかに未菜が悪者になっていた。
「……ごめんなさい、迷惑かけてごめんなさい、……もう来ません。」
未菜は、固まった空気をこじ開けるように声を絞り出すと、荷物をまとめて教室を後にした。
やはり、私は邪魔者なのだ、私のせいですべてが台無しになるーー
浮かれて調子に乗って、バカみたい、同情されてただけなのにーー
みんなと仲良くなれたと思っていたのは、私だけーー
誰もいないどしゃ降りの雨のなかで、未菜はわんわん声を上げて泣いた。
第七章 どしゃ降りの心に傘を
あれからどうやって家まで帰っただろうーー
幸い母親は、仕事で留守にしていて、ひどい泣き顔を見られずにすんだ。
未菜は、ずぶ濡れになった身体をシャワーで温めると、部屋着に着替えて濡れた頭にタオルを被った。
タオルで髪を拭きながら、次から次へと涙がこぼれる。
ふと机の引き出しが目に入ると、未菜はあることを思い出した。
体育祭の実行委員になったあの日、絶望のあまり日記帳に家族に当てた最後のメッセージを残していた。
体育祭までに変わらなければ、虹の橋を渡って旅立とうーーー
ああ、十月までもたなかったなーーー
未菜が日記帳を見ようと、引き出しに手を掛けたその時だった。
チリン、チリンーー
雨の音に混ざって、微かにだが、はっきりと聞こえるベルの音。
まさかーー
未菜が、慌てて窓の下を見ると、雨のなかカッパを着て自転車に乗った快が、こちらを見て何かを訴えている。
行かなきゃーー
頭より先に、身体が動いた。
着の身着のまま、玄関から飛び出した未菜を快は、笑顔で迎えた。
「今日は、下に降りて会いにきてくれたんだね。無事でよかった」
未菜は、思いが溢れて言葉にならない。
胸が詰まって、嗚咽になりながらも、必死に言葉をつなごうとした。
ちゃんと、言わなきゃ、自分の気持ちーー
ちゃんと伝えなきゃーー
「ちがうのっ、ごめんなさいっ、私が悪いの、みんなに甘えて…上手くできなくて本当にごめんっ、みんなに嫌な思いをさせてごめんっ」
「足を引っ張って……気を遣わせて……」
快はそんな未菜の言葉を、一つ一つ取りこぼさずに最後まで聞いている。
「南さんが、しっかり仕事をしてくれてたのは、みんな知ってる」
「最初、馬場先生から南さんの話があったときは俺も、ほかのやつらも戸惑ったし、どう接していいかわからなかったけど、俺は、南さんと一緒に活動できて嬉しかった」
「時折、見せてくれる笑顔が、綺麗な字が、好きだ…」
「だから、もうこれで終わりとか、言わないで……」
飾らない素直な快の言葉に、未菜も応えた。
「私もみんなのためにできることが嬉しかった。最初は嫌々だったけど、どんどんみんなのことが好きになった」
「快くんに会えるのが嬉しかった……」
「私は、ずっと自分を守るために、殻にこもって他人との間に壁を作ってたけど、それが逆に、周りの人を傷つけることにやっと気づいた。
これからは、勇気をもって自分の気持ちをちゃんと伝えていきたい」
ーーー
未菜は、玄関先でずぶ濡れの快を玄関に招き入れると、洗面から取ってきた乾いたタオルで快の濡れた髪をくしゃくしゃに拭いた。
「風邪ひくよ!」
「自分だって、髪ぬれてるじゃん⁉」
不意にタオルを取り上げると、今度は快が未菜の頭を拭き返した。
未菜が驚いて変な声を上げると、二人は可笑しくなって笑いあった。
そして瞳が重なり、一瞬の沈黙が訪れたあと、二人はそっとくちびるを重ねた。
第八章 虹の向こうに
お互いの素直な気持ちを確かめ合った二人は、これまでの距離と時間を埋めるように短い時間で、たくさんの話をした。
入学後からお互い見知っていたことーー
不登校のことーー
快の友人の話ーー
体育祭の実行委員になったいきさつーー
近藤 愛花との関係についてーー
そして今後の委員会の運営についてーー
たくさんの誤解もあったし、新たな気づきもあった。
いつしか雨が上がり、帰路に着く快を未菜は途中まで見送った。
「近藤さんは、悪い人ではないと思う。嘘でも私のことを本当に気にかけてくれた瞬間もあったと思う…」
未菜はポツリと呟いた。
「俺も、近藤のことに向き合わずにそのままにしてしまった。
ずっと同じクラスで、友人で、それが心地よかった」
快は隣で自転車を押しながら話している。
「私も近藤さんと向き合いたい。彼女だけでなく、きちんと気持ちを伝えて周りの人を大事にしたい」
「うん」と快もうなずく。
「体育祭の実行委員も最後までやり遂げたい。成功させたい」
「そう言ってくれると、総もナルも喜ぶよ。あいつらああ見えて真面目だし。三年生の最後の思い出のために、一生けん命働いてる」
快は友人の様子を聞かせてくれた。
未菜が教室を飛び出したあと、場をなだめたのはいつも冷静沈着な総だった。
総は、真面目で丁寧な未菜の仕事ぶりを知り、少しずつ未菜のことを理解するようになっていた。
快に、未菜に会いに行くよう背中を押したのも総だ。
ナルは、持ち前の明るさと愛嬌で、必死に愛花たちの怒りを鎮めてくれている。
未菜はそんな二人の姿が目に浮かぶようだった。
頑張ってきてよかったーーー
いつしか町を見下ろせる坂の上に差しかかったとき、二人は同時に「あっ」と声を上げた。
雨上がり虹が、町の上に大きなアーチを作っていたのだ。
「キレイ」
「明日は晴れそうだな」
美しい虹を見ながら、未菜はこれからもきっとやっていけると確信した。
自分が目を背けない限り、世界はこんなにも美しい瞬間で溢れている。
一歩ずつ。
一歩ずつ。
新しい自分で歩いていくことを、未菜は心に誓っていた。
(完)
※この作品は、カクヨムに投稿された「陰キャで不登校な私が体育祭実行委員になったら、学校一のモテ男子に溺愛されて困ってます!」を一部編集して投稿しております。